第64話 滅亡獣(その4)
「……テツジ今よ!!」
食いしばった巨人の口からは答えはない。だが主のその声に、たちまちくわと大きく目を見開く。
巨獣を相手にいつ果てるともなく続いた、魔女と巨人の舞闘。だがその瞬間が、決定的な勝機が訪れる。ついに巨獣の両方の後ろ足が共に溶け崩れたのだ。そう、いかに始めは凍結しきっていたとはいえ、オーリィが爆熱火球で先程からそこだけを連続で狙い撃ちにしていたのだから。
おそらく不死怪物である巨獣には、焼け爛れた両足に痛みも苦しみも無いのであろう、だが形を失った足では、床を掴み踏み締めることが出来ない。足裏が肉ごと剥がれ、ずるりと滑る。石巨人との押し合いの力の均衡が大きく崩れた、この時!
豪打!豪打!豪打!三度続け様に、まずテツジがその額を敵に撃ちつける。敵の頭蓋の陥没も明らかに、いよいよ相手の動きが止まったと見て、巨人はすかさず両手を己の頭上で組み固め一個の大槌と為し、全身を弓のように大きく反らして一刹那……
たちまち声なき咆哮と共にそれを打ち落とした!
大陥没。
巨獣の頭部はその元の形を完全に失い、やがて前脚を折り、床に体を沈める。驚くほど静かな、だがそれがその活動の最後。そして巨人も全精力を使い果たし、そのままの場所に尻を落とし座り込んだ。
激闘の余韻。舞曲のその短いデクレッシェンド……
メネフは、自分が呼吸することを忘れていたことに、やっと気付いた。だが。
「……いけねぇ!」
強く一度頭を左右に振って、自らに気付けを施す。呆けていられる場合ではない。
「オーリィちゃん頼む!今度は前だ、二人が危ねぇ!!」
ゾルグとアグネス、二人が耐えうる時間を計ることを、彼の理性は決して忘れてはいなかった。おそらくすでに、際どい!
(むむむ、いかん!)
前衛のゾルグが近く迫る敵を蹴散らし、アグネスはその後ろからゾルグより先を援護射撃して、事前にその迫る敵の数を減らす。二人のコンビネーションは自然とそうなっていた。
無論後衛のアグネスとて、神聖力の遠距離連続発射は体力の著しい消耗を伴う。だが敵から距離を置いて戦っている彼女には、情勢を見極めるための精神的な余裕は残されている……ゾルグにはそれが無い。したたかな彼がいつもなら残してあるはずの計算を、知能を、彼は前に立った時からかなぐり捨てていた。ただ目前に迫った敵の頭を粉砕するのみの獣に、自らを化したのだ。
当然、人はそんな化身に長くは耐えられない。
(くたばれ!)
いまやその雄叫びは、音になっていない。叫んでも声は出ない、すでにその為の空気が彼の肺臓には足りていない、腕にも十分な膂力を送れない。
そして放った一撃がとうとう……浅い!倒したつもりの怪物の一体が、再び立ち上がってきた!
(取り囲まれる!)
その怪物は、アグネスが光の矢を放って辛くも倒した。だがゾルグはもう限界だ、彼をこのまま前に立たせてはおけない、入れ替わって彼を後退させなければ。
しかし駆け寄ろうとしたアグネスは、その時気づく。
自分の膝が笑っている、脚が萎え、もたつき駆けることが出来ない……ああ自分も、知らず知らずにすでに力尽きかけていた!
「ゾルグ殿下がれ!……お願い、下がって!」
神の槍を杖にして、よろめき歩みながら必死に叫び呼びかける。届かぬ己の代わりにせめて……いや駄目だ、その声も到底届かない。アグネスにはわかった、ゾルグは今、体だけは戦いながらも、すでに意識を失っているのだ。
そのゾルグが戦槌を、なおも一振。だが勢いはすでに見る影もなく衰え、あまつさえ的に届かず虚しく空を切る。そして自らの得物の重さにバランスを崩し、ゾルグはついにその場に転倒した。たちまち彼に迫る一群の凍結兵たち。
「わぁぁぁぁぁぁーーー!」
アグネスは悲痛に吠える、槍の石突で床を突き、その反動で一気に飛び込む!全身を金色に輝かせながら、迫る敵達に向かって槍を突くのではなく、両手で水平に構えて自分の前に押し出して。そしてそのほとばしる神聖力で、ゾルグに迫った数体の敵をまとめて向こうに薙ぎ倒したが。
「くぅ……」
それが限界、それが最後。唇の隙間からか細く息を漏らして、アグネスもたちまちくたくたと膝から床に崩れ落ちる。それでも彼女は、意識のないゾルグを庇うようにその体に覆い被さる。すぐ二、三歩ほど先に、次の敵の足音を感じながら……これまでか?
そこで、間一髪。
迫る凍結兵たちと倒れた二人の間に突如屹立したのは、一面の炎の壁だった。
「ゾルグ、アグネス!下がりなさい早く!!」
そう叫んで、だがたちどころにオーリィは自ら二人の側に滑り寄る。魔女にも二人の有様ははっきりと見て取れた、急げ、下がれと言ってもそれは到底無理なのだと。
不死怪物は本来、炎を嫌う。だが一方で低級な怪物には、慌てて避けようとする程の知性も無い。ゾルグとアグネスに襲いかかろうとしていた怪物たちは、そのままの勢いで灼熱の壁に飛び込みたちまち焼け焦げ、こちら側にバタバタと倒れ込む。
その怪物たちの燃える骸が、炎の壁のすぐそばに倒れこんでいる二人を埋めてしまう寸前に。
「左腕!二人を捕まえて!引っ張って、早く!」
見よ、駆け付けた魔女のあの飴色の左腕が、倍ほどにグイと伸びる!
そしてそれがまずアグネスの襟首を掴み、
「……我慢なさい!!」
その体を後方数十歩まで放り投げる。魔女はその飛んで行く先を一目も見やらず、返す刀、ゾルグをもたちまち捕えて、同じく後方遠くに投げ捨てた。細くなよやかに見える魔女の左腕の、驚くべきその早技と大力。
床に落ちしたたかに体を打ち付けられ、二人はうめく。
「くっ、手荒いな……だが助かった……ゾルグ殿!」
「痛ぅ……ええ、わっしも無事でゲす、今のでパッチリ目も覚めやした。ハハ、魔女様ときたらまったく……頼もしいこって……」
「えェ、お下がりこの怪物ども!カァァァァァァ!!」
そして魔女は自らの作り出した炎の壁に両手を突き、奇声と共にそれを前に押し出す。すると、壁はたちまち炎の津波と姿を変える。怪物たちを飲み込んではその焼け付きた残骸を先へ先へと押し流し、こうして近い敵を殲滅したと見るや。
「さぁこれでお終いよ!消えなさい!!」
通路の奥へ奥へと次から次、爆裂火球の釣瓶打ち。始め手前で起こっていた爆破は、的が減るに従い次第に遠くになって、そして。
辺りについに静寂が戻った。魔女は右手を上げ二度三度と空気を掻き回すそぶり、すると熱気も糸巻きに巻き取られる糸のようにそこに絡め取られて、次に戻ってきたのは、戦いが始まる前のあの涼気だった。
「やったなオーリィちゃん。流石だな」
やがてすたすたと近づいて声をかけてきたメネフの、その声に。なおも前方をきっと見つめ続けていた魔女は、ようやく緊張を緩めて。
「『助けてもらった分だけ』よ。うんと働いたのはテツジやアグネスたち。殿下、あなたの指図もよかったわ。私は何にも。
……みんなは?」
つんとそっけなくそう言うのは照れか余裕か、いや違う。
(そう自分を下げんなって。あんたがいてくれなきゃ、オレの悪知恵も役に立てようがねぇんだぜ?)
メネフはしかし、その慰めは胸に飲み込んだ。自分の口からでは、どうにも薄っぺらだから。
「今婆さんに手当てしてもらってる。みんなへばってたが、誰も怪我らしい怪我は無ぇ。テツの奴なんか、婆さんがちょいと撫でたらすぐ元気になりやがって。
『俺が見張る。殿下、オーリィ様を呼んで来てくれ』
だとよ!まったく、どいつもこいつもしぶとい奴らだぜ……」
もちろんあんたもな、と。そのもう一言はやはり出さず、メネフはただ目と顎でくいと合図を送る。
「行ったり来たりで悪ぃな、一度みんなで集まろう。あっちに戻ろうぜ」
「そうね、そうしましょう」
そう答えるなり、魔女はメネフに目をくれず先にするりと滑って行く。やれやれと追うメネフ。
(そういや、あン時もこんな具合だったっけ……いや違うか)
彼は思い出していた。出会いのあの村で、市場に向かってずんずん一人先に行ってしまうのを追いかけた、あの時の彼女の背中を。
(魔女ちゃん、あんたずいぶん変わったよ……)
巨獣の骸を置き去りにし、コナマと、いち早く回復したテツジは、ゾルグとアグネスが投げ飛ばされた辺りへ合流。そこにオーリィとメネフも戻って来た。車座になってコナマから体力の回復と聖別を施されながら、一同は小休憩する。
座っていても皆より一段と視線の高いテツジが、用心深く周囲に目を配りながら。
「しかし殿下、あの獣が一頭で良かった」
巨人のそのあまりにも素直な、その通り過ぎる述懐に、みな一様に安堵と不安の混じった、なんとも微妙な溜め息を漏らす。
「……いや、まだ油断は出来ないな。まだいるかも知れん」
(だからな?それをそうハッキリ言うなって、テツ)
わかってるって、と、メネフは巨人の馬鹿正直さに苦笑いする。そう、無論彼の言葉はまったく持ってその通り。現実から目を背けるわけにはいかない、備えは必要だ……だがそう言われたとて?オーリィとテツジ、こちらの最強戦力を一度に投入してやっと倒せたあんな敵に対して、有効な対策などおいそれと出てくるはずもないではないか。誰もがううんと頭を抱える風情のその時。
おずおずと口を切ったのは、アグネス。
「皆さん、その……何かの足しに出来るかも知れません、私が皆さんの武器に聖別を施しましょう」
「聖別?いや、そりゃありがてぇが、聖別ならもう婆さんに」
「大師様の御力に加えて、私の力も重ねられます。邪魔にも妨げにもなりません。それに、同じく不死怪物に対する破邪の聖別といっても、私のものには違う働きがあるのです。
……私の聖別は一回限りの使い切り。最初の一撃で武器に込めた力を全て吐き出してしまうのです。これは不利な点でもありますが……」
メネフは軽く眉を上げ、アグネスにピシリと指を指す。
「その分その一撃がドでかい、ってことか?」
「そうです。その最初の一撃だけなら、恐れながら大師様の聖別の威力を大きく超えるでしょう。おおよそ……」
「数字で測るのは難しいけれど、十から二十倍くらいにはなるでしょうね、ねぇアグネス?そうでしょう?」
コナマが、自分に対する遠慮で少し言い淀んだアグネスに、そう助け舟を出す。こくりと一つ、むしろ恥じらうように頷くアグネス。
「二人とも、そりゃホントか?なぁるほど」
聞いたメネフは顎をひと撫で。
「最初の一撃の分だけ、か。ちょいとクセはあるが……」
使えるかも。いや、そもそもこの戦いは総力戦、自分がアグネスにそう言ったのだ。だから彼女も言い出したのだろうし、多少扱いづらい術法だろうと威力があるのなら、採用するのに迷う余地などない。問題が使い方なら、それを考えるのが自分の仕事だ。
よしとにかく頼む、とメネフが口を開く前に、そこでちゃっかり割り込んだのはゾルグ。
「へへへ、アグネス様!そういうことならまずわっしらからお願い致しやす。そんな術の効き方ならね、そりゃなんたって飛び道具向きでゲすよ」
なるほど、ここまで多少の回収再利用はして来たものの、矢も弾も投げナイフも本来は一撃一度限りで使い捨てるものだ。その一撃の威力が十倍二十倍になるのなら、極めて有効かつ一番無駄がない。
飛び道具向きの聖別、つまり誰よりも……
「ありゃ?にしてもベンのヤツ、戻りが遅ぇな?」
だがここで、肝心のその一番の使い手が見当たらない。
「さっき雑魚どもの足の下を潜って、先を見に行ったはずなんでゲすがねぇ?」
聖別の話ならば自分はと、テツジに代わり少し話の輪から外れて周りを見張る風情だったオーリィが、その言葉にビクリと伸び上がる。
「この先ですって?まさか!」
先ほどの自分の爆撃の巻き添えに?たちまち青い顔になりかけたオーリィを、ゾルグは慌ててなだめる。
「いやいやいや!魔女様魔女様、そりゃ大丈夫でゲすよ。ベンはそんな迂闊なヤツじゃありやせん。雑魚どもは魔女様が掃除してくださるだろうってのはね、ベンも十分見越した上でのこってすから。
おおかたドカンボカンが納まるまでの間、どっかの隅で隠れて……ああホラホラ魔女様ご覧なせぇ、来た来た!」
ゾルグの指差す薄暗い通路の彼方から、小さな影がとぼとぼと。オーリィをはじめ皆、小さく不安の肩を撫で下ろしたが。
だが妙だ。とぼとぼと?あのいつもきびきびはしっこいベンが?
やはりどこか傷ついたのか具合でも悪いのかと、案じたオーリィが迎えに滑り寄って抱き上げると、なんとしたことか。
犬小鬼は彼女の胸に顔を埋め、ぶるぶると震えるばかり。
「ベン?ベンどうしたの?!」
「た、たいへん……まじょさま、たいへんなんだ……こ、この先に……」
「ケケケケケ、ケックケック、ケケケケケケケケケ!」
見下ろし嘲笑う怪鳥。
「こんな馬鹿な……」
絶句するメネフと、仲間たち。
魔女の胸で震えるばかりのベンをどうにかなだめながら、進んだその大広間に待ち受けていたもの、それは。
先に戦ったあの巨獣を、体躯の量で数十も百も倍するような、その信じ難き大怪物の姿だった。
「犬っころ、馬鹿どもの案内ご苦労だったね。ケケケ、だけどホントに馬鹿だよ。
なぁお前たち?ここに来る前に、その犬の話を聞いたんだろう?
……なんで逃げ出さなかったんだい?ああ馬鹿だ馬鹿だ、どいつもこいつも馬鹿ばっかりだ!ケケケケケ、クワアッッッック!」
(続)




