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誇り高い悪役令嬢は冷たいのではなく、不器用なだけです 〜それを理解するのはライバル令嬢だけ〜  作者: 花田一郎
第1章:誤解と観察

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第12話「共闘の提案」

 いつも静かな図書室だけれど、夕方はとくに紙の音がはっきり聞こえる。その薄く鋭い音に、私は昼の断罪予告を思い出していた。

 校内を駆け巡る、もっとも熱を帯びた噂。けれどこの図書室だけはその噂話も囁かれず、ここは自室に次ぐ、私にとっての憩いの場になりつつあった。

 窓際の長机には記録の束が並んでいて、招待状の写し、席次表、提出控え、証言用紙…あの日から私とラフィエラが積み上げてきたものが、また一つ細い紐で区切られている。

(…これは、学園祭来賓用の招待状? 試作台紙の色にしては…)

 その紙束のそばに、見慣れない見本紙があった。

 けれどその色は、立ったままそれを眺める私の視線を釘付けにした。金色でも青色でもない、中途半端な色彩。

 青の絵の具に白を一雫足したような、曖昧な色合いだった。これまで存在しなかった色だというのに、私はどうしてもそれに見覚えがある。

「まだ決定前の、印刷見本の候補色ですね。委員会の方々を信じるのなら、悪意はないと思いたいですが」

 斜め先に座るラフィエラが、書類整理を続けながら口にする。

 その見本を指先で撫でる。温度は紙切れそのもの。

 けれど、その『青から白に寄せる』変化は、金色をはるか遠くに望む今の私によく似ていた。

 図書室の心地よい静寂が、体内の血の流れによって上書きされてしまいそうだった。

「…あなたは信じていますか?」

「これで断罪予告と足並みが揃っていなければ、他意はないと信じられたのですが。その見本を楽しげにもてあそぶ上級生の皆様の顔を思い出すと、信じるには値しませんね」

 ラフィエラは紙をめくりながら返事をした。彼女の前には灰青の紙と、私が書いた宣誓式の記録、リオネの謝罪があった回廊の簡易見取り図まである。

 どこに誰がいて、何が聞こえたか。必要なことしか書いていないそれは、私から見ても理想に近い報告書類だった。

「ふう、これで今日の分も綴じました。ルミア様、お付き合いくださりありがとうございます」

「…付き合った覚えはありません。わたくしは最初からここにいて、あなたはあとから書類を持ってきて整理しただけ」

「ふふふ、そうですね。筆記が必要なときは、すぐに力を貸してくださいましたが」

 …たわけめ。それを当て込んでここへ来たのでしょうが。

 そしてラフィエラはお礼とばかりに、一冊の薄い綴りを私のほうへ押す。距離を詰めないようにしながら渡してくる配慮に関して、ちょっとだけ見直した。

「…『回廊における聖女候補の謝罪について』…ですか。随分と大仰なこと」

「でしょう? 先にこちらが強く印象に残しておけば、あとで勝手な物語に塗り替えにくくなりますもの」

 斜め前にいるラフィエラは、ようやく声を和らげてくすくすと笑った。図書室であっても不作法にはならないその仕草は、紙をめくる音とは異なる安心感がある。

 そしてその位置から近づかない姿も、私の『近づくな』という言葉を守っているのだとわかった。同時に、それでもこうして一緒にいようとする姿勢に、安心とは別の感情が駆け巡って左手の紋章が疼く。

「…リオネの発言、目撃位置、時刻…わたくしの言葉まで」

「補足も入れております。『泣いていたため、当人の発言順には乱れあり。後日また三人で集まり、より正確な記録を残すことを確認』…どうです? その際は、三人で小さなお茶会でも」

「あの子、来てくれるのかしら…あ、いや、来て欲しいって意味じゃありませんわよ?」

 ラフィエラの補足は責めることも庇うこともしておらず、やはり事実だけを小さく残している。なおかつ『聖女候補も後日の立ち会いを認めた』と書いているあたり、私までもあの子を象徴として利用しているのではないかと不安になった。

 そんな不安を漏らすとラフィエラは「リオネ様も会いたがってますよ、絶対」と根拠もなく念押ししてきた。この子の自信、どこから出てくるんですの…。

「…公開討論の際は、こちらを感情のまましゃべらせたいはずです。泣いたり、怒ったり、言いよどんだり…そういう空気ごと証言にしてくる。だからこそ、わたしたちは順番を用意して対抗します」

 彼女とのやりとりでわずかに緩んだ空気は、記録の束を指で叩く音によって今一度引き締まる。

 私も背を正した。

「招待状の色、席次、提出物、宣誓式、謝罪、断罪予告…全部同じ流れの中にあります」

「…それで?」

「だから、切り分けてしまいます。噂ではなく手続きの問題として、感想ではなく観測事実として。誰が、何を、どう積み上げたかの形にするんです」

 ラフィエラは譲らない。私の隣を。

 だから、こうして今も提案してくれる。

 だけど、私はその綴りを閉じた。

「…あなたは何を望んでいるのかしら?」

「ただわたしは、あなたの隣で勝利を掴みたい。わたし一人が勝っても、見逃されても、それではダメなんです…だってわたしは、あなたの補佐だから」

 私の問いかけに、ラフィエラは少しだけ大きく息を吸って、それでも静かに誓った。

「公開討論ですべてをひっくり返す、とまでは申し上げません。けれど、あの場を相手の独壇場にはさせない。誰かの涙を旗印にさせない、そのためにわたしがいる…いいえ、わたしが必要なんです」

「…迷わず言いますのね。何たる思い上がり」

「今回ばかりは事実です。規律を崩すことなく誰かの盾になるあなたの言葉を、わたしが届く形に直す…」

 ラフィエラの言葉は、すらすらと出てくる。

 私の口の端は、思わず歪んだ。笑えることなんて一つもなかったここ最近で、あなただけは私を笑顔にしようとした。

 だから…私は。

「ルミア様は間違ったことはしてません。でも、正しさを何よりも重んじるがゆえ、放っておけば嫌われ役に甘んじようとする…そしてこの二枚の紙も、あなたにそれを押し付けようとする」

「…わかっていますわ」

 机の上に、灰青の断罪予告と青白の招待状見本を並べるラフィエラ。

 それとこの子の顔を見比べたら、私の決意はますます固まっていった。

「だから、『見せるだけで過ちを覆す紙』も必要です。わたしたちはそれを作り、ルミア様が戦い、わたしがその真実を届ける。だから」

 ラフィエラは、きっと本気だ。


「ダメです」


 だから私は、頷いてはダメなのだ。

 かぶりを振り、視線を落とす。紐で綴じられた記録は、この子の努力の分だけ重くなっていた。

 それを分かち合い、共に戦う未来を浮かべる。

(…それができたら、どれだけ楽なのでしょう。そして…)

 もう一度、首を横に振った。

 ラフィエラは予想外とばかりに瞬きをした。

「あなたがわたくしと組めば、向こうにとって都合の悪い“例外”となるでしょう。今でも操り人形や黒幕だのと言われているのに、ここで共闘したらどうなりますか? 学園祭の来賓の前で並んで立てば、次の席次だけでは済みません。アストレア家そのものまで、『黒幕の片割れ』として覚えられるかもしれないのです」

「それは」

「わかっている、とは言わせません。でなければ、ここまで準備をしないでしょう」

 …どうして今日のわたくしは、こんなにも言葉が空虚なのでしょう。

 強い語気を装えているのに、中身は空っぽ。そんな自分が、この子以上に忌々しかった。

「討論に立つということは、拍手も嘲笑も同じだけ浴びるということ。わたくしは慣れっこですが、あなたはそんなものに慣れてはいけません」

「…そんな。いくらルミア様でも、そんな決めつけ」

「事実です」

 いつも柔和なラフィエラの表情が、わずかとはいえ硬くなった。

 …まだ引きませんの。さすがは我がライバル、とでも申し上げましょうか。

「…あなたを巻き込みたくない。だから距離を取ろうとしていて、それを台無しにはしたくないのです」

 私の本音は、口とは異なる場所にあった。

 巻き込みたくない、それは正しい。でも、それだけではない。

 あなたが隣に立ってくれたら、私はもう、孤独を言い訳にできなくなる。

 ラフィエラに対する恐怖の正体、その片鱗をやっと掴めた気がした。

「…ルミア様。わたしは、守られるだけの立場を望みません」

「あなたならそう言うでしょう。ですが、あなたは守られるだけの価値がある存在なのです」

「…誰にですか」

 私が。あなたを。守りたい。ヴァルドシュタインの誇り高き人間として。

 そう言えたのなら、どれだけよかったか。

 だから私は、大嫌いな嘘をついた。

「…アストレア。あなたの家まで目をつけられるかもしれないのです」

「ルミア様のその心遣い、痛み入ります。ですが、すでにつけられているとしたら?」

 嘘と事実による痛みが、同時に私の胸を刺した。

「もしも目をつけられたとして、わたしがアストレア家から見放されたら……けれど、ここで退けば、わたしはわたしを永遠に軽蔑し続けるでしょう。今のわたしはアストレアである前にラフィー、誇り高きあなたの補佐役」

 ラフィエラは立ち上がった。上品な動きなのに、騎士のような力強さだった。

 その様子に高鳴る胸を握りつぶすように、私は両手をぎゅっと硬くする。喉の奥が詰まり、返事が一拍遅れた。

「共闘はいやですか、ルミア様。せめて、それだけでも教えてください」

 いやに決まっているでしょう、この駄犬。

 心からそう思っていたのなら、もっと簡単だったのに。

「……いやではなくとも、ダメです」

 嘘で完全に塗り固められる前の本音が、弱い私の口からまろび出た。

 その様子を見たラフィエラは刹那だけ目を伏せ、そして。

 諦めるつもりなど微塵もないように、ここ最近で一番優しい笑顔を浮かべた。

「わかりました。あなたがそうおっしゃるのなら」

 まるでお姫様へと跪くように、恭しい一礼をした。

 そしてすぐに、記録の束に触れる。決して無駄にはならないと、無言で私に伝えた。

「わたしは、共闘を望まないあなたの隣にいます」

「…どういうことですの」

「あなたが共闘を許してくれるのなら、わたしも喜んで馳せ参じます。あなたが共に行くことを望まないのなら、“行かないを選んだあなた”の隣にいます…ですので、今日はこれで失礼しますね」

 私はたしかに拒絶したはずで、ラフィエラもわかったと言ったはず。

 だけどこの子は私の逃げ場所を塞ぐように宣言して、それ以上は何も言わず、書類を片してから帰っていった。

 私の分だけを置いていって。

「……何をわかったというのですか。この愚か者め……」

 先ほどまでラフィエラがいた空間を見る。そこはすでに何もない。

 それでも彼女の残り香みたいに、紙とインクと、そしてわずかな封蝋の匂いがした。

 私はしばらくそれを見つめたまま、動くこともできなかった。


 *


 図書室を出る頃には、窓の外がすっかり青黒い夜になっていた。

 寮へと戻る途中、私は一度だけ立ち止まる。

(…またですの。気の迷いも大概にしてくださいまし)

 左手の甲がかすかな熱を訴えていた。その手で顔に触れると、押し付けられた仮面がうっすらと溶けていくような錯覚に目が眩む。

(…この仮面を失ったとしたら、あなたは誰ですか? ルミアリエル…)

 それは宣誓式のときほど強くはなく、痛みもない。

 だけど、わかる。小さく灯る熱と光は、宵闇に迷う船を導く灯台めいていた。

(…選べ、と申しているのですか? 自分の顔と、“隣に立つ人”を。ヴァルドシュタインであるわたくしには、どちらも必要ないはずですのに)

 紋章は嘘をつかない。そうでなければ、『誓約』の力なんて得られないのだから。今はただ、その正直さが恨めしい。

 だから、帰ろう。レイナが待つ部屋に戻って、ティーカップに口を付け、この熱をも一緒に飲み干そう。

 そこに救いを見いだす私は、この紋章を背負うにはまだ未熟なのかもしれなかった。

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