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ネリリンが転学ではなく退学処分となったことが、学内中で噂になって、すぐに消えた、その週末。
「……え? 私と?」
生徒会経由で予約された街の高級そうなティーサロンの個室の中で、突然呼び出すことになってしまったエミリーは、ぽかんとした顔で、アイビーとその隣に座るブルーベルを見比べた。
「うん。他の人間と生きてみて、いろいろ考えたいんだって。だから、エミリーに契約をお願いしたいそうなの」
「……ご迷惑でしたか?」
「う、ううん、突然だから驚いただけ。でも、本当に私でいいの?」
「あなたには以前も助けていただきましたし、その……契約妖精がそこにいるふわふわの子しかいないようだったので。悪い案ではないのかと思いまして」
ブルーベルは、緊張気味にそう言った。エミリーの膝に頭を乗せていたルルミアが、じっと彼女を見上げる。
「……そうね。私にとっては、またとない機会だと思うわ」エミリーはルルミアの頭を撫でながら頷いた。「確認するけれど、あなたにとっても、私が第一候補なのよね?」
「はい」ブルーベルがしっかりと頷く。それを見たエミリーは、柔らかい表情で笑った。
「だったら、もうこの場で悩むよりも先に仮契約よね。もしも今後性格が合わないとか判明しちゃったら、そのときはそのときに本契約を止めましょう。でも、前向きに考えてみたいわ。それでいい?」
「はい、よろしくお願いします!」
ブルーベルも緊張を解いたように、嬉しそうに笑って見せた。これでひとまずは大丈夫だろう。アイビーも安心して注文していたお茶に口をつけた。
「話が纏まって良かった。じゃあ、僕はこれで。ここの支払いは生徒会経由でパルマケイアが負担するらしいから、話が盛り上がるようなら昼食も注文して構わない」
ブルーベルの隣で黙ってお茶を飲んでいたエイデンが、カップを置いて席を立った。
「あ、あの、いろいろありがとうございました!」と叫んだブルーベルに頷いて「こちらこそ、魔術師を見放さないでくれてありがとう」と軽く微笑んで、手を振り、個室から出ていく。
しかし、ブルーベルと同じように、にこやかにお礼を言ってエイデンの姿を見送ったエミリーは、出入り口のドアが完全に閉まったことを確認すると、おもむろに真剣な顔つきになって言った。
「……付き合ってるの?」
「え?」
アイビーは動揺した。聞き間違いだろうか、突然矛先がこちらに向いたような気がする。
「だからっ、エイデン・フラムスティードと、いつの間に恋人になったの?」
「え? ええぇ……っ? なってない! まだなってないよ!」
「なる予定はあるのね? 詳しく聞くわよ。あなたも聞きたいよね?」
「はい! そういうの、実はすっごく興味あります!」
「待って、待って……! まず仮契約じゃないの?」
アイビーは慌てて、ぐいぐいと身を乗り出してくる二人を押し留めるように両手のひらを向けた。薄々思っていたけれど、ブルーベルも結構いい性格してると思う。
「そうなんだけど、よく知らないうちに契約名を渡すのは何か違うと思うのよ。だから今日一日一緒に遊んでみて、それから考えたいの」
エミリーは小首を傾げた。今日着こなしている大人っぽくて可愛い黒のツイードジャケットと白いフリルブラウスによく似合う仕草だった。
「君もそれでもいいよね?」
「はい! ぜひそうしてください!」
「あ、敬語じゃなくていいよ。それとも、私も言葉遣いを改めたほうがいい?」
「え、じゃあ、直します! あ……なお、す……!」
「直った! さすが、完璧! やった!」
エミリーがすかさず両手を向けると、ブルーベルは満面の笑みで応じた。
「やったー!」
パチーンと楽しそうな音が鳴る。順応が早い。二人とも、まだアイビーとはそんなことしたことないのに。ルルミアもびっくりしてるし。
若干頬が膨らむのをお茶を飲んで誤魔化そうとすると、エミリーがさらにキラキラと輝く瞳を向けた。
「で、エイデン・フラムスティードとはどうなの? デートには誘った? 告白した? もう恋心バレてるの?」
「完全にバレてるよね? しかもあっちもまんざらじゃないよね? 明らかに優しいもん!」
「えっ? いや、あの……その……」
アイビーは狼狽えながら持ち上げたばかりのカップを置いた。まさかこんなに早く話が戻ってくるとは。
「……エイデン先輩は、もともとすごく優しいだけかもしれないし……でも、うっかり勘違いしそうで、どうしたらいいか……。嬉しいけれど……」
「あれはさすがに押していいよ! あの人、さっき当事者の私たちじゃなくて、露骨にアイビーに向かって手を振って帰ったよ!」
「むしろ決闘後に割り込んできたときも、すっごい目が怖かったし! アイビーのために怒ってるー! って感じだった!」
両側から熱烈に叫ばれた。外野から見たら、そうだったのだろうか。周囲と比較すればたぶん特別扱いされていることは、アイビーにも理解できている。でもそれが本当に恋愛感情からくるものなのか、それとも単にごく少数派の魔女を保護してくれているのかは、見分けられる自信がないのだ。エイデンと話せるときは舞い上がっているから、それどころではないけれど。
「……本当にそう思う?」
「あ、もしかして追い詰めすぎちゃった? ごめん。アイビーたちのペースでいいよ、つい盛り上がっちゃったけど……でも、本当にそう思うよ。好きなら押していいやつだよ、あれは!」
エミリーは大きく頷いてくれた。ずっと不思議そうにエミリーを見守っていたルルミアは、きゅるると鳴いて机の下に潜った。
「そっか……」アイビーは、ルルミアの素早い動きを眺めながら呟いた。自分が学校に通える期間は短いのだ。
「……確かに、悠長にしてる余裕はないかも」
「だったら応援するよ!」
「するー!」
エミリーがはしゃいだように両手を合わせて、ブルーベルは両頬に手を当てて楽しそうに身を捩った。机の下を潜ってこちらに来たルルミアが、新入りの妖精を不思議そうに見上げた。
「……その、具体的に、どうしたらいいと思う?」
素直に二人を頼ることにすると、エミリーは「そうねぇ」と真剣に腕を組んだ。
「あっ、そうだ! 再来週から、トワイライト・パラゴンっていう有名な劇団がこの都市に公演に来るのよね。場所はこっちじゃなくて、西の商業区の劇場になるんだけど」
「学術研究所のほう……」
アイビーは自分の膝のほうに来たルルミアを撫でながら、頭の中に雑誌で読み込んだ案内を思い出す。
学術研究所側の商業区は、ここのように学生の日用品を売る店は少ない。
代わりに大型の劇場や高級本屋や、高値だが質の高い魔道具やその材料を売る店が多い。あとは博物館や研究所などに併設されている図書館や観測所の一部が、一般人向けに公開されていたりする場所だ。
南西区画の中央にあるパルマケイアからはこの南の商業区画に来るのとさほど変わらない距離だが、一年生のうちは、基本的に学校の施設を使いこなすだけで精一杯で、あちらに行くのは極少数だと聞いている。
コンラッドがカタログと財布を眺めながら、錬金術の材料を買いに行きたがっていた。つまり、ちょっと大人向けの区画なのだ。
「そこで、デートにぴったりの演目があるわ。『グラス・ナイツ』っていう、妖精にガラスの靴を貸してもらった孤児の少女が、お姫様の姿をして氷のような騎士様と一晩を過ごす話!」
「えー! 見たい!」
アイビーよりも勢いよく、ブルーベルが食いついた。ルルミアが再び机の下に入っていった。
「君は私と行こうね。ボックス席を貸し切りで!」
「いいの? 嬉しい! ありがとう、エミリー!」
またハイタッチしている。もはや二人の相性は、アイビーが心配するまでもないらしい。
「で、アイビーはどう? エイデンと行きたい?」
「あのね、行きたいけど、それ、エミリーとも行きたい……」
耳元で『うわ、久しぶりにできた女友達が取られそうで拗ねてる?』とニヴァリスが呆れてくるが、その通りである。
エミリーはくすくすと笑った。足元に来たらしいルルミアを抱えて、膝に乗せる。
「じゃあ『グラス・ナイツ』の公演が終わったら、『エメラルドを纏う悪魔』っていう母親の仇を取るためにデザイナーになった少女が伝説のデザイナーと戦う話も上演するから、そっちは私と行こ! でも、とりあえずエイデンは誘いなよ」
「……ん……そうする、けど……でも、高いよね……?」
アイビーはどうせ死ぬなら今まで貯めたなけなしのお金を全部使ってしまっても構わないのだが、それでも二回も行くのは贅沢な気がするし、エイデンが興味があるかどうかもわからない場所に誘うのは不安だ。けれどエミリーは首を傾げて笑った。
「んー、まあ有名な劇団の名優揃い踏みだから、安くはないけれど。でも、フラムスティード家の男ならデート相手の分も全額負担するだろうし、気にしなくていいんじゃない?」
アイビーは慄いた。お金持ちな魔術師の感覚だと、誰が支払おうが痛むような懐ではない前提なのだろうか。
「そ、それは……私が誘うのに、良くないよ……」
「そう? お金と権力は、必要な相手に使うためにあるんだよ? だからアイビーの場合は、あんまり気にしなくていいと思うけど」
エミリーは不思議そうに首を傾げた。
「とにかく、話してみたら? 行ってみたいなー、とか、行ってみたいと思いませんか? とかね。ちょっと話を振っただけでも、向こうが乗り気なら行こうかって誘ってくれるよ」
「エミリー、詳しい! あとでエミリーの彼氏も紹介してね!」
ブルーベルはニコニコとはしゃぎ続けている。
「え? いないけど?」
「いないのっ? そんなっ、百戦錬磨みたいな雰囲気出してるのにっ?」
「出してないでしょ。私はルルミアで十分だったし、今は君もいるし。恋愛はもうしばらくお休みかなー」
「そんなぁ……応援するのに……」
「ありがとう。というか君は? 恋愛に興味あるみたいだけど」
「えへへ……いつかはしてみたいなって……」
アイビーは、ブルーベルが両頬を押さえるのを眺めながら、お茶を飲み干した。
「そのときは応援するからね。でも、変な奴だったら止めるからね? アイビーのことをエイデン・フラムスティードに丸投げしてるのは、あの人がまともっぽいからだからね?」
「……エミリーもそう思う?」
アイビーはティーカップを置いて確認した。エミリーは大きく頷いて、にんまりと笑った。
「ええ。で、この公演なんだけど。夜しかやらないんだよね。演劇デートのために夜間外出許可を取るって、もうそれだけでワクワクしない?」
「するー!」
ブルーベルが合いの手を入れた。
「ということは……」
「わー?」
「先にアイビーのデート服を買って、後戻りできないようにしよ!」
「おー!」
何か勝手に決まっていた。ルルミアも、きゅる? と鳴いてくれた。




