第10話「宣誓式の反応」
宣誓式の朝は空気まで張りつめているようで、講堂へ向かう人々の足取りを重くする。回廊を進む生徒たちは正装に近い姿だというのに、誰もが胸元の紋章へ無意識に手を触れ、普段は余裕ぶる者たちですら静かだった。
かくいう私も、磨かれた金具や整えられた襟元の誇らしさとは裏腹に、呼吸は浅い。昨日の夜の過密な出来事ゆえだと言い訳しても、脈動は嘘をつけなかった。
「この宣誓式は、諸君らが家紋に“恥じない言葉”を誓う儀礼だ。一族を背負う者として、その身に宿った輝きを示すことを願う」
生徒の集まった講堂にて、壇上の教官が短く告げる。しかしその言葉は、この場にいる貴族たちを引き締めるのに十分だった。
(誓いの言葉そのものより、それに紋章がどう応じるかを見られる…迷ってはなりません、ルミアリエル。ヴァルドシュタインたるもの、この国を照らす光となるのです)
明るく反応すれば、誓約が安定していると評価される。
対して鈍い光にとどまれば、迷いがある、相性が悪い、あるいはもっと都合のいい意味を勝手に付け足される。
自ら翻訳係という名の駄犬を拒絶した私は、今日こそ一人で、誰よりも強く輝く必要があった。
壇上には誓句を記した細長い羊皮紙と、紋章を映す銀盤が置かれている。順番が来た者はその前で名を述べ、誓句を読み、最後に左手を銀盤へとかざす。
その所作で生まれる一瞬の光が、否応なく『自分の結果が注視されている』とわからせた。
(…黙りなさい。あの女もしょせんは敵…ただのライバル。いつかは打ち倒し、踏み越えていく一つでしかないのです)
列の中、私は前だけを見る。けれど、列の向こう側にハニーゴールドの外ハネの髪を見つけたことで、紋章は勝手に緊張を和らげるような、生暖かい温度を放ちそうになった。
数列向こう側、ラフィエラがいる。近づくなと伝えたおかげなのか、随分と控えめな位置取りを保っている。いいえ、すでに私なんて意識していないのかもしれない。
そう思おうとするほど、視界の端から外れない。
…黙れと言っているでしょう…!
紋章に対し心の中で憤りをぶつけ、壇上へと意識を逸らす。何度も「あの子はもうわたくしなんて見ていない」と言い聞かせるうちに、帯びていた熱はようやく冷えた。
(…式は順調ですわね。だからこそ、失敗すれば目立つ…)
一人ずつ壇へ上がり、家名と誓いを述べる。先に呼ばれた公爵令嬢の紋章は、その言葉に合わせて素直に光った。
その青白い光に、講堂の空気も安堵する。続く令嬢たちも異なる色味の光を生み出し、その虹めいた輝きさえ採点対象だと思った途端、虚しくも俗世へ染まる気がした。
強い光が続き、列の後ろ側では目に見えて緊張がほどける。それは厳粛な儀礼において、唯一拍手たりえるものだった。
(…リオネ。あなたもまた、正しさの象徴足りえる人間。あの上級生のような俗物に、その光を鈍らせてはなりません)
リオネが壇へ上がると同時に、講堂の静けさは一段と深まった。
聖女候補──それはヴァルドシュタイン家とは異なる、正しさの象徴として扱われる存在。
彼女が今にも折れそうな細い声で誓いを述べると、胸元の紋章には柔らかな白光が灯った。
その直後、悲鳴に近い感嘆があちこちで漏れる。その美しさは講堂どころか我が国全体を照らす不沈の太陽のごとく、近づくことすら恐れ多い神聖さだった。
ゆえに、誰かが物語に仕立て上げても不思議ではなかった。彼女はきちんと成功させたのに、私は小さく歯噛みをしてしまう。
(…わたくしの番。聖女候補様のあとだなんて、偶然にしては出来過ぎていますわね)
壇上へ向かう。周囲の空気は「聖女候補のあとにこの人か」と物語っていたので、あえて足取りは強く保つ。
我が名を告げ、誓いの文言を口にし、左手を紋章へと重ねる。私は失敗できないからこそ、なんの意識もなくそれをおこなうべきだった。
(…!? なっ…!)
その刹那、肌の下を熱とは異なる感覚が駆け抜ける。指先からすっと血の気が引き、喉がひらく感覚だけが妙に遠い。
温室の茶会にて、ラフィエラに誘われたとき…あのしびれるような熱に似たそれは、薄く掴み所がない、絹の反物みたいに私へまとわりついて。
一瞬でもこの場にいるであろうラフィエラの視線を意識した結果、光は鈍く灯るにとどまった。
光ってはいる。消えるほど弱々しくもない。
けれどほかの者たちのようにすっと立ち上がって消えるわけではなく、曇りガラスの向こうでロウソクが揺れるように、迷いを隠し切れないほどの弱い明滅だった。
講堂の空気が、明確に一転した。
「…ほら、ご覧なさい」
「やっぱり…聖女様とは比べるべくもなし」
「“婚約破棄”の噂、本当なのかしら」
本来ならそういう囁きが許される場ではないのに、もはや遠慮すらできないほどの失態を私は犯した。
(…なんで…どうして…わたくしは…ヴァルドシュタインとして…)
紋章の反応は、あくまでも結びや形式への応答に過ぎない。
けれど悪役令嬢の光が弱いとあらば、それは噂を確信に変えてしまう。そして…そうなったのも、私が弱かったから。
それでも壇上の教官は何事もなかったかのように、淡々と進行を続ける。その無関心は優しいと同時に、かえって残酷にも見えた。
(…何を腑抜けているのです、ルミアリエル・エルネスティーヌ・フォン・ヴァルドシュタイン! 胸を張れ…あの女も見ているのですから!)
私は壇を下りる。あえて目立つように、背筋をわずかな歪みなく伸ばして。
視線をすべて受け止め、その上で拒絶するように、自分をヴァルドシュタイン家の人間として叱咤する。
そんな私が席へ戻る途中、横の列にいた令嬢たちがわずかに身を引いた。あの光を見たことで、また私との“正しい距離”の取り方を決めたのだろう…願ってもないことだ。
私が打ち勝つべき相手は、あなたたち俗物ではない。あの忌々しきアストレア家の令嬢、優しさと賢さ、そして強さを兼ね備えた…私が認めるほどのライバル令嬢なのだから。
それからは式が終わるまで、ただ敵を探すように視線を前方に固定した。あの女が強い輝きを放ったのは、もはや言うまでもなかった。
*
式が終わったあと、そのまま図書館に向かう。
誰とも話す気にならないときは、ここへ来るに限る。仮にすぐ自室へ戻れば、レイナ相手に当たってしまうかもしれない…それくらいなら、一人で抱えていたほうがマシだから。
(…なのに、いるんですのね。ああ、忌々しい…どこまでも、忌々しい…!)
だというのに、扉を開けるとすでに奥の長机にラフィエラがいた。紙を広げ、何らかの作業をしている。
私は距離を取り、斜め先へ陣取るように腰を下ろす。この日のラフィエラはまとっている空気が硬質で、周りに人はいない。それに普段の自分を思い出し、苛立ちが刺激された。
(…招待状、席次表の写し、提出物封筒の控え、委員会の修正版、証言用の空白用紙…まだ、集めているんですの…)
ラフィエラの手元では、バラバラの情報だった紙片が順番に整えられ、一つの真実であるかのように束ねられる。
封蝋を温める匂いもかすかに漂い、その嗅ぎ慣れた香りに心は静まり返っていく。それがまた彼女を観察する余裕につながって、片方には赤い細紐、もう片方には青い細紐と使い分けているのがわかった。ひと目で控えと原本を見分けるためだろう。
…この子は、こういうところだけは容赦がないんですのよね。
「…何をしていますの」
近づかずに尋ねると、ラフィエラは「今気付きました」とばかりに顔を上げた。サンアンバーの瞳と視線がつながると同時に、左手に温度がよみがえる。
「うふふ、ルミア様ならお分かりでしょう?」
「…昨日の命令、もう忘れましたの? 呆れました」
「これは記録整理です。命令には含まれていないと解釈しております」
…何たる屁理屈。けれど、そこまで伝えなかったわたくしにも落ち度がありますわね…。
冗談めかすラフィエラの指先は、あくまでも生真面目だ。
年表の欄に日付を入れ、ページ番号を振り、封蝋色の違いが見えるよう別紙を挟む。目撃者欄にはまだ空白が多いものの、少なくとも「証拠がありません」という言葉に異議を唱えられる段階にはなっていた。
「…わたくしの記録紙。いつの間に写しを?」
「ルミア様に見せてもらったら、常に残すようにしております。同じ書式で受付簿番号、提出時刻、導線変更、招待状の推薦枠…誰が見ても『同じ出来事の連なり』に整えています。無論、今朝の宣誓式についても」
彼女は淡々と口にする。その静かな横顔が、害虫をはたき落とすような冷徹さに見えて怖かった。
…そして私は、不覚にも『自分もこうなりたい』と思ってしまった。
「宣誓式については、見えたことだけ。解釈は不要でしょう」
「…わたくしの光が鈍かった、とでも?」
「それは解釈ですね。わたしなら『他者よりも弱く明滅した』とだけ。しかしそれを失敗と断じ、何らかの噂と結びつけるのはただの邪推でしょう。ゆえに、認めません」
彼女としては珍しい、トゲを隠さない声音だった。
だけど私の呼吸は、もう一歩戻ってくる。その事実だけを追及する姿は、私が重んじる公平さに通じるものがあったから。
「片方はわたしが持ちます。もう片方は封をして預けるつもりです」
「どこへですの?」
「図書室の保管棚が適切かと。司書補佐に貸与扱いとすれば、より多くの人を証人へと巻き込めるでしょう?」
紙束を整え、その丁寧に揃った角を見せつけるように、にこりと笑って見せた。
それでも、近づいては来ない。「すべてルール内です」、そんな言葉を聞かせるように。
…相変わらず、頭だけは周りますのね。この駄犬。
私の口元は、その企みを肯定するように歪みつつあった。
「…答えたくないなら構いません。なぜ、そこまでしますの?」
「噂が現実みたいな顔をし始めたから、こういうときほど紙のほうを味方につけたい…というのが建前です。一番大きな本音は…」
ラフィエラはその陰謀へと私を巻き込むように、人差し指を立てて内緒のポーズを取った。
「『ルミア様を推すこと』は明確に禁じられませんでしたから。推しのために働くこと、それは回り回って私のためでもあるのですね」
「……なんですの、それ……! 『推し活』って……なにがあなたをそうさせますの……!」
「“愛”ですよ、ルミア様。で、これはあなたのための本人用です」
思わず立ち上がる。そして、私から歩み寄ってしまった。
近づくなという命令を、自ら反故にした…お父様に見られていたら、きっと叱られたに違いない。
けれどこの女は、「してやったり」とばかりに書類を押し付けてくる。
「見た順番と聞いた順番だけ、今のうちに書いてください。時刻、列順、誓句後の反応、周囲の発言、余計な感想を逃がさないための形で」
「…断ると言ったら?」
「ルミア様が自分から命令を破ったこと、レイナさんに言いつけちゃいます」
「っ〜〜〜…いい度胸で…!」
ペンを取り、最初の一行だけ書く。怒りのまま記すそれは、驚くほど滑らかだった。少なくとも文字だけは震えず、乱れもしない。
“宣誓式、第三列、リオネ・セラフィナの後”
私がたしかにそこにいたことを、書類の上で主張した。
ラフィエラはまた共犯関係に収まったことを喜ぶように、満足げな微笑みを浮かべた。
「…公開討論を…」
「…だな…」
黙しつつラフィエラをにらみ返すと、図書室の外のざわめきが一瞬だけ流れ込む。
廊下のざわめきの中に、その単語だけが妙にはっきり混じっていた。
私たちは目だけで示し合わせ、扉のほうを確認する。そこを通りすぎる生徒会役員が、回覧板を抱えていた。
「…赤い封印付き…」
「王太子様が提案された、秋の模擬裁定に先立っての規定運用…といったところでしょうか」
相変わらず、察しのいいことで。
そんな憎まれ口を叩く前に、背中側が寒くなる。ラフィエラの見立ては私とほぼ同一で、今からその目論見の悪意が透けて見えそうだった。
紋章の鈍い反応も、提出物のすり替えも、委員会での議論も。すべて「討論の題材」に整え直せるということ。
「模擬裁定前の観客の慣らしですわね。誰が責めて誰が責められるのか、先に覚えさせて当日へと誘導する…」
「随分とお早いですね。相手側も余裕がないと見えます…いかがなさいますか?」
まるで彼女は一緒に戦うことが決まったかのように、険を隠すことなく机の上の紙束を示す。そのどれもが『準備は怠らない』と勝手に主張していて、これを作った有能さが腹立たしい。
だから私は、返事をしない。それをすれば、自分の命令が今度こそ形骸化しそうで。
自分自身よりまずはラフィエラへの風評を守るためにも、無言で図書室へと戻った。窓から差し込む光は、すでに柔らかなオレンジへと傾いていた。
ラフィエラもまたそれ以上は何も言わず、私の斜め前でページ番号だけを振っていた。




