4-5
『——こんばんは。今、いいかな? 今日のことを少し聞きたくて』
その夜。アイビーは寮の自室で、エイデンからの連絡を受け取った。
「はい。大丈夫です!」
アイビーはそう言いながら、狭い部屋を見回して、自分が落ち着けそうな場所を探した。
『あの後も、問題はなかった? ブルーベルが、エミリー・ミラーと上手くいきそうだったか、気になってしまって』
「はい。ええと、たぶん……」
ベッドの上に乗って、枕を膝の上に載せながら、アイビーは学生章に向かって頷いた。
「あの後は、エミリーが、知らない強引な男子生徒に誘われて、自分を頼ってもらえなかったと思ったブルーベルが泣いたりもしたんですけれど……ちゃんと話し合うとエミリーが言っていたので、大丈夫なはずです」
『そう……ブルーベル本人が、また頼られることで自己証明をしようとしていたなら、危ういかもしれないけれど……ミラーさんが寄りかかるつもりじゃないなら、上手くいきそうだね。頼られて自信を持つこと自体は、別に悪いことでもないし』
少しずつ考えるように、エイデンがそう言う。
「はい。きっと」
アイビーは明るく聞こえるような返事をした。自分が勝手にエミリーとブルーベルを信じたいと思っている以上、今はそれを望むしかない。
『……君は大丈夫だった?』
ややあってそんな問いかけが聞こえた。アイビーは一瞬考えてから、自分の身も案じてもらえたのだと気づいた。
「あ、えっと、私とブルーベルは、後から合流したんです。お買い物をしたあと、エミリーだけ先行してカフェの席を見に行ってくれて、それで……」
『なるほど』
「偶然、コンラッドが近くにいたみたいで、割り込んでくれて……」
『コンラッドが? 怪我とかしてなかった?』
「ええと、相手のお仲間に、パターソン先輩がいて、一応止めてくださったというか……口は悪かったんですけれど」
そこで流れるように怪我の心配が出てくるとは。さすが術師、治安がよろしくない。苦笑したアイビーに、エイデンの悩む声が聞こえてきた。
『僕ももう少しいれば良かった……? いや、邪魔になるか……ううん』
術師の治安が駄目でも、エイデンは優しい。コンラッドも。
脳内で訂正したアイビーは、「そういえば」と首を傾げた。
「パターソン先輩って、謹慎中だったような……?」
『今日の午前中までだったはずだよ』
「えっ、謹慎明けた直後に街にいたんですか?」
『明けたからね……』
それはそうだ。そうだけど、早い。まあどうでもいいけれど。
「あ、あの、それで……私も、お聞きしてもいいですか?」
『うん。なにかな』
こちらのほうが、ロマンス・パターソンよりもずっと重要案件である。アイビーは膝の上の枕を握り締めながら、小さくなりそうな声を絞り出した。
「……か、観劇に、ご興味はありませんか……?」
——ううん違うのこれは暗殺の隙を窺うためのものであって間違ってもデートのためではなく。
脳内で並行して品のない言い訳を並び立てたのに、エイデンは声を少し明るくした。
『観劇? そういえば劇団が来ているって聞いたかも。観たいものがあるの?』
「はいっ! エミリーのお薦めでっ、『グラス・ナイツ』っていう舞台が、面白いと聞いて……!」
『……いいね。面白そう』
その言葉に、アイビーはベッドの上で飛び跳ねそうになった。膝の上の枕を握り直しておく。
しかしエイデンは、続けてとんでもないことを言った。
『それって確か、『灰の娘』を原作にして、舞台芸術用に内容をアレンジした作品だよね』
アイビーは、困惑して枕から握力を抜いた。
「へ? ……あ、あれが原作なんですか? グラス・ナイツ……え、あの? あの『灰の娘』を?」
『すごい話だよね』
エイデンですら苦笑くらいの内容である。
でも、もしかするとアイビーの記憶が間違っていたのかもしれない。
頭の中で、ニヴァリスがあらすじをさらってくれる。
『——昔むかし、あるところに心優しい娘がいました。
しかし心優しい娘を育てた心優しい母が死ぬと、父は再婚して外見が美しい継母と二人の外見が美しい義姉たちがやってきました。
娘は継母にまともな衣食住を取り上げられ、父は継母に気に入られたいがために娘を無視しました。二人の義姉たちは、そんな憐れな娘を見て手を叩いて嘲りました。
ある日、国の王子のお妃様を決めるべく、ダンスパーティーが開催されることになりました。出場資格は十六歳以上の独身の礼儀作法を心得た美少女。日程は一年後。心優しい娘はもうすぐ十七歳になるので問題ありませんでした。
娘はこうしてはいられないと、出場する国中の美少女たちのドレスを作る針子として働きに出ました。家事なんて王子と結婚できればいりません。実家は多大に荒れましたが、まあ気にしなければ気になりません。
娘は賃金で、仕事先の従業員割引で一番パーソナルカラーに合った上等な生地を買い、一番映えるデザインパターンを自分用にアレンジして、残業後に業務用ミシンを借りて自主練と称して、教わった技術で自分のドレスを縫いました。それと健康的に魅せるために化粧品も一式買い揃えました。
しかしある日、娘が暮らす社員寮に継母が凸してきました。
「あなたのせいで屋敷中の暖炉が灰まみれよ! あなたが家事をしないから!」
継母はそう言って、持ってきた暖炉の灰を社員寮にばら撒きました。
娘はさすがにドン引きして、泣きながら灰を集めると、その灰を利用した魔法で、美しいガラスの靴と小物に飾るクリスタルガラスを生成しました。
そして当日、娘がお城に来たときには既に、王子は美人な義姉たちと仲良くなり、あろうことか奥の私室に連れ込んでおりました。
「どうせなら妹さんもまとめてどう?」
そう誘われて奥に通された娘は、ブチギレてガラスの靴を床に叩きつけました。
パリンと割れたガラスの靴の破片が飛び散り、王子の腕に切傷ができます。
二人の義姉は、良いところを見せるために、張り切って魔法を使うことにしました。
上の義姉は火の魔法で傷口を焼こうとしました。
下の義姉は水の魔法で傷口を洗おうとしました。
ガラスの靴による失血で弱っていた王子は、相反する属性の魔法を、同時に傷口へ受けてしまいました。そして反発した魔力のエネルギーが体内でぶつかり、発生した急激な蒸気膨張に苦しんで、心臓が止まってしまいました。
慌てた義姉たちが王子に触れると、まだ魔力暴走を抱えていた王子の亡骸から、膨大な魔力が義姉たちに流れ込みました。
それで義姉たちも苦しんで死にました。
娘はとりあえず犯行の凶器となってしまったガラスの靴を、部屋にあった甲冑の中に入れました。
すると甲冑の中から妖精が出てきて言いました。
「王子の死因は君の魔力による攻撃ではなかったね」
その証言をもとに無罪を勝ち取った娘は、王子に虐げられていた弟の第二王子と結婚し、国を手中に入れました。
めでたし、めでたし。』
「……殺人罪は免れたもののガラスの靴による王子への傷害罪で起訴されているときに、ちゃっかり不遇な弟王子と仲良くなっていた、あの『灰の娘』ですか……?」
『そう、その独特な展開の民話だよ』
「……それが、劇に?」
『確か、かなり大胆に改稿されているはずだよ。ええと、まず甲冑の妖精は、序盤に主人公と街で出会って一目惚れした騎士である弟王子の意向で、主人公にドレスを届ける役になっていたかな』
アイビーは、困惑に困惑を重ねた。
「あの、主人公はお針子になって自分でドレスを作るのでは……?」
『ええと、一説によると、時代が変わってドレスの意匠が複雑になり過ぎて、見習いのお針子一人では流行のドレスは完成しないから変更になったとか』
「あああ……」
それはそう。そうだけど。綺麗なドレスへの憧れのために、バイタリティ溢れる自立への憧れが犠牲になっているような。
「じゃあ主人公って何をするんですか?」
『……弟王子が身分を明かす前のダンスシーンが、大幅に増えたと聞いているよ』
「……舞台ですからね……」
『うん。ちなみに最近は、主人公の主体性を削りすぎていると問題になってきて、継母と口論して勝ってからパーティーに行ったり、継母のいじめを上手く切り抜けたりする展開が主流だとか』
「……なるほど……」
アイビーは感想に困って、狭い部屋の中の一番遠い壁を見つめた。ただ一つ言えるのは、そんなことまで詳しいなんて、さすがエイデン先輩。
『でも、それはそれとして、舞台としては面白いらしいよ』
「そうなんですね」
『だから、僕は興味があるよ』
その瞬間、アイビーは座ったままベッドの上で飛び跳ねた。
慌てて膝の上の枕を掴み直す。
「……あっ! あのっ、じゃあっ……み、観に行きませんかっ?」
『うん。行きたい』
間髪入れず聞こえた返答を、アイビーは一瞬だけ認識できなかった。
「え、あ……ありがとうございます!」
『こちらこそ。じゃあ、僕がチケットを用意しておくよ』
さらりとそう言われて、アイビーはつい学生章に向かって首を振った。
「それは私が。お誘いしたのは私なので」
けれどエイデンは、少しばかり言い淀むように声の調子を落とした。
『ええと……ごめん。気を悪くしないでほしいんだけど、たぶん観劇のチケットは、記名式なんだ……』
「え、名前を書くんですか?」
『そう。だから、もしかすると、君の名前だと、君の負担になるかもしれない』
……知らなかった。アイビーがパルマケイア魔導高等学校に在学中の魔女であることは、少し調べればすぐにわかるだろう。
その魔女が魔術師を誘って観劇デートに来ました。うん、怪しい。書きたくない。
「あ、でも、じゃあ同行者も記名が必要なのでは」
『いや、同行者の記名は必要ないはずだよ』
「そうなんですか?」
首を捻ると、エイデンはまた声の調子を落とした。
『……うん。……例えば、妻でも娘でもない異性を連れてくる、良くない大物とかも、世の中にはいるから……』
「ああ……」
それは書けない。何らかの証拠になってしまう。
『じゃあ、来週はどうかな? 早い?』
「大丈夫です!」
エイデンの話が早いだけで。大歓迎である。
『そっか。良かった。じゃあ、細かいことは今度連絡するよ』
「はい。よろしくお願いします!」
『うん』
アイビーは一人しかいない自室で、全力で頷いた。
「…………」
そして、なんとも言えない間が空いた。
どうやって切ろう。切りたくない。
アイビーは少し考えて、話題を思いついた。原作に、一ヶ所だけわからないところがあるのだ。恥を忍んで聞いてみよう。
「あの、ところでエイデン先輩。思い出したんですけれど、原作の『灰の娘』の兄王子が義姉たちと仲良く……お喋りしてる? シーンなんですけど。妹もまとめてどう? って台詞はどういう意味ですか? 妹の性格だと、あんまり盛り上がらないですよね?」
『えっ』
エイデンの声が、聞いたことのないトーンになった。
『ええと、うん。それは……僕もわからない、かな。その、おやすみ』
「あ、おやすみなさい……」
通話は、切れてしまった。
もしかして、聞いてはいけないことだっただろうか。
『……やらかしたんじゃない?』
今まで黙っていたニヴァリスが、真面目な声を入れてきた。
「……大丈夫だと思う……たぶん」
少なくとも嫌いになられた雰囲気ではなかった、と思う。空気を読まない子だと思われたかもしれないし、無知を晒したかもしれないけれど。
『それで——暗殺はどうするの?』
ニヴァリスの指摘に、アイビーは後ろ向きにベッドへ倒れ込んだ。
「観劇は、満喫する。……隙は、観察だけする。学期末までは、学校にいるもん……」
以上。目を閉じたアイビーに、ニヴァリスは冷たく囁いた。
『——虫歯になるわよ。起きたら?』




