第17話「聖堂の『正しさ』」
“白”が目立つ聖堂は、ほかの施設に比べてもとくに息が詰まる場所だった。
講話が行われる日、差し込む光はそこかしこにかけられた白布を照らし、すでに神々からの祝福が授けられたような荘厳さに満ちている。
祭壇に近づくほど白は濃くなり、後方へ下がるほど木目が戻る。高い窓を見上げるだけでも、人と神の世界の隔たりを測らされるようだった。誰がどこに座るのか、誰が神に選ばれたのか…この場所は、そうした位置取りで正しさを決めていた。
「ルミア様、襟元の白い細布、とてもお似合いです。ヴァルドシュタインの控えめな紋章が美しいですね」
「これは『敬意の印』、学園の規定に則ったまでです。あなたもわたくしも、そして聖女を除くこの場の人間すべてが…同じ色で統一され、輪郭を消す必要があります」
隣を歩くラフィエラのお世辞──しかし嘘っぽさがないのがまた微妙な気持ちにさせる──を一蹴し、入り口脇の簡素な座席表を見る。
聖女候補、聖職者補佐、学園側教師、講話陪席者、見学席…名前の数は少ないのに、線引きだけはやけに細かい。
椅子の背には小さな聖堂紋が刻まれ、中央の一脚だけ白布の重なりが厚かった。誰をどこで見せるか、そうした意図が道具にまで染み込んでいる。
「お隣りですが、よろしいですか?」
「今さら聞くんですの? そういう気遣いはもっと早くからしてもらいたかったですわね」
「ルミア様を前より近く感じられるんですもの、慎重にもなります」
「…よく言ったものです」
私たちの席は、見学席の端。ラフィエラが隣に来ることはわかり切っていたのに、向こうから尋ねられては少しばかり体温も上がる。
だからいつもの調子で嫌みを口にしたら、彼女は私の紋章へ温度を灯した。この感触にも慣れ始めている自分が、何だか別人のように思えた。
(…ここからリオネに近づくには、一度すべての視線を横切らないといけない。悪役令嬢を封じるための配置、ですか)
聖堂の役割は、何も罪を裁くことだけではない。
誰を“正しい象徴”として立たせ、誰を“神聖に近づけてはならない咎人”として封じ込めるか…講話が始まる前から、それを嫌というほど教えてくる。
「…リオネ様、おきれいですね。ルミア様の次、くらいに」
「…そういう冗談は、思いついても口に出さないものです」
口にすべきでないことを私にしか聞こえないようにこぼすラフィエラを制し、前方の白い椅子に座るリオネを見る。
肩へ薄い白布を掛けられ、両手は膝の上できちんと重ねている。それはあらゆる邪悪を跳ね返すとされる、女神の衣を連想させた。
けれどその神聖さは少女のものではなく、ただ“特別な意味があるもの”として建立された、人の形をした大聖堂めいていた。
「ああ、お優しいリオネ様…あなた様ならば、皆様を安心させる言葉を選べるでしょう。ご自分のおつらさに頓着せず、周囲の調和を願えると信じております」
そんな彼女の隣には、年長の聖堂補佐がいる。笑顔も声も柔らかい。
だからこそ、その導き方の息苦しさが際立つ。まるで『リオネ様はそうあらねばなりません』というのを、どこまでも優しく押し付けるように。
リオネは聖堂補佐が口を開くたびに頷き、黙考し、それから求められているであろう言葉をそっと口にした。
「…私にできることが、ありましたら。喜んで」
「はい」
「皆様が…穏やかであらんことを」
(…あの子は聖女候補、しかしそれ以上に…ただ優しいだけの、年相応の…庇護されるべき少女ですのに)
配布された講話要旨を握りつぶしそうになるのを、必死に堪える。
そのとき、リオネは言葉を選び損ねた。
「…わ、私は、まだ…」
それは聖女候補としては許されない揺らぎでも、リオネという少女の嘆きであったなら。
けれど彼女自身の言葉は、儚く砕かれた。
「ええ、その通り…どれだけご不安であっても、それすらも祈りに変えられるのがあなたが聖女たる由縁なのです」
補佐役によって重ねられた言葉に、リオネの口は閉じられた。また小さく頷き、聖女候補らしい無難な句を読み上げる。
持ち直したのではない。自分の言葉を挟み込む余地を、先に塞がれただけだ。
「なんと、健気な…」
「さすがは聖女候補…王太子様が見初めているという噂も、さもありなん」
前列の見学者たちが、神の啓示を受けたかのようにうっとりと目を細める。
それは聖女への称賛とばかりに、誰も諌められない。それに異議を唱えれば、象徴化されたリオネの否定だと見なされるだろう。
(…違う)
それはオレオンの噂のことではない。私は歯噛みする。
リオネは安心の象徴とされるにはまだ幼い。まだ守られる側の少女に大衆を守らせようだなんて、ましてや誰かに利用されていることが明白な現状は…神聖さとはほど遠い。
けれど私がここで声をあげれば、『聖女候補に圧力をかけた悪役令嬢』という絵だけが残るだろう。隣にいる駄犬のおかげで自省できているのも情けない話だけれど、少なくとも直情的な行動は我慢できた。
試しに少し身じろぎしただけで、前方にいる補佐役がこちらを見る。穏やかな視線の向こう側に、「聖女様による講話中ですよ」という圧を感じた。
(…正面から守れないことの、何たる無力か…)
諦めずに考える。けれど私はどうしても、正面対決を選びがちだ。
それは強さのはずなのに、この場では相手を追いつめる形にしかならない。私が前に出れば、リオネは『怯えさせられた側』に固定されるだけだ。
リオネは祈りの文句を読まされ、途中で一度だけ声が揺れた。そのたび補佐役が「大丈夫です、ゆっくりと」と励まし、断れなくさせる。
教師陣までもが静かに頷き、良い講話だ、とばかりに横並びの善意を広げる。すでに聖堂は、聖女を“悪意までも善意に変える舞台装置”にしていた。
「…少し失礼を」
「…?」
そのとき、隣にいたラフィエラが立ち上がった。そちらを見ると、彼女は祭壇に向かうのではなく、脇の通路へとそれた。
途中、聖堂補佐にも教師陣にも一礼して、講話の邪魔にならないよう何かを告げる。ラフィエラに話しかけられた教師の顔が、少しだけ変わって見えた。
(ラフィエラ、何を…いや…この子が意味のないことをするはずが…)
教師は難しい顔をしたものの、ラフィエラは引かない。そして講話要旨の余白を指で示しながら、短く何かを伝えていた。
そこに監査委員立ち上げを宣言したときのような、相手を言い負かす圧はない。むしろ判断を委ねるような、私に助言をするときのような様子だった。
(…聖堂付きの補佐が、窓を一つだけ開けた…あの女子生徒、水差しを持って前へ出ている…)
講話は継続しながらも、明らかに周囲の動きが変わる。聞き惚れるだけだった進行補佐たちが、本来の役目を思い出したかのように、リオネの負担を減らし始めたのだ。
それはどれも小さなことばかりだ。だけど、その積み重ねはリオネに負担を押し付ける聖堂の空気を確かに軽くしていった。人は神の威光だけでは息ができないのだと、そう思わされるほどに。
「…あっ、その…」
「リオネ様、こちらを…」
リオネが次に言葉を詰まらせた際、隣の補佐役が役目を押し付ける前に、水差しを持った女子生徒が前に出た。
それは単なる水分補給にとどまらず、ほんの数呼吸だけ、リオネに黙ることを許す。指先は白い柄を折りそうなほどこわばっていたのに、それでも彼女は礼より先に息をつくことすら自分に許さないようだった。
水を飲み終えたリオネは一礼し、また講話に戻る。それを見届けるラフィエラは、自分は何もしていないとばかりに講話要旨を読み続けていた。
(…おやりになりますのね)
正面から戦うことなく、敵を作らず、それでも救うべき対象が呼吸できるように隙間を作る。
私なら線を引く。あの子は、線が潰れないように隙間を作る。
そしてこの場では、あの子のほうが正しい。
そう認める前に、奥歯を噛みしめた。
以降の講話はつつがなく進み、頼りなさとは裏腹に、リオネは最後まで話していた。その様子に、まるで妹の発表会を見守るような気分になった。
*
「リオネ様のようなお方には、今後、誓いの重みを学んでいただく機会も必要でしょう」
講話の終わりに、聖堂側の年長者がそう口を開く。
声音はやはり柔らかいのに、隣で縮こまるリオネはびくりと身を震わせた。
「誓い…誓約の儀式かしら?」
「ですが、まだ早いのでは…」
「しかし、聖女候補ならば避けては通れぬ道…王太子様もそれをお望みでしょう」
前列の女子生徒の一人がつぶやくと、その話題はあっという間に伝播していく。けれども聖堂関係者は咎めず、遠回しにそれが事実だと伝えているようだった。
(…誓約儀式? なんの誓いを立てるつもりで…)
誓約といっても、その内容は数え切れないほどある。ましてや、私の魔法の性質がそれなのだから、否応なく意識はする。
たとえば…男女が寄り添って支え合うための。
特別な、誓約。
その語は祈りより先に拘束の気配を連れてきて、まるで誰かの都合で結ばされる婚約のように、嫌な輪郭をくっきりと浮かべた。
その空気に耐えられず、聖堂を包む白布に視線を逃す。長椅子にかけられたそれは、お膳立てでもされたようにしっくりと馴染んでいる。
(…あなたたちは、リオネに何を言わせるつもりなのですか)
それをリオネが望んでいるとも思えず、今度は何を言わされるのかと気が気ではない。聖女候補が正式な聖女となることは、私が望む平穏に一歩近づくはずなのに。
講話が終わっても、私はすぐには立てなかった。
「よい講話だった、皆様そう話してますね。リオネ様の苦しみが“健気さ”へ変換されたとしても、人は見たいものしか見ない…」
「…その苦しさを軽減したことについては、お見事と言っておきましょう」
「窓が閉まっていて息苦しかったですし、喉も渇いておられるようでしたので」
静かに隣へと戻ってきていたラフィエラが、肩をすくめて腰を下ろす。あくまでも『リオネを助けた』とは認めないらしい。
ならば結構。私だけが、誰が空気を変えたか知っている…それで十分だった。それが自分でないことの悔しさは、きっと成長につながるから。
「覚えていますか? リオネ様と三人で話したこと」
「忘れるものですか…時系列の整理という名目だったのに、あなたが茶飲み話にしたことを」
「ですが、リオネ様は笑ってくださいました。あんなふうに、作った表情ではなくて」
前方では、リオネが白布を整えられながら立っているのが見えた。
誰かの手により恭しく導かれ、誰かの期待に応えるべく、誰かのための顔を作る…それを覚えようとしている。
あの子が本来持っている善良さを、塗りつぶすように。
「…聖堂の鐘の音色、きれいですね」
「…澄んだ音です。逃げ場がないほどに」
示し合わせたわけでもないのに、私たちは隣り合ってその音を聞く。
次にここで何が行われるのか、その全容はまだわからない。けれど、誓約の儀式とやらが聖堂の白を汚すのに十分なものであることは、簡単に予想できた。
結局私たちは鐘が鳴り終えるまでずっとそのままで、静かになってから席を立った。




