3-2
「――ここに居たのね!」
放課後、図書室の前の廊下。突然、金切り声が響いて、本の貸し借りをしに来ていただけのアイビーは、びくりと身を竦ませた。
渋々振り返ると、そこにはやはりネリリン・ファルメールがいた。
……しかも制服がなにかおかしかった。黒いローブこそ皺が酷いだけで普通だが、入学したばかりの一年生が着用できるはずもない、青緑のベストに水色のフリルブラウス、赤いスカーフ、明らかに校則違反であろうミニスカートに柄入りの薄い黒ストッキングという、不可思議な出で立ちだった。
「……う、うん……何か用ですか?」
今日もネリリンの後ろに控えている青紫色の妖精の少女のことは気になったが、魔女として、授業態度や生活習慣で減点の隙を見せるわけにはいかないのだ。図書室の付近で騒がないでほしい。
しかしアイビーのそんなささやかな願いもむなしく、ネリリンはビシッとアイビーを指差して言い放った。ブレスレットについている装飾が、キラリと輝く。
「アンタ、私と決闘しなさい!」
「…………え、嫌です」
アイビーはドン引きして断った。意味がわからない。なのに、ネリリンは途端に怒り顔になって詰め寄ってきた。
「ハァァ? なんでよ!」
「する理由がないですし……」
むしろ、なぜアイビーが決闘なんてしたいと思ったのだろう。
「挑まれた決闘を断るわけ? 決闘の名誉を知らないの? 魔女ってほんっとうに田舎者ね!」
「な、何を言っているのかわからないんですが」
むしろネリリンとは関わらないほうが名誉は保たれるのでは? と思いながらアイビーは周囲を見た。
突然ヒステリックに叫びだす制服を魔改造した一年生と、きちんと白い魔女の制服を着用している魔女なんて、目立つに決まっていた。
案の定、さっきまでアイビーを見て見ぬふりをしていた生徒たちが、一斉にこちらの様子を窺っていた。どうかセットで見ないでほしかった。
「……どうして私はあなたに決闘を挑まれているんですか?」
「わからないの? 魔女のくせに!」
「……ま、魔女をそんなに高く見積もって」――いるなら喧嘩を売りにこないでほしい。そう言い終える前に、「ハァァッ?」遮られた。
「とにかく! 決闘よ、良いわね!」
「い、嫌です! 人の話を聞いてください」
魔女としていつかは挑まれるとは思っていたけれど、やっぱり目立ちたくないし、変な人には関わりたくない。話が通じないにしても、もう森でお腹を空かせた獣のほうが、彼らなりの道理があるだけマシな気がする。
「……何をしている?」
ふいに背後から、少し低めの、静かな声がした。アイビーがそちらを見るより先に、ネリリンがにんまりと笑った。
「ちょうど良いわ。エイデン・フラムスティード。アンタ、決闘の見届け人になりなさい!」
「だから、嫌ですってば!」
アイビーは慌てて叫んだ。決闘は、生徒会が立ち会うことになっているのだ。承認されては困る。
「では、決闘の申請は無効だ。双方の合意なく決闘は不可能だよ」
エイデンは、呆れた声で告げた。そのことにホッとして、アイビーはようやくエイデンを振り返った。真顔だったエイデンは、アイビーの視線に気づくと、ほんのりと表情を緩めてくれた。
けれど、ネリリンはなおも叫んだ。
「そうはいかないわよ! 私が勝ったら、アンタには退学してもらうんだから!」
「っえ……? そんなの受けて、私になんのメリットがあるんですか……?」
アイビーは目を見開いた。そんなことを生徒同士で一方的に要求されるとは、さすがに思っていなかった。
「一応、君が勝利した場合にも、敗者に要求を通すことはできるよ。……それと、高校は義務教育だから、退学というよりは実質は転学かな。でも、君が彼女に要求したいことなんてある?」
エイデンがため息混じりに呟く。
けれどアイビーは、ネリリンの後方を見て頷いた。
「あ……そっか。そうでしたね。それなら、決闘、受けます」
「え、いいの?」
エイデンが不思議そうな声で聞いてくる。
「はい。……ネリリンさん。私が勝ったら、あなたはその後ろにいる妖精との契約を、破棄してください」
アイビーは、ネリリンを見据えた。ネリリンの後ろで俯いていた妖精が、顔を上げて、大きく目を見開いた。
「ハァァ? アンタ、自分が何を言ってるかわかってんの? 魔術師から使い魔を取り上げるなんて!」
身構えていた通り、ネリリンが詰め寄ってくる。けれど、衆目やエイデンがいるおかげか、先日のように殴ってはこなかった。
それでもアイビーは、無意識に心臓の上を手のひらと腕で庇った。罵声は嫌いだ。でも、ネリリンの品のない言葉遣いも態度も、嫌いを通り越して不快だ。
……どうしてこんな人が当たり前に学校に入れて、自分はたった数ヶ月だけ学校に入れたことを一生分の幸福だと思わなきゃならないんだろう。
――そう思うのは、間違いだろうか?
「私には、退学を要求するんですよね? だったら同じようなものでしょう?」
「魔女を追い出して何が悪いのよ!」
「……。……やっと、通えたのに」
アイビーがエイデンの暗殺なんて酷い任務を引き受けたのは、一生に一度だけ、短期間でいいから学校に来てみたかったからだ。
退学だろうが転学だろうが、この学校を離れることになった時点で、暗殺は失敗と見做されるだろう。新しい学校にも入れてもらえるとは思えない。
でも、それ以上に今はここにいるのが怖かった。ネリリンに噛みつかれるのは不快だ。
――それなら、簡単だ。追い出せばいい。だって、ネリリンが先にそう言ったのだから。
それに、いずれエイデンを殺すときに、人を攻撃できなければならない。
慣れるには、ちょうど良い相手だろう。そう考えたら、泣きたくなった。
だから少しだけ、嘲笑するように口が動いた。
「そもそも、あなたは勝つつもりで申し込んできたんじゃないんですか? 私に勝てるのに、負けたときのことなんて考えなくても良いのでは?」
「……それもそうね! そこまで言うなら、受けてあげてもいいわ!」
「あなたが申し込んできたんじゃないですか……」
頭の中で話を捻じ曲げないでほしい。言っても無駄だろうとは思うけれど、彼女がずっとこの調子で相手を閉口させてきたのだとしたら、やるせない。
「何? まだ文句があるの? 聞きなさい、魔女! 私とブルースターは、アンタなんかに負けないんだから!」
ネリリンは、ずっと後ろに控えさせていた妖精の腕に抱きつきながら叫んだ。
「そちらの妖精さんは、ブルースターさんと言うんですね。では彼女もこの決闘に同意をされたんですか?」
「は?」ネリリンはポカンとして言った。「なに言ってんの? 私は他人のために頑張れる子だってよく褒められるのよ? ほら行きましょ、ブルースター」
ネリリンは、自分の妖精に寄りかかるようにして引っ張っていく。
その腕に付いているブレスレットの桃色のパーツが、袖口からキラリと輝いた。僅かにアイビーの中で沈殿する違和感が、ネリリンが遠ざかるにつれて大きくなって、でもそれが何かはわからなかった。
ブルースターは、歩きにくそうによろけながら、アイビーのほうを振り返りかけた。けれどネリリンに足を踏まれて、諦めたように歩いていった。
彼女たちがいなくなった途端に、どっと身体が重くなったような気がして、アイビーは唇を噛み締めた。その場にしゃがみ込んでしまいたくなったけれど、まだ、知らない生徒たちはアイビーの様子を窺っていた。
「……大丈夫?」
一言、静かに気遣う声が聞こえて、慌ててエイデンに視線を向ける。鮮やかな赤い瞳が、アイビーをじっと見つめていた。
「……すみません。見苦しいところを、お見せして」
アイビーは曖昧に笑ってみせた。ネリリンと同じように、咄嗟に気に入らない相手を無理やり排除しようとした今の自分が、あまりにも惨めで、醜いような気がした。
だから、できれば今は、エイデンと話したくなかったし、走って逃げ出したくなった。――でも。学校から追い出すべき魔女は、校内のどこに逃げたらいいのだろう?
「……あの、ありがとうございました。えっと、失礼します」
「待って。こっちに来て」
踵を返そうとしたのに、エイデンに手首を掴まれる。強い力ではなかった。けれど、そのまま歩きだしたエイデンに、やんわりと引っ張られる。
アイビーは戸惑いながら、しばらく手を引かれるまま歩いた。そして、アイビーには馴染みがない方角に向かっていることに気づいた。
「あ、あの……!」
結局廊下の曲がり角を二回曲がったところで、アイビーはようやく声を上げた。エイデンが立ち止まり、振り返る。
「どうかした?」
「ええと、どこに行くんですか? この奥は、職員室とか、理事長室とかじゃ……」
「うん、だから、ここ。着いたよ」
「え?」
アイビーは、エイデンがそう言って指差した部屋を見つめた。扉の全面に大きな樹のモチーフが施されたそこには、『生徒会室』と書いてあった。
「あの……?」
「入って」とエイデンが扉に触れる。認証があるのか、カチリと音がして、扉に描かれていた大樹の葉が緑に色づいた。そのまま開かれた扉の中に、そっと引き込まれる。
「今日は、生徒会の定例会議の日じゃないから。ここなら、しばらくの時間は誰も来ないはずだ。泣いても構わないよ」
背後でパタンと扉が閉まる。振り返ったエイデンは、目を見開いたアイビーを見て、静かに視線を外した。
「そこのソファに座って。僕は奥で飲み物を淹れてくるから」
「……ありがとう、ございます」
「うん」
エイデンは、頷いて部屋の奥のドアに向かっていった。赤い髪が消えた途端に限界が来て、アイビーはその場にしゃがみ込んだ。
「……、……っ……、……ぅぅ……っ……」
怖かった。ネリリンに一方的に絡まれて怒鳴られるのも、周囲の視線も。本当は、ここにいるのはずっと怖いのだ。
寮の自室にいるときだって、気なんか抜けない。弱みを見せるわけにはいかない。魔女が隙を見せたら致命傷になる。
――そう思っていたのに、エイデンは、ここでアイビーが泣いてもいいと言ったのだ。
「……っ、ひ……っ、ぅぅ……っ……」
……どうして術師はほんの一部を除いて酷い人ばかりなのに、よりによってエイデンは優しいのだろう。
……そんな人を、どうして殺さなければならないんだろう?
「……っ、ふ……ぅ、っ……」
やがて、どうにもならない悔しさと虚しさのズレが収まってきて、アイビーは息をついて目元を拭った。
立ち上がり、エイデンが指定したソファに近づく。
どうやらここは生徒会の応接スペースらしい。ビリジアンの壁にダークブラウンの腰壁の装飾、グレーの厚い絨毯にアンティークな燭台を合わせた、重厚な空間だった。腰壁と同じ色の革張りのソファは、木製のローテーブルを挟んで四つ置いてある。
そのうちの一つに腰掛けて、ゆっくりと目を閉じた。今さら泣き疲れるなんて、子供っぽい。情けない。こんなことをしている場合ではない。
「……落ち着いてきた?」
やがて奥のドアが動いて、エイデンが声をかけてきた。
「はい。ありがとうございます」
頷いてお礼を告げる。立ち上がろうとしたアイビーに「座っていて」と告げたエイデンは、静かに近づいてきてアイビーの前にトレーを置いた。
大きめのティーポットに、空のティーカップが二つ、それとお菓子が盛られた皿が一つ。
「良かったら、食べて」
そう言って、エイデンはアイビーの前にお菓子の皿を置いた。白いクリームの上品なカップケーキが一つ、ナッツ入りのクッキーが二枚に、チョコレートまで三粒も載せられている。
「こんな、あの、いいんですか?」
奇数が目立つお菓子を自分の前に置かれたということは、エイデンはこれを全部アイビーの分として渡してきたのだろう。
「いいよ。お茶に入れる砂糖とミルクはこれ」
シュガーポットとミルクピッチャーを、手際良く並べられる。エイデンはそのままティーカップに優雅な手つきでお茶を注いで、アイビーの前にサーブした。
「紅茶は好き?」
アイビーはほとんど見惚れながら頷いた。
「あ……その、好きです……!」
そして、自分の発した「好き」という言葉に勝手に衝撃を受けた。
「あっ、い、今のは、お茶の話で……っ……?」
手を意味不明に動かして、ばたばたと取り繕う。そして気づいた。むしろ他に何の意味があったというのだろう。
「……わ、わかってる」
勝手に墓穴を掘ったアイビーを見て、エイデンは気まずそうに目を逸らした。少し、耳が赤かった。
アイビーは何も見なかったことにして、いそいそとシュガーポットを開けた。たっぷりと中を埋め尽くす角砂糖が、全部パステルカラーのハート型だった。
「そうだ。決闘のルールは、把握している?」
アイビーが可愛すぎた砂糖を愕然と眺めているあいだに、エイデンは立ち上がって壁際の本棚に向かっていた。
「え? あっ……一応は……。学校の案内書には、全部目を通したので」アイビーは砂糖を入れられないまま、シュガーポットの蓋を閉めた。「……もしかして、足りませんか?」
「基本的には足りるはずだけど、不安要素は解消しておいたほうがいいかな。特に、理不尽な相手と戦うときは」
エイデンはそう言って、一冊の本を抜き出すと、戻ってきてアイビーの前に置いた。ダークレッドの革張りに金の文字で『パルマケイア魔導学校 決闘法規』と書かれている。
「時間があるなら、読んでみて。より細かな規定が書いてある。これは貸し出せる物だから、寮に持ち帰ってもいいし、放課後にここへ読みに来てもいい。僕は決闘の手続きに入るから、いるとは限らないけれど。コンラッドを頼れば問題ないはずだよ」
アイビーは頷いて、本を手に取った。パラパラとページを捲って中を確かめる。堅苦しい文章と四角い飾り縁が目立つが、内容は整理されていて、重要そうな部分は見つけやすくなっていた。
裏表紙を確認すると、ちゃんと生徒会の管理する貸本だとわかる刻印が入れられている。
「それなら、このままお借りしますね」
「うん。わからない点があれば、僕にでも生徒会の他のメンバーにでも聞いてくれればいいから」
エイデンはほんのりと笑って、向かいのソファに腰を掛けた。
「今は、何かある?」
「……どうして、こんなに優しくしてくださるんですか」
アイビーは、どうしても聞きたくなって問いかけた。それから、恥ずかしくなって俯いた。泣いたせいで、まだ頭がぼんやりとしているらしい。
「すみません。決闘の話でしたよね」
「君は、優しくされていい人だと思うから」
「……そう、なんですね」
はっきりと告げられた答えに、ますます顔を上げられなくなった。
そんなこと、いずれ殺さなきゃいけない相手に言われるなんて。それを嬉しいと思うなんて、おかしい。酷い人間だ。どうかしている。
「魔術師は、強い者が正義だ。君は、わざわざ魔術師の流儀に合わせて戦ってあげているだけだよ」
また泣きそうになっているアイビーに気づいているのかいないのか、エイデンは静かに続けた。
「だから自分の身を守る力を使うことを、躊躇わなくていい」
「……はい」
アイビーは頷いた。まだ声はみっともなく震えていたけれど、泣くのを我慢するよりも泣き止んだほうがいい気がして、ぐっと目元を拭った。
目の前に置かれているクッキーを一枚齧る。喉に詰まりそうな気がして、紅茶を飲んだ。じんわりと香ばしい味わいが口の中に広がって、美味しい。
チョコレートも一粒食べてみる。しっかりと甘くて、少しだけ苦くて酸味があって、気分が落ち着いてくる。
だから、フォークでカップケーキをつついてみた。落ち込んでいた気分が少し高揚するくらいに美味しかった。
エイデンが、くすりと笑う気配がした。それからカチャリとシュガーポットを開ける音。
そして「……あ。補充されてる……」という声がして、数秒後、そのまま閉める音がした。
「――ありがとうございます。ご馳走様でした」
結局お菓子を全部食べてしまってから、アイビーは恥ずかしくなってきて目を伏せた。ものすごく自然に紅茶のおかわりまで注がれてしまっていたし、全部しっかり飲み干していた。
けれど、「どういたしまして」と穏やかに言ったエイデンは、どうやらアイビーが食べ過ぎたとは思っていないらしい。顔を上げると、静かに輝く赤い瞳と目が合った。
「頑張って。魔女としてここに入学しているくらいだから、大丈夫だとは思うけれど」
「……はいっ」
アイビーは、ようやく微笑むことができた。
こんなに素敵な人に信頼されているなら、自分が自分の力を信用することに、何の問題もないような気がしてしまった。




