5-3
薬草学の授業は、式典のためのグレートホールと演練場の間にある、医務棟に付属した庭園の温室で行われる。
植物に触れられる時点で、アイビーの一番好きな授業であり、得意な授業でもあった。
担当のハロルド・ラスボーン先生が、元々は魔女の薬草学の知識を精霊術師側の立場から代々受け継いでいるという、なんとも言い難い立ち位置の人だとしてもだ。
だって、医務室に届けられた美味しい薬膳スープが、ラスボーン先生の特製だったと聞いたので。
とはいえ、コンラッドが隣でずっとお腹を空かせている音を聞いていれば、アイビーとて二限目の後の昼食の時間も楽しみになってくるもので、授業が終わると皆一様に温室を後にした。この昼食へ向かう時間ばかりは、もはや魔女が集団に挟まっていてもさほど大きく避けられないくらいには、皆お腹が空いていた。
「コンラッドって調合は得意なのに、なんで薬草学は苦手みたいな顔をしているの?」
「あー、植物の世話はあんまり……」
「めんどくさい?」
「まあ、うん。虫も嫌いだし。多関節の構造と合理的な生態しか褒めるところがない」
「植物を褒めてよ」
だいぶくだらない会話をしながら、食堂を目がけて敷地を突っ切るために外に出る。
「あ、君……」
途端にコンラッドが、なぜか学校の敷地にいた、外部の者らしい高そうなスーツの大人二人に声を掛けられた。
しかし彼らは隣にいたアイビーの白ローブに気づいたらしく、渋い顔で黙り込んだ。
「……失礼します?」
不審者はそっちでは? と思いつつ、とりあえずそう言って歩を進めると、大人たちは後方にいたユージーンとハーバートに声をかけ始めた。
「君たち、理事会室はどこかな——」
苦笑したコンラッドが小声で言った。
「あれ、新しい理事会の人たちかな。ファルメール派の人が消されたから」
「今まで二席もあったんだ?」
思わず突っ込んで聞くと、コンラッドは「まあな」と頷いた。
「白日協会、だったかな。ファルメール派って雑に呼ばれてるけど、いろんな活動してたみたいだからさ」
「……宗教団体?」
「いや、政治協力のほう。だけど、一応表向きは孤児院とか救貧院の運営とか、いろいろ良いこともしてたらしい。魔術師の団体だし、活動拠点も魔術師の多い商業都市のカーミアだから、俺もよく知らないんだけどな」
「そうなんだ」
「あ、でも、裏は本当にヤバかったらしい。なんか、魔導具に強力な妖精を封じて力を使う研究をしていたとか……」
「最悪じゃない……?」
ドン引きしつつそんな話をしていると、前方から担任のアッシュフォード先生の姿が見えた。
「エインセル」
特に何事もなく通り過ぎていくかと思ったが、急に声をかけられた。
「話がある。放課後、私の部屋まで来なさい」
「はい。……わかりました」
「……別に説教ではない。ただ、確認があるだけだ。茶を飲みに来るつもりでくればいい」
アイビーが眉を寄せたことに気づいたのか、アッシュフォード先生は肩をすくめた。敵意はないと言いたげな、教師らしいアピールだった。
「はい。では放課後に伺います」
仕方なく頷く。周りに同級生はまだいたが、食堂への道のりと友人とのお喋りに夢中の彼らは、さほどこちらに関心が向いているようには見えなかった。クラス内で悪目立ちする呼び出し方をされなくて、助かったと思うべきだろうか。変なヒエラルキーの種にされると、魔女は簡単に詰むので。
『あの先生、悪い人じゃないにしても、良い人っぽさも感じないのよね』
頭の中で、それでもニヴァリスが嘯いた。
去っていくアッシュフォード先生の背中を眺めながら、アイビーは少しだけ唇を尖らせた。
「大丈夫か? 必要ならついて行くけど」
「え?」
隣から、さも当然のようにコンラッドがそう言ってきた。
「……ありがとう。でも、心当たりはあるから平気」
「なんかあったのか?」
「まあ、多少はね」
実のところ、アッシュフォード先生に対しては、以前からほんの少し、違和感を覚えていた。だからアイビーは、わかりやすく苦笑した。
「精霊術師の女子寮を間借りしてる立場だし?」
こう言えば、コンラッドは深入りしてこないと思ったのだ。
「そっか……」
しかし素直に頷いたコンラッドは、紫陽花のような双眸をまだアイビーに向け続けた。
「……数日くらいなら、アステルを貸せるぞ?」
「えっ?」
アイビーは目を瞬かせてコンラッドの顔を確認した。たぶん、純粋なる善意だった。
「いやいやいや、いいよ、そんなの!」両手を振って首も横に振る。「というか駄目だよ、それは! その間、コンラッドはどうやって身を守っ――」
そう言いかけて、気づく。
……コンラッドは、別に身を守る必要などないのだった。アステルが付き添っていなくても、仮に決闘を挑まれても、優秀な錬金術師の生徒として尊重はされる。
気まずくなって目を逸らす。するとコンラッドが肩をすくめる気配がした。
「俺も、そろそろアステルに起こされずに起きられるようにならなきゃな……」
「起こしてもらってたんだ……」
もう一度コンラッドの顔に視線を戻して、アイビーは呆れ混じりに苦笑した。
アイビーの中にいるニヴァリスは、アイビーが寝ているあいだは同様に眠っているので、そんなことはしてくれない。雪と雪解けの花の妖精のくせに。ちょっと羨ましい。
「エイデンも、たまにエリオスに起こしてもらってるみたいだぞ」
「えっ、そうなの? 意外……」
「普通に朝食のときはしょっちゅう寝癖ついてるだろ。夜型なんだってよ。本の読みすぎで」
「そうなんだ……読書家かぁ」
素敵、と頬を緩ませると、コンラッドは露骨に眉を顰めた。
「なあ、エイデンのこと、ちょっと神格化しすぎじゃないか?」
「うーん、神よりも上かも……?」
そもそも魔女に神様はいないし、術師たちにも神は必要ない。なのでこの国に神という存在は、けっこう昔に非魔法使いと一緒に追い出されていて、もう概念しか残っていない。
「ええ……」コンラッドは短く呻いた。いったんアイビーから目を逸らしてから、再びアイビーに目を戻す。
「なあ、アイビーの妖精ってどんなのなんだ? 見たことないんだけど、いるんだよな?」
「いるけど、恥ずかしがりやなの」
『嘘つき』
すぐさま脳内でニヴァリスが笑った。
けれどアイビーは微笑んでおいた。私の妖精は姿が見えないのではなく私と同化している、なんて、無関係のコンラッドに伝える必要はない。
「……それよりも。聞いてもいいよね? エイデン先輩の子供の頃って、どんな感じだったの? 初等学校とか、一緒だったんだよね?」
実は劇のあとから、少し気になりすぎていたのだ。
しかしコンラッドは曖昧な言葉選びで、眉にも皺を寄せた。
「あー、実は俺、そのあたりからのエイデンのこと、あんまりよく知らないんだよな」
「え、知らないの? 幼馴染みなんだよね?」
「おう。……でも、俺さ、本当に昔はよく遊んでもらってたんだけどさ。俺がやらかして、エイデンの家を出禁になったんだよな……」
「出禁? え、何をしたの?」
コンラッドが頬を掻く。
「……悪いことはしてないはずだったんだけどなー。悪い奴が悪いことを企んでる現場を見ちゃったんだよ。それで、いろいろあったんだ。……あ、食堂混んでるなー。これけっこう待つぞ」
辿り着いた食堂は、入り口から人が溢れていた。
高学年から先に昼食に入れるように授業時間はずらされているのだが、この日はどうやら三年生も二年生も演練場や特殊な研究室を使う生徒が多いらしく、全体的に食堂への到着が遅れがちのようだった。
『――珍しい。踏み込まないでくれって言ったわね?』
ニヴァリスが頭の中で呟いたので、同意だったアイビーは、頷いて声色を軽くした。
「そうだね。デザート残ってるといいね……」




