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誇り高い悪役令嬢は冷たいのではなく、不器用なだけです 〜それを理解するのはライバル令嬢だけ〜  作者: 花田一郎
第2章:共闘の始動

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第23話「共闘の契約」

 模擬裁定を終えたあとの図書室は、紙のめくれる音さえ遠く感じるほど静かだった。

 まだ昼のざわめきが校内に残っているはずなのに、この部屋だけは別の時間みたいに沈んでいる。

(…まあ、いますわよね)

 窓際の長机へ目を向ける。そこにはすでに記録の束が並べられていて、近づくほどに誰がいるのかが明白になった。

 南回廊のトラブルに関連した初稿と補記後。実務室の通達文。模擬裁定の簡易記録。

 なにより…レイナから回されたであろう、屋敷側の受領控え。その紙の端がすべて揃えられていた。


「いらっしゃいませ、ルミア様」


 本棚の影から出てきたラフィエラは、司書のように涼やかな挨拶をする。そして鞄から細い綴じ紐を出し、作業を再開した。

「…もはや驚けなくなりましたわ」

「あら、残念です。ルミア様の予想を超えられるよう、これからもがんばりませんと」

 それは、意図的であることがわかる軽口だった。

 大講堂にいた頃よりは軽やかで、でも表面だけを撫でるような声音。そうしたことまでわかってしまうのは、あの模擬裁定で急遽共闘を受け入れたからだろう…なんて思いつつ、椅子を引いて座った。今度は斜め前ではなく、ラフィエラと向かい合うように。

「覚えていますか? 以前もこうして図書室で話し合って、それでも共闘までは至らなかったことを」

「…悪かった、とはまだ申しません。ただ、あの時に比べて書類の量は増えましたわね」

「ええ、分類も進めております」

 あの頃からラフィエラは共闘の必要性を説き、私は危険だからと突っぱねていた。

 ラフィエラはそれ以上は掘り返さず、三つに分けた束を示した。

「学園内で完結する記録。学園内だけではわからない記録。そしてこちらは、宮廷へ持ち上がったときに必要となる記録です」

「…最後の束だけ、妙に多くありませんこと?」

「本日の殿下のお言葉により、増やさざるを得ませんでした」

 冗談ではないのに、ラフィエラはくすっと笑い声を漏らした。

 その笑顔を受け流しつつ、一番右の束へ手を伸ばす。婚約時の公的記録の映し、席次表の変遷、聖堂陪席の名札控え…模擬裁定がまだ今日のことであると考えたら、ラフィエラの対抗心の強さは狂気じみていた。

「…きれいな並びですわね。これから行われる戦いで汚されるには、惜しいほど」

「恐縮です。しかし、汚いまま差し出すよりはマシですから」

「ごもっとも」

 益体もなく同意する。ラフィエラもにこやかに受け入れた。

「そして今から必要なのは、咄嗟の機転ではなく事前の分担です」

「…言いたいことはわかるつもりです。続けなさい」

 書類整理の手を止め、ラフィエラはまっすぐ私を見つめる。

 サンアンバーの瞳はいつ見ても春の太陽みたいに暖かく、自ら冬に留まる私はいつも直視できなかった。

 でも、季節は勝手に巡る。そろそろ見ないふりを続けるのも限界なのだろう。

 目をそらさない私に満足したのか、ラフィエラが持つ羽根ペンは指揮棒のように動いた。

「『記録の共有』『発言順の事前確認』『単独行動の禁止』…」

「子供扱いしないでくださる?」

「大人の約束は解釈の余地が多すぎるので。あなたとだけは、邪気の心配なく向き合いたいんです」

 ぬぅ…そんな息が漏れそうになった。

 けれど、ラフィエラの言葉は真理だった。まだ大人になり切れない私たちは、いつも大人を真似た約束で相手を言い負かそうとしていたのだ。

「学園内の情報は私が。屋敷側はレイナさんが。婚約の公的記録や王家側が仕組んだ席次は、ルミア様しか追えません」

「聖堂はどうしますの?」

「補助役の名簿と奉仕記録を当たります。リオネ様にも協力してもらいたいですが、今はまだ難しいでしょう…個人的な交友は大切にしますけどね」

 一つ一つの項目を確認するたび、ラフィエラの声は静まっていく。それを追うように、私の心も平坦になっていった。

 先の見通しができることは、こんなにも気持ちを落ち着かせる。一人ですべてを見ようとしていた頃の、望遠鏡に捕らわれたような視界とは全然違った。

 ラフィエラは婚約記録と席次表の変遷が加えられた束を私の前へ、実務室の初稿と補記、聞き取りの控えは自分の前へ寄せる。

 あとは、私がその束を抱えるだけ。でもそれは、ラフィエラにも抱えさせることになる。彼女が作った段取りを受け入れるということは、そういうことなのだ。

 胸の奥がざわつく。オレオンを見ているときとは異なる感情の濃淡が、私に返事をためらわせた。

「…単独行動の禁止、これについて確認したいのですが」

「そのままですよ」

 情けないと思いつつも、返答の前にクッションを置く。ラフィエラは急かさず、残念そうにもしなかった。

「これまではルミア様が一人で矢面に立って、それをわたしがあとから拾う形でした。でも、これからは…誰よりもあなたに近い場所で、一緒に立ちたい」

 息が詰まる。ラフィエラと向き合うと、いつもこうだ。

 相手はライバル。情けは無用。いつかは打ち倒す。

 だけどこの子は、それを望んでいなかった。ずっと前から知っていたはずの、伝えるべき言葉から逃げていた。

「……今日は、助かりましたわ」

 それを言わないと、私は前へ進めない。彼女が望む関係は、永遠に始まらない。

 こうでもしないと次に進めない私は、きっと不器用なのだろう。ラフィエラはそれを笑うことなく、ペンを置いて待っていた。

「ですが。宮廷まで向かえば、学園内での戦いとは重さが異なる。それでもあなたがわたくしの側につくのであれば、抜けるのは難しくなるでしょう」

 言いながら、自分の臆病さに震えそうになる。

 忠告をする顔で懇願する私は、ヴァルドシュタインの人間でいていいのだろうか?

「巻き込みたくない、とおっしゃるのですか?」

「…ええ」

「それだけでしたら、もう答えは決まっています。でも…もっと、聞きたいです」

 相変わらずの察しの良さに、今すぐにでも席を立って逃げたくなる。

 ラフィエラの追及は気遣いではなく、試練だ。私のみっともない本音を吐き出させ、どこまで本気であるのかを測っている。

 広げられた書類に包囲された私から、言葉がこぼれ落ちた。

「……一人で立ち続けるほうが、ずっと楽でしたの」

 死ぬまで誰にも聞かせたくなかった本当の気持ちは、そんな形をしていた。

「一人で負ければ、『わたくしが弱かった』で済む。誰かに助けられて、その誰かまで巻き込まれる心配をしなくていい…誰からも嫌われる悪役令嬢の役割も、わたくし一人で引き受けたと自分に言い訳ができるんです」

 そしてそれは、多分強さじゃない。

 強くあろうとした自分の本音に向き合うことは、こんなにも怖かった。それでも怖いと口にしないのは、私がまだヴァルドシュタインでありたいという証拠なのだろう。

「…ありがとうございます。聞けてよかったです」

「…これを聞いても、まだ組む気ですの?」

「もちろんです…いいえ、なおさら逃げるわけには参りません」

 即答だった。あまりの迷いのなさに、疑う暇すら与えられない。

「一人で立ち続けるあなたは、誰よりも孤高で美しかった。でも、それはこの醜い世界では都合のいい生け贄にされてしまう…だからわたしは守りたかった。けれどあなたは、守られると自分を責めます。ですから、これからは…“誰も責めなくて済む形”を決めましょう」

「…というと…?」

 夕凪の海みたいに静かに、そして優しくラフィエラは微笑んだ。

 そのままペンを執り、先ほどの三項目の横に追記をおこなう。その文字列は、最初からあったようにぴたりと収まった。

「…『遠慮を理由に、必要な共有を省略しないこと』…」

「勝手な条項、とは言わないでくださいね? これはルミア様向けの、わたしからの特記事項ですから」

「…わたくしのだけでは、収まりが悪いです」

「ふふっ、そうおっしゃると思っていました」

 なのに私だけ守られるような契約では、収まりが悪い。守られるのではなく、互いに制約を負う形だからこそ、私はこれを受け入れられるのだ。

 ラフィエラは嬉しそうに、さらに追記を増やした。

「…『独断で前へ出すぎないこと』」

「ルミア様ならそれを望んでくださると思って」

「…公平ですわね。“契約”としては申し分ない…」

 たった一行なのに、それがあるだけで私の肩から力が抜けた。

 一方的な保護でも、献身でもない。私は必要なことを共有し、ラフィエラは自分の考えだけでは動かない…それはライバルというよりも、まるで。

「…契約は気持ちだけで結ぶものにあらず。順序と同意、そして記録によって成り立つ…ですわね」

「はい。合意、していただけますか? 許可ではなく、ルミア様が望んだ形で」

「ええ、『ラフィー』」

 ラフィーが目を瞬いた。少しのあいだ、言葉すら失っていた。

 …ちょっと急すぎたかしら。まあいいでしょう、これまで散々振り回されたのですから。

 口元だけで笑い、五つに増えた条項を指先でなぞった。

「記録は共有する。証言順は事前に揃える」

「…なにより、勝手に一人で背負わない。あなたも、わたしも」

 誓約をおこなうように、私はそれを口にした。

 ラフィーもまた、続きを厳かに紡いだ。

「…そして、もうわたくしは、遠ざけることで片づけない」

 最後に私は、紙に書かれていない条項を口にする。

 紙に残す必要はない。きっと私もこの子も、忘れないだろうから。

「…難しい契約ですが、本当にいいので?」

「守る気がなければ、最初からわたしはここにはいません。ルミア様こそ」

「まさか」

 ラフィーはすぐに首を振った。もちろん私も同じ仕草をした。

 それが少しだけおかしくて、私たちは感情を取り繕うことなく笑った。図書室で働く司書たちの動きに紛れそうな笑い声だった。

「…ルミア様?」

「…誓約の一環です。正式なものではありませんが、握手代わりに」

「…うれしいです」

 私は手を伸ばし、机の上に置かれたラフィエラの手の甲へ、手袋越しの指先をそっと重ねた。

 ごく短い接触なのに、あの合図のように感触は残り続ける。それが私の心音を、何より紋章を大きく揺さぶった。

「ここから先は“共闘”です。ラフィー、力を貸しなさい」

「はい、“共闘”ですね。ルミア様、どうかわたしをおそばに」

 ラフィーも誓いを受け取るように、自分の手を重ねた。

 もう一度、紋章が鼓動を生み出す。手袋越しでもわかるくらいの熱が浮かんだ。

 ラフィーの手元も同じような反応をしていて、珍しく目を見開く。お互いの紋章が熱を通じて結びつき、消えない予熱を浮かべ続ける…そんなふうに見えた。

 互いに頬を赤くして手を離し、目線を紙へ戻す。それは契約書のように、私たちのあいだで静かな存在感を主張していた。


「お嬢様、失礼いたします。家令より火急の伝言が」


 その静けさの中に、小さなノックが混じる。

 振り向くとレイナがこちらへと向かっていて、私たちの前で丁寧に礼をした。

 その手には屋敷からの細い便箋が一通握られており、私は三人同時に見えるように封を切る。


『本日夕刻、王城の使いの馬車が学園町へ入ったとのこと。正式書状の可能性あり』


 あまりにも短い伝達。でも、十分だった。

「来ますわね」

「ええ」

 便箋を畳み、口を開く。ラフィエラはそれを見て相づちを打ち、レイナは無言で頷いた。

 すぐに静寂が戻る。けれど、それは心強い沈黙でもあった。

 ここにいるのは、共に戦う三人なのだから。

「ラフィー、レイナ…三人で受けて立ちましょう。あなたたちと一緒に戦うことから、わたくしはもう逃げない」

 窓の外は、もう夕方より少し深い色になっている。図書室の明かりはまだ柔らかい。

 けれど、次に届く紙の色は…多分、柔らかくはない。

 それでも三人で戦うのなら、きっと折れない。そう信じて口にすると、二人はほぼ同時に力強く首肯した。

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