第63話 滅亡獣(その3)
「ゾルグ殿。先に私と戦った時は」
一度は、魔女の炎で一掃されたかのようだった敵の群れ。だが聞こえる、ガツガツと具足の音を響かせながら、この場に新たな一群が迫る。それが魔城の薄暗がりの向こうから続々と浮き上がって現れるのを、食い入るように睨み待ち受けながら。
アグネスは並び立つゾルグに低く囁きかける。
「貴方は大分ふざけていた、手を抜いていた。だが貴方の腕は本来、あんなものではなかろう?今度は是非、本気を見せてもらいたいが?」
アグネスの言葉は挑発するよう。ゾルグには知れる、それは鼓舞、ならば乗る。
「……ハハ!相変わらず小生意気な小娘だ!いいぜ、本気で戦ってやる、ただし!見て腰を抜かしても助けねぇからな?」
「ふふ、やっぱり貴方はその方がいい。猫を被らない方が、ずっと!
……来ます!!」
「おうよ!こっちから行くぜ、小娘てめぇも抜かるなよ!!」
「無論だ!!」
猟犬と雌獅子は吠え交わし、共に敵の群れに飛びかかっていく。
(ああこれは……)
アグネスとゾルグに前方を任せ、入れ替わるように奥に滑り込んで来たオーリィ。だが逸る気持ちと裏腹に思い惑う。どう攻めればいいのか?
四つ足獣の体高はテツジとほぼ同じ。両者は今押し合いながらピッタリと密着している。それゆえ、その背後からでは巨人の体躯そのものが魔女の火炎弾の軌道を塞いでしまっている。無論、上下左右に隙間はあるのだが、そこを通せる程度の弾では威力も知れている……
いや、それでもオーリィは何発か試みに撃った。
(やっぱり駄目、こんなものではとても……)
先に戦った熊と同じく。この巨大な獣も凍結不死怪物だった。いや熊よりさらに巨大な分、蓄える負の熱量は膨大。魔女の火炎弾は巨獣の体表に触れると虚しく消滅、まるで効果が無い。たちまち攻めあぐむオーリィ。
「坊や、ここは私が……」
「いや待て婆さん!あんたは滅多に動くんじゃねぇ、今は黙って力を溜めといてくれ。あとでそいつがきっと要る。
大丈夫、オーリィちゃんなら出来る……オーリィちゃん!!」
助力しようとした大師コナマ、だがメネフはすぐさまそれを制する。彼には見えた、オーリィになら、使えそうな手が一つある。
「脚だ、火の玉で奴の脚を!後ろ脚がいい、奴の踏ん張ってる脚をドカンとすくえ!そうすりゃテツが楽になる、隙が作れる!」
「後ろ脚?ああそうだわ、後ろ脚ね!わかったわ殿下!」
巨獣の左右、床すれすれを狙い魔女が放つ、手毬ほどの大きさに凝縮した爆裂光弾二つ。それが二本の後ろ脚それぞれのすぐ手前の床に落ちる。
そう、魔女はすぐに察した。巨獣に直に攻撃しても、その凍結した体表で威力は減殺される。その点、小癪な魔城の床や壁は彼女の火炎弾に対しては無敵とも思える耐久力があるが、だからいい……その場ですべての爆発力をそのまま解放できる!
「上手い、それだ!」
メネフの歓声と、二つの爆裂音が一つに重なり、そして途端に、巨獣の体がずるりと一瞬後退する。テツジと巨獣の押し合う力の均衡が破れたのだ。もちろん、思わぬ足払いを受けてもがく巨獣は、ただちにその足を踏み直そうとするが。
「殿下ありがとう、まかせて!テツジ頑張って、わたし、力を貸すから!!」
すかさず次々と放つ光弾、魔女は巧みに敵の態勢を崩す。この際都合がいいのは、敵自身の巨体が盾となって、テツジには爆破の威力がほとんど及ばないこと。メネフの的確な戦闘指示にオーリィは感謝し歓喜する。
「ようし、今度は……テツ!聞こえるな?オーリィちゃんと息を合わせろ!いいか、ドカンといったら、ガツンだ!わかるか?!」
「……やってみる!!」
そして二度三度爆破が繰り返されたのち、四度目。魔女の放つ爆裂火球が獣の脚を払い、突進圧が減るわずかな瞬間を狙って。
タイミングを測っていた巨人は、ついに反撃を試みる。
「ヌゥン!!」
一瞬大きく背を反らし、すぐさまテツジが放ったのは頭突きだった。その狙いはまさしく、今まで彼の胸にピッタリと密着していた、獣の額の中央。頭蓋と頭蓋の激突、その音が重く鈍く、そして大きく響きわたる!
「……テツ?!」
その光景の凄まじさに、メネフはむしろ動揺した。いや、もちろん彼は、テツジに反撃の余地を与えるためにオーリィに獣の脚を攻撃させたのだ。敵の前進圧力を減殺すれば、巨人も動きが取れるようになるだろう、と……
だがひょっとしてそれは、彼に無茶を強いたのではないか?こんな恐るべき激突に、果たして巨人の頭蓋の方が耐えられるのか?
否。
「いいぞ殿下、いけるぞ、これならやれる!
……オーリィ様もう一度!続けて下さい、もっと!!」
「ああテツジ、わたしのテツジ!今助けてあげる!
……さぁいくわよ!一、二の、三!」
「一、二の、三、オオ!!」
三拍数えてオーリィが放つ光弾、その炸裂に合わせて四拍目に、テツジの額が魔獣の額を轟打。やがてテツジはリズムに溜めをも加えはじめる。足を払われた敵は一瞬おいて踏み直し、前身しようと力を込める、彼はその反動力までも利用する。獣が前に出たところを、敢えて狙い撃つ!
(すげぇ……)
地獄さながらの激闘の光景に、しかしメネフはわずかに陶酔を覚える。繰り返される魔女と巨人の、それはまるで愛の舞踏。そして二人の踊り奏でる音響に、別の響きが交わりだす。ビシリと鋭い鐃鈸は、巨獣の頭蓋にひびの入る音。そしてさらに巨獣は苦悶の咆哮を合奏し始めた……
「ハハハハァ!!どうだ!雑魚ども!こいつは!どうだァァァァ!!」
(ゾルグ殿……なんたる……我流!!)
アグネスより五歩ほど斜め前で、槍斧を振るうゾルグ。いや、その獲物はいまや戦槌に変わっていた。
最初にかちあった敵の一体、その首筋に槍斧で斬り込むと。その手応えにしかし、たちまちゾルグはサッと後ろに飛び退いた。
「チッ!こいつらも凍ってやがる!」
完全武装であるのみならず、この一帯で待ち受けていた敵は全て凍結死体だった。そう、それはただの不死怪物とは耐久力が違う。無論このまま槍斧で斬り倒すのも不可能ではないが、今の一撃でゾルグは理解した、一体を倒すのにこの武器では二撃三撃を要する。だが今は大群を素早く捌かなくてはならない。必要なのは一撃必殺の破壊力。
「……なら、こうだ!」
迷わず彼が手にしたのは、胴鎧の代わりと体に巻いていた鎖。手早く解いて、槍斧の穂先にそれを固く巻き付ける。直ちに出来上がった、それは即席の鉄塊付きの長柄。
そして再び突撃、先に一撃を浴びせた敵、そして迫って来た新たな敵たちを。
「そぉれぇ!ハハァ、どうだ見たかぁ!おっ死ね、てめぇも!てめぇもだ!!」
一振一殺、彼は渾身の打撃で凍結兵を次々と粉砕していく。
(最早槍の技ではない、いや何の技でもない!……なんたる自在さ、なんたる力量!)
アグネスは震える。あれは磨いて身につけられるような業ではない。明らかに天分、生まれながらの戦人の姿。
「……いや負けぬ、天分ならば!私には私の力がある、それを用いるまで!!」
見よ、アグネスの槍の穂先がたちまち輝き、その光が伸びていく。元の穂先に倍する程の長さにそれが達すると。
「かぁ!」
気合一吠、アグネスは槍を突く。敵との間合いは遥かに先、いまだ十数歩はある……だが届く!穂先を包んでいた金色の輝きが、あたかも矢のように打ち出されて!
そして前方のゾルグの脇をすり抜けた光の矢が、狙い違わず一体の敵を撃ち倒した。
「小娘てめぇ、オレの獲物を取るんじゃねぇ!」
「黙れ、貴様にばかりやらせるものか!それに私は、貴様の義弟にも負けられぬ!先程手本は見せてもらった、次は一度に三発撃つ!
……よいか?迂闊に私の前を塞ぐな!!」
背後からたちまち放たれた三条の光、いやそうと思う暇もない。雌獅子の次の咆哮と、三体の敵が床に崩れ落ちるのは同時。
「上等だ、この山猫めェェェ!!」
お互い噛み合うように、闘志を高める二人。共に理解し覚悟している、こんな消耗を無視した戦い方は、とても長くは続けられないだろう、と。
——いや、ならばこそ!今この戦いでは必要なのだ、己の限界以上の力が、この無茶で無謀な戦い方が。
「くたばれ!おっ死ね!テメェも!くらえぇぇぇぇ!!」
「せぇい!むむ足りぬか?ならば次からはまとめて五発だ!!」
獣と化した二人の奮戦にしかし、敵の影はしかし、無情にもじわじわと増えていく……
さてその時、ベンは。
実は群がる凍結兵のその足元を素早く掻い潜り、ゾルグとアグネスの更に先にいたのである。彼の小さな体と素早さをもってすれば、そして交戦せず逃げに徹すれば。反応の鈍い凍った兵たちをかわしすり抜けるのは、ごく容易い。
そう。知恵いささか頼りなきベン、しかしその分迷いもない。常に彼は、自分の力の限界と今為すべき本分を冷静に見定めることが出来る。
今自分が為すべきことは?
テツジたちが戦っている巨獣はもちろん、どの冷凍怪物にも彼の武器は役に立ちそうにない。コナマの守りにはメネフがついている。ならば、やはり自分は偵察。敵の数を測り、仲間が包囲を突破した時に進むべき道を用意しておく!
ついに、ベンはすべての敵を振り切った。かなりの厚み、かなりの大群だった。だがそれでも、どうやら限りはある。
(兄貴、アグネス……どうか頑張って)
後ろ髪を引かれる思いで、ようやく敵のいなくなった通路をさらに前進。そして見えてきた。
(い、行き止まり?……じゃないや、あそこから中に入れる)
このフロアに上がってから、一向はずっと一本道を右回りにぐるりと回って来た。魔城は円筒形、その外周の壁に沿って道が続いていたのである。
ベンの視線の先。真正面は行き止まり、だが右側の壁、すなわち魔城の断面の中心部に向かう側の壁に、入り口が開けている。
(罠かな?ううん、でも)
その恐れがあるなら、むしろそれを確かめて帰るのが、自分の仕事。警戒しながらもベンは臆さない、サッと素早く滑り込む。
(ひ、広い、な……)
魔城は中心部に吹き抜けが貫き通った塔、従ってどのフロアも大雑把にはドーナツ形。しかしどうやらこのフロアには、そのドーナツの穴に当たる部分がない。フロアが吹き抜けに貫かれていないのだ。それゆえベンが今踏み込んだそこは、これまでにないだだ広い大広間になっている。そして先ほどまでの通路に比べ天井も高い。この広間だけこれまでの三階分、あるいは五階分程もありそうだ。
その広い空間。ベンの鋭い目をもってしても全貌は見渡せない。
(こ、ここには敵は?いないのかな?)
そう、ここからの一瞥では、広間は空っぽ。チラリと背後に、今入って来た入り口の存在を確かめて、ベンは広間の中心にしばし駆け進む。
だが突如。
「グルル!」
ベンの食いしばった牙の隙間から漏れる唸り声。総身の体毛が逆立ち、ピタリと足が止まる。存在する。途轍もなく巨大な何かが、前方に。
……おおしかも、それはゆっくりと動いている!!
「ケケケケケ!全部ここで見てたよ、見てたがねぇ……情けないもんだ。あんな赤ん坊に手こずってちゃあね?こいつには!とても敵うもんか。
……お終いだよお前たち、ケック!」
テツジが今、渾身の力をもって奮闘しているあの巨獣。しかしそれはどうやら、ほんの子供に過ぎなかったのだ。仰ぎ見るベンの眼前をどこまでも塞ぐ、これこそが、ゲゲリが与えシモーヌが育てたとっておき。薄暗がりの向こうにようやく全貌を現し始めた、真に恐るべきは、この大氷獣!
その背の上で、ケイミーの体をのっとった太古の神が、戦慄しながら見上げるベンに向かって嘯く。
「よく来たねぇ、そこの犬っころ!
いいよ?構わないからさ、戻ってこいつのことを仲間に知らせておやりよ。知られたところで、どうにか出来るわけないからねぇ……ケケケケ、ケックケック!!」
鳴きながらそう哄笑するゲゲリ。
そして大氷獣の背には、もちろんシモーヌもいた。だが白魔はゲゲリの傍らでただ黙するばかり。固く結ぶ唇の内に、如何なる言葉を噛み殺しているのか……
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「ホントだホントだ、やぁみんな見ろよ、あれあれ!」
【少年】が戯けた様子で指差し、叫ぶ。
いやしかし。彼を「少年」というのは正しいのだろうか?坊主頭と体の大きさの比率など、体つきは確かに子供だ、だがその身の丈は普通の人間の大人の三倍はある。
「ケック、そうだね。聞いたとおりだね」
ツンと澄ました態度で、大少年の指す先を見つめる若い【女】。炯々と輝く大きな目、そして首や手足は驚くほどにスラリと長い。だから長身、こちらも人の倍はあるだろう。
「なんたることか……大母様よ、かくまでご乱心とは」
【老人】だ。二人にうって変わって、子供のように小さい。目も口もくしゃくしゃと皺の中に埋まり、その表情は外からはまるで読めない。だがその声は今、深い憂いを帯びている。
「さあみんな、行こうよ!」
「お待ち。あいつがまだ来てないよ」
「なんだい?こんな大事な時におくれるなんてさぁ!あいつ、うすのろだなぁ」
「ケッククク、うすのろねぇ!わかるけどさ、お前ね?あいつの前じゃそれ言うんじゃないよ?あいつ、すぐガァガァ怒るから」
「そうじゃな。うっかり聞かれたら大変じゃぞ」
「何を、だ?!」
先にその場にいた三人が振り向くと、そこに一人の【男】。黒い外套に身を包み、歳は壮年といったところ。燃えるような赤ら顔、そしていかにも頑固で傲岸な声色。
「おやおや、やっとお出ましかい?でも遅れて慌てたのはわかるけど、尻尾くらいきちんとしまいなよみっともないねぇ、クワッククク!」
【少年】には口を慎むように言っておきながら、【女】は遅れてきた【男】にズケズケと物を言い、嘲弄する。
「わしは変化は好かん、窮屈だ!第一、今日の用事に姿などなんだ!」
外套の裾から長々と伸びる尾。【男】は憤然と、それでダンと一つ地を叩く。皺の【老人】がやれやれととりなして。
「ああわかったわかったグロクス、よいよい、それでよい。ギクゥ、もうからかうのはよせ。ボホンゴがそこで待ちくたびれておるぞ……ベネトリテも、あそこで、きっとな。
さ、みんな行こう。太母ゲゲリに相まみえるとしようぞ」
「ようし!おいらが一番乗りだ、いいよねみんな?」
言うなり、地響きと共に駆け出していく【少年】と。
「おっとそれはあたし、あたしだよ一番乗りはね。ケーーーーック!」
大きく両手を広げて、宙に舞い上がり滑空していく【女】。
「……ああこら、待て待て!」
「ふん!じたばたと落ち着かぬやつらめ。だが確かに急がねばな。
……そら乗れノトールオ!」
小さな【老人】を抱えあげ肩に座らせると、【男】は両足を前後することなく地面を滑っていく。まるで足など必要がないかのように。
ボホンゴ、ギクゥイーク、ノトールオ、そしてグロクス。
現れた四人、否、四柱の神々たち。その行く手は。
テバスの岸壁近く黒々と天高く、今顕現する、かの大樹の魔城であった。
(続)




