5-2
シルヴェスターの話は、とても面白かった。
精霊術師を認めるのはまだ癪だが、もともと声が良いだけでなく、言葉の適切な伝え方も無意識に計算しているようなのだ。
そもそも、自分が生徒会長でアイビーは学校の生徒だからと、そんな理由で魔女を公平に扱うだけで、彼は相当気遣いが上手いのだ。
公演が決定する前に完売するらしい、謎の常連特等席を押さえているシルヴェスターと別れて、一般的な最良区画に座り、アイビーはドキドキしながら周囲を見回しては無心になった。この場にいるほとんど全員が、エミリー並みに身なりに気を使う人たちのようなのだ。
それなのに、エイデンが格好良くて目立つせいで、うっかりアイビーまで誰かの視界に入りかけている気がした。
エミリーになんとかしてもらっておいて、本当によかった。無理に背伸びしているようには見えるかもしれないが、あまりにも見窄らしいことはないはずだ。
「……アイビー、緊張してるの?」
さすがに落ち着いているエイデンが、不思議そうに尋ねてくる。
「観るだけだから、大丈夫だよ? 僕たちがすることって、公演が終わったら拍手をするくらいのはずだし」
「そ、そうですよね……!」
アイビーはそう言われてハッとした。そう、主役は俳優たちである。あのシルヴェスターですら観客席に座っているのだ。エイデンを見るついでに「誰なのあの子」みたいな顔をしている近くのご婦人とかだって、どうせ劇が始まればアイビーのことなんて気にならなくなるだろう。
やっぱりエイデンは頼りになる。安心するのにドキドキする。かっこいい。
アイビーは閃いた。もしかして、ずっとエイデンを見ていれば、周りなんて気にならなくなるのではなかろうか。
名案を実行し続けて、何やらエイデンが会場の暑さを気にし始めた頃、ようやく舞台の幕が上がった。
まず現れたのは雄々しい黒衣の魔術騎士アシェル・ウルフガル。そして彼と恋仲である美しく慎ましいブルーベルの妖精ブレーウェン。
二人の仲睦まじく未来を誓い合う歌が、明るい世界に響く。
そして暗転して、かつては存在した非魔法族の王女ミラ――オフィーリア・ローズが現れる。
金色の豊かな髪と豊かな胸元を華やかなドレスで魅せつける妖艶な姿が、スポットライトを一身に受けて浮き上がる。
それを見て、アイビーはふと違和感を覚えた。
「あれ……? あの人、すごく妖精の気配がする……?」
なんとも言えない感覚なのだが、なんだかオフィーリアの周囲に、もったりと視えない霧のような何かが纏わりついているような気がするのだ。あんなに露出しているのに。
「……エイデン先輩も、そう思いませんか?」
つい小声で話しかけると、エイデンはハッとしたように目を瞬かせた。
「……え? あ、ごめん、聞いていなかった。何?」
「ええと、あのオーデン先輩が推している方、妖精の気配が、かなり濃いですよね?」
アイビーは、もう一度囁いた。エイデンが舞台に視線を戻して、小さく頷く。
「……ああ、本当だ。魔術師なのかな。舞台の仕掛けで妖精を使うとか?」
そう話しているあいだに、王女ミラは、自分はアシェルとの婚約を望んでいるのだと王に告げる。
その迫力に、アイビーはそっと感嘆した。オフィーリア・ローズは黙っていても人を惹きつける容姿だったが、声を発すると本当にすごかった。意識がすべてそちらに持っていかれそうになる。
「……オーデン先輩より人を惹きつける声しているかも」
もっとも、シルヴェスター・オーデンが人を操れるほど強いのは、声だけではなく、精霊術師としての才能がすべて揃っているからだが。
王宮のテラスから月を睨み、オフィーリア・ローズが歌い出す。その瞬間、客席は完全に沈黙した。繊細なチェロの音に合わせて、王女ミラは侍女たちに傅かれながら、騎士アシェルへの傲慢で情熱的な恋を歌い上げる。
エイデンが、息を呑む気配があった。それが感動や感激とは少し異なる驚きを含んでいた気がして、アイビーは首を傾げた。
「……エイデン先輩?」
「……なんでもない」
エイデンは小さく呟く。舞台が再び暗転して、アシェルは騎士として王女ミラの望みを叶えるために、ブレーウェンに別れを切り出した。涙ながらにアシェルを引き止めようとするブレーウェンを振り払う忠義の騎士アシェルの背中が描かれる。
しかし反省したブレーウェンは、アシェルに最後の別れを告げるために、王宮の舞踏会に入り込むことを決意する。
舞台は再び切り替わり、婚約発表を行う王女ミラとアシェルの姿と、それを目撃したブレーウェンが描かれた。王女ミラの勝利に酔う歌が、ブレーウェンの悲しみの歌をかき消すように響く。そしてブレーウェンは、アシェルから隠れて王宮を去るときに、自分のショールを落としてしまう。
アシェルが拾ったそのショールを、王女ミラは自分の物だと言って受け取る。
そこで休憩が入り、アイビーは思わず呟いた。「アシェルって、ブレーウェンのショールがどんな物だったか、覚えてなかったんだ……?」
そんなアイビーを、エイデンがじっと見つめる。
「そういえば、アイビーはいつもその白いリボンを髪に付けているよね? すごく似合っているけれど、どこで買ったの?」
「あっ、ありがとうございます……! これは、七年前にお父さんが街で買ってきてくれたんです。森では、塩やバターは手に入らなかったので……チーズとかは、昔はヤギを飼っている人が少し離れた場所にいたので、手に入ったんですけどね。だから、こっそり近くの村で分けてもらっていて、そのときに、刺繍糸やチョコレートなんかと一緒に、お土産で……だから、なかなか買い替えられなくて」
「……そっか」
エイデンは、複雑そうに頷いた。
それから二人で少しだけ席を立って、お互いに身嗜みを整えて戻り、再開された内容はこうだ。
病に倒れた王女ミラが、ブレーウェンに呪われたと言い出して、アシェルはブレーウェンの討伐に向かう。ブルーベルの森はアシェルを拒むが、アシェルは勇猛果敢に森の妖精たちを斬り伏せる。そして再会したブレーウェンは、弱々しく枯れ果てていた。王女ミラに妖精のショールを盗まれたからだ。こんな姿は見られたくなかったと泣き出すブレーウェンに、アシェルは後悔してブレーウェンに真実の愛を誓う。
そして王女ミラが差し向けた非魔法族の軍勢相手に精霊を使役して勝利を収め、消滅しかけていたブレーウェンと契約して存在を救い、賢者の石を作り出して永遠に生きているのだという――。
「どうだった? 楽しめたか?」
ロビーで再会したシルヴェスターは、かなり満ち足りた表情で微笑んでいた。
なのでアイビーは、素直に答えた。
「素晴らしかったです。オフィーリア様が」
内容はともかく。歌詞はともかく。登場人物の造形もともかく。森の魔女として、なんだか王女ミラ以上にアシェルに腹が立つのはともかく。オフィーリアは素晴らしかった。
今後死ぬ予定じゃなかったら、ブロマイドは買っていた。本当に良いものを観た。
シルヴェスターは大きく頷いた。
「そうだろう! ――オフィーリアの歌はどれも素晴らしいが、王女ミラの場合はとくに迫力のある声量と微かに切ない余韻を含ませる響きが絶妙で――」
ところで、あの大輪のように華やかな美人に、シルヴェスターはいったいどんな心境で可愛らしい花束を贈っているのだろう。わざわざ役作りをして派手に振る舞っていたように見えたが、実は可愛い物が好きだと公表していて、ファンにとっては常識だったりするのだろうか?
アイビーがシルヴェスターの熱い語りを半分聞き流してそんなことを考えていると、やがて一区切りついたらしいシルヴェスターが、エイデンを見て首を傾げた。
「エイデンはどうした? ……あまり気に入らなかったか?」
「いや……オフィーリア・ローズは、何歳なんだろうと思って」
「二十歳だ」答えるのが早い。
「……そうなのか……」
エイデンは、なんだか難しい顔で俯く。
アイビーは、少しだけ心配になってエイデンに問いかけた。
「……もしかして、オフィーリアさんが推しになりましたか?」
「え? いや、ううん……素晴らしいとは思ったけれど……シルヴェスターの熱量にはかなわないよ」
かなわれたら困るのだ。よかった。
気を回した顔のシルヴェスターとは劇場で別れて、学校への帰路につく。
事前に公演のチケットと外出申請書を提出した上で、一時間だけ融通された寮の門限にも近い時間。高架列車の中はほとんど無人と言えるくらいに空いていて、窓からは夜空と星が、反射した車内と同化しながら見えていた。
「……昔……妹、みたいな存在がいたんだ」
ふいにエイデンが、窓の外を眺めながら呟いた。
「え」と思わず声を上げたアイビーは、それが抗議の色を含んでいなかったかを心配しながら、おとなしくエイデンの言葉に耳を傾けた。
「彼女は、あまり外に出られなくて。でも、いろいろな本を読んでは、華やかな街の舞台に憧れていたんだ。今日の……オフィーリアは、その子に全然似てないはずなんだけど……舞台を観たら、なんだか少しだけ、思い出してしまって」
「……そうだったんですね」
アイビーは、目を伏せた。「いたんだ」「思い出してしまって」――どう聞いても、今はいない少女の話だった。
「せめて、終わらない夢の中で、あんなふうに華やかな舞台をたくさん観て、楽しんでいるといいと思ったんだ。読書家だったから、結局書庫のほうに籠もっているのかもしれないけれど」
カタン、カタンと、列車が小さく揺れる。その少女は、この先もずっとエイデンに覚えていてもらえるのだろう。でも、エイデンがいなくなったら、少女は思い出してくれる人を一人失うのだ。
「君のおかげで、初めて観劇に行ったけれど……もっと早くに行くべきだったのかもしれない。あの子が憧れていたものを、僕だけでも体験しておくべきだった」
高架列車が、減速して明るい駅の中へと入っていく。
「だから、今日は本当にありがとう。君がいて良かったと、心から思うよ」
アイビーは、躊躇ってから頷いた。
「エイデン先輩がいなければ、私も観劇なんてできなかったと思います。ありがとうございました」
列車を降りて、駅のホームを歩きながら、エイデンは思い出したように付け加えた。
「……あ。コンラッドは、彼女のことを知らないと思うよ」
そう言いながら、自分の赤い髪の毛先に触れている。
「そうなんですか?」
アイビーは首を傾げた。コンラッドとエイデンは、幼馴染みだと言っていたのに。
「あの子は……その、体がとても弱くて。よく熱を出していたから」
「……そうだったんですね」
アイビーは、彼女の正体がなんとなくわかった気がした。たぶん庶子だったのだ。一部の魔術師は、そういうことをする。




