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結局、忙しいであろうマリアンをいつまでも部屋の前に立たせるわけにもいかず、アイビーはのこのことマリアンとエイデンの前に姿を見せた。エイデンは寮の入り口にある管理室にいて、アイビーが報告した被害届を睨んでいた。そこまでなら異性でも入れるらしい。
「――そうでしたか……私も、もう予備のドレスは余っていませんね……全部友人に貸してしまっていて……」
事情を洗いざらい吐かされたあと、マリアンはそう言って眉を寄せた。普段よりも華やかな亜麻色の纏め髪には、小さな緑の葉が付いたベージュの花を飾り、ドレスは落ち着いたテラコッタ色で、腰のリボンとフレアスカートが可愛らしく、髪飾りと同じ花のブレスレットもダークブラウンの靴も同系色で統一されていて、マリアンの上品な雰囲気に良く似合っていた。
そしてエイデンは、上質なブラックのベストとパンツの上からスッキリとしたラインの深紅のローブを羽織っていた。黒いリボンで髪を結び、そこはかとなく洗練された印象だった。あまりにも格好良かった。だからこそ、アイビーは制服姿のままの自分が恥ずかしかった。
「……すみません、エイデン先輩。せっかくお誘いいただけたのに、ご厚意を無にするようなことをしてしまって」
「君がしたことじゃないよ」
エイデンは悲しそうに首を横に振った。それからアイビーに一歩近づいて、軽く屈み込んだ。
「提案があるんだけど。制服は、正装だから。そのままでもいいと思う」
「えっ」
アイビーは正面にあったエイデンの瞳を見つめ返した。本気で言っているようだった。
「制服……」
自分のワンピースの裾を見下ろす。生地は上質で、色も褪せていない。下は膝下丈のシンプルなフレアスカートだ。でも、上は襟とリボン付きで、一目で制服だとわかる、ドレスとは全然違うかっちりしたものだ。それに何よりも、今は白い制服のローブを着ていることが怖かった。この姿でパーティーに出るなんて、絶対に無理だ。
アイビーが俯いたまま顔を上げられなくなっていると、エイデンが動く気配がした。アイビーがいつまでも黙っているから、ようやく愛想を尽かしたのかもしれない。
「それで心許ないのなら、これを羽織って」
バサリと空気が動く音がして、肩から何かを掛けられた。温かく重厚な、赤いローブだった。まさかと思って顔を上げると、エイデンが黒いベスト姿になっていた。
「え……? でも、これは……」
「うん、ちょっと大きいかもしれないけど。それでも、ここに居るよりは、怖くないようにするから。だから、僕と一緒に行こう」
赤い瞳が、はっきりとアイビーを映す。まるでアイビーを安心させるかのような声色で、エイデンは静かに微笑んだ。
アイビーは、目を瞬かせた。そうだ。ここにいても、ずっと怖いまま動けないだけだ。そしてエイデンは、未だにアイビーが一緒にいてもいいと言っている。
それでも、本当にそんな幸せが自分に贈られているとは信じ切れなくて、はい、と言おうとした口は、うまく動かなかった。
エイデンがさすがに困ったような顔をした。
「……どうしても、怖い? それなら一緒に医務室でサボろうか?」
アイビーは慌てて叫んだ。
「……い、行きます……! パーティーに、行きたいです。エイデン先輩と……」
紛れもない本心だった。それに、魔術師の筆頭家の子息をサボらせるわけにはいかないだろう。けれどやっぱり、出るなら魔女とでも良いなんてものでもないはずだ。
「本当に、いいんですか? 私で……」
「僕は君がいい」
「……っ……!」思わずローブを握り締めると、ふわりといつものエイデンの匂いに混じって、ほんの少しだけ爽やかな香水のような香りがした。
なのに、エイデンを見上げると、アイビーに連絡をくれた時にはきっと隙なく整えられていたはずの横髪が、少し乱れていた。それでようやく、自分が必要とされていることを受け入れられた。
こくこくと何度も頷くと、横で見守っていたマリアンが、明るめの声で言った。
「確かに、そもそもは新入生の歓迎会ですし、ここまで盛大なイベントになったのは術師社会に移行してからだと聞いたことがありますから、本来なら制服が一番正しいのかもしれませんね。ドレスコードには反していないはずです」
「うん。じゃあ僕は急いで着替えてくるから、ここで待っていて……いや、誰かと一緒に行ってもらったほうが安全か。もうそれほど時間もないし。マリアン、悪いけど」
「悪くないよ。エインセルさんも、それで良いですよね?」
「……ご迷惑では」
「同じ場所に行くだけですよ? でも、ちょっとだけ直しましょうか。そのままではさすがに踊りにくいと思うので」
そう言って連れてこられたのは、マリアンの部屋だった。
「あまり時間がないので、簡易的にはなりますが」
とアイビーを全身鏡の前に立たせると、「今回は、白いローブはお休みということで構いませんか?」と言いながら、手早くアイビーの白ローブを脱がせて、エイデンの赤い礼装ローブに袖を通させる。
そのままテキパキとベルトを巻かれてピンを留められて、アイビーはどう動けばいいのかわからず、つい案山子のように中途半端に手を広げて棒立ちになった。
そうしているうちに、ドアを叩く音がした。
「ここ、マリアンの部屋であってるよね? ヴィオラだけど、入るよ?」
「どうぞ、鍵は開いています」
顔を見せたヴィオラは、瞳と同じ濃紫のロングドレスとパールとシルバーのアクセサリーを纏って美しく着飾っていた。アイビーは思わず動揺して顔を赤らめた。エイデンとは別の意味でドキドキする。すらりとして華やかで凛としていて妖艶で、しなやかな若木のようだった。
「こ、こんにちは、ヴィオラ先輩。その……すごくお綺麗ですね……!」
「へへ、ありがと。頑張って虚勢張ってる甲斐があるよ。それにしても、全然様になってるじゃん。可愛いよ、アイビー。素体もいいし、マリアンの腕もいい。で、これ。持ってきたよ」
ヴィオラはいつもよりも嫣然と微笑むと、マリアンの化粧台に、何やらドレスにはそぐわない紙袋を置いた。アイビーでも聞いたことがある、有名な化粧品ブランドの名前が書いてある。
「ありがとうございます。私の手持ちでは物足りない仕上がりになる気がして」
「ああ、そのローブ、かなり派手な色だもんね。普段のアイビーなら薄化粧でいいんだろうけど」
何の話だろう。アイビーが困惑していると、ヴィオラは紙袋の中から小さな薄い箱と筆をいくつも取り出して広げた。それでようやく状況を察した。
マリアンが、くるりとアイビーの周囲を回りながら、アイビーの腕を持ち上げたり髪を撫でたりしてから、深く頷いた。
いつの間にか、いい感じに手繰り上げられた袖から手が出るようになっていたし、襟と肩がゆったりとしたままずり落ちてこないようになっていたし、胸の下で締められたベルトには可愛い飾りが付けられていたし、なぜかローブの裾は前が短くなって足さばきの良いフィッシュテールのようになっていた。すごい。
「うん、これで可愛く動けるはず。根本的にぶかぶかだから、ちゃんとエイデンくんに着せられた物だってわかるし。じゃあヴィオラ先輩、お願いします」
マリアンは満足そうにアイビーの背中を押して、化粧台の前に座らせた。ヴィオラの顔が近づいてくる。
「あ、あの、ありがとうございます。でも、時間が……」
「そう。ないの。だからさっさとやるよ。少し上を向いて。よし、偉い」
逆らっている場合ではないらしい。ヴィオラの手ですっと顔の位置を調整されて、アイビーはもう黙って従うことにした。
「うーん、さては泣いたなー? とりあえず化粧水で冷やしとくか。ファンデは私のもマリアンのも色合わなさそうだし、時間もないし、下地とパウダーだけで。肌が綺麗で羨まし……助かるね、せっかく私が二年かけて磨いた三徹目の下隈消しスキルは使わなくて済んじゃった」
「睡眠を取ったほうが、脳のパフォーマンスは向上しますし肌も綺麗になりますよ」
「わかってるけど閃いたときは止まりたくないんだよ。アイビー、目を閉じて。うーん、無難にピンクをベースに目尻に赤みかな? 個人的にはちょっと青か緑も塗ってみたいけど」
「エイデンくんのパートナーですよ。眉は……流れを整えるだけで大丈夫そうですね」
「じゃあ仕方ない、清楚にしとくか。あ、マリアン、なにか新品のマスカラある? 私、今の予備が濃い黒しか持ってなくて。ちなみにあと何分?」
「ありますよ、クリアカラーと、新色のルビーピンクがここに。アイライナーはブラウンしかありませんが。……あと十五分ですね。会長に連絡しましょうか」
「うわー、完璧。これめっちゃ良い色じゃん、可愛い……私も買おうかな。まあ私らがここにいるってことは始まらないけどね、パーティー」
「すみません……」
「んー? 副会長のパートナーのドレスを破いた奴らが全部悪いんだけど、なんか言った、アイビー? ああ、リップの色の好み? どの色が好きって?」
「ピンクの内側に少し赤を忍ばせてはどうですか? チークはこのあたりで」
「うーん、これとこれを混ぜるか。アイビー、ちょっとだけ唇を開けて……よし、チーク入れるよ。あ、もう一回目を閉じて。艶足すから……よし、できた!」
目を閉じたり動きを止めたり息を止めたりしていたアイビーは、ようやく細く息を吐いて目を開けた。
「良いですね。あとはエインセルさんが笑っていれば、他人のドレスを駄目にするような人たちは、勝手に悔しがりますから。行きましょうか。あ、鏡見ます?」
アイビーの眼前にいたマリアンとヴィオラが、にっこりと笑って化粧台の前から退いた。アイビーは恐る恐る鏡を見た。ちょっとかなり見覚えのない自分が映っていた。
「……あ、ありがとうございます……!」
自分のことだから違和感はあるが、きっと客観的に見れば結構なんとかなっているのだと思う。少なくとも、深紅のローブに負けない顔つきになっている。そう思ったら、自然と笑みが溢れた。これなら、きっとパーティーに出ても許される。
「本当に……ありがとうございます……!」
「おっと、泣くなよ? せっかく綺麗に仕上げたんだから。せめてエイデンに見せるまでは我慢してやって」
ヴィオラがおどけるように肩を竦めた。それはそうだと思って、アイビーは深く頷いた。




