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泥塗れで絶望する令嬢は、それでも心を失わない。 ◈ ♧  作者: 逆立ちハムスター


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6 壁の花

――そこは、文字通りの『別世界』だった。

天井には数え切れないほどのクリスタルシャンデリアが輝き、部屋中を真昼のような光で満たしている。壁沿いには、一生かかっても食べきれないほどの贅沢な料理や色彩豊かなデザートが山のように並べられ、バルコニーからは楽団が奏でる優雅なワルツの生演奏が響き渡っている。

色とりどりのドレスが舞い、宝石が乱反射し、香水の甘い匂いが充満する、眩暈がするほどの華やかな空間。


私は会場の入り口で、先に到着していたオルタンス夫人の姿を見つけた。

夫人は扇子を優雅に揺らしながら、顎で会場の奥、光が届きにくい壁際の薄暗いスペースを指し示した。

「……あそこに行きなさい」

私は、言われるがままに壁際の椅子へ向かう。


その席には数人の貴族の女性が座っており、私は一番距離のある、端の席へと歩み寄り、腰を下ろした。


座る前に見えた、リボンやフリルで着飾った年輩の凛とした女性や、私と同い歳ほどに見える女性も座っていた。


私と同い歳ほどの女性は、片足が短く、座っている姿勢も、どこか歪んでいた。彼女がドレスの裾を強く握り、耐えているのが見えてしまったのが、私にとって、とても辛く苦しかった。


しかし、たとえ隅に隠れたところで、周囲の悪意から逃れられるわけではなかった。

私が席についている間も、会場にいる貴族たちは、グラスを傾けながら、何度も遠回しに私を窺い見ていた。

絶対に視線は合わせない。しかし、確実に私を話題の中心に据え、ヒソヒソと囁き合っている。


「また来ているのね。ギシュノン嬢」

「あの方、まだ若い気でいるのね。それにしても、今夜の装いは一段と酷いわね。本当にかわいそうなマドモワゼル(哀れな行き遅れさん)」」


彼らの瞳に宿っているのは、純粋な嫌悪感と、社会の最底辺を見るような侮蔑の光だった。


「あそこに座っているヴァリエール家の長女を見たか? まるで折れた街灯みたいに背中が曲がっているじゃないか。妹君の輝くような美しさと並ぶと、まるで絵画のシミだな」

「全くだ。よくあんな*『傷物』を夜会に連れてくるものだ。あれでは、いくら持参金を積まれても、ダンスの手を取る男など夜会の終わりまで現れまいよ。近づくだけで不吉だ」


「あの子は可哀想に、生まれつき『天の恵み』をすべて妹に奪われてしまったのね。あんな歪んだ体でコルセットを締めるなんて、見ているこちらまで息が詰まりそうだわ」

「ええ、あの子にできることと言えば、あの椅子から一歩も動かずに、妹たちの見事なダンスを引き立てる『生きた背景』になることくらいでしょう。あれでは結婚どころか、一生修道院の暗闇で過ごすしか道はありませんわね」


まるで自分が言われている事のように、胸が張り裂けそうなほど苦しくなった。私は膝の上で両手を強く握り締め、ただ、他の女性同様、この時間が過ぎ去るのを耐えるしかなかった。


どれくらいの時間が経っただろうか。

壁際でじっと動かずにいた私の身体を、再び猛烈な『眠気』が襲い始めた。

胃袋の中で消化活動が活発になり、疲れ切った脳から意識を奪い取ろうとしている。加えて、背中の火傷が熱を持ち、熱病のようなダルさが全身を支配していた。

(駄目……起きなきゃ。頑張って、起きていなきゃ……!)

頭の中で必死に警鐘を鳴らすが、身体が全く言うことを聞かない。

カクン、と首が落ちる。はっと気づいて姿勢を正すが、数秒後にはまた瞼が重く垂れ下がる。

私のその無様な様子は、周囲の貴族たちにとって、格好の攻撃材料となった。


音楽の合間に、辛うじて彼らの話し声が耳に届く。


『ねえ、見た? 誰だか分からないけれど、隅っこであんなだらしないドレスを着て、居眠りしている品のない女がいるわ』

『本当。神聖な王宮の夜会で舟を漕ぐなんて。信じられないわね』

『あれは、例のモルヴァン伯の……娘らしいぞ』

『ああ、やはり。じゃあ、御家族が言っていた「父親の死で頭がおかしくなった」という噂は、本当だったのか』

『ええ、あの異様な様子を見れば明白よ。狂人に等しいわ。せっかくの英雄の血筋なのに、なんて恥晒しなのかしら』


(違う……私は、狂ってなんか……)

心の中で叫んでも、声には出せない。夫人の「一言も喋るな」という命令が、呪いのように私の喉を締め付けているからだ。


意識が遠のきそうになった、その時。

「まあ、可哀想に……」

甘ったるい、聞き覚えのある声が頭上から降ってきた。

顔を上げると、そこには完璧な笑みを浮かべたアンジェリックが立っていた。彼女は周囲の貴族たちに聞こえるように、慈愛に満ちた『心優しい姉』の演技を完璧にこなしている。

しかし、彼女が身を屈め、私の耳元に顔を近づけた瞬間。その声は、氷のように冷たく、底意地の悪い毒へと変わった。


「……出がけに聞いたわよ。厨房で、まるで飢えた獣のように食事を貪ったそうね」

「っ……」

「普段はカビの生えたパンしか食べていないのに、あんな獣のような浅ましい真似をして胃に詰め込んだら、眠くなって当然よ。ここで醜く寝こけて、永遠に目を覚まさなければいいのに」


アンジェリックは私の耳元でそう囁くと、何事もなかったかのようにすっと身体を離した。

「……私は、あなたが心配よ」

そう周囲にアピールするように悲しげな顔を作り、彼女は優雅に踵を返した。

少し離れた場所で、貴族の一人がアンジェリックに声をかけるのが見えた。

『アンジェリック嬢。なぜ、あのような狂った妹君にわざわざ話しかけたのですか?』

まるで汚物に関わったことを軽蔑するような表情の貴族に対し、アンジェリックは目元をハンカチで押さえ、嘘の涙を流し始めた。


『あの子は、可哀想な私の妹なのです。父親の死のショックで心を病んでしまって……。妹が心配で、少し休むようにと声を掛けたのだけれど……「あっちへ行け」と、酷い言葉で罵られてしまって……っ』

ヒッ、としゃくり上げる完璧な演技。

それを見た周囲の貴族たちは、すべてを納得したように深く頷いた。

『なんて心優しい姉君なのだ』

『それに引き換え、あの狂った娘は……』


彼らは一様に、私を親の仇でも見るかのような、この世で最も軽蔑しきった目で睨みつけた。

そして次の瞬間、誰が合図をしたわけでもなく、彼らは一斉に私に背を向けた。

まるで、最初からこの空間に私など存在していなかったかのように。グラスの酒を味わい、優雅な音楽に耳を傾け、貴族同士で会話に華を咲かせる。

徹底的な『無関心』と『排除』。それが、この華やかな社交界が私に下した判決だった。


誰も私を見ない。誰も私に話しかけない。

私は巨大な広間の片隅で、抗いがたい眠気と、火傷の痛みと、そして息もできないほどの圧倒的な孤独の中で、ただただ沈みゆく意識に耐え続けることしかできなかった。

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