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誇り高い悪役令嬢は冷たいのではなく、不器用なだけです 〜それを理解するのはライバル令嬢だけ〜  作者: 花田一郎
第1章:誤解と観察

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第9話「遠ざけるという命令」

 夜の帳が下りた女子寮は、昼間とはまったく別の世界に見えた。

 同じ廊下に扉が並んでいるだけなのに、人の気配がないだけで奇妙なほど静まり返っている。明かりの落ちた壁際、等間隔のドア札、窓から差す月明かり──それらが、幼い頃に歩いた実家の邸宅の廊下を思い出させた。

(…ラフィエラの部屋、今日はやけに遠く感じますわね)

 共用の長椅子に腰を下ろし、あの女の部屋へ視線を向ける。

 ラフィエラの部屋は私の部屋から四つ先。同じ建物の中で暮らしているのだから、本来遠いはずがない。

 それなのに今夜は、窓から差し込む夜の光が『ここからここまで』と線を引いているようで、その境を越えることをためらっている自分へわずかに苛立った。

 言わねばならぬことを、どうしてこうも恐れよう。

 今日だけで三度、ラフィエラまで『裏で糸を引く令嬢』だと囁く声を耳にした。食堂でも、それ以外の場所でも。だからこそ、今夜のうちに切らねばならなかった。


「見本、返してまいりました。寝る前にもルミア様と会えるなんて、とても嬉しいです」


 声の方向に振り向くと、廊下の窓辺にラフィエラが立っていた。昼間は太陽より眩しい髪が、今は夜空で控えめに瞬く星のように見える。

 私がライバルとして距離を保とうとしても、ラフィエラはいつも悪びれもなくその区切りを踏み越えてくる。

 そんな細やかな無神経が、嫌いになりきれなかった。

「……そうですか」

「あと、委員会の修正版の控えも取っておきました。推薦枠の追記が二箇所、導線表の変更も一箇所…」

「もういいですわ、その辺で」

 廊下の端では、消灯前の見回りを待つランプが小さく揺れていた。すべての扉はすでに閉じられていて、人の気配はない。

 だからこそ、この会話が寮中に響いてしまいそうでためらう。そうすると決めていたはずなのに、私はまだ言えなかった。

 ラフィエラは私を弱くする。あの日向のような光を、遠ざけない限り。

「…ルミア様?」

「それ以上、近づかないで」

 もっと早く、この言葉を伝えるべきだったのに。

 周囲には『余計なことばかり言う悪役令嬢』と見られているくせに、ラフィエラには近づかれるがまま、“翻訳”まで許していた。それは私の甘さだった。

 紋章のあるほうの手を強く握る。ラフィエラといるときは生ぬるく熱を持つそれが、今日に限っては石のように冷たかった。

「…今後、わたくしの隣に立つことも、勝手に言葉を丸めることも、今日のように食堂の向かいに座ることもやめなさい。もちろん、『推し活』なんてふざけたことも禁止いたします」

 薄く張りつめた空気に、聞き耳を立てられていないかと背筋が強張る。

 食堂で伝えるべきだった、と今さらながら思う。あの子の冗談めいた態度に、ほんの少し絆されていたのだろう。

 もしもそれで、余計な希望を持たせていたのだとしたら。

 フルーレでは突かれることもない自分の心が、ちくりと疼いた。

「…それは命令ですか? わたしの『本当にいやでいやで仕方ないなら言ってください』という言葉に対する返答ですか?」

「……ええ。伝えることが遅れた点については、謝罪します」

 ラフィエラの声も、私と同じように聞き耳を警戒するように静かだった。食堂のときとは異なり、冗談めかす様子はない。

「理由を伺ってもいいですか? 申し訳ないですが、話してくれるまではお帰しするわけにはいきません」

「あなたまで“材料”にされるからです。薄々気付いているでしょう?」

 その言葉だけは、自分でも驚くほどするりと紡げた。

 嘘いつわりない、本心だったから。

「わたくし一人が悪役であること、それはもう構いません。いつかは正義によってその欺瞞を討ち滅ぼすのですから」

「ですから、わたしは補佐役としてそれを」

「…けれど、あなたが横にいることで、あなたまでもが『操り人形』だの『裏で糸を引いている』だの、そんなふうに扱われるのは我慢なりませんわ」

 ラフィエラは、私の都合通りに動くような人間ではない。

 猜疑心にまみれたこの学園で、この子はあまりにも正しく、優しい。

 だからこそ私は、正面から圧倒して守る側でいたかった。それができず、あまつさえ翻訳係までさせていたのは、私の弱さだ。

「見ていられない…ですか。では、それでわたしが離れれば、あなたは本当に楽になれますか?」

 自分の言葉を、私と一緒に確かめるような問いだった。

 白夜のようなラフィエラの瞳が、まっすぐ私を射ぬいてくる。フェンシングで有効打を受けたときみたいに、素直に負けを認めたくなかった。

「…少なくとも、あなたは巻き込まれなくて済みます。それはあなた個人だけでなく、アストレア家にとっても必要なことでしょう」

「わたしはそういう話はしていません。昼間と同じように、アストレアではなくラフィーとしてルミア様に向き合っているんです」

 ラフィエラが一歩だけ近づく。

 反射的に身構えた私を見て、彼女の目が少しだけ寂しげに揺れた。

「ルミア様が『痛い』と感じてらっしゃるの、わかります」

「わかっているなら…」

「今日の廊下でも、食堂でも、そして今も。ルミア様は全部自分で引き受けることが当然だと思っている…それもわかっているつもりです」

「だから、それなら…!」

「だから、離れません」

 貴族社会では、人の痛みを見抜くことは大抵攻撃に使われる。

 けれどラフィエラは、見抜いたうえで包み込もうとしてくる。私はその優しさに、なぜか恐怖が先行した。

「あなたが一人になること、そのほうがよほど好都合だと考える人たちがいる。わたしは今のルミア様の言葉には従えませんが、かといってルミア様を貶めようとする人間たちにも断固として従いません」

 それに、とラフィエラは小さな声で続けた。

 やはり私は、その続きを聞くのが怖かった。

「ルミア様は一人になれば楽になると思ってらっしゃいますが、それは違います。本当のあなたは…自分が傷つくことで自分以外を守れると信じ、その道を選んでいるだけです。けれどそのやり方では、ルミア様が限界を迎えたら新しい『敵』を作って悪意が団結するだけ…」

「……なんと勝手な解釈を。わたくしがそのような魑魅魍魎に負けるとでも? 冗談ではありません」

「ええ、私のおひい様ならそう言うでしょう。ですから…わたしは勝手に補佐役を続け、あなたの背中を追い続けます」

 言葉を失うとは、こういうことなのだろう。

 私は上品ではないと思いつつも口をあんぐりと開け、近衛騎士のようにかしずくラフィエラを見る。

「その命令には従いません。そのせいで叱られるのも、嫌われるのも怖いです…それでも」

 そして顔を上げ、強がりが見えているほどの笑顔を浮かべた。

 …そんな表情もできるんですのね。

 場違いな驚きに、頭がくらくらしそうだった。

「大切な人が痛がっているのを知っていて離れるほど、聞き分けがいい人間ではないつもりです。そうでなければ、推し活なんてできませんから」

 …困りました。本当に、困りましたわ。

 怒るべきなのに怒気が沸いてこない。普段なら喉元を突き刺すような言葉の一つや二つは出てくるのに、ラフィエラの手で口を塞がれたように何も言えない。

 それでも、このままではいられない。卑怯だとはわかっていても、私は一番使いやすい言葉で逃げた。

「……もういいです、勝手になさい。ただし、わたくしはもう知りません。翻訳も、推し活も、自分一人で満足すればいいでしょう」

 ラフィエラの表情がほんのわずかに曇る。それは常に人を照らす太陽が一瞬だけ陰ったように、私の心にも暗幕を下ろした。

 それでも私のライバルらしく、不敵に礼をする。

「承知しました。私の勝手を許してくださり、ありがとうございます」

 その返事を最後に、私は部屋へと逃げ込んだ。

 扉に背を預け、しばらく動けない。

 レイナの「お嬢様の好きな銘柄のお茶、入れましょうか」という気遣いも、今日は少しだけ痛かった。


 *


(…あの子は、もう戻ったでしょうか…いえ、わたくしには関係のないことですが)

 手袋を外して机に置き、その上に突っ伏す。行儀は悪かったけれど、レイナがお茶の準備を終えて戻ってくるまで、と自分を甘やかした。

 …こんなふうに甘ったれるくらいなら、あの子に強がることもなかったでしょうに。

(…もう治っているはずなのに、痛い。それに、少しだけ…温かい)

 フェンシングで痛めた際、ラフィエラに手当てされた手を見る。あの布はもう解かれているのに、今日に限って触れられた感触と温度が名残惜しそうに残っていた。

 レイナの足音に身を起こす。

「お待たせしました。今日はとみに冷え込みます、一休みしたらご自愛を」

「ええ、わかっています…これが終わったら寝ますわ」

 机の上の記録紙を指し示し、レイナからお茶を受け取る。彼女は私の中に生まれた空白を見透かしているのか、それ以上は何も言わず、何も見ないかのように身を引いた。

 昼から書き足している記録紙を眺めつつ、「これでよかった」と自分に言い聞かせる。ラフィエラが噂に巻き込まれずに済むのなら、それでいい。

(わたくしが一人嫌われたままで済むのなら、それは結構。ライバルがまとわりつかなくなってせいせいします)

 そう思っても、静かな部屋の中では遠ざけたはずの声と気配ばかりが反響した。

 誰とも関わらず、誰にも期待せず、ただ正しくいればいい──孤高とはもっと見通しのいいものだと思っていたのに、今夜は違う。

(…おや。こんな時間に…リオネ?)

 少しでも気持ちを夜に溶かすため明かりを落とし、窓を細く開ける。すると中庭を、白い影がゆっくり横切っていくのが見えた。

 目を凝らす。隣には上級生と思わしき令嬢が二人。以前、彼女の肩に優しく手を置きながら都合のいい言葉だけを教えていた顔ぶれだった。

 三人は中庭の隅で立ち止まる。ここから声を正確に拾うことは難しいけれど、仕草だけで会話の性質は十分すぎるほど伝わった。

 上級生の一人がリオネの手をしとやかに包み、もう一人は頷きながら何度も肩を撫でる。リオネは俯いたまま何かを伝え、首を振った。


「…私が、ちゃんとしていれば…」

「そう、あなたはお優しいから」

「違います、私が…弱いせいで…」


 風に乗って届いたような途切れ途切れのやりとりに、ぞっとした。

 否定せず、責めない。けれど都合のいい場所へだけ言葉を誘導している。

 あれは慰めではない。聖女候補の口から『自分が悪い』『あの方が怖い』という形を整え、断罪の場で使える証言にしようとしているのだと、今の私にも分かった。

(…違う。どうしてあなたやラフィエラは、いつも…)

 今すぐ私があそこへ駆けつけ、そう伝えたい。

 けれど私が向かえば、『聖女候補を夜な夜な追いつめる悪役令嬢』という構図が完成し、あの上級生たちの思い通りになる。

(…揚げ句の果てに、あなたたちもですか。オレオン、あなたは…なぜそこまで…)

 中庭の奥、その柱の影にも別の影があった。

 王太子の側近だ。手帳を開き、リオネが俯いて何かを言うたびに書き留めている。

 おそらく記録しているのは“空気”だ。事実ではなく、そう言わせるまでの流れを聖女候補の言葉としてうまく利用するために。

 私は婚約者の意図を掴みかねて、あるいは理解したくなくて、窓枠を握りしめた。

(…いいえ、だからこそ…あの子を巻き込まなくてよかったのです、ルミアリエル)

 ラフィエラを自ら遠ざけた日の夜に、敵はもっと都合のいい孤立の形を整えている。

 静かな夜でもお構いなしに続く断罪の準備は、目立たず、それでも書き留めやすい涙によって着実に育っていた。

 その光景を前にすると、先ほどの廊下でのやりとりがよみがえる。唯一私を理解しようとしたライバルを突き放し、真の意味で一人の戦いを始めた誓いが。

 守られることを自ら拒んだ私は…本当に、あの子を守れたのだろうか。

 外ではもう一度、リオネの弱々しい「ごめんなさい」が聞こえた。上級生たちは何度も頷き、側近は手帳を閉じる。

 私は暗い部屋の中で、ただ息を潜める。明日になれば、また平然と立ち向かわなければならない。

(…『強き者は孤独とも戦わないといけない』…お父様、どうかルミアを導いてください…)

 一人ですべてを引き受ける戦いは、きっと誰かが隣にいる戦いよりも厳しい。

 それを受け入れたはずなのに、今夜は孤独の奏でる音が耳障りに思えた。

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