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誇り高い悪役令嬢は冷たいのではなく、不器用なだけです 〜それを理解するのはライバル令嬢だけ〜  作者: 花田一郎
第1章:誤解と観察

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第11話「悪役の仮面」

 昼休み前の回廊は、学園内において一番空気の向きが変わりやすい場所だった。風見鶏が多い、とも言える。

 掲示板に新しい席次表が張り出された瞬間から、そこを通る生徒たちの歩幅が少しずつ遅くなる。それは次の学内行事に付随する、公開討論の傍聴席の並びだった。

 ただの座席番号。けれどその整然と並ぶ数字は、誰が中央に寄せられ、誰が端に追いやられたかを残酷なくらい素直に見せる。

(…わたくしの名は、右列のかなり後ろ。悪役は前に出るな、といったところでしょうか)

 自分の位置より気になったのは、ある生徒の扱いだった。

 リオネ・ヴィオレッタ・ド・グレイヴ。私の少し上、中央寄りの列に聖女候補の名前がある。

 人の目が集まりやすい場所に置かれたその名は、聖女の輝きで悪を討ち滅ぼす…そう言いたげだった。

(…きれいなものですね)

 席次表そのものではない。“噂の反映”としてあまりにも整いすぎていて、その鮮やかなやり口に敵ながら感心したのだ。

 …オレオン、あなたらしいですわね。だからこそ、わたくしは屈するわけにはいきませんが。


「ルミアリエル様……」


 掲示板の前から離れようとしたところで、風化した石像のごとく崩れ落ちそうな声が聞こえた。

 振り向くと、リオネが立っていた。両手で封筒を握りしめ、白い指先に力を込めている。

 その封には学園印が押されており、おそらく公開討論の案内だと悟る。もしもそれを渡すために来たのなら、実に御しやすくて助かったのに。

 けれど、そうではない。窮状を訴えるようなペールアクアの瞳は底なし沼みたいで、私の足を引き込む。周囲の生徒たちは見ないふりを決め込み、聞き耳だけ立てていた。無視をすれば、それ自体も公開討論の材料になる。

「少し、よろしいでしょうか…?」

「…ええ、構いませんわ。こちらへ」

 私は頷き、掲示板の脇へ半歩寄る。リオネも唇を結んだまま、同意するように移動した。

 彼女は浅い呼吸を数度繰り返し、練習の成果を見せるように言葉を並べる。けれど白々しさはなかった。

「あの…このところ、皆様にご迷惑がかかっているのは…多分、私のせいです」

 一つ一つが震えているような言葉に、胸の奥が熱を失う。それに耐えるため、左手の甲の紋章に手を当てた。

(…おやめなさい、リオネ。『誰かに渡された台本通りの告白』は、お互いのためになりません)

 先日の夜を思い出す。リオネを優しく説得するようにしていた、上級生たち。

 あの台本通りに告白すれば、都合のいいように事が進むのだろう。リオネのためではなく、その背後にいる人間たちのために。

 しかし、私は割って入れない。ここで言葉を遮れば、『心を砕いた聖女を拒絶した』とでも言われる。

 何より、「こうしないといけない」と思いつめている彼女を、これ以上傷つけたくなかった。

「宣誓式のことも、提出物のこともそう。学園祭の準備だって…私が、もっとちゃんとしていれば。もしもルミアリエル様がお怒りでしたら、どうか…」

 先細る声の先は、彼女にも見えていないのだろう。あるいは、台本はここまでだったのか。

 この子は決してずるくない。ただ弱く、善良であろうとして、都合がいい方向へと容易に押し倒される。

 彼女は泣くまいとがんばっていたけれど、すでに目の縁は赤い。その清らかな努力すら利用されている現状に、胸の内で怒りが刃を掲げた。

 それはリオネへの怒りではない。けれど、ここで曖昧に返せば、私の信じる正しさまで使われる。


「…いつまで泣いているのですか、リオネ・ヴィオレッタ・ド・グレイヴ。謝罪があなたのすべきことなのですか?」


 私が振るう言葉の刃は、いつも通り硬かった。

 リオネの息が止まる。周囲の空気も、時間ごと止まった気がした。

「何らかの誤認が起こったのなら、口頭ではなく書面で訂正なさい。事実関係を整理し、署名を付けて、必要であれば立会人も用意する。このような場で人目を集めて謝罪するだけでは、あなたもわたくしも都合よく見せ物にされるだけなのですよ」

「…ぁ…しょ、書面で、ですか…? 私、そういうの、うまくできなくて…」

 大きな目にとうとう涙が浮かぶ。

 わかっている。これもまた使いやすい場面になっていて、ともすれば私の無駄なあがきにしかなっていないことも。

 けれど、私は正しかった。だから見せつけてやる…リオネをこんなふうに使ってまで真実を歪めようとする、浅ましい連中へ。

「わ、私…その、そんなつもりは…」

「わかっています、あなたが申し訳なく思ってくれていることは。だからこそ、『つもり』で終わらせないために、今後謝罪をするなら必ず立会人を…」

 きっかけは台本だとしても、リオネが私に謝りたいと思っているのは本心なのだろう。

 だって私は、似たような人間を知っているから。違いがあるとすれば、あの駄犬は善良さの裏に強さを隠し、利用されず、利用することもなく、うまく立ち回れることくらい。

 震えるリオネを見ながら、私は「泣き出した聖女候補を公爵令嬢が追いつめる…いい構図ですこと」なんて心の中で毒を吐いた。

「…ごめんなさい…」

 かすれた声とともに、ついに涙がこぼれ落ちた。それは封筒の端へ落ち、紙と真実を歪める。

 同時に、周囲では息を呑む気配や「やっぱり…」という囁きがもれた。


「リオネ様、封筒が濡れてしまいます。まずはこちらを」


 けれど、囁きは広がらなかった。

 斜め後ろからラフィエラの声が聞こえ、その一帯の空気を軽くする。誰かが咳払いをひとつして視線をそらし、野次馬の熱がわずかに引いた。

 彼女は私とリオネに割り込むのではなく、半歩だけ横にずれて立つ。そのまま自分のハンカチを差し出し、まるで「私がこの謝罪の立会人です」と言うような位置に収まっていた。

 …白地に細い銀糸だけのハンカチ。地味なのを使ってますのね。

 その気遣いに、私はどうでもいいことを考えていた。

「今すぐこの場で全部きれいに説明しようとしなくても、大丈夫ですよ。泣いてしまえば順番がぐちゃぐちゃになる、それはお優しいルミア様にもリオネ様にも不本意な結果になります」

「…わたくしが優しい? 戯言を」

「うまく言葉にできないリオネ様の『つもり』を見抜く人が、優しくないだなんて思えません」

「!? ど、どこから見てましたの…!」

 不意打ちのようなお世辞に、喉が詰まる。頬だけでなく紋章まで熱を帯び、指先から少しだけ力が抜けた。

 …優しいのは、どこかの誰かさんではなくて?

 こういう嫌みをすぐに切り返せない私は、目の前の駄犬に随分と毒されているみたいだった。

「『怖かった』ということにまで謝る必要はありません。あとで時系列に沿って、事実だけ書いてしまえばいいんです。無論わたしもお手伝いさせていただきますし、ルミア様も力を貸してくださいますよ」

「なっ…わ、わたくしを巻き込むのですか!」

「『目の前で困っている人間がいるのに見て見ぬふりをするのは貴族の恥』…ヴァルドシュタイン家の教え、ですよね?」

「…ぐむぉ…!」

 リオネの背中をさすりながら、ラフィエラはにっこりと協力を申し出る。当たり前のように私を巻き込み、断れない状況を作り上げる手腕には、煮えたぎる怒りの声を漏らすしかなかった。

 気付けば、リオネの呼吸はいつも通りへと戻りつつあった。私たちのやりとりをきょとんと眺めつつも、立ち直る様子はどこか力強い。

(…わたくしと言っていることは同じなのに、この差はなんですの…)

 私が伝えれば、重く苦しい罰となる。

 ラフィエラが伝えれば、温かな救済となる。

 …だからこの子は、翻訳をしていたのだろうか。

「…申し訳ありません、取り乱して。いったん失礼いたします」

「ええ、ごきげんよう。リオネ様、あなたには頼れる相手がここに二人いること、どうか忘れないでくださいね」

「…ふん」

 リオネは震えを拭うようにそう言い、ハンカチを胸の前で握ったまま去っていった。多分、近いうちにまたこの三人で顔を合わせるのだろう。

 私は鼻を鳴らしてそれを見送り、けれど否定できなかった。回廊の視線も、ゆっくりと霧散していく。

「さて、リオネ様との打ち合わせの準備もしませんと」

「……あなたは、どうしていつも」

「え?」

 続きは言えなかった。ラフィエラはわざとらしく首をかしげ、私を見上げるように顔を寄せる。

 …この女、絶対わかってますわよね…。

 咎める言葉を吐けない私に対し、ラフィエラは笑って見せた。

「今のは命令違反ではありません。偶然にも泣いていたので、その方にハンカチを差し出しただけ…貴族に恥じない行動だったと自負しております」

「…おのれ…! これで勝ったと思わないことです…!」

 軽口を叩くその目は、真面目。

 だから私も見え透いた負け惜しみを口にして、その場を早足で離れた。背後では先ほどのやりとりが別の形で語られている気がしたけれど、それもどうでもいい。

 ルミアリエルが聖女を泣かせた。聖女候補は優しすぎた。ラフィエラが見事になだめた。

 煩わしい…何もかも、煩わしい!

 そう思っているはずの自分の心と足取りは、明らかに軽くなっていた。


 *


 回廊を折れて、人気のない階段踊り場までたどり着く。

 ようやく一息つける空気の冷たさに、紋章の熱もゆっくりと引いていった。

 鉄の手すりを握り、先ほどの場面を何度もなぞる。

(…間違ったことは言っていない。規律としても正しい。けれど、場所は悪かった…)

 泣きながらの謝罪は証言を歪め、それを厳しく正す私の構図は最高の見せ物だったろう。

(…あの場で必要だったのは、ラフィエラのような震えを止めるための一言…だったのでしょうか…)

 それを口にする自分を想像して、頭が痛くなった。悪役令嬢が口にしても、虚偽として受け止められ、あの子のような温度では渡せないから。

 ままならぬ現状から目を背けるように、踊り場の小窓から外を見る。

 先ほどの中庭では席次表を書き写す生徒たちがいて、噂の答え合わせをしているようにも見えた。

(…悪役でもいいと思っていた。嫌われたとしても、物事が正しい方向へ向かえば十分だと信じていた…)

 常に曖昧にされる線引きを、正しさでもって明確にする。それが私、ヴァルドシュタイン家の役割だと思っていた。

 けれど線を引くたび、弱い者は震え上がる。正しいのに求められない、その矛盾が生まれる。

 そのとき、窓の外を見上げた下級生と目が合った。相手は会釈しつつもすぐに友人たちと囁き合う。その内容は、想像するまでもない。


 *


 午後の授業が終わると、その囁きははっきりとした形になっていた。

 教室の机の上、談話室のサイドテーブル、寮の玄関脇の花台…あちこちに薄い灰青の紙が置かれていた。公式の通達ではないけれど、学園内で回すための書式であることははっきりしていた。


『公開討論にて、学園の規律を乱す者の是非を問う』


 簡潔な表題とともに、『公正の名のもとに、偽りの高潔を暴くべし』とも書かれている。名指しではないのに、誰のことかは誰の目にも明らかだった。

 断罪予告。廊下の端でその紙を読み上げた令嬢が、私に気付いて口をつぐむ。その声音には期待が見え隠れしていた。

(…随分とわかりやすい催しで。ただの討論で終わらせる気はないのでしょうね)

 その一枚に触れ、意図を察する。裁きの瞬間を見せ物にするだなんて、誰が望んでいるのかも明白だった。


「怖がらせてから、先に配役を済ませる…安い招待状ですね」


 いつの間にか、ラフィエラが隣にいた。驚きもしない。

 近すぎない位置にいる彼女の言葉には、有り余る侮蔑が含まれていた。

 それには答えず、紙を閉じる。

「用意された悪役の仮面をかぶるつもりはありませんわ」

「そうおっしゃると信じていました」

 強がりだ。自分でもそう思う。

 でも、このライバルにだけは弱みを見せたくない。

 望む望まぬに関係なくその仮面を押し付けられるとわかっていても、決して。

 ラフィエラは私の返事へ満足したように、それ以上何も言わず去っていった。私も背を向けて歩き出す。

 夕方の廊下はまだ明るく、お互いの影が彼方へと長く伸びていた。

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