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誇り高い悪役令嬢は冷たいのではなく、不器用なだけです 〜それを理解するのはライバル令嬢だけ〜  作者: 花田一郎
第3章:社交界接続

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第30話「証拠の束」

 今しばらく、と言いつつも迅速に戻ってきたレイナは、両手に濃紺の記録箱を抱えていた。

 それはただの収納箱ではなかった。縁の革は使い込みで色を変え、金具だけが妙に明るい。レイナがどれだけこれを開き続けてきたか、それだけで分かった。

「こちら、屋敷側で残せるものを集めております。どうぞご確認を」

 蓋を開く。その音は、封蝋を切るよりも静かだ。中に詰まっているのは、いくつもの紙。

 金の招待状、白に寄せられた学園祭の案内、席次表の写し。どれも見覚えがある。

 その一方で、当日の受領時刻を記した細い札や返答催促の使いが来た時間、玄関で受け取った通達文の控え、封蝋の切り離された欠片まで、小袋に分けて入れられていた。

 ただの紙片だといわれても仕方ないものばかりなのに、レイナはあの日言ったとおり、すべて残していた。言葉を疑っていたわけではないのに、実物を見ると忘れかけていた情報までよみがえる。

 誰が届け、どの時刻に起き、どんな文言が添えられていたか…一つ一つは軽く見えても、束になれば噂に立ち向かう重みを持つ。

「すごいです、受領時刻の記録まで…」

「もちろんです。ただ、返答を急かした使いが咳払いをしたことまでは、さすがに証拠として薄いかと思いまして…こちらの欄外に留めております」

 めったに驚かないラフィーも、その情報量には圧倒される。もちろん、私も。

 …ただ、それは几帳面さだけでなく、少し物騒ですらある執念への感想だった。

 夜会から積み重なった疲労も手伝い、思わず額へ手を当てる。

「…レイナ。あなたの忠義は嬉しいですが、どこかずれている自覚はありますの?」

「お嬢様のお役に立つと信じておりました。必要でしたら、どなたがどんな顔でお嬢様に無礼を働いたのか、記憶の限りご報告いたします。文字起こしもできます」

「今は結構です。人のことは言えませんが、あなたもやりすぎる前に休むように」

 我が家に来た直後は識字すらおぼつかなかったというのに、今では記録係としても申し分ないほど成長してくれていた。その感慨に、ため息が漏れる。

 ラフィーも、真顔でやる気を見せ続けるレイナがおかしかったのか、小さく笑っていた。

「…これは。懐かしいものですね」

 レイナが出してくる束を検めていると、ふと古い紙が目に付く。角が柔らかくなったそれの差出人を見ると、思わずつぶやきが漏れた。

「そちらも屋敷で保管していた招待状の一つですね。お嬢様が学園に入って間もない頃だと記憶しております」

「ええ。そう、こんな名前もありましたのね…」

「……ルミア様?」

 その淡い青色の招待状は、指先でなぞるだけで過去を思い出させる。

 当時の私はまだ悪役令嬢として名を馳せていたわけではなく、私人として茶会へ招かれることもあった。そうしてくれる人は、今も昔も少なかったけれど。

 その名は、セシリア・フォン・ラウエンベルク。穏やかな声音に見合った温厚な性格で、必要以上に踏み込まない、私の沈黙をそのまま受け入れる数少ない相手だった。今の私になる前を知り、それでも隣にいてくれた子でもある。

 …そう、この子は…ラフィーと少し似ていた。

 私を見つめてくる少女とセシリアの面影が、影法師のように一瞬だけ重なった。

「……ルミア様、失礼ですが。どのようなご関係で?」

「? どのようって…旧友、としか。わたくしがこのようになってからは、交友もろくにありませんが」

「そうですか…なら、いいのです」

 ラフィーとはいろんなものを共有するようになって、かなり理解が進んだと自覚していた。けれど今の反応は、「やっぱりこの子はわからない」と思わずにはいられない。

 とくに重要でもなさそうなことをわずかに顔をしかめて尋ね、私が率直に現状を告げると、急に力を抜いたようにほっと息を吐く。人の心というのは、ときに翻訳なしではまったく見当もつかなかった。

「ともかく、こんなものまで残し続けていたのは想像以上でした」

「一枚も捨てておりません。お嬢様が受け取ったもの、受け取らされてきたもの、その前後を拾える限り残しておりました」

 レイナの生真面目な言葉で、脱線しかけた思考がまとまる。この箱は単なる書類保管庫ではなく、家側の証言とも言えるものだった。

 公の場では侍女の記録は軽んじられる。それでも、記録がないことと軽いことでは意味が違う。正式文書にならずとも、その脇を固める情報にはなる。

「レイナさんのおかげで、屋敷の中の情報は万全ですね。では、以前お伝えした分担通り、学園と外で拾えるものはわたしがまとめます。夜会の補助役、写し係、聖堂側の配布経路…このあたりから」

「なら、屋敷側はわたくしとレイナで整理しますわ」

「仰せのままに。招待状、受領記録、席次表の写し、使者の出入りなどはお任せを」

 机の上で役割がきれいに分かれていく様子は、さながら同盟国との国境線めいていた。今はその線さえ、不思議と落ち着きをくれる。

 きっと、私たちの目指す場所が同じだからだろう。私はこの一体感に、がらにもなく心地よさを覚えた。


 *


 翌日の昼までに、紙束は三つの山へと分かれた。

 王城儀礼局関係。学園側通達と証言関係。屋敷側受領記録。

 そしてその脇に、保留中の小さな山も一つできた。

(古い招待状、茶会の座席控え、返事を出しかねていたままの私信…証拠とは呼べないけれど、切り捨てるには早い紙たち)

 それらに宿るのは証拠というより、その場その場の感情だった。こういうものはいつも持て余してしまう。

 封蝋の色、紙の厚み、筆跡の癖…並べていくと違いはくっきり浮かぶのに、内容を精査すると意図だけが同じ方向へと偏っていく。

 しかも、いくつかの聞き取り候補には「善意の忠告を威圧で黙らされた」「穏便にと迫られた」と、妙に似た言い回しまで混じっていた。

「ここまで集まると、偶然では片づけられませんわね」

「ええ。誰かが先に囲って、形を整えるために配っている」

 私の認識に、ラフィーも頷く。自分の部屋に集まって作業することが、すでに当たり前の光景となっていた。

「では、その向かう先を突き止める必要がありますわね」

「はい。時刻と順番はわたしが押さえておきます」

「相変わらず頼もしいこと……っ」

 打てば響くように作業を続けるラフィーを見ていると、ふっと息が漏れた。心強い。けれど、そのぶんだけ自分がどれほど疲れているのかも隠しきれなくなる。

 視界が一瞬だけくらみ、日を跨いだ疲労が両肩へとのしかかった。

(まだ終わりは見えない…だけど、積み重ねたものは裏切らない。この子たちの頑張りを、無駄にはしない)

 書類に残されたものは、場所や時刻といった無愛想な羅列ばかりだ。それらを処理し続けることの疲労は重い。それでも、逃げない。

 幸いラフィーは私の変化に気付かなかったようで、次に目が合うまでにはいつもの強がりが戻せていた。

 いつまで保てるかわからない、そんな砂上の楼閣が私の寄る辺だった。


 *


 夕方。ラフィーが「一度学園へ写しと聞き取りの回収に向かいます」と伝え、私の部屋を出ていく。

 私とレイナはそのまま残って書類の時系列を揃えていた。窓の外から差し込む光はすでに弱く、卓上の燭台に新しい灯りがともる。それに照らされた封蝋は、今だけはきれいに見えた。

「よし、それでは次の束へ……っ」

「お嬢様、ここから先は明朝に回しても」

「……いえ、今止めると完成が遅れます。なにより、この山を明日も見たくはない」

「ご安心を。お嬢様が見たくないときは、私とラフィエラ様が立ち塞がりますので…今、飲み物をご用意します」

 侍女らしからぬ押しの強さに、頑固なのはお互い様だと悟る。となれば、先に引き下がったほうが負けるのだろう。

 だからレイナが席を立った直後、次の紙束に手を伸ばしたけれど、その拍子に視界が白く狭まる。何でもないでは済まない脱力感だった。

 指先は空を切り、視線は床へと落ちる。行き場を失った手が、せっかくのまとまった書類を突き落としそうになった。


「ルミア様」


 先に戻ってきたのは、ラフィーだった。

 彼女の声が近づくと同時に、私は「このままだと抱きとめられる」と考える。その原因は、ラフィーの声に反応した紋章の熱だった。

 足音が近づく。その瞬間が訪れる。どうする、どうする。

(…ダメ…今、それをされたら…わたくしは…)

 正面から抱きしめられたとしても、嫌なのではない。ただ、もう立てなくなる気がした。

 彼女の腕に包まれた私は、常在戦場という現実を忘れ、お母様にあやされたときのように温もりの中でまどろみ、また一歩弱くなる。

(…悔しい…負けたく、ないっ…!)

 歯を食いしばり、身を固くする。ろくに抵抗もできない自分が、ただただ情けなかった。


「大丈夫、ゆっくりと座り直してください」


 ラフィーの腕が私の体を包む寸前で、ぴたりと止まった。

 代わりに私が座っている椅子を素早く引き寄せ、倒れ込む前の私を救い上げるように、体へと優しく背もたれを当ててくる。

 それはまるで、椅子を使った抱擁めいていた。

「……助かりましたわ」

「…正直に言います。本当は、もっと別の“助け方”をしたかったんです」

「……そうでしたか。でも、今ので十分ですわ」

「わたしは残念です」

 それはいつもの軽口に比べて、あまりにも思いやりと、なにより口惜しさに満ちていた。

 目を閉じる。かつての茶会では背中にも触れてきたというのに、距離が縮まったことで遠くなるものもあるのだなと、妙な感慨を覚えた。


「お茶をお持ちしました。本日は、どうかここまでに」


 レイナの声に目を開く。すでにラフィーは離れていて、私はお茶を受け取りながら無言で頷いた。

 ラフィーは向かい側に座り、同じようにカップを受け取る。それを一口飲んでから、ようやくラフィーが持ち帰った薄い綴りに目が向いた。

「…ラウエンベルクの紋章?」

「…本当なら、明日以降に目を通してもらいたかったのですが」

 それはつい先ほど見た招待状と同じ、薔薇をかたどった紋章で、偶然にしては出来過ぎているタイミングに思えた。

 ラフィーも私と同じように驚いていたのか、先送りを諦めたように卓へと置く。

「学園にて、事前聞き取り候補の家名として目に付きました。セシリア・フォン・ラウエンベルク様が応じるかもしれません」

 息が詰まり、すぐには返事ができない。それでも、その名前から目が離せなかった。

 昔より整って見える筆跡は、時の流れを残酷に彩る。

「…私のほうにも、先ほどこちらが届きました。私信とのことです」

 レイナもまた、卓上へ淡い青色の封蝋の一通を置く。過去にはまらなかったパズルのピースが、今になって集まり、目の前の光景を形作っていくようだった。

 我ながら弱々しい手で封を切る。そこには、短い文だけが入っていた。


『お話したいことがあります。明日、学園東回廊にて。公の場ではありませんが、何卒』


 末尾の署名がセシリアであることを確認すると、もう一度目を閉じる。

(…セシリア。あなたは敵ですか? それとも…)

 どちらとも断定できない。けれど、味方だと信じるにはあまりにも遅い。

 それに、敵かもしれないと思ってしまうこと自体が痛かった。数少ない、沈黙を許してくれた相手だったから。

 紙を卓上に置いて、私は二人を見た。

 ラフィーはなにかを言いかけて、ただ気遣わしげに私を見る。レイナは黙ったまま、欠けた封蝋を控えるタイミングを待っていた。

「…どちらにせよ、逃げるつもりはありません。しょせんは過去、わたくしたちは今を戦うしかないのです」

 セシリアは、すでに過去の人となっていた。だから、切るにしても迷いはない。

 そう言い聞かせるように二人へ告げたけれど、すぐには返事がもらえなかった。虚勢だと見抜く二人の聡さに、私はもう一度目を閉じた。

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