第5話「契約の系統」
ラフィエラに押し付けられた記録案を鞄に入れたまま、早足で魔法適性試験の会場へ向かう。
今朝の試験会場は、春冷えを溜め込んだような石造りの講堂だった。荘厳なまでに高い天井の下、四つの試技台が等間隔に並び、卓上の札には紋章術、契約、制約、調停と記されている。
問われるのは攻撃の才ではない。誰が何を結び、何を縛り、何を整えるか──この学園では、魔法もまた対人交渉の延長なのだ。
適性が知られれば、その家がこの先どのように人と関わるかまで勝手に推し量られる。貴族として生まれた以上、心のままに生きることは許されない。
「静粛に。すでに試験は始まっている」
担当教員の嗄れつつも威厳ある声が講堂に広がる。老教授が杖で床を叩くと、淡い光が円形に走り、生徒たちの足下に細かな線を結んだ。
それを絆と見るか、しがらみと見るか。無論、私は後者だ。ラフィエラやリオネなら前者と呼ぶのだろうが、その能天気さは貴族にふさわしくない半面、我が一族からすれば庇護の対象でもあった。
「諸君も知っているだろうが、我々が学ぶ魔法は力より“結び”を扱う。家と家、人と人、言葉と効力──本日はその相性を見る」
私には十分な説明だった。だが離れた場所では、下級生が小さく首をかしげている。
するとそのそばのラフィエラが、「要するに、破壊の力より先に“約束事の向き不向き”を見られるんですよ。将来、政務や裁定に向くか、交渉や仲裁に向くかも、少し見えてきます」と柔らかく囁いた。
…仮に私が教える立場なら、あそこまで甘くはできない。事前学習の不足を指摘し、貴族の責任を叩き込んでいたはずだ。
(火をおこせても水を操れても、まずは何に責任を持てるかが問われる。我が国らしい試験ですわね)
あの勘のいい駄犬は私が見ているとすぐ視線を合わせてくるため、その前に目をそらして試験へ集中する。
程なくして名が呼ばれ、最初は紋章術から始まった。
家紋を刻んだ媒介板へ魔力を流し、承認の光を安定させるだけの試技。華やかさはないが、どのように成功するかまで見られる以上、家名のある生徒ほど手元の揺れが目立つ。
ある令嬢は視線の重さに耐えきれなかったのか、光を不安定に明滅させ、みるみる顔を青くしていた。周囲はただ、それを見ているだけだった。
失敗しても笑われはしない。けれど『家を背負えるか』を測る眼差しのほうが、むしろ残酷なのだ。
「次、ルミアリエル・エルネスティーヌ・フォン・ヴァルドシュタイン」
「はい」
背中に刺さる視線は、昨夜の茶会よりも鋭い。失敗を望んでいることが、あまりにも露骨だった。
試技台には薄い羊皮紙、銀の指環、家紋入りの小さな封蝋皿。
それを見た瞬間、胸が熱くなる。私はヴァルドシュタインの人間だ、だから失敗できないのではない…失敗しない。
(天よ、照覧あれ。我こそはルミアリエル・エルネスティーヌ・フォン・ヴァルドシュタイン。誓約の力にて人を結び、正義による庇護を与えし者)
手袋を外し、左手を羊皮紙へ置く。肌の下で紋章が覚醒した。
「条件。期間、鐘二つ分。効力、試技中の沈黙保持」
声を載せた途端、封蝋皿の上で淡い銀紫の光が立ち上がる。揺らぎはいっさいなく、線は指環から羊皮紙へ流れ、文言の縁を静かになぞった。
その光に熱はない。レイピアの切っ先で輪郭を切り出していくような、硬質で端正な輝きだった。
「…成立確認。見事だ、そなたの誓約には揺らぎがない。正しさと誇りでもって道を示すだろう」
「それは重畳。ありがとうございます」
教授の評価で十分だった。曖昧さなく、余剰なく、手早く終える。それこそが契約と誓約の本質である。
けれど、教授以外からの受けは悪い。
「冷たい光…」
「やはり“誓約系”なのね」
「あれを破ったら、どんな厄災が返るのかしら…」
台を下りた途端、聞かせるような囁きが届く。
(当然でしょう。そのための誓約なのですから)
誓約とは人を苦しめるための鎖ではない。守るために引く線だ。そうした制限を恐れてばかりでは、貴族社会の先が思いやられる。我々は上に立つからこそ、自らの約を果たさねばならないというのに。
「次、ラフィエラ・セラフィーナ・ド・アストレア」
「はい。よろしくお願いいたします」
だが、ラフィエラが調停台に立つと…講堂の空気は一変した。
彼女が媒介板に指先を置いた瞬間、蜂蜜色の光が丸く広がっていく。誰かをねじ伏せる強さではなく、ばらばらになった糸を丁寧にたぐり寄せ、一つにするような暖かな光だった。
その色は春先の陽だまりのようで、見ているだけで肩の力がほどけていく。
「…成立。見事だ、そなたの調停は柔よく剛を制す。その力は周囲を照らす光となろう」
「恐縮です。ありがとうございました」
教授の評価が終わるや否や、講堂に拍手が起きた。教師陣が制してもしばらくは鳴り止まない。
人々を安心させ、一つに束ねる光。隣で見ていた生徒たちからも「あの光…すごい」と囁きが漏れる。さすがは我がライバル、とでも言うべきだろう。中には熱っぽい視線を隠さない令嬢までもいる。
悔しくはない──いや、対抗心はある。だが私にはヴァルドシュタインとしての、あの子にはアストレアとしての役割がある。それが“誓約”と“調停”に分かれただけで、どちらも社会には欠かせないのだ。
「ご覧いただけて嬉しいです。わたしには万雷の拍手より、ルミア様に見守っていただけることのほうが嬉しいので」
「あなただけを見ていたわけではありませんわ。それに、負けたとも思っておりません」
「ええ、ルミア様が負けるはずありませんもの。ですが皆様、試験に別の意図を見いだしておられるようで」
試技台を下りたラフィエラはそそくさと歩み寄り、にこやかなまま講堂の端へ視線を流した。まるで、私にそれを見るよう促すみたいに。
視線の先では、子爵家らしき下級生が試技順の札を持った上級生たちに囲まれている。最後列へ回るよう言われ、その足下の箱には、角の欠けた媒介板が一枚だけ混ざっていた。
「…あの板」
「ええ、わたしにも見えております」
欠けた縁に、昨夜のカップを思い出す。欠けているのは器物ではなく、あの上級生たちの良識だ。
あれで試技をさせれば光は乱れ、成績表には『本人の制御能力が不足』とだけ記される。しかも多くの視線が集まる最後列なら、その失敗は講堂中に晒されるだろう。
(…ふん、やってやろうじゃありませんの)
私は迷わず歩き出した。たとえきっかけが、忌々しいアストレア家令嬢の視線だったとしても。
「その順番変更、お待ちなさい。誰の承認あってのことかしら」
怒りを冷や水で制するように言い放つと、上級生たちが振り向いた。
「これはルミアリエル様。いえ、この方が緊張なさっているようでしたので、順番をあとへ…」
「試技順は受付順と貸与札の番号で固定されています。勝手に回す権限、わたくしにもあなた方にもありませんわ」
言い訳を並べられる前に、箱の中から媒介板を持ち上げ、欠けた角を見せつける。
「それにこの貸与品は破損しています。教員に知らせて交換するのが規定、欠陥品を使わせて失敗させるのは不正行為です」
私の言葉に肩を震わせたのは、上級生ではなく下級生のほうだった。
…やはり、わたくしに人を守ることはできないのでしょうか。
怒りを抑えても、守ろうとすればするほど怯えられる。それもまた、私の“制約”なのだろうか。
「ご安心ください、ルミア様は『不公平ゆえの失敗』を止めたいだけなんですよ」
いつの間にか隣に来ていたラフィエラが、笑っていた。許されざることだとわかっていても、その“翻訳”が差し込まれることに…私の胸には、陽光が差していた。
「貸与記録と受付印があれば、順番の変更も板の破損も確認できますもの。ですよね、先生」
「うむ。そこの生徒、破損品を交換するように。記録係は変更について控えよ」
またしても、ラフィエラが講堂の空気を変える。
上級生たちはそそくさと人垣へ紛れ、下級生は震えながら新しい媒介板を受け取った。私を見て何か言いかけ、結局言葉にはできないまま小さく頭を下げる。
その後の試技は、無事に成功した。
…だというのに、この悔しさはなんなのか。賢しい駄犬め…。
頭を撫でられたがる犬のように微笑むラフィエラへ、私は顔をひくつかせたまま無表情を装う。
「…本当に、いつも口出しばかり」
「支配者になりたいのではなくて? だから王太子様も…」
「ですが、今のは規定通りでは…」
講堂の隅ではなお、鋭利な囁きが蠢いている。ラフィエラの光によって照らされた場であっても、悪意そのものは消えない。むしろ白日の下に晒され、形をあらわにするだけだ。
だからこそ、見逃してはならない。見えているのに黙ることこそ、もっとも卑怯なのだから。
「今日、確信しました」
「何をです?」
「ルミア様の誓約の光は、人々を邪悪から守る輝きなのだと」
ラフィエラは私の前へ回り込み、まっすぐ見上げてくる。まるで『わたしだけを見て』とでも言うように。
それはレイナであれば、自ら身を引く距離感だった。
「強い光は、ときに悪を網膜ごと焼き尽くすかもしれません」
「…今は試験中です。戯れ言は」
「だからわたしは、その光で邪悪を払い、人々を正義で包む姿が見たいのです」
意味がわからない。余計なことばかり言う。
そう思いながら睨み返しているうちに、試験は終わりを告げた。
*
試験終了後、返却台には貸与札と署名板が並べられていた。
使用した媒介板の番号、返却時刻、状態確認。記録係が一つずつ確認し、最後に家紋入りの小印を押していく。
整えられた記録の列は、曖昧な噂よりよほど美しく、よほど頼もしい。
紙と印と立会い。それだけで、悪意の入り込む隙間は少しだけ狭くなる。
「やはり、提出物はこうあるべきです」
「あなたの話は唐突すぎます。伝わらない言葉に意味はありません」
「誰が、いつ、どの状態で出したか。署名と封だけでなく、できれば立会人も。ここまで揃えれば、人の記憶より説得力があるでしょう?」
昨日の記録用紙を思い出し、ようやく言いたいことが伝わる。
「…なにか起こる、そう言いたいのですか?」
「残念ながら。わたしもルミア様も、いやというほど見てきたはずです」
声音は柔らかいままなのに、提出物の並ぶ長机を見る目は、これから牙を剥くものを見据えているようだった。
…私たち、か。
「使えるものは全部使い、記録を趣味から実用へ切り替える。真実は言葉に制約を与え、わたしの“おひい様”を守る盾となりましょう」
「おひっ……な、なにを……!」
口元がうろたえる。左手の人差し指を立てて内緒の仕草をするラフィエラの紋章が、暮れなずんだ太陽のように淡く光った。
私の続きの言葉も、また沈んでいく。
(…人との結びつきには、何が必要だというのでしょう。お父様、お母様…)
結びは絆を作るだけではない。少なくとも私の言葉は、誰かを縛る力として現れやすい。
だがそれは不要ではない。今のように記録し、真実へつなげることで、魑魅魍魎の暗躍を縛りつけるのもまた正義だ。
ならば私は、この力を嫌ってはいけない。たとえ人々に嫌われるとしても。
網膜の裏にラフィエラの光が焼きつき、それを振り払うように講堂の外へ出る。やはり春風は、まだ冷たかった。




