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誇り高い悪役令嬢は冷たいのではなく、不器用なだけです 〜それを理解するのはライバル令嬢だけ〜  作者: 花田一郎
第3章:社交界接続

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第29話「選択としての共闘」

 夜会が終わり、ラフィーと学園の私室に帰ってくる。向かい合うようにして座った卓の上で、白蝋の封が冷たく存在を主張していた。

 王城儀礼局からの招請状は、夜に紛れるにはあまりにも白い。白薔薇をテーマにした夜会の手土産としては、たいそう悪趣味に見えた。

 私もラフィーもまだ手袋は外しておらず、指先は落ち着かなげになにか握れるものを探す。かといって、お互いの手を取るにはどうにも距離が開いていた。


「温かいお茶です。部屋の外で控えておりますので、必要なものがあれば何なりと」


 レイナは二人分のお茶を置き、それ以上は何も聞かずに一礼して下がる。扉が閉まる音が静かすぎて、声を出すタイミングを失ってしまった。

 ラフィーも同じようで、いつもなら私の警戒をほぐすように軽口の一つか二つ叩くくせに、今日は視線を逃がすように自分の小さな手帳を開く。けれども逆さまに開いたことに遅れて気付く様子が、彼女の物言わぬ精神状態を告げていた。

 私も目をそらし、レイナが入れてくれたお茶を見る。湯気がゆっくりと立ちのぼっては消える様子が、少しだけ気分を落ち着かせた。


「…申し開きもありません」


 何度かページをめくったラフィーが最初に告げたのが、それだった。

 私はお茶を飲む手を止めて、彼女を見る。ラフィーの瞳の輝きは、月明かりのように優しく、それでもはっきりと灯っていた。

「本日の南回廊で私が使った言葉は、どれも間違いだとは思っていません。でも、あの場では正しさが伝わる前に、敵に奪われやすい形でもありました」

「…あなたの翻訳は、いつだって正しかった。わたくしの言葉を、周囲が受け取れる形に直せていた」

「けれど今夜は、その手法が向こうに奪取されました。率直に言います、とても悔しい…」

 それは言い訳ではなく、自分の中の敗北感に輪郭を与えるような声音だった。

 いつも私のために外側へ向けていた言葉が、今は自分の内側へと投げかけられる。ラフィーはそのまま手帳になにかを書き込み、やがて卓の上へ差し出した。

 普段は丁寧に並ぶ文字が、今日は書きなぐったかのような荒さも秘めている。


『怖かった』→『威圧』

『整える』→『穏便化の要請』

『導線確認』→『干渉』


 奪われていった自分の言霊を取り返そうとするように、真実と曲解を並べ、矢印で繋げる。

 伝えようとしたことが伝わらない悔しさを知っている立場として、私たちはたしかに痛みを共有できていた。

 きっと今、彼女の紋章も痛痒さを覚えていることだろう。

「…怒っていますか、ルミア様」

 その問いに、私はすぐに答えられなかった。

 もしもラフィーに「あなたらしくもない失敗でした」と叱責できるほど怒っているのなら、この感情も扱いやすかっただろう。けれど怒りを誰かへ向けることは、簡単なぶんだけ責任転嫁にもなりえる。ましてや、私のために戦い続けたこの子へ当たり散らす必要がどこにあるのだろう。

 …それでも、胸の底に溜まる炎はたしかに怒りだった。

「…怒っていない、と言えば嘘になります」

「っ…それなら」

「まず、自分自身に」

 そう返すと、叱責を求めかけたラフィーの顔が止まる。子供っぽい真ん丸な目が、きょとんと転がった。

「自分だけでなく、向こう側に対しても。自分を犠牲にし続けるあなたに対しても思うところはありますが、それもこれも、わたくしが弱かったから」

「そんな、ルミア様は」

「…わたくしはあなたを守りたくて、夜会では距離を置こうとしました。けれど、あれも結局は一人で背負い、傷を減らそうと逃げただけです…あなたとの約束を、小賢しい言い分で破ろうとした」

 言葉にしてしまえば、大変に惨めだった。

 誰かを守ろうとして、そのたびに自分だけが前に立とうとする。今夜のような社交の場では、それさえ『距離を取ることを強いた』という形に歪められるのだと思い知った。

「…もう一人で背負っても、勝てません」

 喉の奥が少しだけ震える。やっと認められたのに、それは悔しさを伴っていた。

 共闘の誓いそのものは、あのとき確かに交わしていた。けれど私たちはまだ、それを掲げるだけで、敗けたときにどう支え合うかまでは決めていなかったのだ。

 やっぱり私は、そこから目をそらし続けていたらしい。

「正しければ押し切れると信じていたかった。あなたと『一人では背負わない』と誓ったけれど、それでも危険が迫れば、一人で引き受けるべきだと思っていた。でも、それは向こうにとって『一人で首を差し出してきた』と見えるだけ」

「ルミア様…」

「…わたくし一人の首で収まるのならそれでもいい。そう思いたい自分は今もいます。でも、そんな自己満足であなたを遠ざけるのは、今夜で終わりにしたい」

 言えた。そう感じた直後、呼吸がようやく通った気がした。

 負けを認めることは悔しい。けれど、それでも今は少しだけ楽だった。

 ラフィーはしばらく黙り込んでいたけれど、やがて手帳への書き込みを再開した。

「でしたら、わたしも更新せねばなりませんね」

「更新?」

「はい。これまでのわたしは、あなたの言葉の角を削り、それを受け取れる形へ置き直すのが役目でした」

 ペンの動きは先ほどと違い、紙の上を流れるようだった。声も柔らかく、いつもの彼女に戻ろうとしている。そのうえで、定めるべきことを定めようとしていた。

「ですが…次からは、丸めるべきでない論点については、もう丸めません。笑って誤魔化す前に、真実を伝えて固定します」

「…それをすると、あなたもわたくしみたいな“悪役令嬢”として扱われますよ」

「ルミア様とおそろいですね」

 そこでようやく、ラフィーは少しだけ笑った。不敵に。

 いつもの軽さだけでなく、腹をくくった人間の余裕がそこにはあった。

「守るための言葉は、相手がこちらの話を聞いてくれる場合には有効です。でも、最初から結論ありきで向かってくる相手に対しては、守っているだけでは周囲を固められてしまいます…ならば」

「…フェンシングの試合みたいに、こちらからも“刺す”おつもりで?」

「あなたを守るために必要ならば」

 ラフィーとの手合わせを思い出す。

 彼女は普段の言動にふさわしく、受け流しを優先した型だった。優美で柔らかい。けれど、勝たなければならない場では決定打に欠ける。

 そして今の彼女は、一本を取りに行く覚悟を決めたのだろう。

「これからも私は、ルミア様の優しさを翻訳し続けます。けれど、相手が隠している意図を暴くための翻訳も使います。二刀流、ですね」

 大切なものを守るため、攻める。

 それは一見すると傷つけることの正当化に見えて、この子の場合は違うのだと分かった。感情を傷つけるのではなく、ぼかされた責任に輪郭を与え、紙に残す。翻訳者としての、ペンを使った戦いだった。

「…あなたは優しい。ですが、その行為は優しいだけでは済まないでしょう」

「ええ、好かれることはなさそうです。だとしても、おそばに置いてくださいますか?」

「好かれるためにあなたを手元に置いたつもりはありません。わたくしは…」

 私の言葉に、ラフィーの目は満足げにやわらいだ。その変化を見ていると、私の胸中までもが軟化していくようだった。

 けれど、これで終わりではない。まだ言わなければならない言葉がある。

 それは毛糸玉のように硬く丸まっていて、解くのに時間がかかる。全部をまっすぐ伝えるのは、まだ先だろうけど。

「わたくしは知っています。誰かを守るときも、刺すときも、あなたの根源には優しさがあることを。だから、あなたが周囲に好かれなくなったとしても、わたくしはあなたの理解に努めていることを忘れないで」

 卓上で開かれたラフィーの手帳へ手を伸ばし、空いたスペースに三行ほど書き込む。それは彼女の私的な領域へ踏み込むことにも見えたけれど、ラフィーは何も言わなかった。


『合図は変えない』

『危険は片方で決めない』

『失敗も共有する』


 書き終え、指先で最後の行だけなぞって見せた。

 ラフィーは少しのあいだそれを見つめ、そして苦笑する。

「以前の契約に比べて、もっと子供向けっぽくなりましたね」

「ですわね。しかし、今の私たちにぴったりです。必要なことを、子供でもわかるように」

 ラフィーはくすぐったそうに笑う。私はそれを快諾だとみなした。

「合図、あのままでいいのですか?」

「構いません。あなたが刃を抜くとき、わたくしへ二度触れなさい」

「それで失敗したら、ちゃんと共有する」

「そういうことですわ。もちろん、失敗しないに越したことはありませんが。異論は?」

「おひい様の仰せのままに」

 契約成立を確かめるように、ラフィーは手帳の端へ置いていた私の右手へ、手袋越しの指先を二度触れてきた。

 それはこれまで何度か使ってきた、攻守交替の合図。けれども今回からは、『どちらが剣を抜いても共に立つ』という意味になるのだろう。

 それは何のためか。決まっている。一人で傷つくためではなく、勝利も、痛みも、二人で分かち合うために。

 私は返事をするように、ラフィエラの指先へ自分の手を重ね返した。前よりも長く、より強固な誓約とするために。


「承りました、ルミア様。ラフィエラ・セラフィーナ・ド・アストレアは、あなたのために剣を抜くことを厭いません」

「ええ、ラフィー。このルミアリエル・エルネスティーヌ・フォン・ヴァルドシュタインと、勝利の美酒と敗北の痛みを分かち合いましょう」


 そのとき、また紋章が反応した。もう、痛みはない。

 祝福には遠いけれど、綻んだ契約を一度ほどき、もっと強くなるように結び直したような熱だった。

 手を離し、招請状の封を切る。そしてまた、戦いは始まった。

「では、色気はありませんが実務の話へ」

「ええ、名残惜しいですが」

 ラフィーは今一度ペンを持ち直し、素早く項目を書き始めた。

「まずは今夜の照会分と、南回廊の聞き取り内容が一致している証拠が必要です」

「それを見たのは、おそらくわたくしとあなた」

「はい。ですけど、それだけでは弱い…写し係や補助役のうち、言葉を覚えている方を拾いましょう」

「席次表の写しと、受領時刻の記録は屋敷にあります。レイナが補完してくれているはずですが…」

 ラフィーはしばらく紙面を見つめ、それから小さく息を吐いた。

 守り損ねた悔しさより、守ろうとして遠ざけられたことのほうが、今の彼女には堪えていたのかもしれない。それでもこの子は、感情より先に次の一手を並べようとしている。

「…今度は、形にしましょう。奪われないように」

「ええ。今度は最初から、奪われる前提で整えます」


「では、直ちに準備いたします。今しばらくお時間を」


 ラフィーとの会話を聞いていたかのようなタイミングで、レイナが部屋に戻ってくる。この子のことだから盗み聞きなどしていないのだろうけど、出来過ぎたメイドも考えものだと感じた。

 三人で戦いへの備えを進めていると、紙の上へすべきことが増えていく。

 招待状。照会文。席次表。受領記録。聞き取りの見出し。証言の原型…いずれも私たちを苦しめてきたのに、証拠としてまとめ始めた途端、武器として研ぎ澄まされていく。

 言葉は物騒でも、やっていることはとても静かだった。同じ紙を、同じ順番で、同じ机へ並べる。その繰り返し。

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