第4話「余計なことしか言えませんの」
今日は聖女候補の一件もあり、とくに寮の自室に広がる静けさが心地よかった。すぐそばに控えるレイナはあの駄犬と違い、主人である私の命令をただ待つように黙っている。
…それに対して安心感と同時に、ごくわずかな物足りなさを覚えそうになって、自分の未熟さごと振り払うように頭を振った。
「…封筒? 招待状、ですか。封蝋も厚みもない白い紙、先輩方の心遣いが身にしみますわね」
それは学園内の茶会を取り仕切る上級生の印だけが端に押された、招待状の体を取った呼び出し状だった。
『明夜、温室棟奥の小サロンにて、親睦を兼ねた派閥茶会を行う』
『つきましては、聖女候補リオネ様もご列席のため、各家の令嬢に出席を願いたい』
「願いたい? ぬけぬけと…率直に『来い』と命じればよろしいのに」
嫌みったらしい書き方に、思い出すこともできない上級生たちの顔が浮かびそうになる。
けれど先に漏れたのはため息まじりの言葉で、それは机の脇に立つレイナにも届いていた。
「…体調不良が理由であれば、上級生の皆様も納得されると考えられます」
「あいにく、心身共に壮健です。ましてやこれは聖女候補が出る親睦会、ヴァルドシュタイン家とあろうものが理由いかんなく避けたと思われれば」
「…臆したと言われるでしょう。出過ぎた真似をしました」
レイナは小さく眉を寄せ、悔しそうに唇を噛みつつ頭を下げた。私は「構いません」とだけ返し、見え見えの罠へ飛び込むことを受け入れる。
行けば罠にはめられ、あらゆる言動を『今後』のために監視される。
行かなくば勝手な物語がまた一つ増え、それもまた断罪の材料として機能する。
「レイナ、ドレスの用意を。派手なものはやめておきましょう…この招待状に見合った、シンプルなものを」
「承知しました。ご安心ください、お嬢様ならどんなドレスでも茶会の一等星になるでしょう…その正義を示すように」
輝かしい比喩とは裏腹に、レイナの声音には隠し切れない茨があった。けれどそれは自ら罠に飛び込む私を責めるものではなく、その正義が踏みにじられる理不尽への義憤なのだろう。
屋敷を離れても、この子がいてくれることにはいつも奮い立たされる。だが、その正しい怒りで席次は変わらないし、蠢く悪意も減りはしない。
私は招待状を伏せ、準備を進めるレイナを見送った。机の上の白い紙は、その言葉通り妙に薄っぺらく見えた。
*
翌夜の小サロンは温室棟の奥にあるぶん、帳の下りた世界を邪魔しない静けさに満ちている。けれど私にとって、それは悪質さを際立てていた。
レイナが仕立ててくれたロングドレスは夜の茶会を邪魔しない上品さで私を包み、少なくともドレスコードによる攻撃からは守ってくれる。
しかし人目につきにくい茶会ゆえに内輪の序列はまったく隠されておらず、それを咎める人間も見当たらなかった。外向けの体裁が失われたこの空間に、果たして“淑女”はいるのだろうか。
(席は窓際、一番端…期待するだけ無駄でしたね)
私のために用意された場所は、外からの冷えが残り、会話の輪にも半歩入りにくい咎人向けの特等席だった。
しかも置かれているカップの縁はほんのわずかに欠けていて、この『言われなければ気付かない程度の傷』に淑女とは対極の心遣いが滲んでいる。
それに痛み入りつつ、席に腰を下ろす。幸い、椅子にまでは妙な細工はされていない。
「あら…こちらでしたか」
「紹介は最後でよろしいですわね? もう皆様ご存知、ご高名を繰り返すのもまた失礼ですから」
すぐ近くで扇子の骨が鳴り、私の席を包む空気だけがぱんっと張る。
直後に聞こえた上級生たちの声は柔らかく、ともすれば我が一族に敬意を払っているように見えて、実際は肩書きを削って順番を後ろへ回しただけ。
少なくとも、この場での私は…ヴァルドシュタインの公爵令嬢でも、王太子の婚約者でもない。取るに足らない参加者の一人として、少しずつ誇りを削られていく。
(聖女候補は…中央ですか。まったく、もっと毅然となさい。でなければ、わたくしが道化としてここに馳せ参じた意味もなくなりますのに)
中央ではリオネが聖女候補として丁寧に迎えられ、椅子を引かれ、茶の香りを褒められ、「緊張なさらないで」と幾度も声をかけられていた。
けれど、羨ましいとは思えなかった。周囲の意図に気付かずとも居心地の悪さだけは理解しているのか、彼女は時折私を見ては視線を泳がせていたからだ。
その一連のもてなしの最後に「それから、ルミアリエルさんも」とだけ添えられても、空気はなんの揺らぎも起こさない。
(…何たる侮辱。しかし、これもまたわたくしの至らなさ…お父様、お母様、何卒ルミアの無様さをお許しください)
本来であれば、誰か一人は「公爵令嬢に対して不敬では」とやんわり指摘してもおかしくない。だがここは、あらゆる慣例より身内のルールが優先される敵地だった。
唯一リオネだけはなにか言おうとして、しかし上級生のもてなしに言葉を挟めず口をつぐんでいた。
ぬるい茶を口に含む。砂糖壺は回ってこない。それさえも礼儀の一部のようで、私は菓子皿ごと後回しにされる自分の不甲斐なさを、胸の内で一族へ詫びた。
…これが終わったら、レイナが入れてくれたお茶を飲みたいですわね。
「ルミアリエル様も、今夜はずいぶんお静かですのね」
虚無へ紛れるような気持ちでお茶を飲んでいたら、いつの間にか対面にいた令嬢が褒めるような調子で口にした。
もちろん、それを褒め言葉として受け取るほど…リオネのように純粋な私ではない。
「噂ほど怖くはございませんのね。私、安心しましたわ…ええ、もっと仲良くしたいと思えるほどに」
くすり、と開かれた扇子の裏側から笑い声が聞こえる。それへ反応するように、周囲の令嬢たちも楚々として笑いを重ねた。
怖いと決めつけておいてから「ほどではない」と和らげる。下げておいて持ち上げるふりをする、こうした場で使い古された手だった。
わかっている。けれど、その古くさい攻撃は何度受けても愉快にはなれなかった。今宵は、とくに。
「噂はいいですわね、中身を知らずとも相手を…そして自分自身の格を下げることができますもの」
私はお茶を置き、時計の針を薄暮へ戻すように口にする。
一瞬だけ、場が止まった。けれど夜の帳はすぐに戻り、誰もが示し合わせたように隣へ顔を向ける。私の言葉は会話に組み込まれることもなく、ただ小さな失点として卓上へ広げられた。
(…あくまでも“存在しない者”に仕立て上げる、と。今夜の作法は手記にも残せませんわね)
刹那の感情にたるんだ背筋を伸ばし直し、完全に意思表示を消す。怒っても俯いても、相手の手で転がされるだけだ。
けれどすべての感情が凍りつく前に、私の視界を金色の影が横切った。ラフィエラだった。
今日の彼女は上級生たちと自然に笑い合える位置にいたものの、私と話すときのような駄犬ぶりは見せず、一切気を抜いていない。
そのラフィエラが私のすぐ後ろを通りすぎる際、一度だけ足を止めた。
「……!?」
ドレスで隠された私の背へ、そっと手が添えられる。
熱も力も伝わらないほど短い接触。悪意に満ちた夜にも紛れてしまう、音のない合図だった。
『どうか、今は』
ただそれだけを告げるものだった。
私は声を出さずに驚き、わかったと示す前に体が勝手に動く。
反射的に肩を振り、背を離した。明確な拒絶をしてしまったのだと気づいた瞬間、自分の胸中をかきむしりたくなった。
「椅子の飾りにドレスが引っかかってしまいました。申し訳ございません」
囁くような言葉と共に、ラフィエラの手はすぐに離れていった。その一連の流れに、部屋の会話は途切れない。誰も気付いていないか、あるいは見ないふりをしたのだろう。
…助けではない。これ以上、顔色を変えるなと背筋を正されたのだ。
それがわかっていたからこそ、息が少し苦しかった。ライバルの気遣いを拒んだことも、支えられた事実そのものも、私の誇りを静かに傷つける。
これ以降の茶会の記憶はほとんどなく、表情を固定するための笑みと、欠けたカップの感触だけが残った。
*
寮に戻る頃には、すっかり夜も更けていた。冷えた風がようやく私に自省を促す。
泣くことも、怒ることも許されない。そんな感情を表に出せば、私はライバルの手を拒んだ気概まで失うだろうから。
手袋を外し、髪を解く。それだけで帰ってきたのだと実感し、ベッドへ逃げる前に机へ向かった。
「お嬢様。よろしければ温かい飲み物でも」
「ええ、ありがとう…できるだけ熱めで」
「ありがとうございます、承知しました」
「なんであなたがお礼を言うんですの…もう」
遠慮がちなレイナの声に返事をすると、あっという間に明るい声音で礼が返ってくる。その姿は、やはり忠犬めいていた。同じ犬でも、よほど扱いやすく安心できる。
「お茶をお持ちしました。それと、アストレア家のご令嬢からです」
「…まあ、見ないわけにもいきませんか」
今日のことをただ反省するだけでなく、“記録”しておこうと思っていたところに、お茶と共に便箋まで差し出される。
差出人を聞いただけで気が重くなる半面、「逃げるものですか」と蛮勇も湧いた。
封を切る。そこには、見慣れた文字でこう書かれていた。
『親愛なるルミア様へ
本日の記録案を同封いたします。
一、日時
二、場所
三、同席者
四、席次と茶器の状態
五、発言の要旨
六、その場で見ていた人
欠けたカップは見間違いで済まされますから、次からは最初に書いてください。
なお、背中の件は事故として処理します。私の未熟さが原因ですので。
明日の魔法適性試験の前に、図書室で十分だけいただきたく。
来なければ迎えに行きますので、よしなに。
あなたの補佐役であるラフィーより』
「……ぬうぅ……事故だなんて、いけしゃあしゃあと……」
読み終え、つい唸る。
レイナはそれにきょとんとしたので、慌てて咳払いをしつつ便箋を畳んだ。
なんとも忌々しい。お互いを通称で呼び合い、選択肢を与えないように脅すところも。
何より、実務的で役立つ形式を添付してきたことが。
(…ならば、使えるものは使うまで。借りにはしません)
白紙を取り出し、同じ形式で書き出す。その筆跡は驚くほど軽く、余計な力が抜けていた。
明日は魔法適性の試験がある。だから、これは後回しにしてもいいはず。
けれど手付かずだと余計な気を使うライバルに手取り足取り書かされそうだから、それだけは避けるべく、レイナに見守られつつ私は事の次第を自分の言葉で記し始めた。




