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誇り高い悪役令嬢は冷たいのではなく、不器用なだけです 〜それを理解するのはライバル令嬢だけ〜  作者: 花田一郎
第2章:共闘の始動

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第16話「翻訳の値段」

 夜の談話室は、昼間とは異なる顔を見せる。その静けさは、人間の本音を引き出すようだった。

 寮の共用である談話室は、消灯前になると人が減る。壁際の長椅子にも、低い丸机にも、昼間のような噂話はもう広がっていない。

 火を落とした暖炉だけが、かろうじて熱を残していた。窓は夜気で薄く曇り、廊下の物音すら遠い世界の出来事のように聞こえる。

 この談話室は、ここ最近の噂の渦中にある私にとって、ようやく自分の呼吸音が聞ける場所になってくれた。

(…だというのに。あなたは、どこにでもいますのね)

 模擬裁定の予行演習を終えたあと、まっすぐ部屋へ戻る気にはなれなかった。戻ればレイナが静かに暖かく迎えてくれるだろう。その優しさに甘えるには、少し心が乱れていた。

 今も発言台に立っているように姿勢がこわばったままでは、自室に戻っても休んだ気がしない。

 だから、人気(ひとけ)のない時間帯の談話室へ逃げ込んだ。けれど、逃げた先にもラフィエラはいた。

 相手も同じ気持ちなのか、あるいはそれを見越していたのか、すでに二人分の茶器を用意していた。

 小さく束ねたメモも机に置いてあり、そこには採点表の写し、討論中の発言順、教官の短評が記されている。その呆れるほど早い行動にも、慣れつつあった。もしかすると、その感じ方は私の甘えかもしれなかった。

「…待ち伏せですの? それとも、わたくしが単純だという遠回しな指摘かしら」

「ただの休憩です。ルミア様が本当に単純なお方でしたら、わたしもここに来ることはなかったでしょう」

 …よかった、部屋に戻らなくて。レイナに同じことを言っていたら、罪悪感で眠れぬ夜になっただろう。

 ラフィエラはしれっと返事をしながら、私の分のカップをこちらへ寄せてきた。香りは穏やかで、眠りを妨げないよう薄く入れていることがわかる。

 一瞬だけ悩む。けれど差し出されたお茶を無視するわけにもいかず、椅子を引いて座った。

「…勝手に用意しないで欲しいものです。固辞しにくくなるでしょうに」

「それが狙いです。何より、少し喉が渇いておられるように見えましたから」

 小さく微笑むラフィエラに、返す言葉が見つからない。

 代わりに黙ってカップを手に取ると、熱くも冷たくもない温度が伝わってきた。その気遣いにわずかに嬉しさを覚えかけた自分へ、夜へ紛れる程度の苛立ちが募る。

 それから少しのあいだ、お互い何も話さなかった。夜の静寂は尖っていた心に丸みを持たせ、書類整理を続けるラフィエラを無感情に眺めさせる。

 やがて、昼間に言えなかったことが机の上へ落ちた。

「……今日の……」

 落ちた言葉は、自分が思っていたよりも小さく、細切れだった。何も伝わらないとわかるくらいに。

 ラフィエラは手を止め、顔を上げる。訓練された大型犬のように待つ顔は、不覚にも可愛いと思いかけた。

 その純粋で急かすことのない奥ゆかしさに、余計言葉は出てこない。

「今日の、あなたの言葉は……」

「はい」

「……少し、目立ちすぎたと思います」

 礼を言うつもりだった。少なくとも、この賢しい女なら礼だとわかるくらいの言葉を。

 だけど口をついて出たのは、また“盾”のほうだった。こういう場面で防御を優先する自分が、とても惰弱に見えた。

「ですね。主役はわたしではなくルミア様でしたのに、差し出がましいことをしました。ですが、その言葉はとても嬉しいです」

「…なぜ、そのような」

「真っ向から叱られなかっただけじゃなく、わたしのことだけを考えながら言ってくださったんですもの。聞けてよかった」

 それでもラフィエラは笑い、ゆっくりとお茶を飲んでいた。その姿は、夜露を食む花のように優雅だった。

 思わず睨む。でもラフィエラは、わずかにうっとりとした顔でこちらを見た。

 …きれいすぎるものは、現実味がないから怖いんですのね…。

「…都合のいい解釈ばかり、やめてくださいまし」

「ですが、わたしはそこらの凡夫…失礼、周囲の方々よりもルミア様を理解できるように努力しているつもりです。だからわたしは、あなたの隣にい続けたい…」

 溶けるような吐息から逃げるように視線をそらす。机の上には採点表の写しがあった。

 厳格。実務的。親しみに欠ける。

 私の評価欄に並んだ言葉は、やっぱりラフィエラと真逆だった。

「なぜ、そこまでしますの」

 ようやく、最後まで言えた。

 その言葉に、ラフィエラは首をかしげる。やはり賢い犬にしか見えなかった。

「…聞いてくださいますの? 長いですよ?」

「構いません。わたくしは…いえ、どうぞ」

 笑顔を消してカップを指でなぞるラフィエラを見ていたら、余計なことは言わずに済んだ。多分、本当に長くなるのだろう。

 やがてラフィエラは、視線をお茶へ落としたまま、小さな息を吐いた。


 *


 笑っていれば、すべてが済まされる家でした。

 たとえ失敗したとしても、怒鳴られることはない。母の叱責はいつも“笑顔”と共にありました。


『あなたのためよ』


 そう言いながら、わたしの姿勢を正し、言葉を選ばさせ、表情までも整えさせる。

 間違えた側が恥をかかないように、ではなく。ただ『誰も不快にしないこと』、それだけを求められました。

 食卓で言いよどめば、より上品な言い回しを教えられる。スカートの裾を踏めば、『もっと美しく歩けるでしょう?』と肩に手を置かれる。

 それはきっと、あの人たちなりの愛情だった。でも、わたしは『笑顔の優等生』になるたび、自分の輪郭を削られていったんです。

 怒らない子。困らせない子。相手の望む答えを先に言える子。そうして身も心も削ることで、安全を確保していました。

 …だからこそ。あなたを見たとき、ひどく驚いたんです。

 不器用で、硬くて、嫌われることに怯えない…正しさに導かれるように筋を通そうとする人。

 誰かの失敗を優しい言葉で隠すのではなく、嫌われ役を引き受けてでも線引きをし、正しい方向へ導こうとする人。

 覚えていますか? 一度、学園でミスをした下級生がつるし上げられそうになったこと。

 周囲は笑って「気をつけなさいね」と言いながら、逃げ場を塞いでいました。

 あのとき、笑い声の中であなただけがまっすぐ立っていた。怯えていた下級生より先に、わたしのほうが息を止めていたのを覚えています。

 あなたは前に出て、責任の所在を確かめ、それでも下級生を指導して、嫌われてでもその場で正しさを示した。

 それを「冷たい」と言う人もいるでしょう。

 でもあなたは己の痛みに目をそらしてでも正直であろうとして、だからこそ一人で傷つくことを受け入れているのだと、わたしはわかりました。

 わたしは今も、笑って誤魔化すのが得意です。武器として使うこともある。

 けれど、あなたの隣では…偽りの笑顔をやめたい。

 あなたの正しさを、“正しく見せるための言葉”で汚したくない。

 わたしは、わたしは──。


 *


 ラフィエラは顔を上げた。多分、嘘はついていない。

 彼女が嫌う自身の笑顔は、懺悔を終えたかのように穏やかだった。

「…あなたは、誤魔化されるのをよしとしていない。その顔は、もう二度とこの世には降誕しないほど…美しい…ルミア様…」

 芝居がかった言葉。

 けれど今の彼女は、人を化かす仮面をかぶってはいないのだろう。

 簡潔なのに、あまりにも重い。

 いつもの調子で冗談めかして語ると思っていたのに、差し出されたのは逃げ道のない本音だった。

(…上等ですわ。もとより我が人生に退路なし、わたくしと向き合おうとしたこと、後悔させてあげます)

 まだかけるべき言葉はまとまらないのに、そんな強がりだけは浮かんでいた。

 礼を言ったほうがいいのかもしれない。あるいは、この重さに踏み込まないほうがいいのかもしれない。

「…思っていた以上に、あなたは変わっていますのね。あなたの奇特さを見くびっていた点については、謝罪してもいいかもしれません」

「存じております、自分が特殊なことも、そしてルミア様がわたしを見てくださったことも」

 だけど私たちは、ライバルだ。

 だから、これでいい。冗談めかすように憎まれ口を叩いたら、ラフィエラはようやく本当に笑ってくれた。

 ほんの少し、いつものやりとりに戻れた。その空気に安堵し、自分もまた救われたことと、完全には向き合わなかった臆病さに妙な居心地を感じた。

 冷めたお茶を飲む。思いのほか、おいしい。

「……今日のことですが。完全に無駄、とは申しません。あなたのやり方には学ぶべき点もあった、とだけは申し上げておきます」

「……はいっ」

 私に言えるのは、これが限界。

 それはやっぱり、ありがとうではない。だけど、拒絶はしていなかった。

 その不格好な意地の張り方に、ラフィエラは一瞬だけきょとんとして、やがて弾む声で目を細め、笑った。

「うふふ…ルミア様に褒められてしまいました。今日は記念日にしましょう」

「…念のためにいうと、さっきのは皮肉ではありません。でも、記念日扱いはおやめなさい」

「まあ、残念です…でも、本当に嬉しいんです。嬉しいとしか言えない、それ以上を知らない…こんな気持ち、初めてかもしれません」

「おおげさな…」

 ふっ、と息を吐く。笑っているとはバレないように。

 私の不格好な言葉でもここまで喜ぶのなら、まあ、ええ。

 ごくごく稀に、翻訳してもらったときに…その値段に応じた対価として、伝えてもいいかもしれない。


「失礼いたします。ルミアお嬢様、お寛ぎのところ申し訳ありません」


 その直後、談話室の扉が開く。

 レイナが丁寧さを欠かさないまま、急いだ足取りで私たちのところへ向かってきた。

 私の前にいるのがラフィエラであることを確認すると、レイナは一瞬だけ言葉を選び、そして密告するように口にした。

「…リオネ様へ、聖堂から呼び出しがあったそうです」

「…聖堂、ですか」

「ええ。講話の補助と、今後の奉仕予定についてのお話だとか。必要だと思い、急ぎでお伝えいたしました…差し出がましければ申し訳ございません」

 談話室の…いや、私たちの空気が変わった。

 レイナの気遣いはもちろん無駄ではなく、頭を下げる彼女へ「よく伝えてくれました」と礼を述べる。顔を上げる彼女は一瞬だけ嬉しげで、でも、事態の重さにすぐ引き締めた。

(…嫌な予感がしますわね。あの子はもう、学園の生徒の一人ではいられない…)

 聖女候補。それは『正しさ』を神聖な立場によって知らしめる存在。

 しかし、その正しさが誰かの意図したものであれば?

 私は立ち上がる。ラフィエラもまた、状況を飲み込むようにカップを空にした。

 少しだけ近づいた、私とラフィエラ。でもそれは、周囲の悪意によってすぐ押し戻されるほどに繊細なつながり。

「参りましょうか、ルミア様」

「…ですわね」

 だけどラフィエラは、まったく悲観していない。

 机の上にあるメモ束を抱え、私の隣に立つ。その紙の中には、私にとって必要なものがたくさんあるのだろう。

 いつかそれに対しても、きちんと礼を伝えられるのだろうか?

 レイナの「後片付けはお任せを」という言葉へ、二人揃ってねぎらっておいた。

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