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一人になると、あんなに浮かれた自分の姿が、途端に恥ずかしく見えてくる。エイデンのローブは素敵だ。でもそれでアイビーが素敵になったわけじゃない。魔女のくせに、魔術師の、それも殺さなければならない相手のローブを掛けてもらって喜んでいるなんて、どうかしている。それでも、エイデンのマント姿を見られて満足だった。
『だって、この国において、マントは守る者だものね』
頭の中で、ニヴァリスが呆れたように笑った。エイデンには、そんな意図なんてなかっただろうに。
前を通り過ぎている集団が、ちらりとアイビーを見て、目を背ける。
「――そういえば、最初に歌っていた人、すごく上手かったね。オフィーリア・ローズ、だっけ?」
「うーん、でもなんか、悪役ばっかやってる人らしいよ」
「それ。あーあ、どうせならクラリッサ・スターリングに来てほしかったなぁ」
「そっかぁ……じゃあ、そっちのが上手なんだ?」
そんな会話をしながら、集団が去っていく。アイビーは溜め息を吐いて目を伏せた。休憩所に移動しようと、歩き出す。そして、目の前を横切った人影への対応を遅らせた。
とんっ、と手の甲がぶつかる。
「っ、すみません! ……あっ?」
アイビーがぶつかった相手が、ふらりとよろける。招待客の使用人らしき、黒いシンプルなワンピースの女性だった。咄嗟に助けるには持ったままのアイスクリームが邪魔で、アイビーは謝りながらも次の対応に遅れた。女性は、そのままぱたりと床に倒れた。
「……え?」
アイビーは困惑して、横たわる女性の姿を見下ろした。そんなに強くぶつかっていない。手の甲だけだ。だってアイビーは、アイスクリームの上のスミレの砂糖漬けの一つすらもこぼしていない。
それでも、女性は起き上がってこない。それどころか、ぴくりとも動かなかった。
「――人が倒れた!」「あれ魔女じゃない、何をしたの?」「うわぁ、またあの子……?」
周囲からそんな声が聞こえてきて、アイビーはようやく状況を理解した。理由よりも先に、救助しなければ。また罠かなんて疑うべきじゃない。
「だ、大丈夫、ですか? あの、……っ?」
両手のアイスクリームを床に置いて、慌てて女性の肩に触れる。そして、ひゅっと息を呑んだ。――冷たい。アイスクリームを持っていた自分の手と変わらないくらいに。
「どうした?」
少し離れた場所から、エイデンの声がした。ハッとして顔を上げる。アイビーが殺さなければいけない人だ。あまりにも心配そうな顔で駆け寄ってきてくれている。それで、完全にパニックに陥った。この人が倒れてしまったのは、きっとアイビーのせいじゃない。
でもいずれアイビーは、人を殺そうとはしている。だから、これは。結果的な末路は同じで。
目の前で人が死んだ。もう嫌だ。
「わた、っ私……! ど、どうし、たら……どう償えば……?」
見られたくなかった。知られたくない。自分のせいじゃない。誤魔化せるものだとは思わない。やりたくなんてなかった。でも自分が害そうとしている相手に助けてほしいなんて言うのは間違っているし、もう何度も助けられているのも間違っている。
泣きそうになって狼狽えていると、近づいてきたエイデンは、静かにアイビーの隣にしゃがみ込んだ。倒れている女性に目を向けて、それからアイビーへと目線を合わせる。
「……大丈夫だから、落ち着いて。順番に話してくれる?」
聞き取りやすい声が、そう言った。後方から、シルヴェスターとコンラッドも近づいてきている。
「あ……アイスクリームを、持ってて。歩き出したら、ぶつかってしまって……」
アイビーは、おずおずと口にした。そうなのだ、まだ何もしていない。それなのに。
「そ、そうしたら、突然、っし、死んじゃったんです……!」
沈黙が降りた。すごくすごく重大な告白をしたのに、エイデンは困った顔をしているし、シルヴェスターとコンラッドはかなり残念な子を見る目をアイビーに向けた。
「……えっとな、アイビー。落ち着いて、よく聞いてくれ。この人……いや、人じゃないんだけどな、別に死んでない。たぶん妖精だと思う」
「………………えっ?」
アイビーはポカンとしてコンラッドを見た。それから、エイデンの顔も見た。「よかったね」と微笑まれた。
「確かに異様に冷たいな。気絶したのか。外傷は?」
シルヴェスターが、女性の呼吸や脈を確かめていたコンラッドに問いかける。しかしコンラッドは首を振った。
「いや、この妖精……たぶん眠っていますよ」
「ん………………?」エイデンが、アイビーと同じ顔になった。「……なぜここで?」
シルヴェスターが周囲をゆっくりと見回した。興味深そうにこちらを見ている生徒たちを確認して、少し躊躇うように唇の端を噛んでから、語りかける。
『――彼女は人混みに酔って疲れてしまっただけのようだ。たいしたことではない。俺が医務室に運ぶから、皆は気にせずパーティーを続けてくれ』
なんとも図々しい『声』で、大半の者たちはこちらに興味をなくしたようだった。シルヴェスターは、まだ怪訝そうな顔をしている『声』の効きが悪そうな生徒や騒ぎに気づき近づいてきた教師たちには、個別で訴えるような目を向けた。それで彼らは察してくれたらしく、軽く頷くと、まるで何事もなかったように去っていく。
「……信頼されているんですね」
「実績に基づいたものだ。今回失敗すれば壊れる」
アイビーがぽつりと零すと、シルヴェスターは苦笑するように口角を上げた。そして使用人姿の女性を抱え上げた。
「とりあえず、医務室に運ぶ。ここでは人目が多いからな。ついてきてくれ。君もだ。エインセル」
そう言われて頷くと、立ち上がったエイデンが手を差し出してくれた。慌てて縋ると、いとも簡単に引っ張り上げられた。しかしコンラッドはなぜか戸惑ったように三人を見た。
「え? あ。俺もか?」
「……うん。シルヴェスターの声が効いてるみたいだけど、生徒会の業務だから引き続き参加だよ、コンラッド」
エイデンにそう言われて、コンラッドが苦い顔になる。
「あー、今の聴いちゃいけないやつだったのか」
「すまない」
シルヴェスターは小さく溜め息をついた。
「まあ必要なら仕方ないですけど。……でも、アイビーもエイデンも、本当になんともないのか? いいな、魔力高くて」
アイビーは苦笑した。たぶん、結構ギリギリだ。寝ぼけていたらかかるかもしれない。
魔女は基本的に魔力が多く、幼少期に魔女の森の学校で結構才能があると言われているアイビーは、術師の平均魔力の二倍くらいある。
そしてシルヴェスターの『声』のような特殊な素質による魅了魔法は、術者がだいたい相手の魔力の二倍あれば成功するらしい。
つまり魅了魔法は恵まれた魔力量も一緒に授からなければさほど効果はないのだ。
そしてアイビーでギリギリということは、シルヴェスターの魔力は単純計算で平均的な術師よりも四倍あることになる。化け物である。
でも大半の生徒たちは自分が魅了魔法にかかったことに気づかないから、自分を洗脳したシルヴェスターを恐れすらしないのだ。それと、戦闘行為での魔力の使い方から薄々気づいてはいたが、エイデンの魔力もアイビーと同程度かそれ以上らしいのは、素敵だけれどちょっと困る。
アイスクリームは諦めて返却して、先導するコンラッドとシルヴェスターに続いて会場を出る。玄関ホールの脇にある廊下は会場の側面に伸びていて、舞台や控え室などに続いているらしい。その一番手前が行事中の医務室だ。先頭のコンラッドが声をかけてドアを開ける。そして首を傾げた。
「あれ、誰もいませんね。この時間はラスボーン先生がいてくださることになってますけど」
アイビーは入り口の当番表を見た。以前お世話になった養護教諭のシェリー・アンヴィルと薬草学の教師のハロルド・ラスボーンの名前が交互に書いてある。不在の時間はないようだ。
「ああ、先生方は、まだ戻っていないのか。……ちょうど良かった」
しかしシルヴェスターは事情を心得ているかのように頷いた。怪訝な顔をしたのがバレたのか、隣にいるエイデンが答えてくれた。
「ちょっと前に、後援会の席でお酒を飲み過ぎて倒れた人がいたんだよ」
「あっ、そっか。ジュリアンの父さんな」
「え?」
アイビーは少し驚いた。ジュリアン・ウェストフォールの父親は確か、秩序維持局の偉い人のはずだ。こんな席で羽目を外して倒れていい立場ではない。秩序維持局はそもそも精霊術師の影響力が大きく、魔術師で上層部まで上り詰めることができるのは、ジュリアンの家系くらいだというのに。飲みすぎたのだろうか?
「驚くよね。健康に問題があるのかそれとも毒物かって疑って、先生たちの意識はそちらに集中しているんだ。でも、だからこそ、この子が倒れたことはあまり話題にならなかったと思う」
「不幸中の幸いだな」
エイデンが教えてくれて、シルヴェスターも同意する。確かに先に大物が倒れたのなら、続いてどこかの使用人が倒れても大した話題にはならないだろう。
それにしても、シルヴェスターはなぜ先ほど、意図的に『声』を使っていたのだろう。まるで彼女が倒れたことを、知られたくなかったみたいだ。
シルヴェスターは女性をベッドに横たえさせる。
「でもこの子、なんで寝たんだろうな? 徹夜でもしたのかな」
「お前は徹夜するとパーティー会場の床で寝るのか? それは止めたほうがいいぞ」
コンラッドの緩い意見を呆れたように窘めると、シルヴェスターはアイビーのほうを向いた。
「彼女の顔に見覚えは?」
そう言われて、アイビーはようやく目を閉じて動かない女性の顔を、倒れている姿ではなく容貌として認識した。ブルーブラックのタイトなまとめ髪は少し傷んでいるようで、瞳の色はわからない。青白い頬はあまり健康そうではない。
けれど、小さな唇とクセのない鼻、対称的な輪郭のごく僅かな違和感は、彼女が人ではなく妖精であることを伝えていた。
「あ……レヴィヴィス?」
あの人懐こく自立心を抱えて瞳を輝かせていた青い髪の妖精とは印象が真逆で気づかなかったが、顔立ちだけに着目すればそっくりだ。
「あ、本当だ。全然わからなかった」
驚いているコンラッドとは対照的に、エイデンが難しい顔で頷く。
「やっぱり。――シルヴェスター。つまり彼女たちが、今回の事件の媒介体なんだな?」
「そうなるな。エインセル。よくやってくれた」
「ひぅっ……わっ、わわ、私はまだ何も、っしてません!」
突然水を向けられたアイビーは、反射的に怯えて両手を上げかけた。シルヴェスターは、若干落ち込んだ様子で近くの椅子を示した。
「すまない。脅かすつもりではなかった。順番に説明するから、そこに座ってくれ」
エイデンが入り口のドアに向かい、施錠した。先生を締め出して良いのだろうか、などと考えて気を紛らわせながら、アイビーはおとなしく指定された椅子に座った。だって、絶対に良い話ではない。




