第6章 黒森最奥 重力の予感
カイは黒森のさらに深い領域へと足を進めていた。
木々が密集し、陽光がほとんど届かない薄暗い空間。空気は重く湿り、地面からは黒い霧がゆっくりと立ち上っている。
「ここまで来ると、さすがに魔王軍の本気が出始めてるな……」
彼は木の幹に軽く背中を預け、双剣の柄に手を添えたまま周囲を警戒する。
すでに三十体以上の斥候を倒してきたが、最近は敵の質が明らかに変わっていた。
ただの兵士ではなく、特殊部隊の気配が強くなっている。
「反転スキル……お前が持つその力、魔王軍上層部が本気で目をつけ始めたようだ」
突然、頭上から低い声が降ってきた。
カイが跳び退ると同時に、巨大な木の枝が折れ、黒い影が地面に降り立った。
身長二メートルを超える魔人。全身を漆黒の重装甲で覆い、背中には重力の紋章が刻まれている。
『重力公爵配下 第一執行者』ガルド。
「ようやく本命が出てきたか」
カイは笑みを浮かべ、双剣を抜いた。
ガルドはゆっくりと右手を掲げる。
すると、周囲の空間がわずかに歪んだ。
「我が主・重力公爵より命を受けた。
お前の『反転』を解析し、対策を練るための生け捕りだ」
「生け捕り? 随分と余裕だな」
カイは地面を蹴った。
落下の勢いを反転させ、一気に上空へ跳ね上がる。
そのまま上昇中に再反転——
「天空反転刃!」
流星のような急降下斬りがガルドの頭上を狙う。
しかし——
「無駄だ」
ガルドの周囲で重力が急激に変化した。
カイの落下軌道が、わずかに曲がる。
まるで目に見えない手で体を押し下げられるような感覚。
「っ……!?」
着地がわずかに遅れ、双剣がガルドの肩をかすめるだけで終わった。
反転スキル自体は物理法則を反転させるが、相手が「重力そのもの」を操っていると、軌道予測が狂う。
「面白い。確かに物理のみでここまで『向き』を支配するスキルは稀だ。
だが重力は、すべての物理現象の根源。
お前の反転など、容易く歪められる」
ガルドが拳を振り下ろす。
ただの拳ではない。重力を集中させた一撃が、空気を引き裂きながら迫る。
カイは後方へ反転して回避。
即座に再反転して側面から回り込む「間隙疾走」を試みる。
しかしまたしても——
重力がカイの体を横から押さえつけ、動きが鈍る。
まるで全身に鉛の鎖を巻きつけられたような重圧。
「くっ……これは、ちょっと厄介だな」
それでもカイは笑う。
彼のスキルは「成長しなくてもいい」。
あるがままの反転で、どうやってこの状況をぶち破るか。
彼は近くの巨大な木の幹を思い切り蹴った。
後方へ飛ぶ反転をかけ、即座に前方再反転。
木の反動を倍増させた高速突進でガルドに迫る。
「森の回転木馬・改!」
体を高速回転させながら木から木へ跳び移り、ガルドの死角を次々と突く。
一撃、二撃、三撃……双剣が閃くたびにガルドの装甲に傷を刻んでいく。
「小賢しい!」
ガルドが両手を広げ、重力場を全方位に展開。
周囲の木々が一斉に軋み、地面が陥没し始める。
重力の圧力がカイの体を押し潰そうとする。
その瞬間、カイは自ら高く跳び上がった。
落下を開始し、重力に身を任せて加速——
「反転!」
上空へ跳ね上がり、
上昇中に即再反転——
「天空反転刃・連!」
今度は二連続の急降下。
一度目はガルドの注意を上空に引きつけ、
二度目は着地と同時に木を蹴ってさらに加速した三度目の落下を加える。
ズドドドンッ!!
三連の衝撃がガルドの胸部に炸裂した。
重装甲が大きく凹み、魔人が初めて膝をつく。
「がっ……この小僧……!」
カイは着地し、息を整えながら双剣を構え直した。
「重力は確かに厄介だ。
俺の反転で直接ねじ曲げられない。
でもな——」
彼は周囲の木々を見回した。
「この森全体を自分の滑走路にして、
お前の重力場を『予測しながら』動くことならできる。
物理法則を全部掌握してるわけじゃないんだろ?」
ガルドの仮面の下で、目が鋭く光った。
「……解析対象として、十分に価値がある。
次に会う時は、もっと本気の部隊を連れてくる」
魔人は黒い霧に包まれ、その場から瞬間移動のように姿を消した。
カイは双剣を収め、大きく息を吐いた。
「ふう……勝った、けど完全勝利じゃないな。
重力系は本当に天敵かも……」
彼は倒れた木の幹に腰を下ろし、通信結晶を取り出した。
「みんな……今頃何やってるんだろうな」
結晶は沈黙したままだった。
相変わらず、誰もすぐに返事などよこさない。
それでもカイは微笑んだ。
「いつか、みんなでこの森を駆け抜ける日が来るといいな。
その時は、きっともっと気持ちいいはずだ」
黒森の奥で、反転の疾風はまだ止まらない。
魔王軍の影が徐々に濃くなり始めていた。
(第6章 終わり)




