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そして数分後。なぜかアイビーは、応接室の奥にあった会議室の長いアンティークテーブルの端に座っていた。
「さすがエイデン、書記の私よりよほど字が上手い」
「先輩は走り書きが大得意ですよね」
「そうだよ、錬金術師は一瞬の閃きをちゃんと書き留めておかないとね」
アイビーと角を挟んで隣に座るコンラッドは、その対角線上のヴィオラと談笑している。ヴィオラの隣であるその中央には、シルヴェスターが議長らしく腰掛けている。
「まあヴィオラにはいつも助けられているよ。議事録の隙間に個人的な思い付きを書き留めるときは、せめて消えるインクを使ってほしいが。――さて、必要な物は全て行き渡ったな? では無事にアイビー・エインセルが翻訳してくれたこの文章だが、皆はどう思う? ジュリアン。答えてみてくれ」
ヴィオラの向かい側に座るジュリアンが、慌てたように翻訳した紙の写しを掴んだ。
「ええっ、はい……序盤は、旧校舎にまつわる学校の良くない噂を纏めたもの……? だと思いますが」
ジュリアンは困惑しながら答えた。アイビーは目を伏せて自分の翻訳した紙を見つめた。三度も見直したから、間違いはないはずだ。でも、内容は予想外だった。
「そうだな。俺もそう思う。これは……」
シルヴェスターは、重々しく頷いて、核心に触れた。「いわゆる、学校の怪談だ」
全員が、困惑したままの顔で、訳文の写し紙を見つめた。ちなみにそれぞれの傍らには、美しいティーカップに温かく香り高い紅茶が淹れられて、同じ柄の皿には綺麗にカットされたキャロットケーキが真っ白なクリームを添えて提供されていた。中央には、銀のビスケットトレイに盛られたショートブレッドと、小さなトングまで置かれている。どうやらこの生徒会は、お茶会と会議を同一のものだと思っているらしい。
そしてアイビーに回ってきたシュガーポットには、今日は丸っこい魚型が入っていた。定期的に変わるらしい。
「加えて上から七つ目までは、同じ者の筆跡に見える。これだけなら、当時の生徒会メンバーが生徒の間で流行した怪談を戯れに書き残したと受け取るべきだが……」
シルヴェスターは、そこまで言って、頭が痛そうな顔をした。その代わりに、シルヴェスターを中央にヴィオラとは反対側、アイビーから見てコンラッドとは反対角の隣に座るエイデンが、言葉を引き継いだ。
「その下には、『これらは地味に学校の光熱費を食う怪物だから気をつけてね! ――マーガレット・ベリル』と書いてある」
誰かのため息が聞こえたが、誰のものかはわからなかった。全員だった可能性が高い。
「つまり、この怪談の中で起きている怪奇現象は、旧校舎の設備不良による漏電などへの警告と考えられますね」
シルヴェスターの向かい側、コンラッドの隣に座っていたマリアンが、一番初めに気を取り直して言葉にした。シルヴェスターは、渋るような顔をして頷いた。
「……そうなるな。以前から、学校のエネルギー使用量の数値が年々合わなくなっていることは、問題視されていたが……この旧校舎に残された設備が原因である可能性が浮上したわけだ」
「でもこれって生徒会の管轄じゃなくて、学内監理局の仕事だよね? 傷んだ旧校舎を放置しているのなんて、あっちの怠慢のはずだけど」
学内監理局。危険な魔導具なども多い学内の設備や備品の管理から、学校の警備などの保安維持管理を行う、教員とは別組織の学校職員だ。食堂や購買の職員や寮の管理者も、こちらの管轄である。
指摘するヴィオラの言葉に頷きながら、シルヴェスターは自分の手元の訳文を置いた。
「……まあ、そうなんだが……」
「現状、これは魔女に翻訳を頼んだ旧校舎の怪談話だ。そして署名のマーガレット・ベリルは……おそらく魔女狩りが行われる数年前に生徒会長として在校していて、卒業後は魔女派の抵抗軍として先頭に立った森羅の魔女マーガレット・ベリル本人で間違いないと思う。だから、このまま学内監理局に回すのは、いろいろと面倒くさい。という顔をシルヴェスターがしている」
エイデンが翻訳した。
「聞いたことがある名前だと思ったら……なんというか、歴史上の苛烈な人だと思ってたのに、意外と洒落っ気のある人だったんだな……」コンラッドが呟いた。
シルヴェスターはティーカップを摘み、軽く傾けた。そうして気を取り直したように呻く。
「まあ、そうだな。それに学内監理局にアイビー・エインセルを連れて行くのは、おそらく誰もあまり楽しい気分にはならないだろう。そもそも俺が依頼したことだ。それで後輩を不快になるとわかっている場所に連れて行くわけにはいかない」
誰も、何も言わなかった。ただ、エイデンとマリアンとヴィオラが、そっと手元のフォークを握った。
「というわけで、俺はこれから旧校舎を点検して、本当に漏電などを見つけたら、そのときにこれも合わせて学内監理局に報告しようと思っている。ここまでで異論はあるか?」
きょとんとしていた一年生たちをよそに、上級生たちは黙ってキャロットケーキを口に含みながら首を横に振った。そのまま少し速いペースでキャロットケーキを食べていく。
アイビーはようやく理解してフォークを掴んだ。彼らはシルヴェスターについていくと決めたのだ。――目の前のキャロットケーキを食べてお茶を飲んでから。
一口食べてみると、素朴な人参の甘みをベースに複雑な木の実とスパイスの味わいが、口の中でしっとりほろほろと広がった。家の味ではないけれど、洗練されていてとても美味しい。さすがエイデンが選んできただけある。
「よし。ああ、これは生徒会の活動というよりは自主活動になるから、忙しい者は帰って構わないからな」
そう言ったシルヴェスターも、皆の様子を見ながら合わせるようにフォークを握り、
「……コンラッド? 大丈夫か? 体調不良か? 医務室に行くか?」
アイビーは、キャロットケーキを堪能する手を止めて、コンラッドを見た。普段のコンラッドからは想像できないほど青ざめていた。
「いや……その、体調は、悪くないんですが……大丈夫かなって……」
あからさまにしどろもどろになっているコンラッドを見て、全員が当惑気味になっていた。
「大丈夫、とは……?」シルヴェスターが、緊張した面持ちでフォークを置いた。
「その……生徒だけで旧校舎に行って……先輩たちがめちゃくちゃ強いことはわかっているんですけど……もし魔術が効かなかったら、とか……?」
しばらくの沈黙のあと、コンラッドに気遣うような目を向けていたエイデンとマリアンが、無言のままキャロットケーキを口に含んだ。代わりにずっと食べていたヴィオラがフォークを置いた。
「コンラッド……まさかお前、お化けが怖いのか?」
「五徹しても組んだ術式は計算が合わないのに実際の錬金術は成功しているときくらい怖いです……」
ちょっと何を言っているのかわからなかったアイビーは、エイデンたちに倣ってキャロットケーキを食べることにした。
「そういうものなのか?」と真剣そうな顔で問い返すシルヴェスターは、一応フォークを掴むのを堪えていた。
「ああ、うん、それは私も怖いよ。実は私さ、最近子供向けの二足歩行する兎の人形を量産するために、術式をもっと簡略化できないかと試していたんだけど……」
コンラッドと同じ錬金術師のヴィオラだけが、深く頷いた。
「でも計算は合っているはずなのに動かなくて、そのまま放置して寝たら、夜中に窓辺で月光を浴びながら軽やかに飛び跳ねてダンスしていて、ここ一週間毎晩泣いている」
「怖い!」コンラッドが叫んだ。
「なるほど。精霊術師女子寮で数日前から話題になっている幽霊の正体は、錬金術師女子寮の寮長でしたか……」
一番にキャロットケーキを食べ終えたマリアンが、優雅に紅茶のティーカップを摘みながら頷いた。
「ごめん……で、これがその夜な夜な暴れ散らかす兎の動力なんだけど。コンラッド、今日じゃなくていいから見てくれない? そういう二足歩行の可愛い擬人化動物を造るの、得意だよね? ね?」
ヴィオラは制服のポケットから丸い宝石を取り出して、コンラッドに向けた。
「それはそうだけど夜中に勝手に踊り出すのは苦手なんですよ!」
ついにキャロットケーキを食べ始めていたシルヴェスターが、僅かに手を止めて言った。
「それなら、兎の喜びそうな菓子でも供えてやればいいんじゃないか?」
「ひぇ……」
コンラッドは優しさにトドメを刺された顔で黙り込んだ。その横で、自分の分を完全に食べ終えたマリアンが、再び訳文の紙を手にとって口を開いた。
「途中で話が逸れましたが、もう一つ、問題がありましたね。この学校の怪談の末文。後から違う筆跡で付け加えられていたと考えていいんですよね?」
アイビーも、異様にキャロットケーキに合うやたら美味しい紅茶を飲む手を止めて、自分の訳文を見直した。
最後の一行だけは、酷く乱雑な子供じみた文字で、そしてよく読んでみれば現代語で、こう書かれていた。
「……『調合室の側で喚いている馬鹿がいる』」
紅茶の最後の一口を啜り終えたエイデンが、静かにそれを読み上げた。
シルヴェスターはすっと目を細めて険しい顔になった。
「ああ。どういう告発なのかも含めて調査したい。誰が書いたものかわからないから、全員で行動したいところだが……時間がないな。調合室は、いま使える旧校舎の出入り口から、一番奥まった場所にある。三組に分かれて調査しつつ、調合室を目指す形で構わないか?」
コンラッド以外は頷いた。




