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誇り高い悪役令嬢は冷たいのではなく、不器用なだけです 〜それを理解するのはライバル令嬢だけ〜  作者: 花田一郎
第2章:共闘の始動

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第14話「温室の噂、街へ」

 来賓茶会の日、学園の温室は普段と異なり、街の一部ともいえる様相になっていた。

 朝から下級生たちが銀盆を運び、使用人たちもガラス戸の指紋を拭い、花台の位置を微調整している。貴族も使用人も関係なく働く様子に、わずかに心が緩んだ。

 …昔、レイナと一緒に花壇の手入れをしたことを思い出す。屋敷に戻ることがあれば、また一緒にやりたい。

(いつもの湿った土と葉の匂いに、茶葉と香水の気配が混ざる…始まるんですのね)

 温室手前の小サロンには、来賓用の席次表が置かれている。白布上に並んだ名札は家格順に美しく整えられていて、端に北側回廊担当である私とラフィエラの名前が添えられていた。

 今日の私たちは案内役でもあるので、座る位置ではなく立つ位置の記載だ。横には本日使う招待状控えが、封蝋色ごとに分けられている。濃い青、金の縁、淡い白…その色は単なる情報に過ぎないはずなのに、並べるだけで来客の機嫌を左右していた。

(学園祭は華やかであるはずなのに、実際にやっていることは人間への値付けと仕分け…親睦会にしては寒いですわね)


「導線の再確認を」


 教員の声が響くと、周囲が一斉に動いた。

 私は名札から目を離し、机の上の招待状控えを整える。来賓ごとの封蝋色と受け渡し欄を見ていると、自分の白寄りの招待状を思い出させた。

(…皮肉なものね。白を押し付けられた人間が、外部の家名と色を照らし合わせるだなんて)

 それでも手を動かしていると、余計なことを考えずに済んだ。


「ルミア様、こちらを」


 補佐役として隣で働いていたラフィエラが、来賓一覧の名簿を差し出してくる。急ぎの仕事ではないはずなのに、あたかも必要なことであるように差し込んでくる有能さが、今日に限っては頼りに見えてしまう。

「婦人茶会の常連、評議会関係者の親戚、学園祭への寄付口数…相変わらずよく集めてますわね」

「噂が外に出てしまったことを考えたら、誰の口を通ったかまで見ておいたほうがよろしいかと思いまして」

「字がきれいで読みやすいのは認めます。しかし、まるで管理社会のようですわね?」

「恐縮です。ご高名な方ばかりですから、事前に理解を深めておくのも礼儀だと考えました」

「…念のために言っておきますが、わたくし以外にはこういうことをしないように」

 当然です、わたしはルミア様だけの補佐役ですから。

 そんなふうに笑うラフィエラの正論は容赦がないのに、どうしてだか言葉に体温を感じられた。

 端正に整った文字を再確認し、私はわざとらしいため息をつく。そして、二人で来賓の到着を待った。


 *


 来賓は昼前から順に訪れる。

 侯爵夫人、男爵家の母娘、評議会員の姉、王都の商会主の未亡人…いずれも学園の制服とは異なる装いで、その姿が温室へ入ってくるたび、普段は閉じられたこの学園が外へ開いていくのがわかる。

 私は入り口脇で一礼し名前を確認、そして席へと導く。それだけの役目で、余計なことは言わない。ラフィエラもそつなくこなしていて、何なら私が話すよりもラフィエラが微笑みかけるほうが、より多くの人が嬉しそうにしていた。

 そうであっても、無遠慮な視線は消えない。


「あの方でしょう、ヴァルドシュタイン家の」

「ええ、あの…聖女候補を泣かせたとか」

「婚約の件でも随分と気性が激しいとか…王都でも、もう有名ですわよ」

「評議会でも耳にしたと主人が申しておりましたわ」


 笑いが含められた低い声が、親睦会に分断を促す。

 私の目の前で言うほど露骨じゃないけれど、聞こえないと思っている距離でもない、貴族がダンスの相手と保つような位置取りだった。

 表情を強いて維持する。ラフィエラも同じだった。二人揃って同じことをしているという事実が、わずかに支えになる。


「公爵閣下もご心労でしょう」

「家名を傷つける娘は厄介ですもの。おいたわしい…」

「縁談にだって響きますものねぇ」


(…あなたたちに、お父様の何がわかるというのですか。ヴァルドシュタインの正しさの、何が)

 お父様と家名について持ち出されたとき、胸の内側で冷たく青い炎がくすぶる。

 私一人が嫌われているなら、気にすることはない。けれど、お父様の顔も家の紋章も、知らない夫人たちの茶飲み話として弄ばれている。

 それでも、私は睨め付けることはできなかった。今日の私は…彼女らを案内せねばならないのだから。


「そちらは右側のカゴへ」

「はっ、はい!」


 そのとき、来客の手袋を受け取る下級生が緊張で指をもつれさせていることに気付き、私は無感情に指示する。

 一方でラフィエラは、安心したように別の仕事をこなしていた。

 …なんでわたくしが、それに安心しているんだか。

 持ち直した下級生を見送りながら、学園の外へと広まりつつある噂への無力感を募らせた。


「宣誓式では紋章の光まで鈍ったそうよ」

「まあ。そこまでとは…」

「学園では有名なお話ですものね」


 事実に、少しずつ別の細部が混ぜられている。

 すべてが嘘なら否定しやすいのに、事実が混ざっているせいで、いかにも本当らしい顔をしている。

(…呼吸を…整えねば)

 温室に降り注ぐ光が、いつもより白く見える。深く息を吸い、ゆっくり吐き出しても、酸素は胸の奥まで広がらず、自分の価値が少しずつ目減りしていくようだった。


「吐いてください。力を抜いて、柔らかに」


 そのとき、袖口が軽く引かれる。この感触は、知っている。

 ラフィエラは来賓の死角になる柱の脇へと、ほんの半歩ほど私を寄せた。あの日、お茶会で秘め事を楽しむように私の手を引いたことを思い出す。

 その声は低く、事務連絡のような平坦さだったのに。

 私になんの役目も押し付けない、どこまでも広がる海のような声音だった。

「吸うより先に、吐くんです。大丈夫、案内の仕事は落ち着いています」

「っ……はぁっ……すぅ……」

 何も言い返せず、ただ息を吐く。そして吸い直すと、自分の呼吸が浅くなっていたことに、ここの空気は決して薄くなっていないことに、ようやく気付けた。

 ラフィエラの手はすでに袖から離れていて、何事もなかったかのように机へと戻る。私もそれに続き、自ら隣に立って恨みがましく指摘した。

「…禁止事項を破りましたわね?」

「『体調管理』までは禁止されておりませんでした。触れたとしても、それは業務遂行で生じた役得ですよ」

「……うぬぅ……あなたは、わたくしの言葉を都合よく利用し過ぎです……」

「そうでもしないと、隣にいる意味がなくなっちゃいますから」

 呼吸は戻ったはずなのに、呻く。けれど、喉の奥のわだかまりはほどけていった。

 しれっとしているライバルの立ち回りは、無粋な噂以上に私の意識を奪う。まるで『私を見て』と催促する犬のようで。

 だからあえて目をそらして、しばらくは仕事に集中した。


 *


 茶会も半ばへ差しかかった頃、小さなざわめきがサロンの端で起こる。

「…あれは。席札の置き直しを誤りましたのね」

「些細だけど騒ぎになりかねない、この場においては無視できないミスですね」

 ラフィエラと一緒にそちらを見ると、評議会縁者の席に対し、寄付家の名札が半席ぶん入り込んでいる。この手の間違いは、そこまで珍しいものじゃない。

 けれど、こういう『外の目と声』が集まる場所では、些細な綻びほど茶飲み話にされやすい。

 現に、先ほどの噂話をしていた婦人たちが新しい話題を見つけたといわんばかりの目を向けていた。

 私はその目が自分に向くことを承知で、それでも足は止まらない。


「失礼、こちらは一列繰り上げとなります」


 名札を持ち上げ、布の皺を指で伸ばしてから席順を戻す。下級生は青ざめたまま立ち尽くしていたので、「茶を下げなさい」とだけ指示する。ここを謝罪の場としてしまえば、この子の未来に余計な影を落とすだろう。

 もちろん、私のそういう意図をあえて無視する人間もいる。

「まあ…お詳しいのね?」

「配置表を預かっておりますので」

「噂通りですね、きっぱりなさっている」

 軽く感心したように、婦人は私に声をかける。その目は、明らかに私の胸元…ヴァルドシュタインの紋章がついたブローチへと注がれている。

 その直後、本来なら先に交わされるはずの挨拶が一拍だけ遅れた。それだけで、この噂が社交の値踏みに使われているとわかる。

 これ以上余計な言葉を吐けば、別の証言へとつながる…だから私は何も言わず、一礼だけをして名札の角をきちんと揃えた。


「…なぜ、あそこまで自分を後回しにするんでしょう」

「後ろめたいことがおありなのでは? いくらでも想像できるでしょう?」


 席に戻る際、背中に冷めた声音が押し付けられる。

(…仕方ないでしょう。それが私の、ヴァルドシュタインに求められる役割なのですから)

 あの声に従い、自分を甘やかせばどれほど楽か。けれど、それはきっと惨めだ。

 ラフィエラは元の席から私と一部始終を見ていて、目が合うと同時に一度だけ頷いた。

 …別に、あなたの理解は求めていませんわ。

 席に戻ってそう毒づこうとしたけれど、それをしなかった自分もまた少しだけ誇らしかった。


 *


 茶会の締めとなる頃、オレオンが前へと出てくる。

 温室の中央、日の落ちかけた場所には演台がないものの、その存在感は否応なく人の視線を集める。

 それに伴い、あの婦人たちですら整えられた空気に背筋を伸ばした。


「本日は学園祭を前に、皆様へ本校の教育方針をご覧いただけたこと、大変嬉しく思う。親睦も深まったことだろう」


 よく通る乱れのない声で、薄っぺらい賛同を集める。

 その直後にこちらへ視線が集まったのは、気のせいだろうか。


「我が学園では礼法だけでなく、公平と規律を公の場で扱う訓練にも力を入れている。ゆえに、だ」


 …気のせいではなさそうですね。

 隣へわずかに横目を向けると、王太子相手だというのに鋭い視線を投げかけるラフィエラがいた。


「秋季には、模擬裁定の公開課程を設ける予定だ。若き貴族が正しさをどう示し、どう支えるかを学ぶ機会となるだろう…支える側も支えられる側も、“必要とされるもの”を見極めて欲しい」


 模擬裁定。言葉そのものは穏やかでも、『必要とされない人間をあぶり出す』と告げているようだった。

 だというのに、彼が公平や規律を口にすることのなんと薄ら寒いことか…。


「さすがは殿下、時勢をよくご覧になっていること」

「若いうちに公の場での振る舞いを覚えることは、とても大切ですから…ああならないためにも」

「あれは、例のご令嬢のための課程なのでしょうね」


 感心したように語る来賓たちの言葉もまた、冷めたお茶のように背筋を凍らせる。

 上品な拍手の中、自分の白になりきれない招待状を思い出す。

(…あの招待状は、そういう意味なのかもしれませんね)

 外へ見せる価値が薄い人間に渡される色であるのに、裁く場へ引きずり出すときは相応の色で塗りつぶされるのだろう。

「大丈夫ですよ、ルミア様」

「なにがです」

「今日、この場を誰よりも守ろうとしたのはあなた…その事実は消えません。そして、それを理解しない人間が誰なのか…その記録も」

「…それが役立てばいいのですが」

 拍手の音で隠すように、ラフィエラは私に囁いた。その根拠のない自信が、今だけは私の心に静寂をもたらした。

 温室の外では、夕方の風に葉が鳴いている。それは噂話と違い、私の耳にも優しい。

 願わくばその美しさだけが、外へ広がっていきますように。私は叶わない願いを捧げつつ、街の外に出ていくであろう噂に気が遠くなった。

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