6-3
「ええと、一階の怪談は、全部教室じゃないから……まずは一番近い、食堂からで構いませんか?」
アイビーは、マリアンが手際よく魔導具で複製してくれた旧校舎の地図を見つめながら歩いていた。
三階建ての旧校舎は、二階をヴィオラとマリアン、三階をシルヴェスターとジュリアンが調査することになっている。
「うん、それがいいと思う。……コンラッド。一階なら、怪奇現象が起きる可能性は低いはずだ。一番人通りが多かった場所だから。設備不良はあるかもしれないけれど」
「わ、わかってるけど……ひっ!」
可哀想に、生徒会の会議室でキャロットケーキを食べているときから手が震えていたコンラッドは、それでも一人だけ辞退することができず、エイデンにずっと心配されながら付いてきていた。ちょっと羨ましい。
「あ、アイビーは大丈夫なのか?」
「うん、コンラッドが過剰に怯えてくれるおかげで怖くないよ。ありがとう」
アイビーは地図と道を見比べながら答えた。これも本心である。夕暮れどきに一人で森の家に帰るときの心細さを思えば、友人や好きな人と散策なんて、この上なく幸せなくらいだ。
「コンラッド。本当に、無理はしなくていいんだぞ?」
「だ、大丈夫だってば! そりゃエイデンはアイビーと二人のほうが都合が良いかもしれないけど……!」
「……そう見えるか」
「え、いや、なんかごめん。心配してくれたのに……」
アイビーは目の前に現れた食堂の建物を見上げた。古びてはいるが、全体的に重厚な造りだ。それに今の校舎の食堂の半分の大きさもない。とりあえず今すぐ屋根が崩壊してくることはなさそうだった。それにしても、振り返らなくても後続の声が一定の大きさで聞こえてくるのは助かる。
そんなことを思いながら、食堂の扉に鍵がかかっていないことを確認しようと、とりあえず扉に手を伸ばした。
「……まあ、僕がアイビーを優先しているのは事実だけど」
後方から、そんな言葉が聞こえてきた。
「ほら見ろ! ……あ、緊張、解れてきたかも。アイビー、そっちは大丈夫か?」
突然コンラッドに呼びかけられて、アイビーは狼狽えながら狼狽えることになった。
「あ、あ、あのね、えっと、あれ? わ、私、何しようとしてたんだっけ?」一瞬で吹き飛んだ思考と行動を探すようにぱたぱたと手を彷徨わせて、ようやく目の前の扉を見つける。「あっ、食堂! 開けていい?」
「僕が開けるよ。何もないとは思うけど、念のため」
エイデンが近づいてきたので、アイビーは頷いて場所を譲った。おそらく、生徒会として一般生徒の後輩を巻き込んだ立場にあるから、うっかり怪我などされては困るのだろう。そう思うことにした。
さっき聞こえた「アイビーを優先している」というのは、そう、きっとコンラッドの緊張をほぐすための発言であって。
頭の中で謎の言い訳を続けているうちに、エイデンが古い扉をゆっくりと体重をかけて押す。重く軋みながらも、食堂の扉が開いた。
そして――その中は、しん、と静まり返っていた。当たり前だ。誰もいないのだから。
エイデンが中を覗き込む素振りを見せてから、ゆっくりと中に入った。その背を追って、アイビーも食堂に踏み込む。さらに後ろから、コンラッドがついてくる。
内部は、高い窓から光が入り込む、明るい場所だった。空気や匂いからも異常は感じられない。
「……大丈夫そう?」
アイビーは、そっと呟いた。その声は、意外と大きく食堂に響いた。カタン、と、なにかが動いた音がした。
――ガタガタガタガタッ!
「っ……!」
アイビーは震えて、悲鳴を発せなかった。チカチカと天井から吊るされたアンティークなシャンデリアが明滅する。息を止めて周囲を窺う。大きく重たげなテーブルが、脚を震わせて動き出していた。
エイデンが、訝しげに呟く。
「……動いているだけで、襲ってはこないな。妖精が憑いているわけではないのか?」
――さすがエイデン先輩! 異常事態にも冷静で素敵! 好き! 半泣きで冷静な思考を捨てたアイビーの後ろで、コンラッドが自分のゴーレムであるアステルを呼び出していた。
アステルは、動くテーブルと怯えるコンラッドを見比べて、コンラッドのおでこを指先でペチペチと高速で弾き始めた。
「あ、アステル? まさかアステルもおかしくなったのかっ? うわっ!」
ぷっくりと頬を膨らませたアステルに、無言で足を踏まれている。どうやら正常らしい。
いつの間にか肩にエリオスを止めていたエイデンが、テーブルに近づいて表面に手を置いた。上から押さえるように体重を掛けてみているが、テーブルは止まらない。
もしかして、自分もニヴァリスと同化すべきなのだろうか。アイビーは混乱したまま混乱を重ねた。とりあえず、ニヴァリスを呼んでみた。『え? こ、これ雪に埋めてもいいの? 本当に? いいの?』ニヴァリスを呼んでも混乱は収まらなかった。
「……あ。コンラッド、これを見てくれ」
その間にエイデンはテーブルの下を覗き込んでいた。テーブルの天板の裏側を指差している。
「えっ?」アステルに弄ばれていたコンラッドが、おそるおそるエイデンとテーブルに近づく。テーブルはずっと不規則にガタガタガタガタと跳ねているし、天井のシャンデリアはずっとチカチカしていて目に悪そうだが、他には何も起きていない。
「あっ……なんだ。テーブルの下に、運搬用の魔法陣があったのか。インクの経年劣化で魔法陣が削れて、制御が甘くなってる……原因、これかぁ……」
天板裏を覗き込んだコンラッドが、疲れたように呻いた。その後ろでは、アステルが満足げに腰に手を当てて大きく頷いていた。
「魔女が運営していた時代の魔法陣なのかな。今とは図案が違う部分がある。……あー、さすがに古い時代のだから、やっぱ大雑把で……あれ、違うな、こっちのめっちゃ細かいやつで制御してんのか……えっ、なんだこれ、時限式……? もしかして魔女の魔法陣の基礎構造って魔術師じゃなくて錬金術師と似てんのか……?」
机の下で体を捻った姿勢のままブツブツ言い始めたコンラッドを眺めながら、アイビーはふと小さな頃に祖母が語っていた学校生活を思い出した。
「そっか。昔は定期的に食堂でお菓子パーティーしながらディベート大会をしていたんだっけ。だからこの時間になると、魔法陣でテーブルの位置を動かしていたんだと思う。それが魔法陣に焼き付いているのかも」
「……あー、うっすらそんな跡があるな」
コンラッドが納得している横で、エイデンが眉を寄せた。
「お菓子パーティーをしながらディベート大会……まさか今の生徒会が会議のときにお茶会をする習慣があるのは、そこが源流なのか……?」
しっかり紅茶を嗜んでいたものの、疑問は抱いていたらしい。ようやく机の下から這い出てきたコンラッドが、ぐっと体を伸ばしながら言う。
「あれシルヴェスター先輩が始めた習慣じゃなかったのか」
「いや、伝統らしい。去年の生徒会長は錬金術師だったから、コーヒーの日もわりとあった。今年はシルヴェスターが紅茶派だから、たぶんブラックモア先輩が用意したときしかコーヒーは出てこないと思うけれど。それかコンラッドが自分で淹れるか」
「なあ、そもそもああいうのって、一年生がする雑用じゃないのか? 俺もジュリアンも雑用するつもりで生徒会室に入ったら、先輩たちに次々と紅茶と菓子を与えられて、最初めちゃくちゃ怯えたんだけど」
「生徒会でお茶を淹れるのは、雑務ではなく権利なんだ」
そうなんだ……。アイビーは密かに困惑した。
「あー、シルヴェスター先輩ともなると、他に自分で手ずからお茶を振る舞える機会って、あんまりなさそうだもんな」
「そうなんだ……あんなに美味しいお茶を淹れられるのに」アイビーは困惑を口に出した。
「オーデン家の使用人の数、俺の母親がやってる工房の従業員の五倍はいるっぽいんだよな。エイデンの家も専属パティシエとか専属テイラーとか専属ピアニストとかめちゃくちゃいるし」
「屋敷に帰ってないからあまり関係ないな。それよりも、天井照明のほうは何の不調かわかるか?」
エイデンは肩を竦めた。そこでアイビーはようやく思い出した。
「……あ、人感センサー……」
「ええ、そんなの付いてんのか、あれ」
「うん。近所に住んでいたお爺ちゃんが、昔お酒を飲みながら言ってたの。俺の頃は教師に見つからずに食堂から夜食を持ち出せたら一人前だったって……その第一関門が天井のシャンデリアで、動くものに反応するから、いかにシャンデリアを騙すかが腕の見せ所で、天井に張り付く奴は二流で、俺くらいになるとセンサーと仲良くなって通してもらうんだって……十回くらい聞いたのに忘れてた」
エイデンがなんともいえない表情で、人がいるのに全灯を迷ってパカパカしているシャンデリアを見上げた。
「意外と愉快な場所だったんだな、ここ……」
「なあ人感センサーがバグったの、その爺さんたちのせいだろ。今度会ったら怒っておいてくれよ」
「え? ふふっ、うん。そうする」
コンラッドが呆れた顔であまりにも自然に言うので、アイビーは笑って答えた。きっとコンラッドの周囲は、健康長寿な人が多いのだろう。良いことだ。
「……原因に見当がついたなら、あとは学内監理局の仕事だ。そろそろ次に行こうか。目が悪くなりそうだし」
エイデンがそう言うので、アイビーもコンラッドも頷いて食堂を出た。
「次の調査箇所は……そこの図書館が近いかな。それでいいか?」
エイデンは軽く地図に目を落とし、それから食堂のすぐ近くの建物を指差した。
「はいっ」と頷いたアイビーの横で、アステルがコンラッドの頭を撫でて帰っていく。相変わらず、ゴーレムというよりは姉ぶっている妖精みたいな仕草だ。




