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駅のほうに戻ると、落ち着いた赤髪の少年が、周囲を見回していた。
あれ? とアイビーが目を留めたのと同時に、彼の赤い瞳もアイビーを見た。
「こんにちは」
まさかのこちらに近づいてきたエイデンに、アイビーは慌てて前髪を直した。
「エイデン先輩……! ぐ、っ偶然ですね! こんにちは!」
「街は楽しめたのかな」
「は、はい!」
勢いよく頷くと、エイデンは穏やかに目を細めた。
「それなら良かった。もう帰るところ?」
「はい!」
「……僕も同行しても、構わないだろうか」
「ええっ? 私、えっ、私にですかっ? いいんですか?」
勢いよく困惑した。エイデンは少しだけ照れたように、伏し目がちになっている。でも先程の様子からすると、何か探していたか、待ち合わせをしていたように見えたのだが。
「今朝、コンラッドが僕を探していた、と……さっきシルヴェスターに会って、聞いたんだ。僕は昨日の放課後から、実家の用事で学園都市を離れていたから、学生章の通信範囲では届かなかったみたいで。それで、戻ってきてからコンラッドからやっと話を聞いたんだ。君はまだ大きな街を歩くことに慣れていないだろうから、自分が同行できない代わりを、僕に頼むつもりだったと」
「へ」
なんだか話が大事になっている気がする。
「だから一応、今さら来たんだけど……ごめん、もう遅かったね」
「い、いえ、ありがとうございます! お気遣いいただけて、とても嬉しいです」
まだ少しなんの奇跡が起きているのか飲みこめていないまま、アイビーは上擦った声で答えた。しかも直前まで遠出をしていたのに、わざわざ来てくれたなんて。
『……怪しくない? 優しすぎるよ』とニヴァリスが頭の中でボソリと呟く。
しかし頭の中の苦言を遮るかのように、ふいにアイビーの学生章が温かい光を放った。
着信だ。慌てて学生章に触れながら、エイデンを見る。軽く頷いて「どうぞ」と言ってくれた。
「あ、えっと――コンラッド?」
魔力の気配には個人差があるので、受ける前からなんとなくわかる。
『おう、今いいか?』
「えっと、うん、大丈夫。私はエイデン先輩といるよ」
たぶんその話だろうと思って、付け加えておく。コンラッドは『良かった』と笑った。その話だったようだ。
『もう合流できてたのか。ごめん、エイデンと話してからすぐに連絡するつもりだったんだけどさ、なかなか手が空かなくて……じゃあ、もう説明は聞いたな?』
「うん。ありがとうね」
『おう! じゃあ邪魔しないようにもう切るな! また明日な!』
「うん、また明日」
ふっと学生章の仄かな光が消える。アイビーは、軽く息を吐いた。学生っぽいことをする高揚感と、対面以外の会話方法に慣れていないせいの緊張と、目の前で待ってくれているエイデンの存在で、なんだか鼓動がせわしない。
「お待たせ、しました」
「ううん。行こうか」
エイデンが優しく首を横に振る。けれど歩き出そうとするエイデンを追おうとして、アイビーはふと足を止めた。エイデンの、すっとまっすぐな綺麗な背が、目に留まる。
『……簡単に背中を見せてくれるわね? 魔女のアイビーのことを、人を害さないと信用してくれているのよ。それなのに』
ニヴァリスが嗤う。エイデンが振り返る。
「どうかした?」
「あ……私、こんな街中で、エイデン先輩と一緒に歩いていいんでしょうか? ……魔女なのに」
エイデンは、綺麗な厚みのカーディガンを着ていた。折り目正しい白シャツの上に羽織った濃いグレーのそれには、埃一つついていない。
昨夜、必死にほつれを直して、ちまちまと毛玉を取ったワンピースを着ている自分が、その隣を歩くのはおかしいような気がした。
……だって、今も通り過ぎる同世代の集団が、怪訝そうにアイビーとエイデンを見比べながら通り過ぎていった。
「気づかない人も少なくないよ」
エイデンは、困ったように笑った。
「魔女は、外見ではわからないから。それに僕がエイデン・フラムスティードだということも、魔術師の一部以外はそれほど関心はないよ」
アイビーは言葉に迷った。だが顔を上げて周りを見れば、確かに通り過ぎる人の大半は他校の生徒なのか、魔女であるアイビーどころか名門魔術師の家系のエイデンにすら目を留めていない。
他人を気にしている人はごく一部で、ほとんどの遊ぶことに忙しい彼らの関心は、側にいる騒がしい友人やキラキラした広告、そして街の全景のようだった。
ここはアイビーが母と二人で住んでいた森ではなく、その近くの百人ほどの村でもない。数千人がいる街なのだ。
「……もちろん、嫌なら無理にとは言えないけれど……僕が勝手に来ただけだから」
エイデンは、ゆっくりとそう言った。
『……なら、もういいんじゃない? だって、本人がそう言ったんだもん。わざわざアイビーを探してくれたんでしょ?』
ニヴァリスが先ほどとはうって変わって、都合の良いことを囁く。
「あ、あの。行きます」
アイビーは声を絞り出した。途端に周りのことなんか気にならなくなった。そうだ、この短い期間を楽しむためにここに来たのだ。差別や区別をされるためではない。
「良かった。来た甲斐があった」
エイデンはまるで安心したように表情を緩めた。
駅の中に入る。学園都市をぐるぐると右回りと左回りに回る、二列の高架列車のための駅だ。広くはないが長めの階段が映える、明るく整った空間である。
エイデンから半歩遅れて、そわそわと階段を上がる。
ホームからはどちらも列車が出たばかりのようで、閑散としていた。といっても、街に出た生徒たちが夕食を学校で食べるならば、そろそろ帰る時間の手前だ。時刻表はじっくり見るまでもなく、一時間の枠の中に四つも書いてある。少し待っていれば来るということだ。
七日に一度だけ商隊が来るような静かな村とは、何もかもが違う。
そして、そのちょっとした時間は、むしろ好機だった。その分エイデンと長く過ごせる。
「あ、あのっ、少しお尋ねしても構いませんか? エイデン先輩は、お好きな食べ物はありますか?」
「好きな食べ物?」
エイデンは不思議そうに繰り返してから、少しだけホームの外のほうを見た。
「糖蜜パイかな」
「えっ、そうなんですね!」
もっとお洒落な食べ物を想定していたが、アイビーにも親しみやすい物が出てきた。糖蜜パイなら、アイビーも小さな頃にちゃんとした物を食べたことがある。
昔は定期的に父や近くに住む魔女の知人たちが、ひっそりと村へ降りて、商隊を通じて村人が仕入れた贅沢品も、少しずつ譲ってもらってきてくれたからだ。
「君は? 何が好きなの?」
「ええと、キャロットケーキです」
これは子供の頃に、普段からおやつとして母がよく作ってくれたのだ。
バターと砂糖がなくても、小麦粉の代わりに大麦や木の実の粉と人参と蜂蜜、そして魔女にとって大切なエウリュの樹の糖蜜で作るケーキは、たぶん都会の正しいレシピではないけれど、美味しかった。
秋や冬にはカボチャや芋と人参のケーキでもあって、フロスティングはヤギのチーズが定番だった。
「キャロットケーキか……いいね。僕も好き」
エイデンはそう言って目を細めた。この瞬間、アイビーの中でエイデンは、優しくて品があって素朴な温かみもわかる、素敵すぎる人となった。
ホームに少しだけ人が増えてくる。アイビーはそわそわしながら、他にも聞きたかったことを尋ねた。
「……エイデン先輩は、いつもエリオスさんとどういう風に過ごされているんですか?」
「エリオスと?」
エイデンが首を傾げた。途端に空中からふわりと赤い鳥の妖精が現れる。
「……勉強しているところを見守られたり、色々世話を焼かれたりしている……かな」
エイデンが差し出した腕に、エリオスは当たり前のように留まった。
「あと、たまに撫でさせてもらっている。落ち着くから」
「そうなんですか?」
少し意外である。第一印象のなんだか冷めている人とは、随分と違ったらしい。
エリオスが、軽く首を伸ばして頭を下げる。その首筋を、エイデンがそっと撫でた。それも、撫でてあげているのではなく、撫でさせてもらっている状態らしい。
……妖精のほうから世話を焼きにきているつもりで、エイデンが甘えている自覚があるのなら、魔術師といっても、今朝見たネリリンとはやっぱり違う気がする。
「ちなみにエリオスは、焼いた林檎が好きだよ」
「そうなんですね。もしかして自分で焼いたりされるんですか?」
エリオスは、アイビーを見て軽く首を縦に振ると、余裕そうに翼を軽く広げてくれた。
やがて列車が来て、エリオスはふっと姿を消した。
乗り込んでしまうと、ホームよりも狭い列車の中は、あまり会話をする雰囲気ではなくなってしまった。
けれど、そのぶん長椅子に並んで腰掛けた距離が近くなり、アイビーはなんとなく息を潜めて目を伏せた。
やがて駅に着くと、その後は一斉に降りた生徒たちの流れに従って、そのまま一番近い学校の校門に入ることになった。何も話せないまま、エイデンが男子寮側に行く道の手前で立ち止まった。
「じゃあ、またね」
穏やかなまま、そう言われる。
アイビーはすぐに頷けずに、エイデンを見上げた。
「……あ、あの……っ!」
周りの生徒たちはどんどん通り過ぎていって、一瞬だけ周囲が空白になった。きっと今のうちだった。
「がっ……がっ、学生章、のっ……こうか……っ、れ、連絡先の……交換を……」
どんどん視線が下がって、エイデンの顔が見られなくなった。
個人的すぎるお願いをすることが、こんなに緊張するなんて思わなかった。変な子だと思われたかもしれないし、そもそも聞き取れなかったかもしれない。
「……む、無理なら……」
アイビーはおそるおそる顔を上げて、もう一度エイデンの表情を窺った。
「いいよ」
エイデンは、軽く見開いていたらしい目を、柔らかく緩めた。
「むしろ、喜んで」
「えっ……」アイビーは驚いた。「――いいんですか?」
「いいよ」
『もう、馬鹿みたいな反応してないで、さっさと用意したら?』
頭の中でニヴァリスが辛辣になる。アイビーは慌ててポケットの学生章を取り出した。
エイデンが差し出す学生章と重ねると、ふわりとお互いの魔力情報が交換される。離すときに、偶然指先が掠めた。アイビーは真っ赤になってお礼を言った。
「あっ、ありがとうございました! 今日は、本当に……会えて嬉しかったです。ありがとうございます。では、ここで失礼します」
ぎゅっと胸の前で学生章を握りしめる。
エイデンの白い喉が、ふと目に留まった。




