第8話「学園祭の準備会」
昼休みの終わり。午後の予定を強制するかのように、学園祭準備会の招集状が配られた。
(薄い羊皮紙に、来賓対応委員会への出席要請。封蝋は白、家の格は関係ない事務的な通知…ある意味気楽ですが、内容は楽観できませんね)
温度を感じられない招集状の中身を確認した私は、すでに起こることが確定した面倒事を想像し、小さくため息をつく。
文面に書かれた『招待状の配分』『来賓席の配置』『導線と警備』…どれも確実に揉める。
(どの家へ何色の招待状を送るか、誰をどの席に置くか、誰に案内役の名誉を与え、誰に雑務を押し付けるか…祭りというより、政治の予行演習ですわね)
招待状を折りたたみ、私は委員会室へ向かった。貴族として生まれた以上、社交と無縁ではいられない。そして学園祭は、その予行演習としてあまりにも都合がよかった。
「失礼します。ルミアリエル、ただいま到着しました」
委員会室へ入る。幸い、到着早々に空気が澱むことはなかった。
長机の中央には招待状の見本と席次図が並べられ、一目で役割がわかる。
白は一般来賓、青は準上流、金は王家級。招待状の色一つで、誰がどこまで近づけるかが決まるのだろう。
席次図の前にはすでに何人かの上級生が集まり、家名や後援者の名を書き足していた。導線図にも、細いインクの印が増えている。
(…今日はおとなしくしてくれるといいのですが)
補佐に回っていたらしいラフィエラと目が合う。声こそ上げないものの、子供っぽい笑顔だけは隠さなかった。
「皆さんが集まったようですので、始めましょう」
進行役の伯爵令嬢が咳払いを一つして議題を読み上げる。最初はまだ、空気も穏当だった。
ちゃっかり私の隣を確保したラフィエラも、今は余計なことを言わずに成り行きを見守っていた…けれど。
「金の招待状、王家関係だけでは少なすぎませんか? 貢献者向けに増やすべきかと」
「後援額を考えた場合、我が一族にも青を増やすべきですわ」
「案内役は名誉職、各派閥に最低二名は…」
最初に揉めたのは、やはり招待状の配分だった。
それぞれもっともらしい理屈を並べているけれど、向かう先は同じ。より良い色を自分の側へ寄せたい、それだけだ。
そこに『学園祭の成功』や『他者へのしわ寄せ』といったものは、ほとんど含まれていない。
私は席次図へ視線を落としたまま、ため息をかみ殺して口を開く。
「規定通りでよろしいでしょう。一つでも例外を認めれば、際限なく広がります」
委員会室が、しんと静まった。湖畔のテラスのような心地よい静寂ではなく、『またこの人か』という視線の集まり。
…隣のラフィエラだけが妙に期待した目を向けているのは、見なかったことにする。
「来賓席は身分と公式役職順、招待状の色は席数に応じて。案内役も導線と警備の都合ありきで配置すべきで、派閥ごとの顔立てで増やすのは不適切です」
本来なら進行役が言うべき指摘だろう。けれど伯爵令嬢である彼女は、公爵や侯爵の令嬢がいるこの場では強く出られない。
立場の弱い者に責任だけ負わせ、要求だけ通す…見苦しいにも程がある、学園の日常風景だった。
「それでは融通がなさすぎません?」
「学園祭は親睦の場でしょう? これだから…」
「親睦の場だからこそ、ですわ」
私は招待状見本の金色を、指先で押さえた。そこに集まる羨望を、少しでも正すように。
「色が一段上がれば、通れる場所も座れる席も変わります。そうした人気取りのために配分を緩めれば、当日の下働きや下級生が押しつぶされる。その結果をもって学園の格式を高めるなど、絵空事もいいところでしょう」
正しさは、抑圧するためではなく守るために振るわれるべきだ。
だからこそ筋は通っているはずなのに、露骨に眉をひそめる人間もいた。
「…また規定。杓子定規で人の気持ちを考えませんのね」
「ルミアリエル様、あなたは人の好意を疑い過ぎでは? だから王太子様も…あら、失礼」
違う。下々まで考えるからこそ、しわ寄せを最小限に抑えようとしたのに。
当てつけのような嘲笑に、眉がひくりと動く。
「ルミア様は締め出したいわけではありません。先ほどの意見は『過剰な配慮は逆に攻撃の的になるからこそ、もっと柔らかな着地点を見定めるべき』とおっしゃったのです」
そこでラフィエラが割って入り、いつもの“翻訳”を実行する。
その瞬間、私の心はじんわりささくれ立った。
……違う。
「金と席次は規定通りに。その代わり青の招待状は委員会の推薦枠を少しだけ設け、案内役も輪番にして導線表に沿って担当を分けてはどうでしょう? そうすれば現場は混乱しませんし、皆様のお顔も立つかと」
真っ向から対立した私の発言と違い、ラフィエラの言葉は委員会の空気をわずかに動かす。
たとえ私が、それを望んでいなくとも。
「推薦枠…それなら」
「輪番なら不公平も是正できそうですね」
「アストレア様がおっしゃるもの、その形で進めてみましょうか」
進行役まで安堵した顔を見せる。
私の気持ちは置き去りにされたまま、打ち合わせは前へ進んだ。
「それでは推薦枠を各派閥から一名ずつ…」
「青色の招待状も予備を増やしましょう」
「席次も最前列以外は融通しませんか?」
(…やっぱり、そうなりますわよね)
ラフィエラが規定を少し緩めると、皆がそこへ指を差し込んでくる。先ほどより上品な干渉であるぶん、なおさらたちが悪い。
席次図の端に青い印が増え、導線を守るため空けてあった余白に推薦席の候補が書き足される。人が流れるための幅が、目の前で削られていく。
止めたかったのは、まさにそれだった。
ラフィエラは優しすぎた。その優しさが、私の言葉を別の形へ翻訳した。
そして利用された彼女を見て、私はまだ少し痛む手を強く握りしめる。
顔を立てるための小さな譲歩が、結局は弱い場所から順に幅を奪っていく。その光景が、どうしても許せなかった。
それを止めきれなかった私も、きっと同罪なのだと思った。
*
「結局、アストレア様がいないと回りませんね」
「ヴァルドシュタイン様は厳しいだけで、周りの足を止めますわ」
「ラフィエラ様が操っているのか、あるいは操られているのか…どっちなのでしょう?」
会議が終わる頃には、もう別の話題が囁かれていた。
廊下へ出ていた私にも聞かせるようなそれに、足を止める。半歩後ろをついてきていたラフィエラも、ぴたりと立ち止まった。彼女の表情は、私を見るときと変わらない微笑みのままだった。
「…今の、聞こえていたでしょう?」
「ええ。相変わらず理解の浅い方々がいるのは残念ですが、今日は一応まとまりましたし、ひとまずは」
「まとまったように見えただけ、ですわ」
思った以上に、冷たい声が出た。
「あなたがわたくしの言葉を丸めるたび、本来の意図は薄くなる。皆はもう、わたくしが何を言ったかではなく、あなたがどう言い換えたかしか見ていないのです」
いつもの能天気な笑みが、すっと引き締まる。
それでも今日の私は止まれなかった。
「このままでは、あなたまで『操り人形』…あるいは『操り人形使い』です。わたくしの隣に立つたび、道化にされることを望まれるのですよ?」
「わたしは別に…ルミア様さえわかってくれるのなら」
「わたくしがよくないのです…!」
鋭い声が、ラフィエラの無防備な日だまりを切り裂く。
それでも彼女は、温度だけは失わないままこちらを見ていた。だからこそ、私も引けない。
「わたくしのために、あなた自身の価値まで下げる必要はありません。それは自分の家名に泥を塗るでしょう」
「…価値? お言葉ですが」
目を伏せ、胸元に手を当てたラフィエラの表情は、悲しげだった。
「わたしの価値とはなんでしょうか? アストレアの人間であることですか? 申し訳ありませんが、わたしはそれが自分の唯一の値札だとは思いたくありません」
悲しみと怒りの狭間で揺れるその姿に、私はようやくライバルらしい言葉の応酬を感じた。
でも、思っていたより嬉しくはなかった。
「…ルミア様。そういう言い方をすれば、わたしが離れるとでも思っているんですか?」
返事ができない。
あなたは邪魔ではない。ただ、これ以上こちら側へ立たせたくない。
私が嫌われるのは構わない。でも、あなたまで安く使われるのは…見ていられない。
そう言えればよかったのに、私は何も言えないまま早足で歩き出した。背中に視線は感じたけれど、追ってくる足音はなかった。
*
…だというのに。こんなとき、どんな顔をすればいいのでしょう…。
「向かい側、いいですか?」
「…なぜここに来たんですの…」
「休憩ですよ、ルミア様と同じ…それと、これを」
私が食堂に入って程なく、ラフィエラは何事もなかったかのように向かいへ腰を下ろし、先ほどの空気を吹き飛ばして招待状の見本を差し出した。
白、青、金。いつもの三色が小さく綴じられていて、眺めるだけでそれぞれの意味を考えさせられる。
紙切れ一つで人の立ち位置が変わるのだと思うと、つくづく不遜な道具だ。
「…見本の持ち出しは禁止では?」
「貸与ですよ? 記録用に一部ずつ」
「誰の許可で?」
「わたしです。そしてルミア様もOKしてくれるのなら二人、これで問題ありませんね」
…やっぱり、前言撤回。この女を守ってあげる義理なんて、ありませんわね…!!
涼しい顔で共犯者に巻き込もうとするラフィエラを見て、先刻の殊勝な自分を呪いたくなった。
同時に、あの焦燥も少しだけ削がれていく。
ラフィエラの指が、白い封蝋見本を撫でた。
「やっぱり、わたしの『推し』に金は似合いませんね」
「…なんの話をしているんですの?」
「ルミア様ですよ。金だと露骨、青だと冷たすぎますし…その美しい御髪のように、銀紫が一番似合います」
「…やっぱり、なんの話ですの…?」
ラフィエラの言葉はたいてい的確で柔らかく、時々まったくわからない。
そもそも招待状に銀紫なんて存在しないのに、彼女は新しい色を追加するみたいに本気で検討しているようだった。それがほんの少しだけおかしかった。
…もしかして、この子なりの冗談で私を励まそうとしている…なんて、考え過ぎですわね。
「…これが、先ほどの…」
「…なるほどな」
周囲を見回すと、近くの席の生徒たちは別の噂話に夢中だった。
その代わり、部屋の奥で王太子側の側近が誰かと話しているのが見える。手元には委員会で使われた席次図の控え。
(…今日も“材料集め”。熱心なことで)
今日の私の言動も、誰かの手で別の形へ整えられていく。
しがらみを持たせてはいけない学園祭ですら、あらぬ舞台の骨組みに差し替えられそうだった。
誰が善人で、誰が傲慢で、誰がふさわしく隣に立つのか。そんな筋書きばかりが、先に出来上がっていく。
「大丈夫ですよ、ルミア様。わたしは『あれくらい』じゃ離れてあげませんので…でも、本当にいやでいやで仕方ないなら言ってください」
「…じゃあ、本当にいやだと言われたらどうしますの?」
「離れた場所から見守る…そうですね、『推し活』に励ませてもらおうかと」
「…そっちのほうが目立ちそうですわね…却下で」
ラフィエラは王太子側近たちを見ながら、余裕を見せるように笑った。
私はまだ、許していない。この子にあんな顔をさせたことも、本人がそれをなかったことにしようとしていることも。
それでも招待状の見本を指でなぞると、この紙切れに人を近づけたり遠ざけたりする力があるのだと、今さら感慨深くなる。
(…学園祭が始まる。そしてその頃には、『誰が隣に立つべきか』、『誰が端へ追いやられるべきか』が決まっているのでしょうね)
その前に、私…いや、『私たち』が先に決めてしまわないと。
正しい人間はいつも気苦労が絶えないなどと、ラフィエラの顔を見ながらため息をついた。




