6-4
図書館に近づくと、入り口には生徒会室と似た鍵が掛かっているらしいことがわかった。エイデンが大樹の描かれた扉を掴むと、生徒会室と同じように赤い光が枝に咲くように点灯して、勝手に解錠される。
「わ、私も入って大丈夫なのかな?」
「図書館だから、解錠以外は学生証で通ると思うよ。でも、心配なら僕からあまり離れないで」
「はっ、はい……!」
アイビーは全力でエイデンの優しさに甘えることにした。そっと隣に近づいておく。
それでも中に入ると、僅かに上がった体温が、すっと冷やされた。
「……図書館にしても、寒いですね……?」
本が傷まないようにするためか、日光も入ってこない室内は、先ほどの食堂よりもかなり暗かった。室温も上がりすぎないように工夫されているのかもしれない。けれど、それにしても寒い。
「空調設備が劣化しているのかな。エリオス、周囲の空気を暖めてほしい。それと、明かりを頼んでいいか?」
エイデンの肩に乗っていたエリオスが、優雅に頷いて羽ばたく。窓とカーテンが閉ざされている図書館が、ふわりと暖かく明るくなる。どうやらエリオスは、直接火を灯すだけでなく、光の概念を周囲に与えて闇と寒気を払うことができるらしい。またしてもアイビーとニヴァリスの出番はないようだ。
アイビーはほっと温まった肩の力を抜いた。その直後――ぱさり、ぱさり……ぱささささささささ――と、大量の本のページが捲られる音がした。明るくなった視界の中で、机や床に乱雑に散らかった書物たちが、パタンパタンと表紙を閉じては開き、ジタバタと藻掻くように蠢く。
「ひ……っ!」コンラッドがほとんど反射的にアステルを呼び出した。アステルは素早くコンラッドの額を弾いた。
たぶん、術師本人が冷静に解明しなければならない現象を見極めずに、ビビってゴーレムに甘えようとするな! ということだと思う。なんというか、半眼でそんな顔をしている。
「ああ、書庫に戻る魔法が切れかけているのか。……どうしようかな。学内監理局に報告して、本ごと廃棄になったら嫌だけど……」
エイデンが困ったように呟く。そしてアイビーをちらりと見た。
「これ、直せたりする?」
「え? ……ごめんなさい。呪文がわからないです」
アイビーは肩を落として目を伏せた。魔女の呪文は魔女の口から発さなければ、魔法陣は刻まれた言葉の意味を忘れてしまう。けれど、それがわからないとどうにもならない。
大量の本を管理する場所では、棚の配置を決めて番号を割り振り、一定の時間が経つと、抜き出した本が自動的に戻るようにする魔法陣がある。という知識だけならある。
けれど、必要なら本の配置を換えるし出しっぱなしにしていた両親は、それなりの冊数の蔵書にその魔法陣を設定していなかったし、近所の人たちも、自分の仕事で多用する本にその魔法陣は使っていなかった。アイビーの児童書なども自分で決まった棚にお片付けする約束になっていて、年齢が合わなくなったものはすぐに妹の物になったし、もともと母が子供時代に読み込んでいた名作は、近所の家を数年ずつ転々としてからアイビーの手元に来たりもしていた。そういう本に刻む魔法陣ではないのだ。
だからたぶん、魔女が森に隠れ住むようになった後にこの図書館と同じ魔法陣を使っていたのは、歴史を記録する『司書』という役割を持っていた一族くらいだろう。その人たちの書庫は、歴史の順序が入れ替わらないように、こういった魔法陣で管理されていたらしいのだ。けれど山を一つ挟んで隣の森だったから、アイビーはその一族が隠れ住んでいた村の所在は知らないし、その人たちに会ったこともなかった。
そして、アイビーが父と妹弟を失った一年ほど後に、その村もデリック・ファルメールに見つかって焼き払われてしまったと聞いている。
けれどエイデンは、珍しく、諦めたくなさそうに近くで動いている本を一冊掴み、ひっくり返した。
「そっか……ごめん、もしかして、この裏の魔法陣から読み解けたりしない?」
「あの、それは……」アイビーは眉を下げて裏面を見た。確かに本にはところどころ掠れた魔法陣が刻まれている。でも、魔女の魔法陣は独自性が高いものが多くて、見たことがないまま容易に読み解けるものは少ないのだが――「あっ、この魔法陣、ちゃんと呪文が書いてあるっ? 偉い人が考えたやつだ!」
アイビーは叫んだ。『――記録を閉じて本棚に眠れ――』目的を刻む魔法陣の飾り縁に見立てて、円形でしっかり書かれている。十中八九、これが魔法陣の呪文だ。こだわりの強い魔女が言葉を残さない一方で、万人に自分の魔法陣を使ってほしい魔女はこういうことをする。
「そうなんだ。良かった」
エイデンはふわりと微笑みを浮かべた。
「でもこの本たち、現状保存せずに戻してもいいんですか?」
「……うん。問題があると知れたら、焼かれるかもしれないし」
エイデンは本を持ち上げて、苦笑しながら埃を払った。その表情を見て、アイビーは腹を括った。――私が勝手にやりました! よし。万が一のときは全然言える。
「じゃあ、唱えますね……!」
そう言うと、エイデンはとても嬉しそうに目を細めた。なぜかエリオスがふわりと飛んでアイビーの肩に乗ってくる。
『――記録を閉じて本棚に眠れ』
蠢いていた本たちが、ふわりとふわりと浮き上がり、棚に吸い寄せられるように戻っていく。
「すげぇなー……こういう理屈抜きの具象化は、やっぱり魔女の分野なんだよな……」
ようやくアステルと和解したらしいコンラッドが、額を撫でられながら呟いた。エイデンが頷いて中身の詰まった本棚を見回した。
「うん。書庫の本はこうして片付いているべきだから。ありがとう、アイビー」
「いえっ、あっ、どういたしまして……!」
初めて大量の魔法陣を操作できて興奮していたアイビーは、きょろきょろと本棚を見回すのを止めてエイデンを見上げた。
鮮やかな赤の瞳が、いつにもましてくっきりと明るく輝いているように見えた。吸い込まれるように、思わず息を止めて魅入っていると、エリオスが褒めるようにアイビーの頭に首を擦りつけてきた。その温もりに我に返る。
「あ、あの」
「……あ、うん」
エイデンもなぜかハッとしたかのような顔で頷いた。アイビーから視線をずらして、斜め上を見始める。その横顔がじわりと赤みを帯びていて、アイビーはそっと目を彷徨わせた。エリオスがアイビーの肩から離れて、くるりと図書館を回遊した。
「……あれ? あの本だけ動かなかったの?」
エリオスを目で追っているうちに、窓辺のテーブルの上に、ぽつんと置かれている本を見つける。近づいてみると、緑の装丁のその本は、裏返っているのだと気づいた。だって裏表紙特有のシンプルなデザインだ。「……あれ?」
「魔法陣がないね。誰かの私物なのかな」
隣でエイデンが違和感の正体を答える。アイビーは興味本位で本を手に取り、表に返して題名を見た。
「あっ、この話、私大好きです! 『エルムとの約束』!」
「ああ、良い話だよね。僕も好きだよ」
「ん? 聞いたことないな。どういう内容なんだ?」
頷いたエイデンの横から、再びアステルに帰られたらしいコンラッドも覗き込んでくる。アイビーは思わず目を丸くした。
「えっ、コンラッド、知らないの? 児童書の名作なんだよ、『エルムとの約束』は! あのね、台風で倒れちゃったエルムの木の妖精を助けようとした主人公の女の子が、お小遣いで買ってきたエルムの廃材でできた木箱に妖精を住まわせて、妖精は不服だけど主人公がいつも頑張り屋だから、次第に認めて仲良くなるの! でも、あるとき怖い雷の妖精が水の妖精たちを脅かして、水の妖精たちがパニックになって主人公の家を水で押し流してしまうの。でも主人公がエルムの妖精と認識し続けたから力を取り戻していたエルムの妖精が、川辺の小さなエルムの木を大きくして主人公を助けてくれるの! それで、主人公は川辺に新しいエルムの苗木を植えて、妖精と仲良く暮らしました。このお話の良いところは、王道のお話ってだけじゃなくて、エルムの妖精と主人公の掛け合いの面白さや自然の描写もだったりするんだけど、あらすじは簡単にいうとこんな感じ。めでたしめでたし!」
「おそらくエルムの木の伐採が流行って、河川や森の環境が変化したころに書かれたんだろうな」
つい熱く語ったアイビーに、エイデンが補足する。
しかしコンラッドは、困ったように眉を寄せた。
「あー……そっか。『エルムの木々』ってタイトルで、似たような本があったな。主人公がエルムの妖精を従えて、雷の妖精と水の妖精を討伐して、民家を襲う水害を解決するやつ……」
「雷の妖精とは和解して住み処を分けるんだよ……」
アイビーは項垂れた。考えてみれば当たり前だが、どうやら術師社会では、魔女が妖精と共存する話から、術師が妖精を制御する話に改稿されたらしい。
「まあダムも避雷針も実用的だからさ……というかエイデンはよく魔女のほうを知ってたな」
「……母方の祖母の家に置いてあったんだ」
「あっ、それで生徒会にあった怪文書が、魔女の古語だってわかったんですか?」
アイビーは飛び跳ねた。エイデンのことが一つわかって嬉しかった。
「……ああ、うん。そうだよ」
「ふーん、知らなかったな……なあ、空調機はあれか?」
コンラッドが指を差す右壁の奥には、木目調の大型の魔道具が、茶色の壁に馴染むように設置されていた。
「そうみたいだな」と、エイデンがさっそく空調機に近づいていく。
「冷風が出ているわけではないみたいだけど、本体が冷たいな。このまま放っておいてもすぐには問題なさそうに見えるけれど……コンラッド、どう思う?」
「うーん、急に爆発したりはしないかな。さっき本を勝手に直してたし、こっちはこのまま報告で良いんじゃないか?」
二人でペタペタと空調機を触って出てきた結論に、魔道具のことはいまいちわからないアイビーも同調する。
「じゃあそういうことで、次に――」
「なんでそうなるんですの――っ?」
突然、耳元で甲高い少女の大声がした。
「ぅひゃぁっ?」
アイビーは飛び上がって耳を押さえた。振り返れば、見知らぬ妖精がいた。小さな若葉色の髪と目と木漏れ日のような淡い羽根を持つ幼い少女の姿をしているが、全長がルルミアくらいで、まるで人形が動いているようだった。




