8-5
「先日、ネリリン・ファルメールの父親が失脚した話は聞いているか? 端的に言えば、その残党が逆恨みして、このパーティーに紛れ込んでいる」
「……ファルメールさんの……」
アイビーは母親のことを思い出して顔を曇らせた。シルヴェスターは知っているのか知らないのか――絶対に知っている立場だろうけれど、それどころではないのか、表情を変えずに続ける。
「今から生徒たちを誘導するのは無理だ。確実にパニックになるし、紛れ込んだ者たちも気づくだろう。パニックの中で行動に出られたらどうしようもなくなる。だから生徒会は、先手を取りたかった。そこで――エインセル。君の力を貸してほしい」
「……へ……?」
アイビーは困惑した。つまり、何をすればいいのだろう。
「……彼女たち、会場に紛れ込んでいるブルーベルの人工妖精を、アイビーの力で眠らせてほしいんだ。そういうことで合っているか? シルヴェスター」
「ああ、そうだ。おそらく春の植物の妖精である彼女は、君の雪魔法に反応して眠りについたんだろう」
エイデンの補足に、シルヴェスターは頷いた。けれど、アイビーは信じがたかった。
「……え、えぇ……? でも、レヴィヴィスはそんな簡単には……」
エイデンはゆっくりと首を横に振った。
「彼女たちは、レヴィヴィスよりもかなり弱っているみたいだ。そもそもレヴィヴィスが突然変異個体であって、本来の彼女たちは、短期間で量産されて妖精としての自意識がまだほとんど確立されていないんだと思う」
アイビーは眠る妖精の顔を見つめた。
「そっか……だから、私の魔法とアイスに触れただけで、冬が来たと思って寝ちゃったんだ。……疲れてたんだね」
植物に嘘をついて眠らせる魔法を、あまり良いものだとは思っていなかった。けれど、眠らなければならないときに眠れたならば、悪いことではないのだろうか。
「彼女たちは、群生する植物の特性をもとに、大規模魔術を行使するように造られたらしい。つまり、他の個体と魔力が繋がっているはずだ」
シルヴェスターは固い声で言った。
「この子を介して、他の子も眠らせろということですか?」
「難しいか?」
「……わかりません。やってみます」
アイビーはブルーベルの妖精の額に触れた。彼女が起きる様子はない。
「ごめんね。ちょっと寒いかも」
聞こえていないとわかっていながらそう告げて、薄く冷気を流し込む。ブルーベルの妖精が、微かに睫毛を震わせた。
頭の中でニヴァリスがハッとする。『――今、寒いって言った……! 大規模魔術のシステムが構築されているなら、冬が来たと誤認させれば、他の個体にもそう伝えるかも』
「……この子、たしかに頭の中が複数の糸で繋がっているような……そんな感じがあります。ここに干渉して囁けば、彼女たちなら眠らせることができると思います」
アイビーは迷いそうになりながら、そう言った。弱っている彼女には、負担がかかるかもしれない。けれど、弱った状態で実力以上の大規模魔術を使わされる妖精は、もっと酷いことになるだろう。
シルヴェスターは頷いて学生章に触れた。
「――皆、聞いていたか? ……ああ、今からすぐに停止させる。倒れたブルーベルの人工妖精の保護と同時に、動揺する者を探してくれ。俺とコンラッドも会場に戻る。エイデンとエインセルと最初のブルーベルの人工妖精は医務室だ。保護した妖精たちは医務室に集めてくれ。……え? もうすぐオフィーリア・ローズが歌う? ……本当だ」
いつの間にか、生徒会は全員回線を開いていたらしい。
「……少々計画を変更する。俺は今すぐ壇上に向かって、生徒たちの注目を、彼女に集める。……おい。俺は注目しなくても、いつも聴いている。……ああ。俺は生徒や招待客の誘導と保護に注力する」
エイデンが、ふわりと現れたエリオスと共に窓側に行って、そっとカーテンを捲って外の様子と施錠を確認しはじめる。
「ヴィオラ、君は引き続き全体の把握を頼む。ああ、そうだな。マリアンとコンラッドはブルーベルの保護を、ジュリアンは敵のマークを優先的に頼む。――責任はすべて俺が取る。迷うなら動いていい。ただし自分の身は必ず守れ。俺からは以上だ。何かあるか? ――そうか、では任せた」
そう区切って、シルヴェスターはエイデンを見た。
「エイデン。エインセルが魔法を使う直前に生徒会全体に連絡を。約三分後でいい」
「わかった」
「よし。会場に戻るぞ、コンラッド」
アイビーはようやく躊躇いながらも声を発した。
「……生徒会だけで動くんですか? 先生や学内監理局の人には」
シルヴェスターは立ち止まってアイビーを振り返り、ゆっくりと首を横に振った。
「伝えない。まず間違いなく犯人は学内監理局の関係者だ。先生方は……おそらく連携には時間がかかる。だが周知しなくても、ブルーベルの妖精が倒れたら動いてくれるし犯人が尻尾を出せば捕らえてくれるはずだ」
アイビーは、そう言い残して去っていくシルヴェスターの背を見送った。エイデンも言っていた通り、生徒会は既に学内監理局の者が犯人だと確信して動いているらしい。
「……三分で、オフィーリアに断って壇上に上がるのか。誰にもぶつからないといいけれど」
エイデンがぽつりと呟く。アイビーはうっかり真顔で廊下を全力疾走しているであろう生徒会長の姿を想像してしまい、目を伏せた。
「……走るの、早いんですね?」
「うん。シルヴェスターが課外活動で評価を受けたのは、術なしの陸上競技だからね」
「え……そ、そうなんですね……」もはや苦笑いしかできなかった。非の打ちどころがなさすぎて本気で怖い。道理で次世代の統率者面をしながら、たまに人と馴れ合えない悲しき存在みたいな顔をしているわけだ。才能だけなら妖精のほうが近い。
そんな内容でもエイデンと話せたおかげでかなり肩の力が抜けた。赤い目が時計を見て、ふっと息を吐く。
「……そろそろか。アイビー、できる?」
アイビーはこくりと頷いた。怖いことはない。だから緊張なんてしていない。今はそういうことにできている。
『……ニヴァリス、お願い。手伝って』
目を閉じて、意識を切り替える。すっと肺の中に寒気が溜まる。『代わってあげるね』と、ニヴァリスの声が鮮明になる。アイビーはブルーベルの人工妖精の額に手を翳した。
「今からブルーベルの人工妖精たちを停止させる。問題は? ……ない。わかった」
エイデンが生徒会に通達する。そしてアイビーを見て頷いた。
アイビーはそっと冷気を放ち、魔法の歌を囁いた。
『冬が来たよ おやすみなさい
みんなが教えてくれるよ 白いベッドは温かいと
冬が来たの おやすみなさい さあ瞼を閉じて思い描いて 雪の下で育つ命を
吹雪はあなたを守る音 霜は素敵な夢を描いている
約束するよ 明日も素敵な日になると だから少しだけ目を閉じて
太陽に逢うために 今夜はもうおやすみなさい』
久しぶりに歌った妖精語の子守唄の一節を諳んじて、アイビーはほっと息を吐いた。頭の中で反芻したことは何度もあれど、声に出して歌ったのは、妹に歌って姉ぶっていた頃以来だ。
「……使用人の女性が、突然複数人倒れたらしい。成功だよ、アイビー。ありがとう」
学生章に注意を向けていたエイデンが、安心したような表情でそう言った。
「そうですか。良かったです。……あの、たぶん、この子と繋がっているのは五体だったと思います。確信はありませんが……」
アイビーはもう一度ブルーベルの人工妖精の額を見た。歌いながら彼女に寒気を伝えたとき、彼女は予想通り無意識に冬の訪れを仲間に伝搬させていた。その時に揺れた、視えない魔力の糸の数は、五本だったように思う。
頷いたエイデンが、再び学生章に意識を向ける。
「……うん。……把握できたのは五体。それなら、それで全員だと思う。……敵のマークは? 成功……一人会場から飛び出した? ……東……この前を通る?」
ガタリと椅子の音を立てて、エイデンが立ち上がる。そのまま入り口に向かおうとして、話が見えないまま戸惑うアイビーを振り返る。
「アイビーは、ここで待機していて。そのうちコンラッドやマリアンたちが来るから」
「え?」
思わず目を見開いた。――まさか、追うつもりなのだろうか? 一人で? 大人の、それも妖精を使って無差別攻撃を画策するような術師と?
アイビーの言いたいことが伝わったのか、エイデンは静かに微笑んだ。
「大丈夫だから。……結果を待っていて」
そう言った直後に、エイデンは険しい表情でドアの外を睨んだ。僅かに呼吸を整えるように息を吐いて、ドアを開ける。そして、素早く外に飛び出していった。
「――お前がやったんだな! 逃がすか!」
知らない男の怒り声と走る音が、逃走にしては丁寧すぎるほどしっかりと閉められたドアの向こうから遠ざかる。
「……あ」
アイビーはようやく悟った。この明かりが付いて人の気配がある医務室は、怪しいのだ。だから少しでも相手から強襲される可能性があるなら、先んじて誘導したほうがいいと――少なくともエイデンはそう考えてしまったのだ。
勝算はあるのだろう。先ほど外を見ていたときも、万が一のときを考えていたのかもしれない。エイデンの属性が火と光であるのに対して、アイビーの雪だ。共闘には向いていない。挟み撃ちにして欲しいなら、そう言ってくれたはずだ。けれど、今は夜だ。きっともう肌寒い。エイデンが万全の戦いをできる環境は、たぶん太陽が出ているときだ。今は雷雲を晴らすことさえできない。
「……っ……」
それなのに、エイデンがアイビーに期待したことは、ここで待機だった。――どうすればいい。ここで待っていたくない。追いかけたい。けれど、感情的に動いて失敗したら、それでエイデンに迷惑をかけてしまったら。
「どうしよう……」
ベッドに眠るブルーベルの人工妖精を振り返る。
「どうしましたの?」
眼前に、小さな妖精が浮いていた。
「うわぁっ? ヴェナちゃんっ? どっ、どうしてここにっ?」
アイビーは驚いて仰け反った。それにつられて驚いた顔をしたヴェルディアナが叫ぶ。
「わかりませんわ! でもさっき、誰か魔女の学校に入学おめでとうみたいなことを言って祝福の魔法をかけた気がしたのですわ! そうしたら簡単に来られるようになりましたの! 今までは、こっちに来るのは大変だったんですのよ?」
「ええ……?」
全然わからない。いったい誰がここを魔女の学校だと認識して、あまつさえ祝福の魔法などかけたというのだろう。
アイビーは困惑して周囲を見回した。首を傾げて同じように周囲を見たヴェルディアナは、自分の近くのベッドに眠るブルーベルの人工妖精に気づき、彼女の側に降りた。
「あら? この子はどうしたんですの?」
「あ、えっとね……実は、パーティーに悪い人が入り込んでいて、その人たちがこの子たちを利用して……――」
アイビーは戸惑いながら、経緯をかいつまんで答えた。するとヴェルディアナは大きな目を一際丸くして叫んだ。
「信じられませんわね! ここをどこだと思っていますの、その不届き者どもは!」
「本当にね。それで私、やっぱりエイデン先輩を、あ」
背後のドアが叩かれる音がして、アイビーは言葉を止めた。
「マリアンです。開けても構いませんか?」
「は、はい!」
慌ててドアを開けると、マリアンの後ろには、見たことがない長身痩躯で黒いドレススーツを纏った人型のゴーレムが二体いた。おそらく関節などを隠すためにあしらわれたのであろう黒い羽飾りが、どことなくカラスを思わせる。二体とも、眠るブルーベルの人工妖精を抱えている。
「あ、ええと……」
対で造られたのか、右側のゴーレムは右目に黄緑色の宝石を象嵌した眼帯を着け、左側のゴーレムは左目に水色の宝石を象嵌した眼帯を着けている。妖しい迫力のあるゴーレムが二体もいることに怯んでいると、マリアンがふんわりと苦笑した。
「こちらはヴィオラ先輩のゴーレムです。信用できますよ。シリーズで、全部で五体います。彼らが彼女たちを運んでくれることになっています。……ああ、来ましたね」
「えっ」部屋の外に顔を出してマリアンが目を向けた方向を見ると、さらに同じシリーズらしい黒服のゴーレムが二体と、コンラッドとアステルが廊下の角から現れたところだった。
赤い宝石を飾った硬質なバイザーを目の上に着けているゴーレムと、青白い宝石を飾った布のアイマスクで両目を覆っているゴーレムが、難なくブルーベルの人工妖精を抱えている。
そのゴーレムたちの先頭で、よろけつつブルーベルの人工妖精を抱えているコンラッドを、アステルがとても手を貸したそうな様子で見ていた。たぶん、アステルが一番戦闘能力が高いため、護衛として手を開けているのだろう。つまり残り一体の黒服のゴーレムは、きっとまだ現場にいるヴィオラの護衛に付いているはずだ。
「……ヴィオラ先輩、ゴーレムを同時に五体も操れるんだ……」
「はい。それでいて一体ずつ能力が異なりますからね」
「やっぱり凄い人なんですね」
内心焦りながらも、思わず感嘆する。
アイビーの体感では、そう広い範囲の観測ではないが、大抵の錬金術師は優れた一体のゴーレムを造ることに情熱を注ぎ、せいぜいサポート役にもう一体追加するのが常であるはずだ。単騎でなく少数精鋭で戦うことができるのは、基本的に契約ではなく共生として妖精や精霊の力を借りられた魔女の強みだ。しかしヴィオラは、錬金術師でありながらその利点を得ているらしい。
とりあえず頑張っているコンラッドに軽く手を振ってみると、両手が空いているアステルがにこにこと振り返してくれた。
アイビーは微笑み返して、それから足早に室内に戻り、ベッドが問題なく整っていることを確認した。




