3-1
「あ、そうだ。コンラッド、これお土産のお菓子」
朝。教室の前に設置された個人ロッカーで荷物を整理していたアイビーは、隣で似たようなことをしているコンラッドに、昨日のお土産を差し出した。
「え? いいのか? 俺、アイビーに悪いことしたのに」
そう言ったコンラッドは、今は元気そうになってきたが、学校へと戻ってきたのは昨晩遅くで、あまり休めなかったらしい。朝食のときは、随分と眠たそうに大盛りのコーンスープの真上で船を漕いでいたのだ。そうなると、労る気持ちこそあれど、もう責める気にはなれなかった。
「いいよ、結局コンラッドのおかげでエイデン先輩には会えたし。あと、私が今、学校が楽しいのも、半分くらいコンラッドのおかげだから」
「そっか。じゃあ有り難く」とコンラッドは笑って受け取って、首を傾げた。
「残りの半分はエイデンか?」
「そう。半分……と、ちょっとくらい」
「俺は半分弱じゃねぇか、それ」
「エイデン先輩が素敵すぎるだけだから、それは許して」
「はいはい」
話しながら、教室に入る。お土産のお菓子はロッカーにしまうかと思ったのに、コンラッドはさっそく教室内に持ち込んで、箱を開けた。
「……おっ、これめっちゃ好きなやつ! よくわかったな、アイビー。もしかして魔女の勘か?」
「まさか。えっと……たまたま……人気だって、聞いたから。コンラッドも好きかなって」
実際にはエミリーが選んだのだが、これもエミリーには言わないでと口止めされていた。ストーカーになるつもりはないのだと、大真面目に言っていたのだ。
コンラッドはニコニコとして頷いた。
「すげぇ好き。俺、小さい頃に、胡桃割り人形を作ってさ。クリスマスプレゼントで幼馴染みにあげたんだ。そうしたら、やたら気に入ってくれたのはいいんだけど、自分が食べきれなくてもどんどん胡桃を割ったらしくてさ。で、そいつの家のお抱えパティシエが、こうやってチョコレートを絡めたのを、いっぱい俺にくれたんだ」
「へえ、なんかすごいね。楽しそうだけど」
世の中には、家にお抱えのパティシエがいて、食べない胡桃を好きなだけ割っても怒られずに可愛がられる人がいる。とても微笑ましいけれど、ちょっと狡い。
アイビーは苦笑しながら机の上にノートとペンを並べた。
「まあ、これエイデンのことなんだけど」
「えっ?」
さすがにエイデンのことだとは思わなかった。アイビーは開こうとした教科書を落としてしまい、慌てて拾った。
「アイツ、ああ見えて昔は結構我が儘だったんだよな。俺、今はこれ大好物だけど、あの頃はどっちかというと身長も低いほうだったしさ。胡桃みたいなナッツ類とか、魚の小骨とかは、けっこう喉に引っ掛かることがあって……味は好きだけど苦手っていうか、あんまり量は食べたくなかったんだよ。なのにアイツ、自分が胡桃を割りたいからって、俺が胡桃を大好物だって言わないと不満そうな顔してきてさ。まあ俺の腕が子供にしては良くて、大粒の胡桃がどんどん綺麗に割れたのが悪いんだけど」
「……そうだったんだ。ちょっと意外かも」
今のエイデンの様子から順当に逆算した幼少期は、おとなしく本や図鑑を読んで、大人の言うことを聞いて真面目に魔術の訓練や実験をこなしてきたのだろう、という印象だ。どちらかといえば、我が儘を言わず周囲を困らせたこともない優等生タイプだと思っていた。
「だろ? まあ……いろいろあって、ちょっと変わっちゃったんだけどさ」
「何があったの?」アイビーはつい素直に首を傾げた。好きな人のことは、何でも知りたかった。
しかしコンラッドは頬を掻いて、丸い胡桃のチョコレートボールを一つ、口に放り込んだ。ころりと転がして、片頬を膨らませる。さっきあんなに朝食を口にしていたのに。
「んー……まあ、今もいい奴だよな。むしろ、今のほうがいい奴だ。我が儘じゃないし、エリオスのことも大事にしてるし」
「……前は違ったの?」
「いや、前の妖精のことも大事にしてたし、あれは全面的に俺が悪かったんだけど……なんていうかさ……」
コンラッドは眉を寄せた。頬の丸みがコロコロと入れ替わる。
どうやら、話したくないことを聞いてしまったらしい。アイビーがそう悟った瞬間、合わせるように始業のチャイムが鳴った。
「あ、チャイム鳴っちゃった。すっごく気になるけどっ、後でね!」
「……おう」
話を切り上げて、今度こそ教科書を開く。
隣から、カリッと胡桃が砕ける音がした。
「――かつてこの土地は、非魔法使いの領地だった」
歴史教師ベネディクト・アッシュフォードの淡々とした授業を聞きながら、アイビーは無表情を作り続けていた。森で五十年前の教科書を読み込んでいたアイビーにとって、術師たちに都合よく断定される歴史は、大半が改変まみれで腹立たしい。
「――しかし無力な非魔法使いたちは、彼らよりも生産性の高い魔法使いたちを恐れ、都合よく使いつぶしながら迫害した」
魔法使いとは、今でも消極的に魔女も含む、この国で生まれつき魔力を持つ者の総称だ。
かつて非魔法使いの王族やそれに連なる権力者たちに仕えていた魔女は、聖者の仕事を望まれる寵臣でありながら、賤職とされていた。
そして個性を尊重する傾向の魔女から、より集団規律を重視する精霊術師たちが派生した。
――その成り立ちならば当然ともいえてしまうが、命令体系に従うことに重きを置いた精霊術師たちは、特に権力者たちの横暴に晒されたらしい。
そのことに耐えられなかった魔女たちは、精霊術師たちと、さらに新たに生まれていた魔術師派閥と協力して、非魔法使いたちを他の土地へと追いやった。
古い地脈に含まれた魔力に適応した者たちだけが残ったこの国には、今はもう、魔法使いしか生まれない。
「――そこで百十年前、非魔法使いたちの悪政に抵抗すべく、術師たちが立ち上げたのがソティカーテ連盟であり、勝者となって連盟国となった」
それが後世から見て絶対的に正しいとは言わない。でも魔女たちは、魔女とそこから派生した術師たちが、非魔法使いの兵器にされて尊厳を見失う世界を、変えたかったことは確かだ。
だが、その魔女たちは、今の術師社会には含まれない。魔女を国民とは認めない国になっている。
「ここまでは理解しているな」
酷い話だ。ソティカーテは当初、むしろ魔女の国だった。
アッシュフォードが、一瞬だけアイビーの顔を見た。すぐに目を逸らして、話を続ける。
「しかし、このソティカーテの国土は広い。現在の人口は十五万人程度であり、そのうちの六万人ほどが精霊術師、五万五千人ほどが魔術師、三万五千人ほどが錬金術師と数えられている。大半は農業都市シルヴェリース、商業都市カーミア、工業都市グリムヴァイン、中央行政都市アルセノール、そしてここ学園都市ネフェロニカの管轄区域のどこかに住んでいる。それはなぜか――コンラッド・セルビー。答えられるか」
コンラッドがよく通る声で答える。
「はい。術師に管理可能な土地が限られることと、現在の人口からすれば、都市部のみでも基本的に居住地は足りているからです。都市部外での採取・採掘などが必要な資源については、対応する都市に属した特区を置いています」
「そうだ。管理コストに見合う場所のみを飛び地管理すれば、資源は十分に足りている」
アッシュフォードが頷く。しかしコンラッドは、ちらっとアイビーを見てから、少し声のトーンを弱くして疑問を呈した。
「あの、先生。面白そうな資源地の大半が妖精王の支配域で、術師が手を出すメリットがデメリットを下回っているからでは?」
「……コンラッド・セルビー。今は教科書の話をしている。持論は分けて持っておけ。そのほうが好成績を取れて、持論を展開できる日が早くなる」
アッシュフォードが軽く息を吐いた。
「もっとも……ただの妖精ならともかく、妖精王と土地の交渉など、むざむざ死にに行くようなものだ。間違っても学生のうちに決行するなよ。そういう奴らのおかげで胃に穴を開ける教師もいるんだ。――続けるぞ」
アイビーは教科書をめくりつつ、先ほどのコンラッドの目配せの意図に思い当って苦笑した。妖精と関係を築けるかもしれない魔女なら、錬金術師が面白がれる資源地にも行けるのでは? という期待だろう。
しかし目の前の事象そのものから生まれる妖精とは違い、妖精王はその土地の概念の化身である。だからこそ術師とも魔女とも土地を棲み分けている存在だ。アイビーも別にその理由では死にたくはない。
窓から吹き込んでくる風が、教室の空気をさらりと入れ替える。
学園都市ネフェロニカは、術師の子供たちが、学生時代に必ず訪れる場所だ。全寮制の高等学校のどこかに入り、三年間、序列と青春を育みながら、広くささやかな世界を知る。
魔女も今は一人だけ、ここにいた。異物だとしても、教科書がくだらなくても、アイビーはまだここにいたかった。




