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誇り高い悪役令嬢は冷たいのではなく、不器用なだけです 〜それを理解するのはライバル令嬢だけ〜  作者: 花田一郎
第3章:社交界接続

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第31話「公平という刃」

 春の朝、学院東回廊は花冷えを感じるような空気に満ちていた。

 石床へ差し込む光は白く、柱の影は時刻を知らせるように細長い。人通りはあるはずなのに、ここだけは図書館のように声が遠く感じた。

 社交の目から逃れ、言いにくいことを伝えるための場所…立っているだけで、それを理解させられた。

(…持ってきたところで、きっと結果は変わらない。わたくしにもこんな感傷が残っていたのね)

 手袋の内側で、昨夜レイナが記録箱から出した青い招待状をもてあそぶ。言うまでもなく、持参する必要なんてなかった。

 それでも持ってきてしまったのは…ラフィーとの共闘を選んだことで、人との関わりに対する考え方が変わってしまったからなのだろう。


「お呼び立てしてしまい、申し訳ありません。そしてご無沙汰しておりました」


 ほどなくして、セシリア・フォン・ラウエンベルクが回廊の向こうから静々と現れた。

 淡い灰青のドレスに控えめな真珠のアクセサリー、髪形はきちんと整えられている。その一方で、目元は私と同じように寝不足を物語っていた。

 そうした些細な共通項が、私の中の古時計をゆっくりと動かす。それでも、今に追いつくことはない。

「本当は、お手紙だけで済ませたかったのですが。ですが、あなたにそういう不誠実を働きたくはありませんでした」

 いくつかの返事を口にしそうになって、黙って頷くに留めた。懐かしさに絆されれば、話すべきことの輪郭が崩れてしまうから。

 セシリアはそれから数息のあいだ黙り、まっすぐにこちらを見てきた。ラフィーに似ていると感じた記憶が、「やっぱり違うものですね」と塗り替えられる。

「…私の名が、事前聞き取り候補へ入っていることはもうご存知ですよね」

「ええ」

「父が了承しました。王太子側と正面から敵対はできない…と。我が一族は、ヴァルドシュタインほど強くないのです」

 朝の風が、柱のあいだを抜けていく。彼女の言葉はありふれていて、そのまま押し流されそうだった。

 だけど、そういう『誰が考えてもわかること』というのは、厄介で対応しにくい。

「私は…“嘘”をつきたくありません。けれど、公の場であなたに味方することもできない。もしも問われたのなら、『学園で皆が怖がっていた』、『ルミアリエルの言い方は厳しかった』と言わざるを得ないです」

「…そうですわね。どれもこれも、第三者の目からは正しいと言えるでしょう」

 彼女の言葉に、明確な敵意はない。むしろ、正直な人間特有の震えが混ざっていた。

 それを感じ取ると、自分の弱い部分…感傷がまた刺激される。まだ間に合う、こちらから手を伸ばせば…なんて、少し前の自分なら唾棄しそうな考えがよぎった。

 だからあえて距離を置くような言葉を口にしても、セシリアは悲しんだりしなかった。

「…黙ったまま向こう側に立つのは、昔のお茶仲間に対して失礼だと思うのです。覚えていますか、一緒に甘いお茶を飲んだことを」

「…覚えていますわ。人前でお茶にたくさんの砂糖を入れたのは、あなたが初めてだった」

 昔のお茶席を思い出す。淡い青の招待状に誘われ、悪役としてではなく、一人の令嬢として過ごした短い午後。

 セシリアは、当時からたくさん話したわけじゃない。それでも私が返事に迷って黙っていても、余計な意味を持たせず、ただ同じようにお茶へ砂糖を追加し続けた。

 あの沈黙の心地よさは、今でも覚えている。砂糖の甘さが見せた幻想だとしても、その記憶は胸の片隅を緩めそうになった。

「…ですから、私からお願いがあります。ラウエンベルクとして、ではなく、セシリア個人の意味合いが強い…」

「…なんですか?」

 自分たちの緩みを引き締めるように、セシリアは胸に手を置いて口を開いた。

「もしも可能でしたら、私の名を正式な証人の列から外していただけませんか?」

「…っ」

 一瞬、まばたきすら忘れる。セシリアは本気でそれを口にしていた。

「公の場で味方できない。しかし、敵としてあなたに立ち向かうなんて…したくない」

 そんなの、こちらだって同じ。だけど、それは。

 歯を食いしばって、割って入ることを避けた。

「父も家も、すでに決めております。私一人の意地で覆せないでしょう。しかし、私たちには縁があります…それを持ち出せば、王太子側とて安易にそれを引き裂けない…」

 セシリアもまた、あの古い招待状を持参していた。

 それを取り出し、私に見せる。だけど私は、招待状を隠し続けた。

 すでに答えは、決まっていたのだろう。

「…弟は、春から近衛の見習いへ入ります。私一人の反逆で、それすら台無しになるかもしれない…わかってくださいますか、我が友よ」

 言い訳よりも先に恐怖が浮かんだ顔で、彼女は手を差し出してきた。指先が、わずかに震えていた。

 それは私情による例外を求め、少しだけ手続きに介入して欲しいという嘆願だった。

 一見するとわがままだが、ぎりぎり慣例へ踏み込んでいる、貴族社会の常套手段。格上に譲歩を促すには…十分な理由だろう。

「…セシリア」

 ここで手を伸ばせば、きっと楽になれる。もしかしたら、味方が増えるかもしれない。

 それでも私は、静かな声で返答した。

「あなたが恐れていること、それは理解できます。ですが、わたくしはあなたのためだけに、抜け穴を認めるわけにはいきません」

 セシリアと重なりかけたラフィーの面影が、ようやく分離してくれた。

 …ラフィー。あなたなら、こう言うのでしょう?

「もし向こう側が求めた事実を話すのなら、ほかの人と同じように話してください。話したくないとおっしゃるにしても…昔のよしみで手続きに介入するなど、わたくしにはできません」

「そんな…ルミアリエルさん。あなたは、どうしてそこまで」

「公平、ただそれだけです」

 口にした直後、喉が切れたような痛みを感じた。

 でも、引き返すつもりもない。

「あなたのためだけに働き掛ければ、わたくしは向こう側と同じになってしまう。自分の都合のため、誰かの感情や利害に働きかける…」

「私、そんなつもりは…」

「存じております。本当に家のことだけを考えるのなら、ここに来る必要はなかった…」

 セシリアに悪意はない。ただ、保身と恐れが彼女を向こう側へと傾けてしまった。

 それを情によって許し、私のほうへ引き込めば…お互いが握っている招待状が、永遠にくすんでしまうだろう。

 古き日のよき思い出、せめてそれだけは美しくいて欲しかった。

「…あなたは本当に変わりませんのね」

「変われたのだとしたら、もっと早く楽になれました。しかし、後悔はしたくないのです」

 セシリアはしばらく黙ってから、笑おうとして、でも失敗した顔を向けてきた。

 招待状を引っ込める。その動作に、目の奥が少しだけ熱くなった。

「…そういうところが、皆からすると怖いのでしょう。しかし私は」

 すべてを言い切る前に、セシリアは背を向けた。私はその後ろ姿に頷き、見送る。

 そして招待状をしまい、もう二度と見ることはないのだろうと最後の感傷に浸った。

 追いかけようという考えは、もう出てこない。それが『ルミアリエルは旧友を切って前に進んだ』という痛みを実感させた。

「…ただ春の夜の、夢のごとし。今は朝ですが」

 人の流れが戻り始めた回廊で、私は空を見上げながら異国の短歌を思い出す。

 冷たい空気は徐々に熱を持ち始めたのに、胸の内側はひどく冷えていた。


 *


「ひとえに風の前の塵に同じ、春風は冷えますね」

 自分の振るった刃の冷たさに立ち尽くしていたら、後ろからラフィーの声が聞こえる。

 どうやら少し離れた柱の陰に潜んでいたようで、私の歌の続きを引き継ぐように口にしていた。

「監視だけでなく盗み聞きまで…共闘者とはいえ、感心しませんわね」

「趣のある歌が聞こえ、それに釣られてしまっただけです」

「…忘れなさい」

 この子はいつも気付いたらそばにいる。だから驚きはしなかったけれど、私の逡巡まで見られていたとあれば、どうしても昔のように突っぱねたくなった。

 前に回り込まれても、ぷいっと顔をそらす。それでも視線を合わせようとまた回り込んでくるものだから、すぐに根負けした。

「…わたくしは公平でありたい。でもそれは、人を遠ざけるみたいですね。だからこそ、今も切り捨てて…」

「違います。遠ざけるのではなく、正そうとするのです」

 ラフィーの断言に眉を寄せる。しかし彼女は、静かに続けた。

「あなたは誰も贔屓せず、贔屓されることを望まない。だから痛みを感じても、正しくあろうとする」

「…慰めですか? それとも、忠告?」

「私はルミア様を知ろうとしているのです。今、この瞬間も」

 その要領を得ない返し方に、わずかに考え込んでしまった。

 勝手にこちらのことを知ろうとして、実際に知って、でもまだ知ろうとする…その貪欲さも、やっぱりセシリアとは似ていなかった。

「冷酷なだけであれば、自分だけは傷つかないように切るタイミングと場所を選びます。でも、わたしのルミア様は違います。その刃を振るうとき、自分が傷つくことも厭わず、相手と同じくらい苦しもうとする…」

「……」

「だから皆さんは怖がる。でも、それは自分勝手です。贔屓されないからと怖がって、悪役を押し付けて…あなたは冷たい人じゃありません」

 冷たくない。その言葉は、私の中の自分像になかったものだった。

 それは救いのようにも感じて、だからこそ受け取るのが怖くなる。しかしこの子はこれからも気にせず押し付けてくると思ったら。

「…あなたが相手でも、多分同じことを言っていました。それでもなお、冷たいとは思いませんか? 傷つくことはありませんか?」

「傷つきはします。でも、冷たいとは思いません…一緒に傷つきたいから」

「…いい趣味をしてますこと」

 何を聞いているのだろう。そう自問する前に、ラフィーはこちらを覗き込むように上半身をかがめ、にぱっと笑った。

 彼女と刻む時計の針は、止まらない。きっと、これからも。

 それはとても慌ただしいと思う反面、退屈はしなさそうだった。


 *


「聞きました? 誓約の場では、『嘘をつくと紋章が曇る』のですって」

「曇るだけじゃなくて、しばらくは魔力そのものが鈍るとか…」

「あらあら…そんなことになったら、社交界では終わりですわね」

「招待状も席次も、たちまち白へ寄るのでしょうね」


 ラフィーを伴って回廊を歩いていたら、向こう側から密やかな声が流れてくる。

 私たちが通りすぎるとその令嬢たちはすぐに声を潜め、会釈をしてからそそくさと歩き去っていった。

「真実の場が怖いというよりも、その場に立たされること自体が怖い…そんなふうに聞こえます」

「しょせんは噂、恐怖が先行しているに過ぎません」

 ラフィーのつぶやきにあっさりと返事をしつつ、自分の紋章に意識を寄せる。

 そこにはなんの熱も宿っておらず、噂を否定するように静まっていた。

 少なくとも今日の私は、嘘をついていない。その孤高なる自信は、誰にも否定させない。

(…だとしても。わたくしは、どこまで恐怖と向き合える?)

 招待状を握る手のひらにかすかな汗が浮かび、じっくりと体温を奪う。それはまるで、恐怖の正体を突き止めるように。

 けれどもラフィーが隣に並んで歩き始めたことで、その冷たさは春の回廊へ霧散していった。

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