9-4
「アイビー、昨日はうるさくなかった? 大勢で押しかけるのもな、って私たちは遠慮しちゃったんだけど、やっぱり見張りが必要だったかもって、後から心配になってきてさ」
「お気遣いありがとうございます……」
翌日やってきてそう言ったヴィオラに、アイビーは曖昧に微笑んだ。見舞われて悪い気分ではなかったが、シルヴェスターの状況説明やスーとジュリアンの突撃訪問が、忙しなく感じなかったかと言えば嘘になる。そしてエイデンが三回来たのは手放しで嬉しかった。
「やっぱりエイデン君、生徒会の後もここに来たんですね。スーちゃんが自慢してたから……」
マリアンが、サイドテーブルの上の花瓶を見つめながら苦笑する。おそらく生徒会が終わった後と思われる時間に駆け込んできたエイデンは、「ダンスパーティーで贈った薔薇は傷んでしまっていたから」と言って、新しい赤のダリアの花にアップルミントまで添えて活けていったのだ。
「あいつ意外とそういうところあるよな」
「ええ。花瓶もラスボーン先生からお借りしてきたんですね」
「あ、それは買い取りだって言ってました。だから返さなくていいって……」
「ラスボーン先生、もう副業で花屋やってるよな? エイデン以外にも花を買ってる生徒、わりといるし。教師って副業禁止のはずなんだけど」
「生徒に日用品を融通するのは、教師としても問題ないはずですよ。アッシュフォード先生も、いろいろ生徒会に融通してくださいますし」
「まあそうなんだけど。えー、告白のための花を教師に貰いに行く奴とかってどんな気分なんだろうな……」
ヴィオラが遠い目をする。アイビーは目を伏せた。ラスボーン先生のことを、うっかり薬師で花屋のお兄さんだと錯覚しかけていたが、そういえば教師だった。
「幸せだと思います。それで、ええと、もう私が代表して渡しますね」マリアンが気を取り直させるように咳払いして、持っていた袋から何かを取り出して、広げた。
「え?」アイビーは目を瞬かせ、それから見開いた。ドレスだ。とても見覚えのある。
「これは生徒会からの快気祝いです。先日破損したドレスは補修するよりも買い直したほうが早いということで、新しいドレスをオーダーしました」
少し緊張気味にはにかみながら、マリアンがそのモノトーンのドレスをアイビーに差し出してくれた。
「これからも季節行事でパーティーはあるし、今回のパーティーだって来年もあるからさ。そのときのエイデンは会長だから、多少趣味が変わってもドレスなんて何着あっても困らないだろうし、アイビー、受け取ってくれる?」
ヴィオラがあまりにも当たり前の顔で微笑みながら口を挟んだ。
「あ……りがとうございます」
アイビーはおずおずとドレスに手を伸ばした。受け取って、抱き締めて、俯く。
「……すみません……」
声が震えて、顔を上げられなくなった。次のパーティー。来年のエイデンは会長になる。でもそこにアイビーはいない。もう二度と着る機会なんてない。だって来年にエイデンが会長になれない未来を望もうとして、ここに来たのだ。こんな物を受け取る資格はない。
「えっ、なにも泣く必要はないよ? それ、ほとんど会長が私費で生徒会にいろいろ持ち込むせいで浮いた生徒会の活動資金からだし」
「ヴィオラ先輩が持ち込んだものも多いですよ」
「私が持ち込んで会長が個人的に気に入って購入して、なんとなくずっと生徒会室に置いてある物のおかげで浮いた生徒会の活動資金からだし。そんな感激されると照れちゃうよ私が」
アイビーはようやくふっと息をついて顔を上げた。
「……ありがとうございます」
もしもアイビーが、なんの躊躇いもなく学校に在籍して、この二人を先輩として無邪気に慕い続けられるなら、どんなに良かっただろう。そう思える表情で、マリアンとヴィオラはアイビーを見つめていた。
「母に見せる約束をしていたんです」
だからアイビーは、泣き顔を誤魔化すように笑った。
「それでこれは……なんですか?」
医務室から寮に帰る許可を貰った、翌日の実技演習。
まだ見学でも構わないと言われたが参加することにしたアイビーは、今日の授業の用意をしているらしいシルヴェスターに困惑した。
なにもシルヴェスターがもう完全にこの班の教師役に収まっており、本来の教師は毎回五秒ほど見て頷いて去っていくからではない。
「風船だ」
言葉通り、シルヴェスターの周囲には色とりどりの風船が用意されている。だから聞いたのに。
厳格な生徒会長が、風の精霊術で手早く薄桃色の風船を膨らませてバルーンクリップで留めていく。その絵面に耐えきれなくなっただけだ。これが風船なのは森育ちのアイビーにもわかる。
しかし、悪態をついている時間のほうが、結局は平穏だった。
「今日はこれを使って訓練をする。こんなふうに術を使って」
そう言って、シルヴェスターは手にしていた風船を四つまとめてふわりと前方に投げた。
そして。
火で包み、パァン!
風で割いて、パァン!
水に閉じ込めて、パァン!
土壁で挟み込み、パァン!
風船だったものが、一瞬で地に飛び散った。
「手を使わずにこうしてもらう」
「ひぇ……」
近くにいた同じ班のハーバートが、慄いた声を漏らした。
「悲惨な飛散……」
その隣のユージーンが呻いている。
「なんで四属性をそんなに素早く使えるの……」
ルイーズが眉を顰めた。わかる。
しかしシルヴェスターは笑顔を浮かべて、アイビーたち四人に風船を配りはじめた。
「手早く割ることだけが目的ではない。どのような手段を使えばどう割れるのかを、よく研究してみてくれ」
「はい……」
「風船はいくつ使っても構わない。一度に複数を割ってみるのも良い。ぜひやってみてくれ。風船は俺がたくさん用意しておく」
「はい……」
「複数の属性で協力するのも楽しいと思うぞ。必要なら俺も呼んでくれ」
「……はい……」
「ちなみに風船は普通の天然ゴムラテックスで、バルーンクリップは厚紙だ。だから、どんなふうに粉砕しても最終的には土には還る。だが、厚紙では支障があるならプラスチックの留め具も用意してあるから言ってくれ」
「……ありがとうございます……」
こうして生徒会長に賜った風船を、どういたぶるかを考える時間が始まった。
さっそくユージーンとハーバートが、気流で揺れ動いてしまう風船に素早く水蒸気爆発を仕掛ける相談を始めたので、アイビーはなるべく距離を取って風船を木でツンツンすることにした。
「……ねえ、アイビー」
「な、なに?」
宿り木を風船に宿らせるにはどうするべきか悩んでいると、珍しく近づいてきたルイーズに話しかけられた。
「フラムスティード先輩と、付き合ってるんだよね?」
「え」
いやそのまだはっきりとは。
視線を逸らそうとするが、ルイーズはぐいぐいとまくし立てる。
「いったいどうやって仲良くなったの? 教室や食堂ではコンラッド君と話してるのに……放課後とか? でもフラムスティード先輩って、オーデン先輩とよく一緒にいるよね? 割って入ったの? どうやって?」
「あ、も、もしかして、ルイーズは、誰か好きな人がいるの?」
思わず問いかけると、ルイーズは、ふいと無言になって、視線を男子二人のほうに向けた。その頬は赤い。
でも、どっちだろう。ユージーンとハーバート。
「あれだけ一緒にいると、確かに難しいね……あ、でも、今からチャンスなんじゃない? 水蒸気爆発以外にもやりたいと思うよ? ……たぶん」
派手に風船を破裂させている二人を見て、無責任に背中を押してみる。
「うん……でも、二人で仲良さそうなのに、邪魔しちゃいけないかなって……」
「えっと、じゃあ邪魔しない程度に、一言二言くらい……褒めてみる、とか……?」
正直なところアイビーは、どうしてエイデンと仲良くなれたのかわからない。でも頑張って話しかけた気はする。
「や、やってみる……!」
力強く頷いたルイーズが、風船を抱えて歩き出す。
アイビーはとりあえず積極的に宿り木を風船に絡みつかせることにした。風船を取り込んだまま丸く成長していく宿り木が風船を割るのが早いか、宿主のいない宿り木が力尽きるほうが早いか、この際真っ向勝負である。
「お、割れそう?」
——パンッ! アイビーが魔力を込めまくった宿り木が、風船を破裂させる。それを確認して振り返ると、コンラッドが隣に来ていた。その後ろからアステルがパチパチと手を叩いてくれる。
「どうしたの?」
「うちの先輩が、もう風船を膨らませるのつらいから、シルヴェスター先輩から風船奪ってこいって」
アイビーはシルヴェスターのほうを見た。涼しい顔で片手間に風船を作りながら、興味深そうにユージーンとハーバートとルイーズの三角関係を見守っている。
しかしすぐにコンラッドの視線に気づき、風船を持って「これを取りに来たのか?」と首を傾けた。
「すみません。サルマン先輩に、頼むから奪ってきてくれと命じられて……このままじゃ腱鞘炎だって訴え出しているので」
「それは困るな。まあサルマンには事前に頼まれている。錬金術師の皆で作った共用のはずの風船膨らませ機が、一つ前の授業で壊れたと」
シルヴェスターは苦笑いして、風船の山を三分の一ほどまとめて風の精霊術で横流しはじめた。
「ありがとうシルヴェスター!」と叫ぶ声が聞こえてきた。
コンラッドも「ありがとうございます」と苦笑して、そのまま戻るかと思いきや、近くに転がっていた風船を掴んで、アイビーの側にしゃがみ込んだ。
「それで、アイビーの次の残酷な風船の割り方は?」
「え、雪で圧殺とか……?」
「圧殺というか、ゴムが冷えるからいけるだろうな」「でも、下に枝を用意しない理由が見つからないかも」
「そりゃそうだな」
アステルが首を傾けて地面に氷の鏡面を張り、風船をバインバインと力強く跳ねさせる。
「アステルの鏡面って、いろんな魔術を弾くよね」
「それが強みだからな」
どんどん加速して、可哀想な速さで氷の鏡面に叩きつけられ続けた風船が、冷えて疲れ切ってぱしゃんと割れた。
「そういえば、ジュリアンのお父さんって、どうなったの? パーティーのあと、大丈夫だったの?」
アイビーは雪を風船の上に載せながら、教室では聞きづらかったことを問いかけた。
「あー、あれな、演技だったらしい」
「……演技?」
コンラッドは風船をじわじわと土に埋めながら頷いた。
「うん。会場に紛れ込んでいた不審者に気づいて、そいつらを油断させつつ、とりあえず狙われそうな要人たちを一箇所に集めて警戒を促すために、わざと倒れたんだと」
「……でも、生徒会が動いてたよね?」
「秩序維持局は、学内監理局とは全然違う組織だからさ、簡単には大人数を学校に入れられないんだって。なのに学内監理局の信用できる人たちは、旧ファルメール派の排除で忙しくて手薄だったじゃん?」
「なるほど……どこも人手不足だったんだ」
そうなる前に、デリック・ファルメールを排除できていないから悪いのでは? とも思うけれど。
「そう、外の世界はもっと人口多いらしいけど、この国は国の広さに対してかなり人口が少ないからさ。生産は魔術で何とかしてるけど、大きな事件が起きると常に人手不足なんだよな。北方総督府もずっと荒れてるみたいだし」
アイビーは、雪に埋もれて小さくなっていく風船の下に、雪を足すことにした。
「ねえ、ファルメール派が力を持ってたのは、北方総督府だったんでしょ? そっちだって学内監理局とは違う組織なんじゃないの?」
「違うけど、信奉者を送り込むことはできるだろ」
アイビーはため息をついて、雪を全て消した。硬くなって落ちた風船が、地面に生やした枝に当たって割れる。
「……そういえばコンラッド。賢者の石って、私に手伝えることありそう?」
「なんで急にその話?」
コンラッドは不思議そうに首を傾けながら、風船を覆う土を、ぎゅっと石に変質させた。風船は割れなかった。
「今はないけど、もしいつかアイビーの知識が必要になったら頼らせてもらうからな」
アステルが薄い石に包まれた風船を持ち上げて、優しげな顔で地面に落とした。




