4-1
九歳で父や妹や弟が殺されたとき。故郷の森の顔見知りの魔女たちも、たった一組の母娘を遺して、たぶん全滅していた。
隣の岩山で山羊を飼っていた山の魔女たちも、あの森の魔女は全滅したと見なして住処を変えたのか、それとも同じ目に遭ったのか、定期的な交流地点に現れなくなった。
もしかすると、運良く森奥の秘密の薬草地にいた母娘と同様に、生き残った者もいたのかもしれない。
けれど、その誰とも再会することはなかった。植物学者でもあった母は、父の結界魔法のおかげで焼け残っていた家に、そのまま住むことに決めた。
……わざわざ女子供が二人生き残っているだけの場所に、魔女狩りたちが戻ってくる可能性は、低めだと考えたから。新しい魔女の集落を見つけたほうが、効率的だからだ。
「……今日はずっと家にいなさい。何かあったら、地下に隠れること。お母さんは絶対に戻るからね」
母は家族の遺体を片付けたあと、なるべく綺麗にした家に娘を一人残して、連日外に出ていった。
本当ならば気分が明るくなるはずの春の夜、暗くなる寸前に憔悴した顔で家に帰ってきた母は、溜めていた水で毎回長いこと身体と髪を洗って着替えてから、水場に浄化魔法を使って、やっと娘を抱きしめてくれた。
それから、隣の家のおばあちゃんの手作りと同じ味の飴を食べさせて、二軒先の若いお姉さんが着ていた可愛いワンピースと同じ布を、なぜか娘に大切にしなさいと渡してくれた。
そしてまた翌朝にはよく鍋を直してくれた五軒先のおじさんが使っていたのと同じ仕事道具を持って、同じことを言って家を空けた。
当時は、母は生存者を探しに行っているのだと思うことにしていた。
でも、今思えばあれは、病や害獣を寄せ付けないために、夏が訪れる前に、皆をなるべく早めに森の土の中に眠らせていたのだ。
とうとう寂しくなって泣いてついて行きたいと我儘を言った日から、母は娘に、周りの民家の物を持ち出す手伝いをさせた。
けれどその荷物は、多くはなかった。
民家のほとんどは焼かれていて、貴重品はおそらく焼かれる前にあらかた持ち去られていた。それでも険しい顔ばかりしていた母が、珍しく嬉しそうに渡してくれた物があった。
娘がこれから先学ぶための、古い教科書の山だった。
——まだ魔女が街にいた頃の教科書を、魔女狩りのときに持って逃げてくれた者がいた。
それを知人に子供が産まれるたびに譲り渡して、成長すればまた小さな子供に渡して——魔女たちが守ってきた、ボロボロになっても擦り切れない知識を書き記した大切な本。
アイビーはそれを、毎日捲り続けた。特に冬の季節は教科書を読むことだけが、母と二人ぼっちの森の娯楽だった。
けれど母は、すべてを片付け終えた日から、変わってしまったようだった。
ほとんど娘のために森の暮らしを立て直したはずの母は、いつからか毎晩のように夢の中で夫を探して、歩き回るようになった。
そしてしばらくすると、思い詰めたように昼夜を問わず研究に没頭し始めた。
だから、母の代わりに家事をした。時折正気に戻った母が昔のように優しく教えてくれる家事をしっかり覚えて、できることを増やしていった。
けれど、秋の初めになった頃、たまたま風邪を引いた。
なんだか疲れてお昼寝をして、夕方まで洗濯物を取り込み忘れて、夜にこっそり小雨の中で取り込んだ翌日のことだった。
「……あら? どうしたの? 食べないの?」
あえて朝食をのろのろと残している娘を見て、母は不思議そうに言った。
子供心に気づいてもらえたことが嬉しくて、内心浮き浮きとしながら、ゆっくりと告げた。
「……あんまりお腹が空いてないの。お母さん、私、高い熱があるみたい」
ふわふわと火照った頭で、悪い嘘をついてみるのは、思いのほか怖くて申し訳なくて、でも、母に心配されたかった。本当は、きっと大したことはなかった。
「……ごめんなさい。今日は、寝ているね」
そう言ってスープに蓋をして、少しばかりふらつきながら席を立った。自室に戻り、ぎゅっと小さくなって毛布を頭から被る。
そのうちに、ぽろぽろと涙が出てきて、頭がくらくらして、熱くて苦しくなってきた。嘘をついたからだ。けんけんと肺の奥から咳が出て、恥ずかしくなって毛布を握り締める。
「……ごめんなさい……」
苦しい。嘘をついてごめんなさい。我儘な娘でごめんなさい。
謝りながら、母が来てくれるのを待った。
一言「大丈夫?」と心配してくれる声が聞こえたら、大袈裟な嘘をついたことを、正直に謝ろうと思った。
熱くて苦しくて、これは、我儘への罰なのだと思えた。
そうして目を開けたのは、翌朝だった。
「……あなたは、私?」
頭を内側から冷やしてくれている気配に、掠れた声で問う。
『どう思う? 私はあなただけど、あなたは私ではないのかも?』
頭の中に入り込んだ妖精は、親しげに笑った。
なんだか懐かしい気配がした。もっと幼くて幸せだった頃の、魔女狩りなんて知らなかった、小さな子供の世界の花畑。
「……《ニヴァリス》」
妖精の笑い声が、小花が咲き誇るように響いた。
『でも、お母さんは、結局お父さんの人工妖精は造らなかった』
頭の中に住み着いたニヴァリスは、幼い頃の夢に魘されたアイビーに、静かに告げた。
『生きている娘を写した私でさえ、完全に同じではないことに気づいて、最愛の夫そのものは取り戻せないって気づいたんだね』
「ブルーベルは、どうなった?」
朝、食堂で会ったコンラッドにそう聞かれたアイビーは、曖昧に苦笑した。
ニヴァリスのことは置いておくとして、仲良くなれたとは思った。けれど、自室に帰ってから振り返ると、彼女はかなり洞察力が鋭く、相手を気遣うことに長けていたようにも思えてきたのだ。心を開いてくれる気になったかどうかは、まだわからない。
「昨晩は、とにかく時間はあると思って欲しかったから、あまり込み入った話はできなかったの。今から軽く様子を見てきて、昼食のときに話してみる」
「そっか。これ、昨日生徒会で調べたんだ。時間があるなら読んでくれって言おうと思っていたんだけど」
そう言いながら、コンラッドは何かの冊子を差し出した。受け取ったアイビーは、思わずそのタイトルを読み上げた。
「……『“ブルーベルの造花”計画』?」
「うん。ネリリン・ファルメールの父親のデリック・ファルメールが推している計画らしい。表面上は、見た目が良くて優秀な逸話を持つブルーベルの妖精を増産するって話なんだけど」
「ねえ、この並列処理って何の話?」
「ブルーベルの人工妖精の意識を統合して、大規模魔術を使うんだと」
「え……?」
アイビーは本気で困惑した。作り出した個々の妖精の意識統合?
「より良い世界の平和のため、らしいぞ。最近、国外では魔術や魔法を使えない人間たちが、活発に兵器を開発して、戦争を始めているらしいだろ? だから、このおっさんは、自分が大規模魔術で世界中の兵器をぶち壊すと世界が平和になるんだって主張している」
アイビーは顔を顰めた。それで平和になるのは傲慢な加害者の心だけだ。
娘であるネリリンの言動から察するに、たぶん本人はなんの正当性もない主張を恥ずかしげもなく行える横暴さで、自分が好き勝手に周囲を利用して、起きた抵抗は自分への辛い試練だと認識する悲劇の英雄気取りなのだろうけれど。
「……その計画、誰も止めてないの?」
内心をニヴァリスすら介さずに毒づきながら、アイビーは問いかけた。
「内容が単純に馬鹿だから、頓挫させる予定は他の大人が持ってると思うけどな。精霊術師も錬金術師も、あとデリックの派閥以外の魔術師だって、巻き込まれたら迷惑でしかないし……でも、もっと合理的な理由だったら、ブルーベルの人工妖精の犠牲には目を瞑って、大規模魔術の構築は承認されたのかな」
コンラッドは不満そうに冊子を睨んだ。アイビーは目を伏せた。技術は誰かを助けるために研究するものであって、研究のために誰かを犠牲にしていいわけではないはずなのに。
……でも、生物には、常に自分よりも弱い命を犠牲にして循環させる土台がある。そこから積み上げられるものは理想論ばかりだと、魔女も知っている。
「それにしても、このブルーベルの人工妖精を開発したのは誰なんだろうな。この理念を唱えておいて、ブルーベルの逸話すら知らない娘に人工妖精の一人を与えるような、残念な頭のおっさんが開発者ではないだろ? 総督としてふんぞり返るだけで忙しいだろうし」
どうやらコンラッドはずっと怒っているようだ。きっと昨日からずっと怒り続けているのだろう。
力の無い者は、大抵の場合、上手く憤ることさえできない。だから、何を無視したってかなり自由に生きていけるはずのコンラッドが当たり前に怒っているのを見ると、アイビーは少し楽になれた。
だから――あのね、コンラッド。人工妖精はね、もともと私のお母さんがしていた研究だったの――そう言いそうになった言葉を、アイビーはぐっと飲み込んだ。
いま伝えても、話がややこしくなるだけだ。魔女の家を襲ったデリック・ファルメールが母の研究を奪って勝手に何かに目覚めたとして、彼の行動の一切は魔女の責任ではないのだから。
「ん? 何か心当たりがあるのか?」
しかしコンラッドは目聡いようだ。アイビーは思わず微笑んだ。
「ないよ。コンラッドが怒ってくれるのが、嬉しかったの。でも、疲れないか、心配になって」
「まあ、楽しいことじゃないよな。昨日一日だけでも疲れたよ。でも、放っておいていいことじゃないだろ」
「……そっか。うん。そうだね」
アイビーはあまりにも緩み過ぎて震える頬を抑えきれなくなった。この先ずっと、アイビーがいない十年後でも二十年後でも、きっとコンラッドはおかしなことをおかしいと怒ってくれる。そんなことを、胸の内で期待するくらいは許されるだろう。
「……私、コンラッドと友達になって良かったかも」
「え、まさか今さら気づいたのか? 初日に気づいてくれてよかったのに」
「あはは、ごめんね。警戒しすぎていたみたい」
――本当は、大失敗だ。コンラッドには変わってほしくない。それでも繊細で優しい彼は、アイビーがエイデンを殺した未来に、きっと影響を受けるだろう。
なのに、コンラッドはたぶん、魔女全員がアイビーのように酷い者ばかりだと思い込むことはない。そう信じてしまっていた。




