第24話「金の招待状」
朝の光は白くさわやかで、だからこそ、目の前にある金色を残酷なまでに輝かせていた。
まだ学園へ向かうには早い時刻、寮の私室にて昨夜持ち帰った記録の束が丸卓の上に置かれ、その向かいにはラフィーも座っていた。
共闘を決めた翌朝に、自分の部屋へ招いて当たり前のように顔を合わせている…その急激な距離感の変化は、私の心を少しだけむずむずさせた。
「こちらを」
レイナが銀盆で運んできたのは二人分の茶器だけでなく、その横には厚い封筒も添えられていた。私たちが見えやすいよう、卓の上へきれいに置く。
その封蝋は、本来の私にとってあるべき色…王家級を表す、金色だった。その意味は、もちろん知っている。
青は端席へどうぞ、白は外へ見せる価値なし。それに対し金色は、名誉。
そしてなにより、召喚。正面へ立つことを許すための呼び出しであり、逃げることを許さぬ照明だった。光が当たるたびに視界の端を焼くそれは、処刑台を照らす神の威光めいている。
「来ましたね。随分と遅かったですが」
「ええ、本当に。待ち焦がれていたわけではありませんが」
ラフィーの声は低く、歓迎の意思を示す様子は一切ない。一方で死刑宣告を受けたような怯えもなく、私以上に自然体だった。
だから軽く請け合うように返事をすると、ラフィーはいつもの穏やかな笑みを浮かべる。それに少しだけ安心して、封筒を手に取った。
(紙は厚手、青や白に比べても硬い…金の封蝋には王家の紋章、縁取りも美しい。なるほど、あくまでも歓迎の体を執るんですのね)
そのオレオンの意思が間違いなく反映された招待状を眺めていると、自分への招待を本当に喜んでいるのではないかと錯覚しそうだった。
「王家の使いは返答を急がせてはおりません。ただ、本日中に拝受の印だけは必要とのことです」
「そうですのね。慌ただしいこと」
「朝食の前にこのようなものをお持ちしてしまい、大変不本意です。ラフィエラ様にも」
「うふふ、水臭いですよ。わたしたち三人は、自らそれを望んだのに」
もはや封筒どころか王家への不満を隠さないレイナを咎める人間は、すでにこの場にはいなかった。リオネあたりがこの場にいたら、耐え切れず卒倒しただろう。
そして私はすぐに返答するため、その封を切る。中には二枚の紙が入っていた。
「一枚は夜会への正式招待の通知、もう一枚は……席名簿と最低限の作法、同伴は一名まで可とする但し書き、ですわね」
「もう一枚、薄い紙が挟まっていますね。これは…『王城北棟の白階段から入場すること。白薔薇を一輪、装いのどこかへ用いること』、ですか。今から当日のルミア様の美しいお姿が浮かぶようです」
「…白系の装いなら、あなたのほうが似合いそうですけど」
その一枚だけで、どこから入り、どこで待たされ、誰の視線に晒されるかがわかる。白階段を上がれば、こちらが王家の用意した絵の中へ自分から足を踏み入れたことになるのだろう。
そんな催しの名前は、『王城白薔薇夜会』。悪意でどす黒く塗りたくられた夜会にそんな名前を付けるあたり、もはや自虐的にすら見えて笑いそうになる。
(無垢と祝福を司る花に、金の縁取りをかける…招待状だけを見ると、どこまで晴れやかですのに)
私以外の人間にとっては、実際に白薔薇のごとく美しいだけの集まりなのだろう。
しかし、人目から消される白と、さらし者に仕立て上げる金。その二つが重なった催しに私を呼ぶ…その舞台の意味についてわからないほど、純粋にはなりきれなかった。
「夜会にしては、いささか物々しさを感じてしまいますね」
「ええ。宮廷での正式聴聞を見据えた、事前の列席でしょう。先に社交の場へと出し、誰が誰の隣に立っているのか…それを見せることで、当日の結果に納得させたいのが見え見えですわ」
「宮廷の作法らしいですね。学園で集めて整えた噂を、本番のために翻訳する…」
翻訳。それは私たちの関係にとって、もはや切っても切れないものだった。けれど、私たちの専売特許というわけでもない。
ラフィーが私の言葉を善意で紡ぎ直す行為も翻訳だし、私の発言を意図的に冷たく鋭く研ぎ上げる悪意もまた翻訳…どちらも同じ言葉なのに、その様相は春と秋くらいには違っていた。
「…差し出がましい行為をお許しください。体調不良だけでなく、旦那様へ判断を仰ぐこともできます。それらは逃げではなく、戦略的な撤退だと考えております」
「構いません。わたくしたちは共闘者、あらゆる可能性を共有すべきでしょう…ですが、断るということは、それはそれで向こう側に都合がいい材料を与えてしまうのです」
レイナは過去のお茶会で似たような進言をしたときと同じように、悔しそうにしつつも発言をためらわなかった。その忠誠を改めて受け止め、けれどもその可能性はないことを伝える。
この夜会は逃げ場をなくすためにあるのに、逃げるという選択肢を完全には排除していない。王城の夜会は貴族の義務であると同時に、選別の自由も与えていた。
…そして、その自由を制限するための金色であることも、私は理解するしかないのだ。
「わたしはルミア様のご意思を尊重します。ですが、レイナさんの提案にも十分すぎる正当性があると考えています」
「あら、あなたもわたくしへ『逃げろ』と?」
「いいえ。ルミア様に『選ぶことができる』というのを確認しておきたかったのです。以前のあなたなら、『自分に選択肢はない』と突っぱねていたでしょうから」
封筒へ触れつつ、ラフィーの静かな助言に耳を傾ける。少し前の私なら、その見透かしたような言葉に文句の二つか三つは口にしただろう。
…今も言いたいことはある。けれど、この翻訳者を引き入れた以上、その忠言に向き合う義務もあった。
「逃げないあなたは強く、美しい。けれど、仮にであっても選ぶことが許されている状況で、選択肢を考えもしないのは見ていて痛々しいですから」
「…わたくしには、自分と同じように胸を痛める人間がいてくれます。自分だけがつらいなら構わない、これは今もそう思っていますが…わたくしのために痛みを共有している存在から目をそらす自分には戻りたくありません」
ラフィエラの言葉は、いつも通り優しい。けれど、それは私に対する叱咤激励でもあった。
強がってはならない。選択肢があることを受け止めて、その上で選ぶべきものを選べ…それはまるで、お父様のような厳しくも正しい教えだ。
息を吐く。まだ満開には遠い白薔薇に思いを馳せて、彼女とレイナを同時に見た。
「わたくしは逃げません。しかし、それはやせ我慢ゆえの結論じゃない。自分がヴァルドシュタインの人間としてそうありたいから、何よりもあなたたちと一緒に戦うことから逃げたくないから」
私が逃げ続けてきたこと、それはきっと“自ら私のために戦おうとしてくれる人の気持ちと向き合うこと”でもあったのだろう。
レイナは今も心配げで、もしも私が逃げることを選んだ場合、ヴァルドシュタイン家から見放されても味方してくれる。
ラフィーは私が戦うことを見越していても、逃げるという選択肢すら尊重している。
そして私は…そういう誰かのために傷つくことを恐れない、優しい人々を守りたかった。でも、突き放すことが守ることとはつながっていなかったのだろう。
「ラフィー」
「はい、ここに」
「この同伴欄、見えますわね?」
「もちろん」
但し書きの部分に指を滑らせる。質感のいい紙の感触が、私の迷いを振り払った。
ラフィーは前のめりになりつつも、続く私の言葉を見透かすような真似は控えた。おやつを前にして、ご主人様の許可を待つ名犬めいていた。
「次の場でも、あなたに補佐役の名目で入っていただきたいと考えています」
ちゃんと言い切れた。すでにその言葉は既定路線だったとしても、口にすると喉が渇く。
レイナが用意してくれたお茶を飲む。そのいつも通りの味と温度が、私の中の焦燥感ごと潤した。
「…喜んで、とお伝えするのは、制度という名目に悖る行為でしょうか?」
「…かもしれません。しかし、その…少しだけ、安心もしていますわ」
「…ありがとうございます。では、ラフィエラ・セラフィーナ・ド・アストレア、正式にルミアリエル・エルネスティーヌ・フォン・ヴァルドシュタイン様の補佐としての役目、謹んで承ります」
ラフィーは椅子を引き、私の横に回る。そして姫付きの騎士のごとくかしずき、恭しく誓いをおこなった。
その直後立ち上がり、私と同じ目線で同じ紙を見る。レイナもまたその動作にならい、ラフィーと二人で私を挟むような位置に、少しだけ後ろへ下がりつつ立った。
「立つ場所を、そして背負う責任を同じにしましょう」
…私に初めてその言葉を贈るのが、オレオンではなくラフィーであったことについては…どう思えば、いいんだろう?
それでも紋章は水底みたいに冷えることはなく、日の光を掴むように熱を帯びた。
招待状をラフィーのほうに少し寄せる。すると彼女は署名代わりに私の指先へ短く触れて、それは先日の共闘契約よりも軽かったけれど、次に向かう場所へと共に向かう人間の、力強い肯定を感じた。
「もう逃げられませんわよ?」
「はい。自分の意思で、アストレアかどうかは関係なく、ラフィーとして選びました」
ラフィーは再び向かい側に戻り、私はその顔に笑いかける。慣れない笑顔だったけれど、ラフィーは満足げに頷いていた。
「決まってよかったです…では、本日より夜会名簿、白薔薇の作法、王城の導線、万が一に備えた相手の無礼の一覧まで整えておきます」
「…最後の一覧は余計では? 今のあなたなら、本当に一人の凝らず記録しそうで不安ですわね」
「かしこまりました。では、私だけの手記としておきます。もちろん、必要であればいつでもお声掛けください」
レイナは私たちの契約を祝福するように、新しいお茶を注ぐ。同時に物々しい決意まで聞かせてくれて、それに呆れつつ固辞するとラフィーも目元を緩めていた。
なお、レイナの言葉はすでに実行を伴っていたようで、少し離れたかと思ったら、銀盆の上に新しい紙を一枚載せて持ってきた。
どうやら王城北棟の見取り図らしく、階段や控え室、広間への導線が書き写されていた。その記載内容から、家令もまた協力してくれているのが窺える。
「…屋敷の皆も、わたくしに力を貸してくれるんですのね」
「無論です。お嬢様が逃げないことはすでに前提条件だと考えておりましたから、皆への声かけも済ませております」
「…お父様とお母様には、このことは?」
「『ヴァルドシュタインの家訓に従い、子供の自立を見守るのみ』、と。僭越ながら申し上げますと、多忙を理由に突き放したのではなく、お嬢様ならヴァルドシュタイン家の正義を示すことができるとの信頼あってと受け取っております」
「…光栄ですわね」
ヴァルドシュタインの家訓は多数あれど、そのすべてが『強くなること』に集約されている。
だからレイナの言葉は疑う余地がない反面、これは両親から与えられた試練でもあると受け取るしかなかった。
「うふふ、わたしもルミア様のご両親に認めてもらうため、がんばらないと…それにしても、列席予定の家名には見覚えのある姓が多いですね」
「学園で噂を拾って帰った家、席次に口を出せる家、王家の空気へ敏い家…わかりやすくて助かります。ただ、見慣れない名もありますわ」
招待状の裏をラフィーと確認し、その末尾を指差す。
そこには『宰相ガガルド』という名前があり、鉄のように重い墨で書かれた文字は、お世辞にも味方という感じには思えなかった。
それ以外の家名も私たちに対する圧がよく出ていて、改めて席の配置が包囲網として機能しているのがわかる。
「もう学園だけの話ではありません」
「社交デビュー、ですね。その記念すべき瞬間がルミア様と一緒で、わたしはとても嬉しいです」
ラフィーは本当に記念日が増えたとでも思っているのか、緊張感は感じさせない。けれども空になったカップを掲げそうになり、「あら」と苦笑する様子を見て、少しだけ肩の力が抜けた。
返答用の紙を引き寄せる。筆先を置く前、墨の匂いがわずかに立った。ここで印を記せば、もう後戻りはしない。
一画ごとに力を込め、拝受の印を済ませる。乾ききらぬ黒が朝の光を鈍く弾き、戦いの火ぶたは静かに切って落とされた。ラフィーも同伴の欄に必要事項を記入し終えていて、この速さと有能さが味方となったことに、ようやく心強さを覚えた。
「…学園の花壇には、まだ白薔薇が咲いておりませんわね」
「温室でしたら、あるいは。今度一緒に見に行きませんか? できればレイナさんも一緒に、可能であればリオネ様も」
「ふふっ、いいでしょう…リオネは作法に多少の不安がありますもの、わたくしが教えるのもよさそうですわね…そのときは翻訳、頼みますわよ」
「……はいっ」
白薔薇の完全なる白を思い浮かべる。それを背景としたお茶会にふさわしい人間を想像して、私はこの二人だけでなくリオネの名前も口にしていた。
誰よりも白が似合う反面、それ以外のあらゆる色との交わり、汚れが似合わない神聖の象徴…リオネ。
いつかあの子とも、刃を交えるのだろうか。あるいは、茶飲み話ができる程度にはわかり合えるのだろうか。
私たちは満開になった白薔薇をみんなで見る約束をして、その無垢を守るための戦いを始めた。




