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「――コンラッド! 助けて! 助けてください! お願いします!」
アイビーはコンラッドに駆け寄って、必死に頼み込んだ。
平和に混雑した朝の食堂。出入り口から姿を現したアイビーを見つけて気軽に手を振っただけだったはずのコンラッドは、胡桃パンと鶏肉のマスタード煮とチーズと葡萄を山盛りにしたトレーを置いて、怪訝そうな顔で頷いた。
「……おう、いいけど」
「え? いいの? な、内容を聞かずに安請け合いしていいの?」
「ええ、何なんだよ? 俺にできるから言ってきたんじゃないのか?」
「えっと、それはそうだけど……うん、ありがとう。これをね。作るのを手伝ってほしいの」
アイビーはいそいそとローブの内ポケットから小箱を取り出して、中身をコンラッドに見せた。
「ん? それ、もしかして本物の光雪結晶か? まさか素材のほうを買ってきたのか? フロストライトじゃなく」
「ううん、違うの。これは私が森で使っていた物だよ。出来合いのものは、あんまり好みじゃなかったの。フロストライトの品質があんなに悪いとは思わなくて」
アイビーは肩を落とした。
十一月の第二日曜日には、星霜祭という初冬の祭りがある。そこで大切な人に贈るべき物の一つが、フロストライトだった。
北の雪山の、一面の雪景と太陽の光の中で育った雪の結晶が、魔力を帯びた熱と冷えでぎゅっと固まり、白く輝くようになった物が光雪結晶である。それに魔女が時間をかけて、たっぷりと魔力を馴染ませた物が、雪耀晶だ。その雪耀晶を、氷やガラスの綺麗な透明のランタンに入れた物を、魔女はフロストライトと呼ぶ。
しかし。学園都市の商店街で売られていた簡易的なフロストライトは、形こそ可愛いものの、ただ光雪結晶の使い古した破片や粉を混ぜ込んで成形したランタン型の磨りガラスに、汎用の魔力照射機で機械的に雪耀晶っぽく加工したものだった。
「あー、確かにその光雪結晶で作ってたなら、市販品では納得しないよな……」
「そうなの。魔女のフロストライトは、お祭りだけじゃなくて、春に雪が溶けるまで持たせないといけないから。すごく綺麗なんだよ。家の周りに並べると、ふんわりと一面が輝いて。秋の収穫が終わったら、魔女は光雪結晶に毎日魔力を染み込ませて、少しずつ大きく丸くしていくの」
アイビーの記憶では、両親はたくさんのフロストライトを知人に贈ったり自分たちの家に飾ったりするために、秋になると夕食後に少しずつ丁寧に光雪結晶へ魔力を注いでいた。母は膝に乗りたがる妹を抱きながら、アイビーは父親に教えてもらいながら。会うといつもエウリュ樹のドロップキャンディをくれる近所の優しいおばあちゃんや、かつてはいた魔女の学校の友達や先生に渡すつもりで、小さな光雪結晶に魔力を染み込ませていた。……七年前、魔女狩りに遭ってからは、もう家の周りに置く分を、母と二人で作るだけになったけれど。
しかし大切な光雪結晶を小箱にしまうアイビーに、コンラッドは難しい表情を浮かべた。
「……でもさ、魔力を注ぐのには、時間がかかるんだろ? 間に合うのか?」
「そう! そこなの!」
「うわ」
アイビーが身を乗り出すと、コンラッドは軽く仰け反ってしまった。
「フロストライトは、本当は一ヶ月かけて作るの! でももうあと十日しかないの!」
「……う、うん。そうだな。アイビー、パーティーの日に倒れてから回復したら、そのまま補習だったし」
「そうなの。むしろ、魔女でもちゃんと補習を受けさせてくれる先生が何人かいたのは、嬉しい誤算だったんだけれど……」そして補習の課題はエイデンが親身に手伝ってくれて、自分の参考書まで「もう必要ないから」と貸してくれたのも、嬉しすぎる大誤算だった。だからお礼をしたいと言ったら、来週末の星霜祭に誘われた。
でも、それはどう考えてもアイビーにとって最期のご褒美であってお礼にはならないから、せめて何かを渡したかったのだ。
「だから、コンラッド。お願い! 助けて! 私、雪の魔力なら安定して放出できるの! ……雪耀晶の生成に時間がかかるのは、光雪結晶に魔力を馴染ませるための時間を置くから。でも私は馴染ませる時間がいらないかもしれない」
「え? マジで言ってんのか? やったことは?」
「ないよ。だって、すごく疲れるでしょ?」
「わかってんのかよ。というかいくらアイビーでも光雪結晶を割る可能性が高いと思うぞ」
「だから安定と快適性を求めてコンラッドに頼んでるの」
「それはわかるけど。でもな、錬金術師は魔女と違って、魔力量で押し通すとかはあんまりしないんだよ……」
コンラッドは難しい顔で目を閉じて、ため息をついた。
「……できない?」
「できる。けど、ちょっと時間をくれ」
「ど、どれくらい……?」
コンラッドは、ゆっくりと目を開いた。
「そうだな……。中休みに借りる物を決めて、昼休みに許可取って……放課後は、今日は生徒会がないから、直行して、組み立てが……一時間くらい?」
「早い! えっ、今日の話だよね? あっ、でもコンラッドの休憩時間が全部潰れちゃうよね……二日に分けても」
「明日は生徒会あるし、いいよ。俺はやろうと思ったときにやるのが信条だし、放っておくとアイビーはまた無理しそうだし」
「ご、ごめんなさい」
「させないように言ってるのに先手で謝るなよ」
「あ……そっか。じゃ、じゃあ、よろしくお願いします!」
アイビーはほっと胸を撫で下ろして、席に座ろうとした。そして昨晩と今朝と延々コンラッドに個人的すぎる頼みごとをしていいかを迷い続けていたせいで、まだ自分が朝食を持ってきてないことと、既におかわりを求めている人たちが続々と余った料理を目指してブッフェに向かっていることに気が付いた。まだ十日間は死ねない。むしろとびきり綺麗で健康に過ごさなければならないのに。
星霜祭は、元々北の山間部に住んでいた魔女たちと、かつては住んでいた魔力を持たない人間たちが、家の周囲を雪が閉ざしてしまう前に、友人や大切な人とその年最後の交流として、秋に採れた食糧で食事やワインや会話を楽しむお祭りだった。
魔力を持たない人間を追い出した後も、その地方の魔女が森に隠れ住んでからも、その風習は続き、アイビーも小さな頃は五百メートル先のお隣さんや三キロ先の親戚に会ったりして、アイビーの家の庭では採れない果物や木の実で作ったお菓子やジュースを貰った記憶がある。
森の魔女たちの家は狭く、代わりに庭は広かった。だから冬は寒さを和らげたり、冬眠に失敗して飢える獣や調子に乗っている冬の妖精たちを避けたりするため、雪に埋もれていく庭に、氷のランタンをたくさん作って吊るしていた。そうすると、霜が降りた窓の外からぼんやりと光が見えて、アイビーはそれを何時間も眺めていたことがある。
アイビーにとっては、それが本来の星霜祭だ。でも雪が深くないこの学園都市では、かつては魔女だった術師たちが、ただ綺麗な磨りガラスのランタンを作って恋人に贈るイベントとして、街中で楽しんでいる。日に日に浮かれていく生徒たちの雰囲気を見れば、それが悪いこととは言えないけれど。
「そういえば、コンラッドは星霜祭に行くの?」
放課後、一週間の貸し出し許可を得た錬金術師向けの実験室に入ったアイビーは、何食わぬ顔で問いかけた。
「……まだ決めてない」
コンラッドは今から使用するらしい器具や機材を選び出しながら、妙に神妙な声で呟いた。
「そうなの? もしかして、誘いたい人がいるとか? 他校に……」
コンラッドはぴくりと肩を跳ねさせると、複雑そうな表情でアイビーから視線を逸らして、そのまま作業に戻ってしまった。けれど、後ろから見えた耳は赤くなっていた。なのでアイビーは仕方なく追及をやめて、「何か手伝えることある?」とコンラッドの指示を仰ぐことにした。
「組み立ては俺がやってやるから、今のうちに今週の課題と予習して待ってろよ。今週ずっと雪耀晶に集中するつもりなら」と真顔で言われてしまった。
「はぁい」
アイビーは苦笑して頷くと、自分の鞄を部屋の隅で開けて、今すぐできそうな薬草学の課題を済ませてしまうことにした。森の魔女として本気で取り組もうと思っていたが、食用草と毒草の混同を避けるためのレポートなど、終わらせようと思えば五分で終わる。
「……ねえ。コンラッドは、死ぬまで学びたいと思う?」
特にわかりにくい毒草の見分け方について、科学的根拠がないことを理由に科学的検証を放棄されている魔女の民間知識を書き込むかどうか迷いながら、アイビーは黙々と作業中の背中に問いかけた。
「んー? どっちかというと、この世のことを全部知り尽くしてから死にたいんだけどな。それが無理なら、まあ学ぶことなんていくらでもあるだろ。最終的には、自分が受ける終末医療についてとか?」
コンラッドらしい、健康に長生きしている前提の発想である。
アイビーはくすくすと笑って告げた。「じゃあ薬草学は重要だね。定期的に森に通って季節のものを採取するといいよ」
しかし、珍しくコンラッドは青と紫のオッドアイの色をどんよりと濁らせた。
「森かぁ……。俺、地元の森は苦手なんだよな……。アイビーの住んでるほうなら、歩けるかな? 今度案内してくれよ」
いったい何があったというのだろうか。気になったが、今学期末には去るアイビーが案内してあげられる時間はないので、安請け合いの嘘をつく。
「いいよ。コンラッドなら」
「じゃあアイビーも、火炙りなんて言ってないで、長生きしろよ。こっちの寝覚めが悪いからさ」
「……うん。ごめんね」
アイビーは微笑んで、エイデンから渡された参考書を取り出した。表紙の擦れと四隅の傷みが僅かにあって、中は開きやすく、ページは捲りやすい。エイデンがこの本を大切に使ってきたことがわかる。
この学期が終われば、アイビーは学校でこんな会話もできなくなるし、本を渡されることも触れることもできなくなる。そうしてこの世界から消えていく。いなかったことになっていく。
アイビーがページを捲る側で、コンラッドが作業を続ける。カチカチと機材を繋げて、軽く魔力を通しては、外して調整している。「これはやっぱりいらないか。じゃあこっちだな」そう言って新しい器具を掴み、夢中で繋ぎ直している。楽しそうだ。コンラッドはずっとそうやって、思い立つままに新しい世界へ接続するような暮らしをしていればいいと思う。
明るい窓の外からは、断続的に生徒たちの笑い声や走る音が聞こえてくる。細胞が入れ替わるように、学校の中身は毎年新しい生徒が入学して卒業して、入れ替わっていくのだ。歌われる声が巻き戻らないように、世界は絶えず止まった者をあっさりと置き去りにして時を進めていく。それでも、羨ましいほどにここは穏やかな場所だと思う。異物を弾いて多くを守る、残酷なほど素敵な場所だ。この空気に僅かでも触れることができて、入学して本当に良かったと思う。
エイデンもコンラッドもエミリーもレヴィヴィスも生徒会のメンバーも、アイビーを気にかけてくれた人たちは誰一人薄情な人ではないけれど、きっと三ヶ月ほど学校にいて消える魔女なんて、すぐに掠れて薄れて消えていく。
もうアイビーの妹がリリアという名前で、よく笑う可愛い子で、コスモスの髪飾りが宝物だったことを、アイビーと母親しか知らない。ルカと名付けられた弟がどんな子に育つはずだったかは、アイビーさえ知らない。父セオドアが遺したはずのものは、森から観測した星の記録も、個人的な日記も、一番大切な物だと笑って引き出しの奥にしまっていた、魔女の親たちが子供の成長を願うために組む銀のブレスレットを三つ収めた宝石箱さえも、全部魔術師たちに貴重品と一緒に持ち去られてしまって何一つない。
アイビーが小さな頃にはいた学校の友達がどんな子たちだったかは、もうアイビーすら忘れかけている。
それが魔女たちの人生だ。遠くないうちにアイビーもそこに仲間入りするだろう。
そもそもアイビーの本名は、アイビー・エインセルではない。
「――できた! なあアイビー、魔力通してみてくれよ!」
「え? あ、うん。ありがとう……!」
コンラッドに呼びかけられて、アイビーは慌てて参考書を閉じた。




