第27話「聖女候補の居場所」
白い控え室は今宵の夜会にふさわしいはずなのに、どこよりも息苦しい場所になっていた。
夜会も半ば、白薔薇奉灯のための控え室は主広間の奥にある。壁布も椅子も卓上の花までもが白で揃えられ、豪華さと上品さを両立していた。
(…まばゆいほどの空間…これでは落ち着けないでしょうに)
控え室の前を通りかかった私は、その中を見て目をしかめる。ここの中心に置かれた人物を、果てしなく清らかな存在として見せる…ただそれだけのための部屋だった。
もちろん、その中央にいるのはリオネだ。ひじ掛けの椅子に座り、身にまとう白い衣は金糸で縁取られ、この部屋の中でもひときわ輝いて見える。
けれど本人は本日の主役とばかりに据えられているのに、借りてきた猫のように硬く、椅子に座っていても一切心を休めていなかった。所在なげに裾の端を指先で握る様子は、茨で拘束された女神のように痛々しかった。
「リオネ様、もう少しだけ顎を」
「ええ、そうですわ。白薔薇の灯火を受ける方ですもの、俯いていてはもったいない」
聖堂補佐たちは柔らかい声で取り囲んでいて、一見するとリオネを気遣っているように見える。
けれど実際は一つ一つの言葉が本人ではなく、“聖女としてどう見えるか”に終始していた。リオネはそれを受けるたびに浅い呼吸を繰り返している。
(…声を…いや…)
踏み入ろうとする足を止める。
割って入ることはできる。ラフィーのおかげで個人的な親交もあるといえるし、気乗りしないとはいえ、私はまだ“オレオンの婚約者”という形式も使える。
けれど、その一声でこの部屋の空気は別の意味を持つだろう。また圧をかけた。怯えさせた。夜会でも悪役がでしゃばった…どれもあり得る。
以前の聖堂でも同じように躊躇した。だとしたら、私は。
「…!」
そのとき、リオネが一瞬だけこちらを見た。
それを『助けを求められた』と解釈するのは、おそらく傲慢だろう。あれは出口の位置を確かめただけで、私を見たわけではない…そんな醜い言い訳に、もう逃げ込めなかった。
「あら…ルミアリエル様も、見守りに来てくださったのですか?」
年嵩の聖堂補佐が穏やかに話しかけてくる。もちろん、その双眸には警戒が宿っていた。
(見守り…よくも言えたものです)
それはあまりにも便利な言葉だった。
肯定して干渉すれば『支配的』、否定して離れれば『冷酷』。押し付けられた二択に、私は逆に奮い立たされた。
「いえ、奉灯の待機順を確認しに来ただけですわ。学友として、リオネ様にはよくしていただいておりますから…緊張していないかどうか、少しだけ」
それ以上は近づかない。けれど、引くこともしない。
本当なら守ってあげたい。だとしても彼女と正面から向き合うのは今も昔も難しく、遠回しな言葉が精いっぱいだった。この言葉が彼女に呼吸をさせるきっかけになれば…その願いは、淡すぎたのかもしれない。
「あらあら、そうでしたか…ですが、リオネ様をご覧ください。あのお優しい顔立ち、ただ微笑んでいるだけで十分ですわ」
「っ…」
別の夫人が笑い、リオネの肩に手を置く。びくりと震えつつも、リオネは「それで皆様に安心していただけるのなら」と弱々しい笑顔を浮かべようとした。
安心。自分をないがしろにして、誰のための平穏を願うのか。
けれどもその健気さは周囲にとってあまりにも御しやすく、彼女の言葉を置き去りにして正解だけが先に用意される。「リオネ様はルミアリエル様だけでなく、皆様にも感謝してらっしゃるのね」という言葉が、さらに逃げ道を塞いだ。
「…リオネ様。白薔薇、重くはありませんか?」
私が欲しいのは感謝ではない。この善良で居続ける子の、ささやかな安穏だった。
だから、気付けばそんなことを聞いていた。聖女候補であろうとする彼女の本音を、誰かの口ではなく、本人の口から聞きたくて。
「……大丈夫……です」
リオネは少しだけ驚いたようだったが、胸元のひときわ大きい白薔薇に触れ、気丈に受け答えした。けれど顔から笑みは消えている。
「ここにいれば、皆様は安心なさるのでしょうし……わたしは、そのようにしていれば……」
言い切る前に、補佐が「お優しいから、緊張なさっているだけですよ」と勝手に言葉を補った。
本人の言葉より、周囲の正解のほうが重い。思わず睨みそうになった、そのときだった。
「遅れて申し訳ありません、ルミア様。少々失礼いたしますね」
補佐札を胸につけたままのラフィーが、私の横を通り抜ける。その役目ゆえに仕事に追われていたはずなのに、疲れは少しも感じさせなかった。
躊躇なく控え室へ踏み込んだラフィーは、床に落ちた花びらを避けるような足取りでリオネに近づく。私以上に親交が深いこともあってか、誰も露骨には止めなかった。
「北棟導線の再調整で参りました。主広間側が少し詰まっておりますので、待機順を一つ入れ替えさせていただきます」
ラフィーはリオネへ穏やかに一礼し、あくまで補佐役の仕事で訪れた体を崩さない。頭を上げると同時に左右の補助係を一瞥し、そちらにも微笑みかけた。
聖堂側は突然の報告に戸惑いつつも、真正面から文句は言えないようだ。
「…今からですか?」
「ええ。今でないと奉灯後の退出が白階段側へ滞り、皆様の衣装の裾が重なって危険です。なにより、リオネ様のお召し物を汚すわけには参りません」
退出導線と夜会全体の進行、そして象徴となったリオネへの配慮。その二つを名目にされては、感情的な反対はしにくい。仮にここで誰かがリオネの意思を先回りして補えば、それこそ『リオネに責任を負わせる』形になるだろう。
…改めて、この子は怖い。
「また、奉灯の最初の受け渡しは補助係の方でも成立いたします。リオネ様は二番目に下がっていただいたほうが、中央列の混雑からお守りできると判断いたしました」
リオネだけを助けるでもなく、象徴としての役割も奪わない。役目を残したまま負担だけを減らす…これこそがラフィーの役目、“調停”なのだとようやくわかった気がした。
「リオネ様を心配したルミア様から仰せつかって、僭越ながらわたしが調整させていただきました。聖堂の皆様方にも、何卒ご協力を賜りたく」
私の名まで使うとは、本当にぎりぎりのラインを攻めてくる。
「…では、最初の奉灯は補助係が担当いたします」
聖堂補佐は少し迷いつつも、最終的にはラフィーの提言を受け入れた。
「リオネ様も、どうぞよしなに。それとお水を飲んで、少し休憩を」
「…あ、ありがとうございます…」
話がまとまってもすぐには退出せず、ラフィーは水分補給を促しつつ、リオネを立ち上がらせて椅子の位置をさりげなくずらす。
これでリオネは部屋の中央からやや壁際へ移り、目に見えて呼吸が深くなった。以前の聖堂での気遣いとよく似ていて、ラフィーがリオネとの交友を大事にしていた理由の一片が見える。
(…この子が打算だけで人に寄り添うはずがない…)
その横顔を見て、私は自分の冷たさを戒めた。
それでも聖堂側の人間は「リオネ様は優しいからこそ、ラフィエラ様のようなお優しいご学友に恵まれたのだわ」なんて節穴を晒していて、私は唇を噛みそうになる。
その刹那、ラフィーが「リオネ様がルミア様と少しだけお話ししたいようですよ」と言ってきて、私は「余計なことを…」という言葉を飲み込み、なんとか笑顔を浮かべて控え室へ入った。
*
控え室を出る直前、回廊の角で二人の下級補助役が紙を受け取っているのが見えた。
渡しているのは王太子側近の一人で、私たちは何食わぬ顔で通りすぎようとしつつ、ちらりとその紙片を確認する。
(『どの場面で威圧を感じたか』『誰の言葉が怖かったか』…ご苦労なことで)
それだけで十分だった。
記憶を尋ねるふりをして、答えを誘導している。社交界の手口は学園より洗練して見えて、その性根は変わらないらしい。
「揃え始めていますわね」
「ええ。怖かったという記憶を、皆で同じ言葉を、同じ方向へ」
角を曲がってから低く言うと、ラフィーはすぐに同意した。やはり同じものを見ていたらしい。
同じ場所で戦う人間としては、やっぱり出来過ぎていた。見ているものも、警戒する場所も、ずいぶん自然に重なってしまう。
「まだ起きていないことまで、証言として固める…防戦側はつらいですわね」
「ですが、無用に相手を傷つけることもありません。それもルミア様の強さの一つです」
「…褒めるのが上手くなりましたわね」
「ふふん、です」
同じものを見ている相手になら、ちょっとくらいの弱音もいいだろう…そんな気持ちで軽口を叩いたら、ラフィーの心地よい返答が耳朶に触れた。
今度は先ほどの紙片を受け取ったと思わしき参加者とすれ違い、一瞬だけ意味ありげな視線が向けられる。私たちを怖いと思っているのか、それともそう思うよう促されているのか、それだけではまだわからない。
ただ、ルミアリエルとラフィエラが並んでいるだけで、もう“圧”として語られうるのだとはわかった。
「…リオネは、まだあそこにいるのでしょうか」
「出番はまだですし、おそらく。戻りますか?」
「いえ、やめておきましょう…助けたくとも、正面からは動けませんので」
夜会を彩る音楽は、まだ遠くで上品に鳴り響いていた。それを耳にしつつ、自分の白薔薇に触れる。まだ枯れない白は、どうしてもリオネを思い出させた。
この花のように、誰からも侵されず、ただ咲いていてほしい…そんな当たり前の願いが通らない現在が、どうしてももどかしい。
「でしたら、向こうから正面に出てきてもらいましょう。ご安心ください、わたしのおひい様は真っ向勝負なら負け知らずですので」
「それをしてくれる相手であれば、わたくしもあなたを巻き込まずに済んだのですが」
「…そういう返答に困る返事はずるいですよ?」
「ふふん、ですわ」
相変わらず、物騒な子だ。けれど向こうが真っ向勝負を選ばないからこそ、この子の翻訳も調停も必要になるのだと思えば、少しだけ胸が痛んだ。私一人で片づけられる争いばかりなら、こんなふうに隣へ立たせてしまうこともなかったのに。
広間から奉灯を促す鐘が鳴り、私たちは早足になってリオネの姿を探した。
「…少しだけ、マシな顔になってますわね」
「はい。誰かに肘を引かれることなく、ご自分で一歩を踏み出している…素晴らしいことです」
ラフィーが作った小さな余裕が、リオネを自分の足で立たせる。けれどそれにさえ、周囲は勝手に意味を付け足し、敵の武器にするのだろう。
まだ終わらない夜会に気が遠くなりつつも、私たちはリオネの姿を目で追い続けた。




