6-1
「なあ、アイビー。放課後さ、生徒会室に来てくれないか?」
「えっ……私、生徒会に呼び出しなの……?」
いつも通りの軽いノリでコンラッドから告げられた言葉に、アイビーは愕然とした。しかしコンラッドは事もなげに頷く。
「そう。魔女の古語を解読してほしくてさ」
魔女の古語。――アイビーは、ぱちりと目を瞬かせた。
「……いいけど、なんでそんなものを? この学校のどこから魔女の古語なんて出てきたの?」
「それが、生徒会で禁書棚を整理していたら見つかったんだ。紙切れ一枚で、他の重たい資料のあいだからピラッと落ちてきた。で、何かなと思って見たけど、俺には全然読めなくて、生徒会の皆にも聞いたけど、誰も読めなかったんだよ。でも、たぶん魔女の古語だと思うからアイビーなら読めるかもって、エイデンが言ったから」
「えっ、エイデン先輩が?」
「おう。あっ、でも、忙しいなら無理とは」
「行く。任せて。全然忙しくない! 忙しくても行く!」
アイビーは思わず身を乗り出して答えた。コンラッドは楽しそうに笑った。
「だよな。じゃあ放課後な!」
実は、アイビーの反対隣にいつも座っている、申し訳ないけれどなんとなく影が薄めな印象のジュリアン・ウェストフォール――筆記試験はコンラッドに次いで二位で実技試験も三位だったらしい実力者で、水色の髪と水色の瞳でそこそこ整った容姿が一見儚げだが、実態はたまにコンラッドと仲良くピーナッツの投げ食いをしている名家の四男な魔術師である――は、生徒会の庶務である。
放課後、生徒会がある日はコンラッドと共に生徒会室に行っている彼と微妙な距離を保ちながら、アイビーは生徒会室に向かった。
ジュリアンは、どうやらアイビーが魔女であることとコンラッドの友人であることに微妙な葛藤があるらしい。怖がりつつ、わざわざ気を遣おうとする気配を漂わせているのだ。しかしアイビーにはアイビーの事情があった。
昨晩「私、明日ジュリアン君に告白しようかな……!」と女子寮の給湯室で盛り上がっていた女子生徒が、先程ジュリアンがピーナッツ投げに失敗して鼻にピーナッツを入れて爆笑していたのを見て、そっと離れて手にしていた手紙を非常に小さく折り畳んでいるのを目撃してしまったのだ。
今はもう、ジュリアンの健全な奇行をしていなければモテる顔を見られなかった。前を意気揚々と歩くコンラッドの背を眺めるしかなかったのだ。
「よく来てくれた。エインセル」
生徒会室に入ると、シルヴェスターが出迎えてくれた。さっそく以前と同じ応接ソファに座るように促されて、アイビーは周囲を見回しながら問いかけた。
「ええと、解読する紙というのは……?」
「これだ。エイデンならもうすぐ来ると思うぞ」
「あっ……はい」アイビーはソファに座り直して、目の前にちゃんと置いてあった紙を見た。ちょうど一枚分、しっかりと文章が書き連ねられている。エイデンの見立て通り、魔女の古語だった。
「読めそうか?」
「……問題なさそうです。どこかに書き写したほうが?」
アイビーは一行目に目を通してから頷いて、そっと胸の上を押さえた。魔術師であるエイデンが、これを魔女の古語だとわかったことに感動していた。アイビーが好きになった人は、優しくて穏やかで強くて学業成績優秀なだけでなく、魔女についても博識なのだ。すごい。
「ああ、ここに頼む」
シルヴェスターから新しい紙を受け取って、筆記具も借りる。生徒会室の備品らしく、両方とも良い物だった。ひとまずアイビーは、文章の内容を熟考するより先に、目の前の言葉を一文ずつ訳していくことにした。
「……本当に読めるんだな」
最初の三行を書き留めると、シルヴェスターは興味深そうに呟いた。
「ええ、まあ……魔女は子供の頃に、これを歌で習うので。言い回しは独特ですが、慣れればわかると思います」
そして魔女はこれを一部の妖精との交流に使うのだ。なにせ、妖精は人間ほど勤勉な者は少ない。というか、妖精は事象を象った存在だから、変化や変質はしにくい。だから、ものすごく古い時代の妖精の中には、今でも古語を使う存在がいて、彼らとの交流に使う――だけではなく、最近の言葉しか知らないひ孫妖精との通訳を頼まれることがある。魔女の古語は、本当は妖精の言葉だったはずなのに。
「なるほど。これは、こちらとは同じ表記に見えるが、違う意味になるのか?」
シルヴェスターは自分が知らない言葉を学びたい勤勉な者らしく、アイビーが訳したばかりの文中をトントンと示した。初歩的だが的確な質問だ。アイビーは、思わず表情を緩めた。
「はい。ここは、この二つ前の単語に掛かっているので――」
そのとき部屋の外からノックの音がして、アイビーはパッと顔を上げた。シルヴェスターが入室を許可すると、ドアが開いて、エイデンの顔が見えた。アイビーはペンを置いた。
「すまない、遅くなった……シルヴェスター? アイビーと何を? コンラッドは?」
エイデンは、アイビーの隣にいる生徒会長を見て、不思議そうな顔をした。
「遅刻ではないから構わない。コンラッドなら会議室のほうにいるが……ああ、俺は古語の翻訳が興味深くて見ていただけだ」
「そうか。……すまない。紅茶を淹れてほしい。このキャロットケーキに合う物を。シルヴェスターが淹れるお茶が一番美味しいから、その、頼む」
そう言って、エイデンは手に持っていた箱を掲げた。そのオレンジ色の人参とマーガレットの花に彩られたポップなパッケージは、購買で売っているキャロットケーキである。しかもコンラッドくらいしか友人がいないアイビーは一生食べることはないと思っていた、ホールタイプだ。
「なるほど、わかった。ではアイビーを手伝ってやってくれ」
シルヴェスターは頷いて、部屋の奥に向かっていった。
「こっ、こんにちは! エイデン先輩!」
アイビーはいつものごとくふわふわと舞い上がりそうになるのを抑えて挨拶した。
「こんにちは」と、笑ってくれたエイデンは、さっきまでは急いで来たせいか少し焦っているようにも見えたが、もう落ち着いたらしい。
アイビーの手元をちらりと見て微笑んだ。
「翻訳は順調そうだね。良かった。キャロットケーキを買ってきたから、後で食べよう」
「はい!」
アイビーは緩む頬を抑えられないまま頷いた。キャロットケーキは、実はアイビーの大好物だ。といっても森暮らしでも作れるお菓子として、追加で木の実やカボチャや甘い芋を入れてみたり、母親がたっぷり野菜を混ぜ込んで子供に食べさせるような物だったから、購買に売っている術師好みの物とはたぶん味は違うだろうけれど。でも、エイデンが買ってきてくれた物なら、絶対に美味しい。
「あれ、そのキャロットケーキ、予約制のやつだよね? 一番豪華で美味しいの」
「あ、本当だ。エイデン、来るのが遅いと思ったら、まさか生徒会特権を使って強請ってきた? やるじゃん」
シルヴェスターと入れ替わるように、女子生徒が二人、奥の会議室らしい部屋から出てきた。
一人は茶色の清楚な纏め髪に丸い赤茶色の瞳が万人に好ましいであろう、温厚で可愛らしく模範的な女性精霊術師といった印象の少女で、もう一人は背が高く鮮やかな紫の瞳と肩口でレイヤーを入れて整えられた黒髪が大人っぽい印象の、女子生徒に美人の先輩は誰かと問えば最初に名前が上がりそうな錬金術師だった。黒髪の女子生徒のほうは、錬金術師の優等生が付ける胸元の黄色いリボンに、緑の宝石ピンも付いている。寮長になるのは三年生だけだから、彼女は錬金術師の女子寮の寮長と生徒会役員を兼任する三年生。つまり生徒会は一学年に二人ずつ選ばれているから、消去法で茶色の髪の女子生徒は二年生のはずだ。
エイデンは黒髪の美人の先輩のほうを見て、困ったように眉を寄せた。
「これは強請ったわけじゃ……当日在庫があることを確認して、特別に取り寄せてもらっただけです。それに、先日勝手に持ち出した菓子の補填分も兼ねてますよ」
「そうなの? じゃあ私が預かろうか? 切ってくるよ。八等分でいいの?」
茶色の髪の女子生徒が、ケーキの箱を示して小首を傾げる。エイデンは頷いてケーキの箱を渡した。
「いいのか? ありがとう。今日はアッシュフォード先生も後でいらっしゃるはずだから、八等分でちょうどいいかな」
「そうだね。でも補填とかは気にしないでね。お菓子は生徒会の予算からだし、お茶はシルヴェスター先輩のだし」
アイビーは黙って生徒会の二年生同士の日常会話らしきものを聞きながら、困惑した。アッシュフォード先生が生徒会の顧問だということはなんとなく知っていたが、この生徒会は、まさか生徒会の予算と生徒会長の私費の茶葉で、日常的にお茶会をしているのだろうか。
「ああ、そういえば、この子がネリリン・ファルメールと決闘した子なんだっけ。じゃあ、私もお礼を言っておかないと」
黒髪の女子生徒が面白そうに微笑んでアイビーに目を向けた。
「アイビー・エインセルであってるよね? ありがとう。おかげで最近はスレイドがおとなしくて助かってるよ」
「ええと、初めまして……すみません、スレイドってどなたでしたっけ?」
アイビーは曖昧に微笑みながら頷いた。
「あれ、スレイドのことがわからない? 被害がないなら何よりだよ。たまにロマンスやネリリンと一緒にいた錬金術師、見たことない? 入学式翌日から同級生をコンラッドにけしかけた馬鹿」
そう言われて思い出す。ロマンスやネリリンと一緒に、グスタフと呼ばれていた人がいた気がする。コンラッドが最初の決闘をしていたときに、アイビーにも絡んできた人だ。なるほど、グスタフ・スレイドというらしい。
「わかりました。あの人ですか……あの、なんというか、拘りが強そうな」
「そうそう。あいつ、庶民の成り上がり女もコンラッドみたいな名家の天才少年も嫌いなんだよね。自分以外の誰なら好きなんだよっていう。って、ごめん。初対面で愚痴はダサかったか。私は生徒会書記のヴィオラ・ブラックモア。見たらわかるだろうけど、錬金術師だよ。よろしくね」
そう言って、ヴィオラは苦笑した。かっこいい先輩、という第一印象に反して、意外と話しやすい人らしい。
その隣から、ケーキの箱を持っていた茶色の髪の女子生徒が口を挟む。
「私もそろそろ自己紹介しても構いませんか? マリアン・アシュレイです。精霊術師の二年生で、庶務を担当しています。私も最近の事件の解決について、あなたにお礼を申しあげたいと思っていたところでした。今日のことも含めて、本当にありがとうございます」
マリアンは朗らかな笑顔と柔らかな声を礼儀正しくアイビーに向けて、そのまま奥の会議室から出てきた水色の髪の少年に目を向けた。
「ジュリアン君のことは、もう知ってるよね? たしかアイビーさんと隣の席だって聞いたけど」
突然先輩に水を向けられたジュリアンは、露骨に気まずそうな表情になった。
「あ……ええと、ジュリアン・ウェストフォールって名前で、魔術師だよ。念のため」
名乗られてしまった。最初の彼の自己紹介のときにコンラッドと私語で盛り上がっていた記憶があるアイビーとて、それくらいは知っていた。なんだか申し訳ない。
「あ、アイビー・エインセルです。ええと……」
魔女だからこの場に呼ばれたとわかっているのに、さすがに術師の優等生だと一目でわかる生徒会の先輩たちに面と向かって魔女と名乗るのは、ちょっとだけ勇気が必要だった。ヴィオラもマリアンも、成績優秀者を表すリボンと生徒会の学生章だけでなく、学外活動での実績を表す華やかな色柄のベストも着用している。そんな人たちが、なまじ友好的だからこそ、自分から身分をはっきりさせたくなかったような気がした。
言い淀んでいると、ふいに手の甲を横から軽く突かれた。エイデンだった。
「アイビー、これはどう読むの?」
「えっ? ええと……『旧校舎の三階の東から三番目の窓』です」
「ああ……そういうことか。じゃあ、ここは?」
エイデンはゆっくりと頷いて、次の場所を示した。アイビーが慌てて椅子に座り直した。
「『食堂で踊りだす影』……ですね」
「うん。この翻訳を頼んだ以上、生徒会のメンバーは、君が魔女だということに否定的な振る舞いはしないし、させないよ」
「あ……ありがとうございます!」
いつも通りの落ち着いた声で告げられて、アイビーはほっとして、エイデンに差し出された紙を受け取った。
「そこのペンを貸してくれる? 君が読み上げてくれたら、僕が書いていくよ」
「はい!」と、アイビーはそわそわしながらペンをエイデンに渡した。
先輩たちは、くすくすと楽しそうに笑って給湯室に向かっていった。




