第22話「模擬裁定:公開で負ける形」
裁きを下す場は、最初の配置だけで判決の半分くらいは決まっているのかもしれない。
本館大講堂に入った瞬間、私はそれを当事者として理解させられた。
壇上中央には裁定役の教師席、その一段下には証言台。右手には申立側の記録卓が置かれ、王太子側近と聖堂の補助記録係がすでに紙束を広げていた。
左手には、被申立側とだけ記された細い机が一つ。椅子は一脚のみ、罪人を孤立無援にするための配慮がなされていた。
(…そうそうたる観客ばかり。偶然選ばれた、なんて言い訳は聞きたくないですわね)
半円形にせり上がった観客席には、過去の討論で頷いていた者、実務室の廊下で噂話に興じていた者、聖堂でリオネへ薄っぺらい同情を向けていた者がいる。ここに味方がいるとは思えなかった。
盤面はすでに、相手側へと傾いている。
「まるで茶会中の温室みたいな景色ですね」
隣から聞こえる声に振り向く。
本日のラフィエラは『補助記録席』の札を胸に留めている。公平な記録係へ徹するように、似合いもしない平坦な声を出していた。
席は私の斜め後ろ、半歩ほど退いた場所だ。隣を強引に確保せず、それでも近い位置取りを譲らなかったそのしたたかさが、奇妙なまでの頼もしさを醸し出していた。
…それでも「珍しく遠くにいるのね」なんて思ってしまう私は、きっと変わってしまった。
「よい喩えです。この舞台にぴったりですわ」
「うふふ、記録も比喩も正確さなら負けません」
軽口はすぐに終わった。余裕に見えるラフィエラも緊張しているのだとわかる。
だから私も、背筋を崩さなかった。
*
静粛に、という言葉と同時に、開始を告げる杖の音が講堂の天井に響く。その音だけで喉が渇きそうだった。
「本件は模擬裁定であるが、殿下の提案により、実際に起こった問題について検証をおこなう。内容は『学園祭準備および当日の運用に関する誤解と威圧の有無』だ」
模擬。授業の一環。そんな言葉は生徒たちを安心させつつ、ごっこ遊びのような感覚で誰かを裁ける。
けれど実際に起こった問題を掲げる限り、裁定としては本番さながらだった。
最初の証言者が証言台に立つ。
その少女は実務室で報告書を書き直した一年生、フェリスだった。見るからに緊張していて、肩に力が入りすぎている。
「…わ、私は、開会式当日…南回廊で、搬入補助をしておりました。その際、来賓導線へ車を入れかけて…ルミアリエル様に、止めていただきました」
ここまでは事実。けれど次の言葉を期待するように、講堂の空気はすでに身構えていた。
対して私は、ただ荒野に立ちすくむようにじっとしていた。
「そのとき、厳しくご指導ご鞭撻をいただき…怖くなりました。あっ、怖いというのは、ルミアリエル様のことではなく…! 私の、ミスで」
前列のどこかで、羽根ペンの音がわざとらしく止まる。それがフェリスの緊張を限界まで引き上げたのか、彼女は続きの言葉を詰まらせた。
それを証言の終わりと判断したのか、教師が問う。
「落ち着きなさい。その後、報告書の修正を求められたと聞きました」
「は、はい…最初の書き方では、足りないと」
足りない。記録としては足りないものばかりだった。
ただただ先輩に言われるがまま、都合のいい感想を並べ立てる。だから私は『自分の頭で考えた報告』が必要だと言ったのだ。
けれど観客が拾うのは、その声音と態度、『怖い』という感情だけだった。フェリスは証言台を降りる際に私を一度見て、それからうつむいたまま小さく息を吐いた。彼女もまた巻き込まれたのだ、責める気にはなれない。
「では、次の証言を」
次に出てきたのは、あの実務室前にいた上級生だった。
「私は実務室の扉の外におりましたので、すべて聞き取ったわけではありませんが…アストレア様が『今から書き直しても咎める人はいない』『余計な誤解が生まれたら、皆様の名前まで検めないといけない』とおっしゃっていました。穏便に済ませるためのご助言だったと理解しております」
穏便。助言。どれも一見すると問題のなさそうな言葉。
けれどそれは、この裁定が向かうべき方向を誘導する、穏やかだが止まらない流れだった。
観客席にはざわめきが生まれ、「やはり」などと不正を見つけたかのようなつぶやきが落ちる。王太子側の人間たちも頷き、まるで判決結果が出たような盛り上がりだ。
…なんと醜悪な。これは授業、なぜ見せ物にしたがるのでしょうか。
教師の視線を受け止めつつ、息を吐いた。
「ルミアリエル様、弁明は?」
立ち上がる。講堂に差し込む光は、牢獄から見上げた窓のように冷たかった。
「南回廊の件ですが、これは来賓導線へ搬入車が入りかけたため、急遽停止を指示したものです」
まずは落ち着いている。速くなる鼓動を、冷ややかな血液が抑え込んでいた。
「導線の維持は祭礼運用において必須、危険があれば止めるのが当然。声や内容が厳しいと感じられたのなら、それは状況の性質によるものでしょう」
観客の盛り上がりが、わずかに引く。この理屈に穴がないからだろう。
けれど、その正しさこそが私から温度を奪い、一人にする。
「また、報告書の修正については感想の削除だけを求めたわけではありません。時刻や位置、担当者名の補記を求めたに過ぎません。事実を曖昧にしたままでは、責任の所在も、再発防止もままなりませんわ」
『感想の削除ではない』。後方から、そんな声が聞こえる。
そこだけ切り取れば、まるで言い逃れじみている。自分でも迂闊な表現だったと悟った。
しかし、それでも止まることは許されない。
「怖かった、という感情は本人のものです。けれど、どこに向いたのかは曖昧でした。となれば、まず記録に残すべきは事実、その後に言葉の意味です。順序を変えてしまえば、あとからいくらでも意味を足せてしまう」
講堂のざわめきの質が変わる。前列の令嬢が、小さく眉を寄せた。
私はきっと、間違っていない。けれど、正しい順序を突きつける私の声は、この場を冷やすばかりだった。
教師の「以上ですか」という問いに、返事を一瞬だけ遅らせる。
まだ言える。まだ戦える。そのためにラフィエラもレイナも、様々な記録を残してくれた。ここで折れれば、その人たちを裏切ることになる。
だから…と抵抗を続けようとした、そのとき。
(……!!)
後ろの机から差し出された紙の端が、私の人差し指に二度触れた。
ラフィエラの合図だった。二度、それは『即座に離れてください。あとはわたしにお任せを』というもの。
それを決めた瞬間が、頭の中で鮮明によみがえる。任せるという選択肢を突きつけられ、自分の中の時間が泥濘のように鈍化した。
これまでも、結果的に任せたことはあった。でもそれは、私自身が選んだ選択じゃない。
そして今、それを選べば…私は口を閉じ、ラフィエラに続きを委ねる。敗北を認めたように感じ、屈辱だ。
でも、私が戦い続けても…この場をさらに冷やし、孤立を進めるだけ。
そんな未来を否定するように、紋章がかすかに熱を放った。それは祝福というほど強いぬくもりではなく、結びつきを手放さないための、淡い抵抗だった。
その熱に、私の中の時間は講堂へと引き戻された。
「…ヴァルドシュタインの名において、補助記録席のラフィエラ・セラフィーナ・ド・アストレア様に、報告の順序整理をお願いします」
しん、という静寂が講堂を包む。
あのルミアリエルが、他人に場を明け渡した。その事実は、急遽発生した戴冠式のごとく観客を呆気に取らせた。
ラフィエラはそうした反応に一切頓着せず、立ち上がる。そして私とすれ違って前へ出ると同時に一礼し、高揚を押し殺し整理された笑顔を浮かべていた。
「ルミアリエル様にお任せいただいた、ラフィエラです。まず、争点は二つ」
声がいつも以上によく通る。今は彼女の言葉を邪魔しないため、誰もが息を潜めていた。
「第一に、南回廊で危険停止があったこと。第二に、その後の報告修正が威圧的だったかどうかです」
ラフィエラは提出束から二枚の紙を抜く。いつの間にか控えていた初稿と、補記後の報告書だった。
「こちらが最初の報告、こちらが補記後です。見ていただければわかりますが、修正後も『怖くなった』は消されておりません。加えられたのは時刻や位置、そして『大事故につながると思ったら怖くなった』という反省の明確化です」
掲げられた紙に、前列に座る人間たちの目が集まる。
「ただ都合よく書き換えるつもりなら、恐怖に関する部分は丸ごと消すはずです。ですが実際には逆で、曖昧さを減らし、責任の所在を明確にしている。勝手な意味が付け足されることで、誰かを悪者に仕立てる…そうした責任逃れを許さないための補記でした」
いつもとは異なるやや強い語気に、観客席にまたざわめきが起こる。
もちろんラフィエラは意に介さず、もう一枚の通達文の控えを開いた。
「また、実務室では報告書の初稿を回収しておりません。初稿も補記後も、時刻付きで束に残っています。これも『修正を強要した』という事実とは整合しません。残したくない修正なら、痕跡から消すはずですから」
教師の一人が紙を受け取り、ようやく内容に目を向けた。
それは、私では届くことのなかった叫びに日が当たった瞬間でもあった。
「外で会話を聞いたという証言についても、聞こえた断片と解釈が混ざっています。念のためその場で補足はいたしましたが、伝わらなかったとしたらわたしの説明不足です。脅しとして受け取られたのであれば残念ですけれど、明確な記録が残っている以上、断片的な会話よりそちらを基準にご判断いただきたく思います」
私が何度説明しても言い訳にしかならなかったものが、順番を整えられただけで事実の形を取り戻していく。
(…わたくしは弱い。だからこそ、負けるにしても…“落とし所”を探さないといけなかった)
その落とし所へ導いたのがラフィエラだとしたら、感謝せねばならない。でも、口の中はどうしても苦かった。
*
協議の結論は、いかにも学園の催しらしかった。
「南回廊での停止指示は妥当であり、報告補記の必要性も認められる。一方、当事者が威圧を覚えたこと自体は否定できず、言葉の選び方には配慮の余地があった」
完全な撤回には至らず、かといって非をこちらへ押し付けることもない。教育の名目を借りた、曖昧な判定だった。
私への印象は消えない。けれど、こちらを断罪し切ることもできない。立ったままそれを受け止めていると、自分が勝ったのではなく、負け方が少し変わっただけなのだと思い知った。
…でも、いやというほどでもなかった。
「学内の演習としては、十分有益だった。皆、ご苦労」
そのとき、注目を集めるようにオレオンが立ち上がる。
今日の彼は裁定を下す立場ではないのに、それでもその存在こそが正義だと誰もが認めているような視線が集まった。
その声は穏やかで、美しい。けれど、ラフィエラとは異なる鋭さと冷たさを隠していなかった。
「だが…問題はもはや、学園祭運用だけではなくなったと感じた。王家の婚約者としての適格、公の場での威圧感、ほかの家名まで巻き込んだ議論…これらは学内演習の範囲を超えている。わかっただろう?」
それは質問ではない。認識の統一だった。
けれどオレオンは、あくまでも当事者である私を見ず、最初から用意されていたように宣言した。
「本番は宮廷でおこなうべきだ。そこで誰が隣に立つべきか、今一度問いたい。それはこの国の未来をも左右する、“正義”を決める瞬間となるだろう」
その一言で、講堂の視線が私とオレオンを何度も行き来した。
それでも名指しを控えているのは、高貴な人間としての温情か。あるいは、勝ったほうにつくための狡猾さか。
私の紋章が、はっきりと熱を持つ。誰が断罪の対象として選ばれたのか、それを教えるように。
「……俗物め……」
そのとき、幻聴が聞こえた。聞き間違いに決まっている。
講堂の新しいざわめきにかき消されるようなそれは、私の斜め後ろ…ラフィエラがいるはずの方向から聞こえた気がした。
恐る恐る振り返る。ラフィエラはただ記録束を揃えていただけで、白手袋の指先だけが紙の端に少し強く重なっていた。目が合っても、頷くだけだ。
その仕草に「あなたは一人で負けたわけではありません」と言われているような気がして、私は「この子があんなことを言うはずがない」と思い直す…仮に幻聴でなかったとしても、怖くて聞き返せないけれど。
それでも一人で負けを噛みしめずに済んだ現状に、やがて宮廷へ向かうはずの足は重くならずに済んだ。




