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正面玄関から外に出て、庭のほうから調合室に向かう。今はもう何も生えていない花壇をいくつも通り過ぎながら、アイビーは知らない学校の姿を思い描いた。そして、その中央にある大樹の切り株から小さな若芽が育っているのを見つけて、目を逸らした。
アイビーがエイデンを殺して学校から出ていくことになったら、ヴェルディアナはまた枯れてしまうのだろうか。でも、ちゃんと暗殺が成功すれば、たとえアイビーは口封じに処分されたとしても、他にどこかで生き残っている魔女の子供がいるならば、きっと精霊術師の庇護下で学校に通えるはずだ。
……だって、そうでなければ、どうしてアイビーは誰かの命令でエイデンを殺さなければならないのだ。
「雨?」
ふいに前を歩いていたエイデンが、立ち止まって空を見上げた。同時にアイビーの頬にもぽつりと雨粒が当たる。快晴だったはずの上空が、いつの間にか灰色の雲に覆われていく。
「今日って、雨の予報はなかったよな?」
コンラッドが不思議そうに首を傾げる。ヴェルディアナが「冷たいですわ!」と叫んでアイビーの胸に避難してきた。ローブの内側に入れて、自分もフードを被る。
「……あっちに雲が流れているみたい」
「調合室のほうか。……シルヴェスター、三階から調合室と上空を確認できるか?」
エイデンが学生証で生徒会に連絡を取る。
「え? 最寄りの階段が下りられない? ――わかった。いや、先に行く。あれは、妖精の力だ」
そう言って通信を終える。コンラッドが、「え、いいのか?」と困ったように問いかけた。
「うん。危ないから、コンラッドとアイビーはここで待機。シルヴェスターたちを待っていて」
アイビーは慌てて叫んだ。
「わ、私も行きます!」
どうせそのうちいなくなる身だ。多少の問題ごとは引き受けられる。けれど。
「だったら俺も行く!」
「え? コンラッドはいいよ。危ないし……」
アイビーは真顔になった。コンラッドには、あまり変なことには巻き込まれてほしくない。
「なんでだよ!」
コンラッドがムッとした顔になり、アステルを呼んだ。アステルは大きく頷いて、任せろとでも言いたげに白く細い右腕を曲げて、頼もしげな表情でまったく力こぶのできない状態を見せつけてきた。よくわからない力強さはあった。あと可愛い。
「……最終判断は、僕にあると思っておいて。行こう」
エイデンがため息をついて走り出す。アイビーたちも頷いて続いた。
そして、上空の雲から閃光が走った。雷鳴が轟く。エイデンの隣を飛行していたエリオスが、警戒するように前に出た。
『――ニヴァリス、手伝って』
アイビーは身体を半分ニヴァリスに明け渡した。ローブの中でヴェルディアナが驚いたように身動いだ。「ごめんね、寒い?」小声で聞くと、「寒いですけれど、雷のほうが怖いから平気ですわ!」と囁くような叫び声が聞こえてきた。
前方から、悲鳴と罵声が聞こえてくる。ゴロゴロと脅すような雷の音が聞こえる。校舎の一番端、薬草園に面して出入り口が設けられた調合室の角を曲がる。
そこに、四人の魔術師の生徒と、そして黄金に輝く雷の妖精がいた。威圧的な長身に、白金と黄金のゆったりした優美な衣を纏った美丈夫が、衣と同等に長い金の髪を地面につけながら立っている。その手に武器はなかった。その代わり、両手には重たげな金属の手枷が掛けられていた。
「……何をしているの?」
アイビーは呆然と立ち竦んだ。
もちろん、普通の妖精でも枷を嵌めるべきではない。けれど——彼は、普通の妖精を超越した存在に見えた。
「……まさか、ケラウノスなのか?」
エイデンが、掠れた声で呟く。
雷の妖精王ケラウノス。……本物だとすれば、彼は魔女が安易に立ち入らない山を一つ支配する、妖精の中でも一際強大な存在のはずだ。魔術師デリック・ファルメールによる魔女狩りが始まったのと同時期に姿を消したとも言われていたが――どうであったとしても、魔術師の都合で手枷をつけていい存在ではない。容易につけられる存在でもない。
いったい彼を捕らえるのに、どれだけの熟練魔術師を犠牲者にしたのだろう。アイビーが目の前の妖精王の身柄よりも先に、かつて失われた魔術師の命の数を悼みたくなるような、そういう力を持つはずだ。
生徒たちは三対一で向かい合っていた。怯える三人に対して、一人のほうが、雷の妖精王を従えているつもりらしかった。赤い差し色を入れた華やかな紺色の長髪を、高くポニーテールにした人物。
「……ロマンス・パターソン。その雷の妖精王を、どこで手に入れた」
エイデンが顔を顰めて絞り出すような声で問いかけた。ロマンスの金色の瞳が、冷たくアイビーとエイデンを一瞥して、向かい合う三人の生徒たちへと戻された。
「――やれ、ケラウノス」
『……ぐ……ぅぅ……っ!』
ロマンスが手にしていた短鞭を鳴らした。雷の妖精王が、苦しそうに呻く。抵抗しているのだろうか。しかしすぐにバチバチと上空の雲に魔力が溜まる。
『っ、守って!』
アイビーは反射的に叫んだ。
紫電を帯びた光の槍が落下する。それよりもほんの僅かに早く、地面の八方から蔦が伸びて、三人の生徒の頭上付近に届いた。
雷撃が蔦に逸れる。一瞬で焼け焦げた蔦の残骸が、生徒たちの側に落ちた。腰が抜けたように座り込んだ一人を、一人が掴んで逃げ出す。もう一人がロマンスを睨んだ。「ハハッ、残念だったな! お前もさっさと辞めてネリリンの靴でも舐めに行けよ! 今まで通りにさ!」
わざわざ煽るような捨て台詞を吐いて逃げていく魔術師生徒たちの背に、ロマンスは淡々と告げた。
「……ケラウノス。あいつらを殺せ」
『やめて!』
アイビーは反射的に叫んだ。魔術師生徒たちの方向に蔦を伸ばす。蔦に干渉した雷撃が、かろうじて逃げる生徒たちの背よりも僅かに後ろに落ちた。
「邪魔すんなよ。どいつもこいつも状況判断のできないバカばっかりだな」
ロマンスは苛立ったように顔をしかめた。しかし声を荒らげることはなく、冷めた声色で続けた。
「まあ、もういいか。ケラウノス、そいつも殺せ。どうせ魔女だ」
「……っ!」
アイビーは目を見開いた。もう雷の妖精王は抵抗しなかった。灰色の雷雲が、自分の頭上で光る。ほんの一瞬、体が強張った。足が竦む。それが致命傷になるとわかっていたのに。
「アステル!」
コンラッドの声より先に、アイビーは激しい衝撃を受けて地面に叩きつけられた。視界が切り替わり、背をつけた地面からビリビリと痺れる感覚があった。眼前にはアステルが覆い被さっている。どうやら濡れた地面にできた浅い水溜まりから、瞬間移動で助けてくれたらしい。
アイビーは、ありがとう、と言おうとして、一度呼吸に失敗した。「っ、ぁ、……ぁ、りが、と……アステル……」防護機能のあるローブを着ていても、まだ影響があるらしい。頷いて起き上がったアステルも、ふらついているようだった。アイビーを抱えて小さな水溜まりを瞬間移動したせいで、かなり消耗したようだ。ローブの中からヴェルディアナが這い出てくる。
「ごめんね、ヴェナちゃん。大丈夫? 怪我してない?」
ヴェルディアナは無言でアイビーの腹部にしがみつき、小さく縦に頭を動かした。怪我はないが精神的に弱ってしまったようだ。
「雪解けに咲く花の妖精に、水に映った星の妖精を模したゴーレムってところだよな。どっちも曲芸向きで、純粋な雷の妖精に勝てるとは思えないが。最近の一年生はそんなこともわからないのか?」
ロマンスが呆れたように嘲笑う。
「で? 副会長様は何してんだ? まさか一年生より怖じ気付いてんのか? 賢明な判断じゃないか」
エイデンは、彼の武器らしい本を掴んだまま、ケラウノスを凝視していた。その表情は、はっきりと青ざめている。
「ああ、なんだ。お前、雷が怖いのか? 情けねぇな」
ロマンスが短鞭の先端をエイデンに向ける。
「……アイビー。コンラッド。退避してくれ」
エイデンはゆっくりと口を動かした。その声ははっきりしていたけれど、微かに震えていて、視線もどこか茫洋として、まるで心をどこか違う場所に置いてきてしまっているようにも感じられた。
ふと自分の周囲に違和感を覚えたアイビーは、そっと周囲を窺った。隣にいるアステルが、困ったようにアイビーを見て、とんとんと爪先で地面を蹴った。表面が乾いている。さっきまで広範囲が濡れていたはずなのに。気温が上がっている。息苦しいのは、先ほどアイビーが背を強く打ち付けたせいではなく、攻撃で飛び散った魔力のせいでもなかった。
「その妖精は、僕が……討つから」
エイデンの周囲で魔力が膨張して、熱風が逆巻いた。灰色の雷雲に大穴が開く。かき乱された雲からバチバチと紫電が飛び散る。差し込んだ光が、強くケラウノスの姿を照らしだした。けれど赤い火の鳥は、エイデンの肩に留まって、気づかわしげにエイデンを見ている。
ロマンスが嫌そうな表情になる。「へぇ……今さらヒーロー気取りかよ」
でも、とアイビーは迷った。あれはたぶん、エリオスの本意ではない。だとしたら、止めたほうがいいのでは?
「――そこまでだ」
ふいに背後から割り込むように、制止の声がかかった。アイビーがつい振り返ると、シルヴェスターが旧校舎から走ってきた。
「アッシュフォード先生?」
コンラッドがシルヴェスターのさらに後方にいる担任教師を見つける。
「三人とも下がれ。エイデンもだ」
教師アッシュフォード先生の言う三人に自分が入っていることに気づいて、アイビーは引き下がりながらエイデンに近づいた。
「エイデン、呼吸が浅いぞ。もっと深く吸ったほうがいい」
「でもあれは、あの妖精は……わかった」
シルヴェスターに肩を掴まれたエイデンが、仕方なさそうに頷く。ゆっくりと周囲が元の暗さに戻った。力を抜いたエイデンがふらつく。重さを気にしたのか、エリオスがふわりとエイデンから離れてアイビーの肩に乗った。乗り心地が悪かったのか頭に移動しようとしてきたので、アイビーは左腕を差し出した。
「チッ……子を虐めると親が出てくるんだったな。生徒会は過保護で笑えるぜ」
ロマンスがため息をついてアッシュフォード先生を睨んだ。
「魔女が教師ぶってんなよ」
『あの雷の妖精の足を封じろ』
アッシュフォード先生は表情を変えずに言った。アッシュフォード先生の声に従った土の精霊たちが、一斉にケラウノスの周囲に集い、土を盛り上げてケラウノスの足を埋める。
『奴らの周囲に霧を張れ』
火と水の精霊たちが均等に集い、ロマンスとケラウノスの周囲に霧を広げた。
ロマンスが短鞭を鋭く振った。素早く描かれた魔法陣が強風を巻き起こして、霧が吹き飛ぶ。
「ケラウノス、さっさとやれよ。お前、魔女を虐殺すんのが大得意なんだろ? やって見せろよ、なあ!」
『ぐ、ううっ、あぁああああぁっ!』
ケラウノスの首で赤い光が輝く。手だけでなく首にも枷があったらしい。苦しそうな声とともに、上空の雲が重くなる。視界が眩い閃光に包まれる。
『霧散しろ』
たったその一言で、アッシュフォード先生の周囲に濃霧が張り巡らされた。降り注いだ雷撃が、命令通りに分解されて分散されて霧散する。
霧が晴れる。アッシュフォード先生は苦悶に蹲るケラウノスに近づき、拘束の魔法陣を展開させた。
「……使えねぇな」
ロマンスがつまらなさそうに肩を竦める。アッシュフォード先生はロマンスの前に立つと、その手の短鞭を奪い取り、そのまま地面に引き倒した。
「ここまで弱体化させても制御できない妖精でイキがるなよ。死にたくなければな」
うつ伏せにされたロマンスが、ポカンとした顔でアッシュフォード先生を見上げようとするのをやめた。そして、苦しそうに笑い出す。
「は……はははっ! さ、さすがっ、くくっ、ど、同族を裏切って生きながらえている、有り難い教師からの、素晴らしい授業だな! くっくくっ、あっははははっ!」
アッシュフォード先生に乗られたまま、ロマンスは笑い続ける。しかし、ひとしきり笑うと、ふいに真顔になって言った。
「普通は死んでもいいから殺すんだよ。結局どいつもこいつも、ネリリンと同レベルのバカしかいねぇのか」
「現状を教えようか。ネリリン・ファルメールと同レベルのことをやったのはお前だ」
アッシュフォード先生は表情を歪めて、深くため息をついた。
「……あと一年耐えればよかったものを。お前は……その制服で卒業すれば、きちんと評価されたはずだっただろう。一生魔女狩りの歴史を一年生に教えるような教師よりは、希望通りではなくとも良い職につけたはずだ」
アイビーは、今は見えないロマンスの服装を思い出した。寮長のピンが付いた成績優秀者のネクタイに、学外活動で評価された者が着用できる洒落たデザインのベスト。生徒会では当たり前のようになっているが、両方を揃えているのはもともと名門校の位置付けであるこの学校の中でも、ごく一部だ。まず成績優秀者のネクタイやリボンが学年に十人程度なのだから。才能ある努力家であることは間違いないのだ。
「……魔術師の社会を、時代遅れの精霊術師と一緒にしないでくださいよ。暴れないので離していただけますか? 俺はこのまま死ぬまで地面に寝ていても構いませんが、行くところがあるんでしょう?」
ロマンスは心底呆れたような顔をした。




