6-5
「何者だ?」
エイデンが進み出るようにして妖精を睨んだ。幼げな妖精は、ムッとしたように頬を膨らませた。
「あたしは大樹の妖精ヴェルディアナ! ですわ! レディに対して口の利き方がなっていませんわ――!」
「え……っ、いや、悪い……小さくね?」
コンラッドが正直に言った。
「ごめんね。でも大樹の妖精にしては、小さすぎると思うんだけど、何か理由があるの?」
アイビーも言った。
「小さくてもレディはレディの耳元で騒がないよ。ところでヴェルディアナって、旧校舎にあった古い大樹の妖精の名前だよね? でも、その木は魔女を追放した年に枯れてしまって、倒壊の危険があるからと伐採されたはずだけど……」
エイデンはアイビーが気になることばかりを語った。
「あああっ、小さい小さいうるさいのですわ! せめて愛らしいと付け加えるべきですわ! そうですのよ、前のヴェルディアナは嘆き悲しんで失意のまま切り倒されたのですわ! 思い出すだけで酷い話ですわね! まったくもう――っ!」
自称ヴェルディアナは、ジタバタと小さな手足を振り回した。アイビーは何から問うべきか悩みながら口を動かした。
「ええと、じゃあ愛らしいヴェルディアナさんは、もともとあった大樹のヴェルディアナとどういう関係なの?」
愛らしいヴェルディアナはじっとりとアイビーと空調機を交互に見つめた。
「……その前に、何かすることがあるのではなくて? 例えば、部屋を暖めるとか!」
教えてくれた。要求がはっきりしている、素直な子らしい。
「あっ、ごめんね。それで怒っていたんだね」
アイビーは愛らしいヴェルディアナの周囲に向かって両手を広げ、春の陽光を思い浮かべながら語りかけた。
『――春はここに』
ふわりと春風のような気配が香って、ヴェルディアナの周囲を取り巻く寒気を和らげる。
「これで良いかな?」
ヴェルディアナは気難しそうに腕を組み、優雅に頷いた。
「そうですわね……控えめに言って、とても良くてよ? ポカポカしますわ」
やはり若木にアイビーの力はよく効くのだ。アイビーは嬉しくなって微笑んだ。
「よかった。じゃあ、愛らしいヴェルディアナさんと、大樹のヴェルディアナのことを教えてくれる?」
「……なんだか長ったらしいですわね……まあいいですわ。私は大樹のヴェルディアナの切り株の新芽から生まれたのですわ。だから、大樹のヴェルディアナの記憶を持っていますの! これでおわかりかしら?」
「えっ、新芽が出たんだ。嬉しい……」
「ま、まあ、大樹ヴェルディアナは、魔女の生徒を見守る約束でこの地に植えられたのですわ。だから新芽が生えてきて私が生まれてあげましたのに……あげましたのに……! まさかの! 今まで! だーーーーれも気づかなかったのですわ――!」
照れていたと思ったら、拗ねたように怒り出す。しかしアイビーは胸を押さえた。小さな若木の妖精の喜怒哀楽が、もう可愛くてしかたがなかった。
「ええっ、私のために……? ごめんね! あのね、愛らしいヴェルディアナさん。ヴェナちゃんって呼んでもいい?」
「……な、馴れ馴れしいですわね! 構いませんわ!」
「いいのか」
黙って聞いていたコンラッドが突っ込んだ。ヴェルディアナはハッとしたようにコンラッドとエイデンを睨んだ。
「こ、この子だけですのよ! 貴方がたなんて、ま、魔女狩りの子孫ごときが、魔女の学び舎で何を学べるとお思いですの? 意味不明ですわ! 貴方がたなんて……! なんで魔女を……っひ、うぅっ、うわーーーーんっ!」
「ああっ、ヴェナちゃん、落ち着いてね? ね? エイデン先輩もコンラッドも術師だけどすごく良い人なんだよ! 私のことを助けてくれるの。だから大丈夫だよ! 魔女を理由に追い出す人たちじゃないの」
突然泣き出したヴェルディアナを、アイビーは慌てて抱き寄せた。大樹ヴェルディアナの記憶があって意思疎通ができるだけで、本人はたぶん生まれてから二ヶ月も経たない赤ちゃん妖精なのである。
「わっ、私、すごく寂しかったのですわよ! 魔女がいなくなって旧校舎に取り残された大樹ヴェルディアナがどんなに悲しかったか、ちゃんと覚えていますのよ!」
ヴェルディアナはアイビーの肩口に突っ込んでくると、声を震わせながら訴えた。アイビーは小さな妖精の背中を撫でながら、失意によって消滅したのであろう大樹のヴェルディアナに思いを馳せて目を閉じた。当たり前だったはずの笑い声が聞こえなくなるつらさは、アイビーにもわかる。
やがてスンスンと泣く声が小さくなり、ヴェルディアナがアイビーから離れる。
そして、アイビーの側で様子を見ていたエイデンを睨んだ。
「な、なんですの? 泣きじゃくるのもレディではないとでも?」
「ううん。思ったよりも優しくて立派なレディだったみたいだ。だから謝ろうと思って。ごめん」
エイデンが首を横に振って謝ると、ヴェルディアナは途端に機嫌を直した。
「……っ、ま、まあ! それなら許して差し上げてもいいですわ! レディですもの!」
「うん、ありがとう。ところで、もしかしてこれを書いて生徒会室に紛れ込ませたのは、君?」
エイデンは怪談文書を取り出すと一番下を指差した。ヴェルディアナはすぐに大きく頷いた。
「そうですわ! この学校を見守る妖精からの投書ですわ!」
「ありがとう、ヴェナちゃん。でもこの紙どこから持ってきたの? マーガレット・ベリルがいた頃って、もう新校舎ができていたよね?」
「マーガレットは調合が得意だったから旧校舎にもよく来ていたのですわ! でも卒業後に魔女の存在が否定されてから、捨てたら支障があるかもしれない魔女の関連物が、大量に旧校舎の教室に放り込まれたようですわ! その紙も、その辺に落ちていたのですわ!」
「そっか……全部焼かれたわけじゃなかったんだね。じゃあ『調合室の側で喚いている馬鹿がいる』って、どういう意味?」
「そのままの意味ですわ! うるさいのですわ! 大樹が見守った校舎でゆすりたかり恐喝なんて絶望的に図々しい蛮行なのですわ――!」
「……やっぱりか。調合室付近は旧校舎の入り口からも死角になる場所だから、そうかもしれないとは思ったけれど」
エイデンが眉を寄せる。蛮行と聞いて一瞬ネリリンを思い出したアイビーは、ぎゅっと唇を噛んだ。一人いなくなったところで、その手の行為はなくならないのだ。
「その人たち、今もいるの?」
「わかりませんわ! でも私がここに来る前はいませんでしたわ! もう少し夕方になってからくることが多いのですわ!」
「夕方? どこに寄ってから来てるんだ?」
「委員会活動か部活動だろうな」
「あ、あー……そっか。てっきり放課後すぐに実験室に籠もらない暇人がやってるんだと思ってた。俺たちのこれか」
「そうだ。つまり僕たちの活動は延長だ。その時間を狙おうか。――レディ・ヴェルディアナ。調合室までの通り道にある、正面玄関の怪異について原因に心当たりがあれば、教えてほしい」
「レディ……ふふん、構いませんわよ! ついていらっしゃいですわ!」
ヴェルディアナは意気揚々と飛んで先導してくれる。図書館の空調をすぐに直さないことについては、見逃してくれたのだろう。たぶん。
旧校舎の正面玄関は、思っていたよりも広くなかった。けれど温かみのある木材と白い壁紙に蔦柄のエンボス加工が施された壁に、大きな振り子時計が置かれている。きっと以前は明るく穏やかな場所だったのだろう。
今は、雑多に床に物が置かれていて埃っぽいけれど。
「へー、この頃は正面玄関がトロフィールームを兼ねてたんだな」
コンラッドが床から視線を逸らすように整然としたガラスケースを眺める。アイビーは首を傾げた。
「今は違うの?」
「今の校舎は、生徒会室の隣に専用の広い部屋があるんだよ」
玄関に飾られた旗を興味深そうに眺めていたエイデンが補足する。
「特に面白い物はないと思うけど。特に君にとっては。……まあ、シルヴェスターの学生ティーマイスター大会の優勝盾とか、ブラックモア先輩の男装コンテスト準優勝カップとかはあるかな。あとマリアンの舞踏競技のメダルとか」
「いろいろあるんですね……」
アイビーは目を瞬かせた。おそらく魔女狩りに関する名誉賞か何かがあって気遣ってくれたのだろうが、それはそれとして後半が気になる。コンラッドも驚いたように言った。
「なんだそれ……えっ、アシュレイ先輩ってダンスの選手だったのか? 一年生のときに取ったってことだよな? あ、エイデンのは何かないのか?」
「妖精に関する論文の賞くらいだよ」
「くらいって……いや、学生として一番正しい気がするし凄いのに、他が予想外すぎて逆にコメントしづらいけどさ」
「気を遣ったコメントをどうも」
苦笑したエイデンの肩で、エリオスが自慢げに翼を震わせた。アイビーはこっそりと頬を緩めた。どうやら好きな人が素敵な妖精に好かれているのは、とても嬉しくなる事実らしい。
「あの子、あまり魔術師って感じがしませんわね……?」
正面玄関を観察する面々を観察していたヴェルディアナが、不思議そうに呟く。アイビーは驚いてヴェルディアナを見た。エイデンをあの子とは。生まれたての赤ちゃん妖精でも、大樹の妖精として見守ってくれる者の感想らしい。
「そうだね。エイデン先輩はすごく優しいから。それで、ここの異変は、振り子時計なんだっけ?」
「そうですわ! もうすぐですわ! こっちに集合なのですわ!」
ヴェルディアナに手招きで促されて、アイビーたちは時計の前に集まった。
古く重そうなガラスに、アイビーの姿が曖昧に映る。ガラスの中の自分が、軽く首を傾げた。
そして――もう振り子が動かなかったはずの時計から、カチリと小さな音がした。
あ、と言いそうになって、アイビーはそのまま口を半開きにして振り子を見つめた。ゆっくりと、振り子の位置がズレる。もどかしげに左に上がり、上がり、そして、落ちるように揺れた。文字盤の長針が、かちりとズレた。
――ぽぉん。と、優しい音がした。ぽぉん、ぽぉん。それは、この学校の生徒たちに時間の切り替わりを知らせるための音だった。その奥で、カチカチと歯車の軋む音がする。それよりも半歩遅れて動き始めた秒針の音が、やけに大きくなる。
『――……マーガレット……サイモン……』
複雑化する音に紛れて、誰かの名前を呼ぶ声がした。ぽぉんと響いていた音が、次第に早くなる。
『……ベネディクト……コーデリア……』
ぽんぽんと何度も何重にも鳴り響く音と、たくさんの名前を呼ぶ声に紛れて、聞き覚えのある名前も聞こえた気がした。鼓動が早くなる。温かいはずの音が、苦しいくらいに早くなる。
『……ロビン……セシル……シンシア……クレア……』
「……っ!」
警鐘のように鳴り続ける音に紛れて、また聞き慣れた名前があった。アイビーは呼ばれた名前の意味を悟って目を見開いた。
『ぶじに、かえれ……ように……』
男か女か老いているのか若いのかもわからない声だった。ただ、何十何百と木霊するように反響していく、祈るような声だった。
ふいに音が止まる。振り子が力無く三往復して、ぴたりと動かなくなった。
「……今のは…………」
エイデンが、呆然と呟いた。
「今の時計の中身がぐるぐる回ってぼんぼんぼんぼん鐘が鳴るのがここの怪談ですわ!」
ヴェルディアナが元気に叫んだ。コンラッドが振り子時計に近づいていく。
「五時ぴったりだったな。今の校舎でチャイムが鳴る時間だ。となると……ああ、やっぱりあった」
振り子の収められたガラス扉と文字盤の裏を次々と開けては中を覗き込んでいたコンラッドが、大きく頷いて首を戻した。
「この魔法陣で、昔はたぶん旧校舎のチャイムを連動させて鳴らしてたんだろうな。だからたまに今のチャイムに干渉して起きてきて、自分の不具合を自動修正しようとして、予備電源を……あれ? どうしたんだよ、二人とも」
振り返って、ようやく自分以外の二人が立ち尽くしたままであることに気づいたらしい。まさかコンラッドは、あの声が聞こえなかったのだろうか。アイビーは困惑した。そしてまさかエイデンはあの声が聞こえたのだろうか。
「あ、うん、聞いていたよ」エイデンはちらりとアイビーを見てから、何も言わずコンラッドに視線を向けた。
「本当か? なら良いけど……なんの話してたか言えるか?」
「えっ? う、うん。針が巻き戻ろうとして、振り子に不具合が出て、チャイムが鳴ったって話だったよな?」
「全然違うんだけど……アイビーも大丈夫か?」
「あ……うん。具合が悪くなったとか、そういうのじゃないから。ただちょっと、音にびっくりしただけで。もう平気だよ」
アイビーは慌てて弁明しながら両手を彷徨わせて、結局自分の胸の前で握り合わせた。本当は一人だったら小一時間は動けなかったかもしれないけれど、コンラッドとエイデンがいる手前、心臓がバクバクしていても、立ち止まってはいられなかった。
「あー、そっか。二人とも、機械からの異音に慣れてないのか。ブラックモア先輩じゃないけど、錬金術じゃ機械の不具合は日常だからな……自分で言ってて悲しくなるけど」
コンラッドは二人との違いを彼なりに理解したようで、空気を緩めるように笑ってみせた。
「とにかく、これの原因もわかったことだし、調合室のほうに急ごうぜ。そろそろ来るかもしれないんだろ?」




