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スノードロップは不死鳥を殺せない ―暗殺対象と両片思いになりました、任務継続の危機です―  作者: 鶴川紫野
十・冬支度の恋

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10-4

 結局フロストライトは、星霜祭の二日前に完成した。

 前日の放課後。訪れた旧校舎は、静かで、仮にも中庭だというのに、少しだけ森の冬の気配がした。

 校舎の奥側にある調合室付近には、一応は学内監理局が調査に入ったことを示したがるように、立ち入り禁止のテープが張りっぱなしになっていた。


 結局ロマンス・パターソンの停学は解けたらしい。

 ただ、新入生歓迎パーティーでテロを画策した者たちのうち、捕らえられたのは、そのとき動いた実行犯たちだけだった。学内監理局にまだ入りこんでいた裏方の人員は、おそらく今もすべて取り除けたわけではないと、エイデンから聞いている。


 ……それでも生徒や教師たちの間では、もうデリック・ファルメールが失脚して消えた白日協会には、大きなことはできないだろうと推測されているようだった。

 とにかくそんな悲惨な現場は遠目に見るだけにして、大切な中庭に向かう。 


「ヴェナちゃん」

 アイビーは、割れた切り株の隙間を覗き込んで、声をかけた。ひっそりと魔女のために芽吹いてくれた、小さな愛らしい若芽の妖精の気配がする。


「アイビー……来たんですのね……」

 けれど顔を覗かせたヴェルディアナは、全体的に弱った様子だった。いつもの明るい緑色の姿よりも、心なしか黄色っぽくくすんでいる。

 アイビーは切り株の側にしゃがみ込んで、両手でヴェルディアナを掬い上げた。


「寒い?」

「……眠いですわ……」

 ヴェルディアナは小さく頷いて、目を閉じてしまった。

 どうやらこの小さな妖精は、とうとう冬眠の時期らしい。


 妖精の中には、季節の変化に合わせて状態が変わる妖精もいる。大樹になれば葉が落ちても存在感を失わずにいられる妖精も少なくないが、生まれたばかりの若芽の妖精は、冬に抗うものではない。むしろ、ヴェルディアナは今まで元気いっぱいすぎて、寝るのが遅かったくらいだ。


 それでも手のひらの上で弱ったような姿を見ると、以前のように暖めてあげたくなる。それは自然に生きる木のためにはならないから、我慢するけれど。


「子守歌を歌おうか?」

「……いま歌われたら、眠ってしまいますわ……」

「うん。そろそろヴェナちゃんには、おやすみを言わなきゃいけないと思って」

 アイビーはできる限り優しい声でそう告げた。今日は、お別れをしに来たのだ。あと数日のうちに、アイビーが学校を去るつもりだった。

 その裏切りを許してほしいとは言わないけれど。


「……寝ているあいだ、寂しいのは嫌ですわ……」

「大丈夫だよ。眠っていたら、何も怖くないよ」

 春になって起きたヴェルディアナは、怒るだろうか。魔女がいなくなったせいで、また枯れてしまうのだろうか。

 ヴェルディアナが、ふわりと飛んで、アイビーの頬に小さな手を添えた。


「でも、アイビーは寂しいと思いますわ……私がいてあげませんと……」

「あ……うん。そうだね。ヴェナちゃんが寝てしまうと、寂しいな」

 想定外の言葉に、アイビーは驚いてから微笑んだ。それに気分を良くしたのか、ヴェルディアナの声が少しだけ元気になる。


「そうでしょう? だったら春になるまで、アイビーは良い子で、私が起きるのを待っているんですのよ……」

「うん。ありがとう、ヴェナちゃん。覚えておくね」

 できる限り明るい声で、嘘をつく。


 ――アイビーは、エイデンを殺せない。だから代わりに、アイビーがこの世界から逃げ出して消えて、魔女に与えられた暗殺任務を、有耶無耶にする。


『本当にそんなことできると思う?』

 だって、エイデンを殺せませんでした、などと言ってノコノコと精霊術師の庇護下にある魔女のところに戻れば、それは魔女の問題になるはずだ。でも、アイビーが勝手に消えたら、大半はアイビーのせいだ。……そうなることを期待するしかない。


『言い訳ばかり』

 ニヴァリスの言葉は、聞かなかったことにした。

 ……アイビーが犯罪者にならなければ、エイデンやコンラッドやマリアンたちは、この小さな妖精のことをきっと気にかけてくれるだろう。魔女ではなくとも彼らはこの学校の生徒なのだと、ヴェルディアナも多少認めてくれるなら、生き永らえてくれるかもしれない。


 やっぱり長く飛んでいるのは疲れてしまうらしいヴェルディアナの姿が、ふにゃふにゃと高度を失っていく。慌てて掬い上げて、アイビーは切り株にヴェルディアナを降ろした。


「……おやすみなさい。愛らしいヴェナちゃん。歌うね」

 ヴェルディアナの顔を見ないように目を閉じて、呼吸を整える。


 「春告げ鳥が眠っている 

  暖かな木漏れ日も今は休んでいる

  おやすみなさい

  新しい春枝を伸ばすために

  眠る木には 麗らかな芽吹きが待っている

  おやすみなさい

  春のあなたが どうか健やかでありますように」


 次にヴェルディアナが目を覚ましたときに、アイビーはもういない。

 それでもせめて眠る前は怖い思いはしないでほしい。そう思うことも、アイビーの我儘だ。

 目を開けたとき、もうヴェルディアナはそこにはいなかった。



 現校舎の方に戻ると、一年生の教室が多い棟の側にある芝生の広場には、見覚えのある姿が二つあった。

 アステルと、スプーマ……スーである。ゴーレムながら泉に映る星空がモチーフらしいアステルと、どうやら海に漂う綺麗な毒のお姫様みたいな存在らしいスーは、契約者が友人であることもあってか、けっこう仲が良いようだった。


 今日から急に寒くなったせいか、他には誰もいない。

 遠くからでも楽しそうに身振り手振りで対話していることがわかる二人は、アイビーが近づくと、すぐに気づいて手を振ってくれた。


「二人で遊んでいたの? コンラッドとジュリアンは?」

「おやつ買いに行ったのー」

 スーが緩い回答をくれた。なるほど。二人とも、もう寒いのにまだ外で遊んでいるのか。アイビーは微妙な感心をしつつ頷いた。

 でも、確かにアステルとスーを交えて遊ぶなら、屋内スペースは向いていない。


「アイビーちゃんも遊ぼー」

 スーがアイビーの手を掴み、冬の芝生から離れて、レンガの上をふわふわと漂う。そして少し広さがある位置に来ると、ニコニコと笑った。


「アステルちゃーん、水鏡の囲いー作ってー?」

 ついてきたアステルが、指で丸く輪を作る。そして、レンガの上を水で濡らして、瞬時に冷やし固めた。さらにその上にも三面鏡のようにコの字型の水鏡を作る。正面と天井だけを空けた、鏡の舞台装置のようなものができた。

 何をする気だろう? とアイビーが首を傾けると、スーが正面に移動する。


「見ててねー? あわあわー」

 緩い掛け声とともに、スーは大量のシャボン玉らしきものを、鏡の謎舞台に向かって撒く。

 しかしその泡は、鏡には付着せずに、ぽよん、と反発した。さらに近くの泡に当たっても弾けず、また柔らかく反発する。それが無数にあるので、泡は鏡の中と外でぽよぽよぽよんぽよぽよんと踊り狂い始めていた。


「わ……楽し……綺麗だね」

 アイビーは感激して手を叩いた。ちなみに鏡から逃げ出そうとする泡は、スーが正面から、アステルが上から、わちゃわちゃと手に魔力を乗せて押し戻している。別のゲームが始まっている。


「でしょー? でもねー、スーの泡、アステルちゃんには効かないのー、狡いー」

 にこにこと楽しそうなスーに、アステルがドヤ顔の笑みを返す。

 アイビーは思わず笑って、しばらくのあいだ、可愛いことをしている泡の妖精と水鏡のゴーレムと、ふわふわと綺麗なまま鏡の内側から脱出できない泡たちを眺めた。けれど、ヒュッと吹いた風が冷たくて、思わず身体を竦める。


「ところでコンラッドたち、なかなか戻ってこないね?」

「ううんー、スーたちねー、たぶん捨てられたのー」

「えっ」

 衝撃的な言葉に、アイビーは動揺した。

 しかしスーは、ぷくぷくと頬を膨らませた。手が止まったおかげで、泡がぽわぽわと脱走し始める。


「ジュリアンとコンラッドはー、男の大事な話があるからーってー、スーたちをここに遊ばせてー、おやつ買いに行くからーってー、たまに騙して置いていくのー」

 ひーどーいーという声に合わせて、アステルもうんうんと大きく頷いている。


「……ええと、つまり、迎えには来るんだね?」

「んー、十五分くらいあとー?」

 大抵は十五分以内に戻ってくる、という意味だろうか。


「……それは捨ててないよ」

「スーはー、ジュリアンと遊びたいもんー」

 訂正してみたが、スーは拗ねていることをアピールするように、さらに頬を膨らませた。さすが泡の妖精というべきか、頬はかなり丸く膨らんでいる。

 アステルがスーの頬に両手を添える。スーはぷすーっと頬の膨らみを萎ませたが、今度は唇を尖らせた。


「でもー、ジュリアンにー、彼女ができるならー、スーも応援したいのにー」

「えっ」

 そこでアイビーは勘づいてしまった。


「もしかして二人って、その、デートに誘う女の子に連絡しに行ってる?」

 アステルが満面の笑みで斜め上を見た。


「わぁ……そうなんだ……」

 アステルが申し訳程度の守秘義務のポーズを取っている横から、スーがふわふわと申し出る。


「スーねー、ジュリアンの誘いたい子、知ってるのー、あのねー」

「それは聞かないでおくねっ?」

 慌てて止めていると、校舎の方から声が届く。


「あれ、アイビーもいたのか。お菓子多めに買ってきて良かったな!」

 コンラッドだった。たまに使っている、黒の大きなトートバッグを持っている。隣にジュリアンもいて、そっちは菓子が詰まっているらしい紙袋を抱えていた。


「ええと」

 アイビーは、ジュリアンをちらりと見た。コンラッドは今から始まるらしいお菓子パーティーの頭数に、今ふわっとアイビーを入れたが、ジュリアンは嫌ではないだろうか。

 案の定、ジュリアンはちょっと眉を顰めていた。 


「……スーが、またアイビーさんに迷惑をかけていなかった?」

 思っていた懸念と違った。

 じゃあ良いか、とアイビーは居直ることにした。


「スーとアステルが合作した、泡の舞台を見せてもらったよ。綺麗だった」

 そして言わないでおくが、スーが迷惑をかけようとしているのは、ほぼジュリアンにだけである。


 コンラッドがトートバッグから敷物を取り出して、アステルが心得たように奪って芝生に敷いた。コンラッドはその上にトートバッグを置き、水筒とペットボトルのジュースと紙コップの束、そして寮から貰ってきたらしい、ドリップバッグのコーヒーとティーバッグの紅茶を広げた。本格的である。


 その横で、ジュリアンが紙袋からお菓子を広げ始めた。チョコがけクリスプスとキャラメルポップコーンと甘塩コーンスナックの袋菓子に、バタークリームとジャムのカップケーキが六個。多い。

 スーが多少食べるにしても、ゴーレムのアステルは食事を摂れないはずなので、これを主に二人で食べるつもりだったのだろうか。


「……あっ、祝勝会?」

 途端にコンラッドとジュリアンの肩が跳ねた。

 アイビーは慌てて滑った口を押さえた。


「ごめん……なんとなく察しただけで、スーたちからは聞いてないよ」

「いや……まあ祝いごとだからいいんだけどさ」

 コンラッドがものすごく浮つきを押さえるような声で言う。

 良かった。アイビーは胸をなで下ろした。言ってしまってから、実はヤケ食いパーティーだったらどうしようかとドキドキしていたのだ。

 ちなみに先週の休日に会ったエミリーは、「一応予定は空けてるんだけどね?」と余裕そうに微笑んでいた記憶がある。


「ジュリアン、おめでとうー? でもスーたちのこと、また捨てたー」

「捨ててないってば、今回はちょっと途中で親父から連絡が来て、話してただけだし」

 一人だけぷりぷりしているスーが、ジュリアンの周りをぐるぐると回り始める。


「えっと、アイビーも紅茶で良いんだよな?」

 コンラッドがティーバッグを二つとドリップバッグのコーヒーを一つ空けて、それぞれ紙コップに入れてくれた。水筒から、かなり熱そうなお湯が注がれていく。


「ありがとう。じゃあ、これ開けちゃうね」

 アイビーは遠慮なく紙皿を広げて、お菓子を貰うことにした。


「スーはこれで良いよな?」

「これ好きー、ジュリアンー、開けてー?」

 ジュリアンはスーに冷たい炭酸葡萄ジュースのボトルを渡している。

 アイビーが菓子袋を開けると、アステルが隣に来てチョコがけクリスプスを掴み、アイビーの口に差し出してきた。


「えっと」

 小さく口を開けると、にこにこと楽しそうに突っ込まれた。さらにアステルは、まだ真剣にコーヒーを蒸らしているコンラッドの口元にもクリスプスを持っていった。

 何でもない、良い日である。温かい紅茶を配られて、アイビーはほっと息を吐いた。


「特に何とは言わないけれど、おめでとう」と告げて、紅茶を一口飲む。

 じんわりと温かい気分が身体中を巡って、冷えていた部分から涙が押し出されないように校舎のほうを見た。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

残り11万字ほど、最後までお付き合いいただけましたら幸いです。


また、ブックマークや評価などで応援いただけますと、今後の励みになります。

引き続き、よろしくお願いいたします。

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