7-4
「それで、ドレスはちゃんと決まったのか?」
「うん。白いドレスに黒の装飾がついているやつ」
「へぇ、魔女っぽいな! ドレスのことはよくわからないけど、良いんじゃないか」
翌朝会ったコンラッドは、よくわからないなりに、嬉しい相槌を打ってくれた。
「私もいろいろ着すぎてよくわからなくなったけど、エミリーが選んでくれたから、素敵なドレスだよ」
数着試着した時点ではなんとなく自分に似合うものがわかってきたはずだったのに、その数が二倍になったあたりで、みんな同じようなドレスに見えてきたし、奇抜なやつが可愛く思えてきたのだ。エミリーが止めてくれて良かった。ちなみにレヴィヴィスはもっとすごいやつを持ってきてくれた。
「あとこれ、コンラッドにお土産。里帰りしても買うものがなかったから、その代わりに」
アイビーは、今回もエミリーが選んでくれた、お洒落なお菓子を鞄から取り出した。
「そんなの気にしなくていいのに――やった!」
中身が見えた途端、コンラッドは遠慮を放棄した。
昨日のティータイムは、スモアタルトだった。どうやら最近流行っているらしく、エミリーが店先で見つけて食べたがったのだ。何でも昔、近所に住んでいた男の子の好物だったらしい。「あの頃はビスケットに挟んで食べるのが主流だったから、手も口もチョコでベタベタにしてて、貸してあげたハンカチがドロドロで……良い時代になったわね……」と懐かしそうに笑っていた。
コンラッドはさっそくスモアタルトを開封すると、大口を開けて三口で綺麗に食べ終えた。「美味しかった、ありがとうな!」と満足そうな顔で、優雅にナプキンで口を拭う。そしてアイビーの背後を見て、にっこりと笑った。
「おはよう、エイデン!」
アイビーは弾かれたように振り向いた。「――おはようございます!」
「おはよう」とエイデンはいつも通り穏やかに微笑んでくれた。
「あ、あの、ドレス、決まりました!」
アイビーはそわそわしながら報告した。色を合わせるためとはいえ、とても可愛いドレスを自分が着ることを告げるのは、なんだか少し照れてしまう。
「ええと、白いシフォンの生地に黒いレース装飾のモノトーン基調なので、無理に合わせる必要はないです、ってエイデン先輩に言うように、ドレスを選んでくれた友人に言われています!」
エミリーいわく、どうせフラムスティード家は魔術師の色である赤のローブを着る選択肢しかないから、アイビーが全身真っ赤な男の隣でも目立つようにしたほうがいい、らしかった。
「わかった。白か……僕も白にしてみようかな……」
しかしエイデンは、なぜか考え込むように呟いた。そこに一考の余地があるのだろうか。
「大丈夫です! エイデン先輩は、赤もとってもお似合いですから、お気になさらず……!」
むしろそこまで気遣いをしてくれるエイデンは、何を着ていても素敵である。
「そっか……わかった。早く見たいな。君のドレス姿」
エイデンは穏やかに微笑んだ。アイビーは沈黙した。なにしろ動悸息切れ不整脈火照り目眩など、あらゆる症状と一斉に戦う羽目になっていたのだ。幻聴はないと信じたい。
「そういや、ダンスの練習はどんな感じなんだ?」
「……本番までにはなんとか」
アイビーは、無邪気に聞いてきたコンラッドから、すっと目を逸らした。ヴィオラに言われた通り、ありがたいことにダンスの選手らしいマリアンから手解きを受けられているものの、基本のステップを覚えたらエイデンを呼んで合わせようねと言われた瞬間、思いっきり転倒したのが昨日だ。
「やっぱり僕も教えようか?」
「駄目です……! まだ……!」
「そう……」
エイデンは、まるでがっかりしたように肩を落とした。アイビーは慌てて叫んだ。
「あ、あの! 頑張りますから! 早くエイデン先輩と踊れるよう、に……」
言っている途中で、すごく恥ずかしいことを口にしていると気づいて、トーンを下げた。
けれどエイデンはぱちぱちと目を瞬かせたあと、ふわりと照れたように笑ってくれた。
「本当? 嬉しいな。あっ、でも怪我には気をつけてね」
「は、はい……! ありがとうございます……!」
「頑張れよ」
コンラッドには苦笑された。
パーティーの数日前になると、元ファルメール派が介入していた事案に次々と余罪が明らかになっていた影響で、来賓の再調整や一部の設備を入れ替える必要に迫られたらしく、生徒会のメンバーは全員が想定以上に忙しくなってしまった。
そのためアイビーのダンスの練習は、ほぼ自習となった。それでも一度だけエイデンと踊れたが、その瞬間はずっと混乱していた。だって以前の決闘後に抱きかかえられたときのような、不可抗力という言い訳なんてできない、自分で望んだことだったのだ。だから――エイデンの手が意外と大きかったことと、すっきりとしたハーブのような香りがしたことと、温かくてやっぱり体幹がしっかりしたことくらいしか――それくらいしか覚えていなかった。結構覚えていた。だって二度目だ、密着したのは。
そして迎えたパーティー当日は、朝から大半の生徒が浮き足立っているようだった。アイビーもその例に漏れず、朝食に何を食べたらいいかわからなくなってハーブのサラダだけを持ってきて、呆れたコンラッドにベーコンとエッグトーストをトッピングされた。
そして、なぜか存在する明後日提出の課題をこなして、エミリーと通信してパーティーの心得を聞いたりしていると、すぐに夕方になった。
アイビーは、寮の自室でドレスを出して髪をセットしていた。といっても難しい編み方は習得していないので、エミリーに教わった通りに編み込みを入れて、簡単に纏めただけだ。いつもの白いリボンを結んで毛先を整えていると、部屋のドアを叩かれた。何の用だろう。初めての出来事だった。だってここは魔女の部屋だ。誰も訪ねてこなかった。入学日前後すら。
それでも、居留守を使うわけにもいかない。中にいることはバレているだろう。そう思って、少し警戒しながらドアを開けた。知らない生徒が二人立っていた。おそらく先輩だとは思ったが、自信はなかった。パーティーだからだろうか。二人とも、かなり派手な化粧をしている。制服からドレスに着替えていて、どこの寮生なのかも確証がなかった。――なんとなく、普段の顔を隠そうとしているのではないかと、内心疑ってしまった。
「アイビー・エインセル。寮長に呼ばれてるらしいよ」
「え? ……なぜですか?」
アイビーは困惑して首を傾げた。心当たりはなかった。
「あんたが何をやったのかなんて私たちが知るわけないでしょ! でも急いでってさ!」
生徒たちはきつい声で、アイビーの手首を掴んできた。そのまま部屋の外に引っ張られる。
しまった、と、思った。
「あ、あの……! 鍵……」
「早くしてよ! こっちはパーティーの支度の合間に来てあげたんだから!」
「……あ」
鍵を掛けたいと、言いたかった。
「……はい」
けれど、そんなことは言えなかった。アイビーは頷いて腕を引かれた。知っている。普通の生徒は、鍵を開けっぱなしで近くの友人の部屋に行っている。いちいち鍵を掛けているのはアイビーだけだ。わざわざ周りを疑っていると公表しているようなものだ。だから、正しい女子寮の距離感なんてわからなかった。寮長の部屋がある階の階段を上がったところで、ようやく腕を放される。その代わりに、知らない生徒たちはまるで階段を塞ぐように立った。
「何してるの? 寮長の部屋はあっちだよ」
「そうですか。ありがとうございます」
引き返せる雰囲気ではなかった。だったら急ぐしかないと、早足で、指示された部屋へと向かう。ノックをすると、煩わしそうな入室許可が返ってきた。
「失礼します。呼び出しを受けて参りました。アイビー・エインセルです」
「えぇ? 呼んでないよ? 魔女なんか」
「――失礼しました!」
顔だけは知っていた精霊術師の寮長からその言葉を聞いた瞬間、アイビーは走り出した。既に階段にはさっきの生徒はいなかった。階段を駆け下りて、自室に向かって走る。廊下を走るなと誰かに咎められた気がしたが、それどころではなかった。
「……あ……」
ドアを開ける。一瞬、部屋の中は変わりないように見えた。けれどクローゼットの横を見た瞬間、何が起きたのかわからなくなった。掛けてあったドレスが、記憶にある状態ではなくなっていた。
「……どうして……こんなこと……?」
ふわりと綺麗なラインで裾が広がっていたはずのドレスは、滑らかだった生地は、ズタズタに切り裂かれていた。術を使ったらしく、壁やクローゼットにも小傷がある。
アイビーは放心しながら、ドレスを見るのを止めて、貴重品を確認した。全部あった。漁られた形跡もない。きっとドレスを裂く時間さえあれば良かったのだろう。それでも、誰かに侵入された部屋は、もう何を仕込まれているかもわからなくて、怖かった。貴重品を全部鞄に入れて、破れたドレスを持って、今度こそ鍵を掛けて部屋を出る。
寮監の元へ行き、被害を申告する。煩わしそうだったが、記録はされた。部屋を確認されることはなかった。部屋に戻る途中、ヒソヒソとした声が聞こえた。「ドレス、破かれたんだって」「あの持ってるやつ? うわぁ、本当だ」「自作自演でやったんじゃない?」「ええ……そこまでする?」「だって魔女だよ?」
――走って部屋に駆け込んで、内鍵を閉める。その瞬間座り込みそうになるのを我慢して、這うように壁際に移動して、何もされていないことを確認して蹲る。
母が出してくれたお金も、エミリーがレヴィヴィスと一緒に選んでくれた時間も、全部無駄だったのだ。だってアイビーが魔女だから。学校に馴染めない魔女だから、悪いのだ。――悪いのはアイビーだ。
「……ごめんなさい……」
普段は無視していた敵意が漠然とした集合体として可視化されてしまったら、もう堪えられなかった。
鍵を掛けたいと、言わなければならなかったのだ。だって魔女は最初から嫌われているのだから。嫌われている者が嫌われないように行動したって、もう手遅れなのだから。
なのにアイビーは、油断した。入学当初は誰も信用しないと決めていたはずなのに。高望みして、自分の都合の良いように考えて――エイデンを殺そうとしている魔女に、幸せな体験をする権利なんてないのに。
頭の中でニヴァリスが呆れる。『……自分が可哀想? アイビーなんかに殺されるエイデンのほうが可哀想でしょ』
「わかってる……でも……ごめんなさい……」
せっかく誘ってもらえたのに。期待に沿えなかった。それもこれも、全部アイビーが悪いのだ。
「学校……来て、ごめんなさい……魔女で――」
――ふいに、胸元の学生証が、着信を告げて温かく輝いた。
「……あ……」
反射的に、縋るように通話を繋げる。
『――今、いいかな?』
エイデンの声がした。よくない。何もよくなかった。繋がなきゃよかった。繋いではいけなかった。
『予定していた集合時間よりも早くにごめん。その、様子が気になって。もう着替えてる? 準備、間に合いそう?』
「……っ……あ、あの……ごめん、なさい……」
いつもよりもどこか明るい声に、絞り出すように告げる。もっとなんでもないような声をしなければいけなかったのに。
『……どうかした?』
案の定、エイデンの声が真剣なものに変わる。思わず頭を振って、通話では見えないことを思い出す。
「あ、あの、大丈夫、なんです……ただ、わ、私……行けな……くなって……、あの……ご迷惑、おかけして……すみません……」
さっきよりは、震えていない声が出せた。たぶん、笑えているような気がする。行きたかったなんて、今更思ったって仕方ない。
『……そっちに行くから、待ってて。寮にいるんだよね?』
「……え? でも」
通話が切れた。アイビーは数秒唖然としてから、我に返って学生証に連絡し直した。なかなか繋がらない。どうやら他の人と通話しているようだ。
何度もかけ直して、ようやく繋がった頃には、焦りすぎていて、震えるどころではなかった。
「あ……! あの、エイデン先輩、私……っ!」
『今、精霊術師の女子寮の前に来たんだけど。どこにいる? 自分の部屋?』
アイビーを落ち着かせようとしているのか、エイデンはゆっくりと話した。けれど少し息が荒い。走らせてしまったのかもしれない。
「そ……そうです。でも、私は行けないので」
『マリアンに、君の部屋へ行ってくれるように頼んだから。マリアンが名乗ったら開けて。名乗るまでは開けなくていいから』
「え……?」
アイビーは絶句した。いつの間にか他人が巻き込まれている。アイビーが悪いだけなのに。
思わずドアを見る。途端にコンコンコンとノックの音が響いた。そして、高めで落ち着きのある、聞き取りやすい声がした。
「マリアン・アシュレイです。エインセルさん、室内にいらっしゃいますか? エイデンくんから、貴女の様子を見てきてほしいって頼まれたのだけど……大丈夫ではないのよね?」
「……あ……」
どうしよう。どう伝えたら、心配させずに帰ってもらうことができるだろう。そう悩んだアイビーの学生証から、少し低い声がした。
『ねえ。今、精霊術師女子寮の寮監から聞いたんだけど。……君のドレス、破かれたの?』
「あ……っ」
アイビーは、もはや退路がないことを悟った。




