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スノードロップは不死鳥を殺せない ―暗殺対象と両片思いになりました、任務継続の危機です―  作者: 鶴川紫野
十・冬支度の恋

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10-2

 土台となる大型装置の上に真球のガラスチャンバーを載せて、土台からガラスを囲うように上へと伸びたアームが上部の測定装置を支えている。簡単にいえば大きなオイルランタンのような形。コンラッドが用意してくれた装置は、一見するとそんな印象だった。もっというと、測定装置から伸びたコードがデスクの上にある小型モニターに接続されている。


「これ、何が入っているの?」

 ガラスチャンバーを覗き込むと、内部は水らしきもので満たされていた。その中央下には球体が転がっている。


「その丸いのはただの魔力計測器で、液体は普通に媒介の水。問題がなければ光雪結晶に入れ替えるよ。そうすれば、流水に乗ってアイビーの魔力が均一に光雪結晶の周囲を包んでいくはずだ」

「……なるほど」

 だいたいわかった気がするけれど、よくわからない。

 つまりこういうのは、とりあえずやってみたほうがいいのだ。アイビーは早速、チャンバーの中に魔力を注ごうとして、首を傾げた。


「えっと、どうやるの?」

「たまに思うんだけど、それでよくトップクラスの総合成績を取れたよな」

「……私もそう思う」

 アイビーの錬金術の知識は全て座学である。家事の合間の娯楽と現実逃避として、家に残っていた古い教科書を何度も何度も読み込んで、学校に憧れていただけだ。実技ではコンラッドが隣にいてくれなかったら、錬金術はおろか最新式の魔導具の使い方もよくわからないことが多かったりする。


「そのままガラス面に触れて魔力を流したら、勝手に不純物を弾いて魔力だけ透過されて水の中に混ざるようになってる」

「すごい……最新式って直感操作なんだね」

「おう。そういうのに慣れてからたまに古い機材を触ると、すげぇ混乱するけどな。反応すると思ってるところが無反応で」

 コンラッドは肩を竦めると、外付けモニターの画面を指で突いた。途端に暗かった画面が明るくなり、計測画面が表示される。


「じゃあやってみるね」と告げて、アイビーは両手をガラス面に添えた。

「ちなみにこの光雪結晶の魔力濃度は4772ppmだから、計測値を4500ppm以下に維持できるといいかな。5000ppmを超えると光雪結晶が割れる可能性がある」

「わ、わかった」

 とにかくまずは普段雪耀晶を作るときと同じ感覚で、しかし今回は氷の魔力だけを継続的に流してみる。アイビーの魔力がガラスの中の水に溶け込んで、キラキラと揺れ始めた。


「……どう?」

「今ので12382ppmだからな。光雪結晶だったら割れてた」

「ええっ、うそっ?」

「言っただろ、純粋な魔力しか通さないって。普段アイビーたちが雪耀晶を作ってるときは、多分暖炉の熱とか空気とかいろんなものに触れてるし、何より光雪結晶の周囲に纏わせた魔力が氷の魔力に変換されるまでに、かなりラグがあるみたいだし」

「あ、そっか……その工程を省くから、一度に纏わせる魔力は結構絞らなきゃいけないんだ」

「そうそう。まあアイビーならできるだろ。とりあえず4000ppmくらいで三分維持してみればいいんじゃないか?」

「三分の一以下かぁ……」


 静かに呼吸を整えるようにして、細く長く息を吐く。目を閉じて、引き絞った魔力を放ち続けるに相応しい心情の記憶を探す。


 ――暖炉の前。家族の笑い声……違う。温かくて遠すぎる。遺品を整理した後の、静かな家? 違う。出力が揺れてしまう。


 ――祓い風、だね。山から魔女の住む森を通って吹いてくる、風の魔力を高濃度で含んだ初夏の風。

 しっとりとした秋のような優しい声が耳の奥に落ちる。ああ、これだ。以前エイデンに手伝ってもらった、補習課題を教えてくれたときの声。


 ――うん。術師たちは、風厄と呼ぶんだ。だから、この設問への回答は、そう書くのが正しい。強い風の魔力は、人工的な街には結構な被害を与えるから。……でも、この風は、包み込むような春の滞りを祓って森の自然を新しい成長段階に進める季節に必要で……だから魔女たちが祓い風と呼ぶのは、絶対に間違いじゃないと思う。


 アイビーは、そっと魔力をガラスの中に向かって注いだ。ひんやりとした雪の気配が、ガラスを通って水の中に溶けていく。


「……いい感じ。今3256ppm……3369ppm」

 コンラッドの声が聞こえて、アイビーはそっと放出する魔力を増やした。

「……3823、3976……4062。落ち着くところで維持に入ったほうがいい」


 ――窓から秋の風が、エイデンの髪をふんわりと揺らして、通り抜けていく。鮮やかな赤の瞳はずっと穏やかなままで、丁寧な手つきで教科書を捲る指は、一見整っているようでいながらしっかりと筆ダコと剣ダコができている。顔を上げると、目が合った。照れたように微笑んで、新しいページを捲られる。まだアイビーが知らない項目を示された。


 呼吸を深くする。アイビーは、死んだってエイデンとの時間を忘れないだろう。まるで他愛もない日常のように流れる、魔女には過ぎた宝物の記憶だ。


「4195……4208……4197……4201……4200……4201…………4199…………4200……」

 コンラッドの声が、安心したように控えめになっていく。

 アイビーはそのまましばらく温かい胸の内に任せて、控えめに魔力を放出し続けた。


「三分経過。4200 ±2で安定してたよ、さすがアイビー。疲れは?」

「無いよ」そう言ってアイビーはゆっくりと放出を止めた。軽く肩の力を抜いてみたが、気怠さは全くない。まだまだ繊細な魔力操作をする余裕は十分にあるだろう。


「光雪結晶でやってみるか?」

「もちろん」

「じゃあ、いったん数値が安定してから±5変動したら今日は終わりな」

 コンラッドが頷いて、手早くガラスチャンバーから魔力計測器を取り出した。代わりに光雪結晶をそっと沈めながら、下部の装置を操作する。チャンバーの中の水がゆっくりと動き出す。


「……なるほど……?」

 中央に向かって包むような水流に支えられて、光雪結晶が中心に浮かび上がる。くるくるとその場で回っていて、均一に雪の魔力が巻きつけられそうだ。

 さっそくガラスに触れて、先程と同じように意識を集中させる。

 ガラスの水の中がキラキラと揺らいでいく。そして、光雪結晶が仄かに青白く輝き始めた。


「おお、いい感じに安定してる。どうしたらそんなに繊細に魔力を使えるんだ?」

 コンラッドはちゃんと尊敬している感じで、そう言ってくれた。

 アイビーは、よくぞ聞いてくれたという気持ちで胸を張って微笑んだ。


「エイデン先輩を思い浮かべたらいいんだよ」

「お、おう」

 気を遣った呻き声が返ってきた。



 翌日は、コンラッドが放課後は生徒会があるということで、昼休みに食事を手早く済ませた後の二十分ほどを雪耀晶の精製時間にしてくれることになった。ありがたいことだ。


「魔女はね。春になると、小さくなった雪耀晶に、水溶性の絵の具で絵付けして、春に採れた山菜や花を添えて、春花祭のときに返すの。夏が近づくまでは雪耀晶は完全には溶けないし、光雪結晶の表面の保護にもなるし」

「へー。ちゃんとしてるんだな、魔女って。こっちの春花祭は、もう夜通し飲んで食って飲んで春の学会に向けて口論してる奇祭だよ」

「……前夜祭の、遥羽の夜は、似たようなものかも。ほら、遠方の人は、前日の夕方に会場に着いたりするから……お酒とご馳走が、我慢できなくて」

「ああ。だよな……」


 そんな会話をしながら、混雑している食堂を足早に抜け出して、コンラッド名義で借りている実験室に向かう。


「でも小さい頃は、はしゃぎすぎると翌日の春花祭の夕方まで起きていられなくなっちゃうから。遥羽の夜は先祖へのお祈りが終わったら、あとはお酒を飲んで暴れる悪い魔女たちの祭りだから子供は寝なさいって言われたんだよね」

「正直だな。こっちはちゃんと寝た良い子にだけ、宴会で余ったっぽい菓子がいい感じにラッピングされて枕元に置かれる方式だったぞ」

「でもコンラッド、結構最近まで喜んでたでしょ」

「まあ去年まではな」

「中等学校は家の近くに行ってたんだっけ? 中央行政都市の」

「そう。母さんが評価されるには、工業都市の職人街に引っ込んでる場合じゃないって感じだったからさ。生まれも育ちも中央行政都市のほう。工業都市は出張で行くところって感じ」


 話を聞きながら、コンラッドが手際よく雪耀晶になり始めた光雪結晶を機械に入れて、起動させる。

 呼吸を整えながらそれを見ていると、ふいにアイビーの学生章に着信が入った。エイデンだ。


『急にごめん。いま時間あるかな? 食堂にいるんだけど、探せなくて……』

 回線を開くと、いつも通り穏やかな声が、少しだけ焦っているような調子で聞こえた。


「あ。ええと、用事があって、もう食堂から出てきてしまっていて」

 アイビーは思わずコンラッドのほうをチラリと見た。もう準備は終わっているらしく、こちらを見て首を傾げている。


『……そうなんだ。ごめん、邪魔したみたいだね』

 エイデンの声が、優しく微笑むような色に変わる。

「いいえ……すみません……」アイビーは目を伏せて、唇を噛んだ。いったいどんな用事だったのだろう?


 通話が終わる。コンラッドは通話先を察しているようで、すぐに聞いてきた。


「よかったのか?」

「……うん。早く作らないと、間に合わないし……」

 コンラッドにも無理を言って手伝ってもらっているのに、浮かれて放り出すわけにはいかないだろう。

 フロストライト精製装置の前に立って、ガラス面に両手で触れる。


「こっちはいつでもいいからな」

 そう言ってくれたコンラッドに頷いて、目を閉じる。とにかく集中しなくては。お昼休みは長くない。


「……3790ppm、3990ppm、4150ppm……4350ppm。アイビー、高くなりすぎてる」

「大丈夫。ここで維持できる」

 昨日よりも少しだけ出力を上げたところで、呼吸を維持する。


 ――エイデン・フラムスティードは、アイビーの短い人生の中で、もっとも重要な他人である。

 コンラッドと一緒にいても気楽なのは、いずれ自分が酷い魔女だとバレて嫌われても割り切れるからだ。……少なくとも、そういうふうに自分に嘘がつける。だって魔女だから仕方ない。コンラッドは当たり前に素敵な人だから、アイビーがいなくても何も変わらない素敵な人でいるだろう。


 でも、エイデンに嫌われたら。堪えられない、と思う。アイビーがいなくなったとき、コンラッドには気にしないでほしいのに、エイデンには自分のことを気にかけて、あわよくば悲しんでほしいとさえ思う。それは醜い執着で、でも、エイデンが笑っているなら、遠目でも二度と見られなくなっても、この世界に自分がいなくても、それでも嬉しいとも思う。


『……本当に?』

 ニヴァリスの静かな声が頭の中に響いた。

 ……そうだ。もうすぐ、会えなくなる。だから、せめて綺麗な思い出になれるように、コンラッドにも協力してもらって――。


『――こんなことしてる場合なの?』

 アイビーは思わず目を見開いた。嫌だ。


「……アイビー!」

 コンラッドが焦った様子で装置を止める。魔力の出力を誤ったことは、自分でもわかっていた。


「……ごめん……」

「光雪結晶は……割れてないな。良かった」

 装置の中を覗き込んだコンラッドが、安心したようにそう言った。それから振り返ってアイビーを見る。


「不調の原因はわかるか?」

「……ううん」

 アイビーは首を横に振って俯いた。まさか、エイデンのことを考えて集中が乱れたなんて、認められなかった。


 コンラッドが軽くため息をつく。ズキリと胸の奥が軋んだ。……ああ、そうだ、別にコンラッドに嫌われても――平気なんかじゃなかったのに。


「よし。今日はもう駄目だな」

 コンラッドはあっさりとそう言い放つ。


「どうせエイデンのことが気になってるんだろ? 連絡してみれば?」

「へ?」

 アイビーは慌てて顔を上げた。コンラッドはさっさと学生章に触れている。


「い、今からしても、迷惑なんじゃないかな」

「あ、エイデン、聞こえてる? さっきのアイビーへの用事なんだった? うん、そう。いま隣でめちゃくちゃへこんでる。用事を放り出してエイデンの誘いに乗るべきだったーって」

「コンラッド、っ?」やることが早すぎる。思わず叫んだアイビーに、学生章が向けられた。


『今から会えるの? だったら、話したい。……渡したい物が、あって』

「わ、わかりました! すぐに行きます!」

 聞こえてきたエイデンの声に、アイビーは即座に答えた。だって話したいと言われたのだ。すごく期待に満ちた声で。


『……すまない。コンラッド。エイデン。これは生徒会のグループ通話だったが、よかったのか?』

 突然、シルヴェスターの声が紛れ込んだ。


 凍りついたアイビーの耳に、さらに追い打ちをかけるかのように、聞き覚えのある声が流れ込む。


『しーっ! シルヴェスター、言うなよ!』『すまない』

『申し訳ありません、聞こえてしまいました』

『えっと、ごめん……』

「あー……ごめん、アイビー。間違えた」

 どうやらコンラッドも、ちょっと動揺していたらしい。


「……うん」

 アイビーも、頷くしかなかった。


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