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誇り高い悪役令嬢は冷たいのではなく、不器用なだけです 〜それを理解するのはライバル令嬢だけ〜  作者: 花田一郎
第2章:共闘の始動

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第20話「レイナの忠誠」

 屋敷の門をくぐった瞬間、ようやく私の呼吸は浅く余裕のないものへと切り替わった。ヴァルドシュタインの実家とはいえ、それくらいは許される懐の広さがある。

「おかえりなさいませ、お嬢様。まずはこちらへ」

 学園にいるあいだは決して崩れなかった足も、玄関広間の大理石へ降りた途端、自分でもわかるくらい頼りないものとなる。

 それでもほかの使用人たちは過剰に気遣わなかったけれど、一緒に戻ってきたレイナだけは別だった。必要な指示を飛ばしつつ斜め後ろへ回り込み、私が休めるよう場を整えることを最優先にしている。

「…大げさです。いつも通りで構いません」

「ご立派です、お嬢様。しかし今日だけは、立派に振る舞うことをお休みください」

「わたくしに命令ですの?」

「これは嘆願です。どうか無礼をお許しください」

「…ラフィエラに似てきましたわね」

 丁寧で優しいのに断りにくいその気遣いは、あの自称補佐役をどうしても思い出させる。

 だから吐き捨てるように言うと、レイナは「仲良くしていただいております」なんて口元を緩めた。ふと、「わたくしのことで変な話でもしていないといいのですが…」と不安になったけれど、その気持ちも私室に入った瞬間、緊張の糸と一緒にほどけてしまう。

 昼餐会で迎えていた限界は、レイナに見透かされるほど表に出ていたらしい。ほかの侍女たちを下がらせ、二人きりにしたうえで、彼女はてきぱきと私の周囲を整えた。

「お嬢様、こちらへお着替えください」

「ありがとう…」

「今、お茶のご用意を。甘くて少ししょっぱいものはいかがですか?」

「じゃあ、それで…」

「窓を少しだけ開けます。お香は…」

「…もう。過保護ですのね…」

「せっかくのご実家ですから」

 締めつけのない柔らかなワンピースに着替え、蜂蜜と塩を入れた甘塩っぱい茶を飲む。今日の私に要るものだけを、レイナは迷いなく揃えていった。

「手袋を」

「ああ、そうでしたわね…レイナの手、あたたかいのね」

「申し訳ございません、当たってしまいました…」

「…今日は立派じゃなくていいんでしょう?」

 冷えきった指先を解放するように手袋を外す。それを受け取るレイナの手と、閉じ込められて硬くなっていた私の指先が触れた。つい、そのぬくもりを分けてもらう。

 しょぼんと眉を寄せるレイナは、本当に触れるつもりはなかったのだろう。

「…いつもの疲れとは違いますね」

「わかるんですの?」

「私はお嬢様付きのメイドですから」

 遠慮がちに手をほぐしながら、レイナは静かに断言する。ラフィエラとは異なる察しの良さが、今はゆっくりと染み入った。

 椅子に背を預ければ、そのまま崩れ落ちてしまいそうだ。だからこそ、今目の前にいるのがレイナで、そしてラフィエラではなくて本当によかった。

「レイナ」

「はい」

「…ありがとう」

 礼を伝える必要などないのかもしれない。けれど今の私は、序列だとか体面だとか、そういうものから解放されたくて、ただ胸の内を吐き出したかった。

「…お嬢様」

「何かしら?」

「…本日は、記念日として残させていただいてもいいですか?」

「…一応聞きますが、なんのです?」

「お嬢様から御礼の言葉を賜った日、ですね」

「却下します。お礼を伝えた機会なら、ほかにもあったでしょうに」

「お嬢様との記念日はいくつあってもいいので…」

「…そんなところまであの女に似ないでくださいまし」

 真顔でそんな提案をしてくるレイナにNOを突きつけると、彼女は「私の胸中の聖典にのみ刻んでおきます…」などとのたまった。

 …わたくしを慕う人々は、なんというか、こう…ずれている気がします…。

「…ふう。お茶のおかわり、もらえる?」

「喜んで。それと、こちらも」

「…これは?」

「一枚目は昼餐会での席次表の写しです。元気になられてからでもご確認いただければと」

 おかわりを用意しながら、レイナは書類の束を渡してくる。薄い紙束をめくると、席次表の写しだけでなく、青い封蝋の招待状、学園祭の案内、派閥茶会の呼び出し状、提出物の差し戻し通知まで、見覚えのある紙がまとめられていた。

「…いつの間に」

「お嬢様が学園でお帰りの支度をなさる頃に、ラフィエラ様と整理いたしました。『今日のルミア様はお疲れですから』と」

「…なんという…もう」

 しばし言葉を失ってから、私は唸る。

「…ずっと取っておいたのですか」

「はい。一枚たりとも捨てておりません」

「…もう使わないかもしれないものまで」

「…お嬢様が傷つけられたこともそうですが、それは私の大切な人が逃げずに戦った記録でもあるのです。それを使用済みだからと処分するなんて、私には出来ませんでした」

 平然とした顔なのに、声音はわずかに震えていた。

 よく見れば、誰が届けたか、どの時刻に届いたか、返答を急かした使いがいたか…侍女の目で残せる範囲までまとめられていて、それを眺めると目の奥に温度が広がった。

「家の者の証言は、公の場では軽んじられます。ですが…軽んじられるからといって、残さなくていい理由にはなりません」

「…どうしてここまでしたのですか。私が捨てようとしたものを、どうして」

 紙束の上へ指を置く。青い封蝋の縁は今見ても冷たく、私はそれも過去を振り払うように封を切っただけなのに。

 この子はずっと、私からこぼれていったものを拾っていたのだ。

「お嬢様が以前、私にこう教えてくださいました…『我々には序列があります。ですが、上に立つ者だけで家が成り立つわけではありません。わたくしがいて、あなたがいる。あなたが支えることで、わたくしはヴァルドシュタインでいられる…それを忘れないで』と」

 わずかに目を伏せて忠節を伝えてくるレイナに、記憶の奥底が揺れた。

 それは古い午後、まだレイナがこの屋敷に来て間もない頃。失敗を恐れて泣きそうになっていた彼女へ、お父様の受け売りを自分の言葉で伝えたのだ。

「…よく覚えていたものです」

「私がここで働かせてもらう理由ですから」

 その言い方には気負いがなく、ごく当然のものとして私の胸へ落ちてくる。

 珍しく目を細めて笑う姿に、私までもが声を出して笑った。状況が好転したわけでもないのに、胸がくすぐったい。


「失礼します、ルミアリエルお嬢様…アストレア家より、お見舞いの使いが」


 そのとき、控えめなノックが聞こえてきた。

 入ってきた侍女は銀盆の上に一枚の名刺を載せ、用件を簡潔に伝える。それを手に取ると、すっかり見慣れてしまった文字が並んでいた。


『ご無事の確認だけでもと思い、筆を執らせていただきました。なお、証人について急ぎお耳に入れたいことがございます。お疲れでしたら、レイナさんにお時間をいただきたいです。 ラフィエラ・セラフィーナ・ド・アストレア』


 レイナが私を見る。けれど、その紙は彼女に渡した。

「いいでしょう、通しなさい。ただし、先にあなたが会いなさい」

「私がですか?」

「ええ。あなたもラフィエラも気を使いすぎます、ならば先にあなたから会うほうが負担も減るでしょう? それに…」

 紙を受け取ったレイナへ、諦めたように伝える。

「…勝手にあの女と手を組むのではなく、わたくしへの報告は怠らないように。事前、事後、どちらも」

「かしこまりました。今後はお嬢様の許可なしに、余計なことは一切致しません」

「…『余計なことじゃないならすぐにやる』、そんな例外を設けそうな口ぶりですわね」

「…ラフィエラ様に影響を受けたのかもしれません」

 私の可愛い忠犬が、徐々に賢しい駄犬に似てくる。それはほんの少しだけ不安だけれど、レイナの交友相手としては申し分ないと思えてしまうのが悔しく、そしておかしかった。

 そしてレイナは、あの女に会いに行く前に「それでも今日はお休みくださいね」と眠る準備まで仕立ててくる。私はこの子にも眠気にも逆らうことをやめた。


 *


「…お嬢様」

 ベッドの天蓋を引くと同時に、お嬢様は一瞬で眠りに落ちた。

 その寝顔は昔から変わらない、とても聞き分けのいい静かなものだった。それでもまだ緊張は残っていたようで、シーツを握る手はこわばっている。私は眠りを邪魔しないようその手をそっと解き、応接室へ向かった。

 ラフィエラ様は、椅子に座らず待っていた。手袋の指先が強めに重ねられていて、この人もまた、お嬢様のために戦っているのだと感じる。

「ルミア様はいかがですか?」

「今、おやすみになりました。本当なら直接お話いただきたいのですが、今夜はこのまま眠っていただきます」

「ああ、よかったぁ…」

 ラフィエラ様は目を閉じ、見るだけでわかるほど安堵した。会えないことを残念がらないその姿に、お嬢様が信頼するのも頷ける。

「…でも、急ぎの話もあるんです」

「はい、お嬢様から許可をいただいております。必要なことがあれば、何なりと」

 私がそう告げると同時に、ラフィエラ様の人好きのする笑顔が鋭くなり、こちらも表情を引き締めた。

 私は卓上へ書類を広げ、屋敷側で拾った記録を手前に寄せる。ラフィエラ様は学園側の名と証言を手帳へ写し取り、互いの束が自然に分かれた。守る場所が違うだけで、今宵から私たちは同じ敵を見ているのだとわかる。

「殿下の側近が、何名かに“怖かったことを書き出しておけ”と紙を配っておりました」

「…やはり。相手は聖堂側の補助役や討論の見学者あたりでしょうか?」

「ご明察です。それと、学園祭準備会で名を控えられた生徒たちもですね」

 ラフィエラ様の指が、書類の一行をなぞる。

「しかも、言葉を揃えつつあります。“善意の忠告を威圧で黙らされた”“穏便にと迫られた”“家名を出されて怖かった”。まだ事実ではありませんが、何度も口にさせれば…本人の中で形になってしまう」

「…そこまで。私が集めた記録は、役に立てるのでしょうか?」

 つい、弱気になってしまう。表立って記録を集められない私は、本当にお嬢様の支えの一つになれるのだろうか。

 けれど、ラフィエラ様は微笑んだ。

「表で編まれる罠には、表の証人が要ります。けれど、ルミア様がどのように帰られ、何を受け取り、何を失ってきたかは、家の中でしか残せません…それは、レイナさんにしか出来ないことなんです」

「…そうでした。すみません、惰弱なことを言ってしまい」

 私には、それしか許されない。けれど、それは私にしかできない。

「学園の中の記録はわたしが拾います。レイナさんは屋敷の内側で、二人で戦いましょう」

「はい。本日は正式に許可もいただきました、もう怒られずに済みます」

「…ふふっ。ルミア様のことです、『報告は徹底するように』と言われましたか?」

「…お見事です」

 お嬢様がこの方をライバルとして認め、同時に…共に戦う存在になってくれたことに、少なからぬ畏敬を抱きそうになった。

 それでも、油断はしない。だって次に狙われているのは、お嬢様の席ではなく『言葉』そのものなのだから。

 勝手に言い換えられ、望まぬ形で揃えられ、本人のものだと主張する欺瞞が…こちらへ歩いてくる。

(ですが、お嬢様…今はどうか、夜の静けさに身を預けてください。今宵は、ラフィエラ様と私の戦いですから)

 深まった夜の裏で編み込まれる静かな罠へ対抗するため、私たちは協力関係を再確認していた。

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