4-2
午前中の休憩時間で、『ブルーベルの造花計画』には大まかに目を通した。
昼休みが始まると、アイビーは、ブルーベルのもとを訪れた。コンラッドもついてこようとしてくれたが、迷った末に断った。彼に昼食を抜かせる可能性があるのは可哀想だったので。代わりに食堂からアイビーの分のランチボックスを確保してもらい、教室に持って来てくれるようにはお願いしておいた。
面会先の部屋にいたブルーベルは、昨日と同じようにアイビーを見て微笑んだ。
「今日もお一人なんですね」
「うん。そのほうが話しやすいこともあるかと思って」
「そうですね。アイビーさんと話すのは、楽しいです」
良かった。信用はされているらしい。アイビーはひっそりと胸を撫で下ろした。自分から交友関係を築く行為には、まだ慣れていない。
とにかく同意を得たので、アイビーはブルーベルと向かい合って座ろうとした。
しかし、突然入り口のドアがバァンと音を立てて、乱暴に開かれた。
「――ブルースター! ここにいたのね!」
ネリリン・ファルメールだった。アイビーが止める間もなくブルーベルに駆け寄り、彼女の腹部にしがみつく。
「っ……!」
ブルーベルが、ビクリと体を強張らせた。どうしてネリリンがここにいるんだろう。そう戸惑ってしまったアイビーは、一拍遅れてひとまずネリリンを引き離そうとした。
「ごめんね……!」
「えっ……?」
ブルーベルが目を見開く。アイビーも思わず動きを止めてしまった。――ネリリンが、謝っている?
「私が間違っていたの……! あなたはずっと私を守ってくれていたのに、気づいてあげられなくて、素直に頼れなくて、本当にごめんなさい……」
「……あ……ネリリンさん……?」
涙声で叫ぶネリリンに、ブルーベルの花弁色の瞳が揺れる。
「やっとわかったの……私には、あなたが必要なの……っ、なのに、あなたのためとはいえ、今まで厳しく当たってしまって、ごめんなさい……!」
「あ……え? ……嬉しい、です……?」
「私、本当はか弱くて、どうしようもなく怖がりなの。でも、頑張って、一人で周囲と戦ってた。でもそんなの間違ってた。あなたと向き合ってなかった。私は一人で頑張るべきではなかったのよ。もっとちゃんと、一緒に戦ってくれるあなたの力を認めてあげるべきだった。そのうえで、あなたの駄目なところを優しく叱ってあげるべきだった。ねえ、私たちやり直せるわよね……? だって私たちは、最高のパートナーなんだもの……!」
「あの、何を言っているんですか? ブルーベルさんから離れてください」
アイビーは呆然と告げた。ネリリンが何を言っているのか、一つもわからなかった。
途端にネリリンは自分に酔った顔からいつもの怒り顔に変わった。
「私はこの子の契約者なのよ! こんなところに閉じ込めておくわけにはいかないわ! 今度は私がこの子を守る番なの! この尊い関係をまた引き離そうとするなんて、非人道的な魔女ね! 親の顔が見てみたいわ!」
一瞬、言葉に詰まった。どうしてまだこんな人を相手にしなければならないんだろう。
……私の親を殺したのも壊したのも、あなたの父親だろう――そう叫びたくなった。
『でも、そんなことしたって魔女はすぐヒステリーを起こすって笑われるだけ』
耳元でニヴァリスの冷めた声がした。
アイビーはゆっくりと握り込んでいた拳を開いた。
「……一方的な契約は、もう解除されたはずです。それに、自分に課された規則をまったく守らない人が、どうして今後は妖精を守れると思えるんですか」
「ハァァ? 大人の決めたルールを押しつけないで! 私たちはね、理不尽な大人と戦っているの! 周りの顔色を窺って男を頼っているアンタと違ってね!」
アイビーは呼吸を深くして、自分の中に燻り続ける熱を吐き出した。
「……ブルーベルさんを、離してください。あなたは社会に守られているのだから、学校の規則も法律も守ってください。それから、然るべき手続きを踏んで、然るべき相手に異議を唱えるべきです……」
「ハァァ? バカね、そんな回りくどいことを言っているから、魔女は滅んだんじゃない?」
「……っ……」
もう限界だった。
『やっぱり魔女は、魔術師から滅ぼすのが正解だったね』
耳元のニヴァリスがつまらなさそうに嘲笑う。
『最初に魔女を迫害した精霊術師と組む前に。妖精を利用することが当たり前だと思い込む前に』
アイビーだって、その言葉に頷いて感情的に叫びたかった。けれど何度も堪えたぶんだけ、相手に反発できるだけの気力も失われたらしかった。
「……ちが……」
絞り出せた声は情けなかった。
――魔女たちの対応は間違っていたのだろうか? 正しくなければ殺されて当然なのだろうか?
――そんなはずがない。だからそんなこと、認めたくない。
でも、相手に伝わらなければ、何を叫んだって殺される。
アイビーが一人で叫んだって、何も変えられない。
「――違う。魔術師たちが、一方的に魔女を殺したんだ」
背後から、怒りを押し殺すような、低い声が聞こえた。
それでもエイデンだとわかったのは、その怒りが、一欠片もアイビーに向けられたものではなかったからだ。
「エリオス。頼む」
「ちょっと、なに、きゃあぁっ! 止めなさいよ、きゃぁんっ!」
エイデンの願いを聞き届けるように、美しい火の鳥がネリリンを制圧して床に引き倒す。
「ちょっと私に何をするつもり? 変態! 止めなさい! 私はブルースターとの友情のほうが大事なのぉ! 男になんて興味ないんだからぁ!」
床に押さえつけられながらも、不自然な姿勢でミニスカートから足を投げ出したネリリンが騒ぐ。エイデンはネリリンに近づきながら、迷惑そうに言った。
「……いくらなんでも、この学校に女なら誰でもいい男はいないと思うが。場違いなのは君だけだ」
「んなっ……! 私だってアンタなんて願い下げよっ!」
「うん。それは助かる」
淡々と頷いて、ローブの中から取り出した拘束魔術の魔法陣を発動させる。手足を拘束されたネリリンを見て、アイビーは脱力して床に座り込みそうになった。けれどそんな場合ではないと思い直して、ブルーベルを振り返る。
「怪我はありませんか?」
ブルーベルは呆然としたまま頷いた。しかし、聞くに堪えない暴言を吐いているネリリンを見て、恐る恐る問いかけてくる。
「……はい。……あ……でも、わ、私がいないと、ネリリンさんは……?」
「君がいても無駄だ」
エイデンが、うるさそうにネリリンから離れながら言った。
「彼女は、君がどれだけ献身しても、理解なんてしない。だから、君も彼女のことを無理に思わなくていい」
ブルーベルの瞳が、パチリと瞬いた。その一言で、まるで憑き物が落ちたかのように見えた。
「――シルヴェスター。やはり想定通りの場所にいた。……ああ、問題なく捕らえた。……わかった」
エイデンは通信魔法で報告を終えると、ブルーベルに目を合わせるように屈み込んだ。
「すまない。保護すると約束したのに、侵入させた。彼女を預けたあとで、また謝罪に来る」
そう言って、アイビーに目を向けた。
「……よく堪えてくれた」
アイビーは唇を噛んで頷いた。なんだか一人では事を収められなかった自分が、すごく無力だったような気がした。
「……あの、ネリリンさんは、どうして解放されたんですか?」
「わからない。今シルヴェスターたちが捜索して――?」
エイデンが言葉を止めて背後を振り返る。入り口のドアから、人の気配がした。長身で派手な身なりの青年が入ってくる。
「……ロマンス・パターソン。何をしに来た?」
エイデンの警戒した声に、ロマンスは大仰に肩を竦めた。
「別に何も? 生徒会の副会長様は、気軽に生徒を疑って正義面か? いい身分だな」
「……すみません。パターソン先輩はいつも罰則を受けることに憧れているかのような行動を取っていらっしゃるので、今回も同様かと思ったんです」
エイデンは淡々と謝った。
「でもここは暇つぶしで来るところではないですよ」
「いや、暇つぶしで来るところだよ」
ロマンスは楽しそうに笑った。その視線がネリリンに移る。ネリリンが叫ぶ。
「もう、ロマンス! 早く助けなさい!」
エイデンが身構える。しかしロマンスはニヤニヤと心の底から嬉しそうな表情で、ネリリンを見下した。
「何でもかんでも人に頼むなよ。というか助けてもらえる立場か?」
「当たり前でしょ! 私は総督の娘――」「じゃなくなったらしいな」「ハァ?」
さすがにネリリンがぽかんと言葉を止めた。
「デリック・ファルメール。お前の父親、総督をクビになったってよ」
え。と、言ったのは、誰だったのだろう。アイビーは耳を疑った。捕らえた妖精を操って大量の魔女を虐殺して、それを何年も術師社会に許容されてきた魔女狩り総督が、今さら総督ではなくなった?
「……ハァァ? 誰がそんなことを!」
「うるせぇよ。むしろ誰が慕ってたと思うんだよ。お前をそのままおっさんにしたような、いい歳して自分が特別だと思い込んで、実際は自分より有能な奴を全員闇討ちして成果を奪ってきただけの、知性の欠片もない奴なんて」
ロマンスが吐き捨てる。そして、まるでそうすることが自然であるかのように、足の甲でネリリンの顔面を蹴った。
「グッ!」小柄なネリリンが仰け反って呻く。
「止めろ! 何をしているんだ!」エイデンがロマンスの肩を掴んでネリリンから引き離す。ロマンスはあっさり身を引いて、顔を顰めた。
「お前の顔面の感触キモいな……」
アイビーはネリリンに近づいた。口が酷く切れているらしく、苦しそうに血と唾液を吐きながら呻いている。
「これ、もうウチの生徒じゃねぇんだろ? だったら制圧に協力したようなもんだ。こうでもしないと永遠に他人の弱みに噛みつく女だぜ?」
ロマンスは肩を竦めてエイデンを振り解き、出入り口のドアに向かっていく。
「先ほどの暴力行為は記録に残っている」
「いいさ、これで誰も、俺がこんな奴を脱獄させたと勘違いしないだろ。むしろしっかり記録しておけよ。……生徒のフリをした脱走犯に一蹴り程度の復讐なんて、せいぜい謹慎程度だろ。不当労働後のバカンスというには足りないかもな」
それだけ言って、ロマンスは清々しいことでも起きたかのように唇を歪めて去っていった。
アイビーは、ニヴァリスの力で小さな雪の塊を作り、自分のハンカチにくるんだ。ほんの少し手で包んで、溶けた雪でハンカチを湿らせる。
「あの、少し傷に滲みますけど、応急処置しますね」
そう声をかけて、ネリリンの顔に雪水を当てようとした。
途端にネリリンが叫んだ。
「アンタのせいよ……! 全部アンタのせいなんだから、っ……責任、取りなさいよ……!」
アイビーは、慌ててネリリンの頬にハンカチを置いて離れた。
「ブルースター、はやく助けなさいよぉっ……!」
だらだらと口から血を垂れ流しながら、ネリリンは瞳孔の開いた目でブルーベルを睨んだ。
「あ、アイビーさん……私……」
ブルーベルは困惑した様子でネリリンとアイビーを見比べた。アイビーは、ゆっくりと首を横に振った。
「駄目ですよ。この人は、自分の要求を通すために、あなたを守るための規則を破ったんです。また同じ目に遭おうとしないでください」
「ハァ……? 何言ってんの……? 人間はねぇ、進み続けるしかないのよぉ……! たとえ間違ってもね、許されるべきなの……! それが、成長ってものでしょお……?」
アイビーは思わず閉口した。間違った理由を見直しもせずに、他人を利用して周囲に殴りかかる愚行を繰り返して、いったいどこに進んだつもりなのだろう。
「ほら黙った……! 私の勝ちよ……! さっさとそこをどきなさい……!」
生徒会と学内監理局、そして医務室への連絡を終えたエイデンが、冷めた目でネリリンを見下ろした。
「ああ……ファルメール家は、相手を黙らせたら勝ちだと思っているから、自分たちの邪魔になった民間人を容赦なく殺せるのか。目新しくはないけど、醜悪な価値観だな」
ブルーベルが、おずおずとネリリンに近づいて、座り込む。アイビーはとっさに止めようとして、ブルーベルがぎゅっと両手を胸の前で握り合わせていることに気づいた。
「あの……ネリリンさんは、私のことを、何だと思っていますか……?」
「ハァ? アンタは私の妖精で、私はアンタの契約者でしょ……!」
「そう、ですか。わかりました」
ブルーベルは、こくんと頷いた。立ち上がって、アイビーに目を合わせる。
「アイビーさん。私はネリリンさんとの契約を破棄したいです。助けてください」
「ハァアアァァッ? ッ、ゲホッ……アンタ、自分が何言ってるか、わかってんの?」
「はい。私は、ネリリンさんに守ってもらわなくても大丈夫です。そうやって恩を押し付けられてネリリンさんのために働いても、たしかに私自身はずっと何もできないままなので」
ブルーベルは騒ぐネリリンを一瞥して、困ったように微笑んだ。
「これからは、自分のために自分で頑張りませんか? お互いに」
「……ハァァァァ? 人工妖精のくせに! アンタを大事にしてあげられるのは私だけなのにぃっ! いいわ、決闘よ! そういうルールなんでしょ? 私はアンタたちのくだらないルールに乗ってあげるって言ってるの! 離しなさい! ブルースター、ごちゃごちゃ言ってないで、そこの魔女の手から私を取り戻して! もうなんなの……アンタたち、自分が決めたルールを守りなさいよぉぉ! どうして私だけこんな目に遭わなきゃいけないのよ……!」
「……もう黙ってください。出血が酷いので」
散々暴れたあとに一人でしくしくと泣き出したネリリンの頬から、アイビーのハンカチが滑り落ちる。
それを拾う気にもなれず、アイビーはお気に入りだったハンカチを眺めた。制服を受け取った日に買った、真っ白な生地に緑と白でアイビーの蔓が刺繍された物だった。
その後すぐ、ネリリンは、ようやく到着した学内監理局の人たちに確保されて、どこかに行った。最後までよくわからない怒りを周囲にぶつけていたけれど、それ以降、二度と学内で姿を見ることはなかった。




