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第三章『仮面を被るもの』⑥

 『OMI』の正体は夜羽や百合花のかつての身内ともいえる存在、三日月絵溜であった。

 一之瀬美桜は『OMI』というハンドルネームを捨て、まったくの別名で大会に参加していた。

 絵溜は、彼女が安全に参加できるようにあえて『OMI』を名乗ることで注意をそちらへ向ける作戦だった――と、そう語った。


「ちょっと待って。どうしてわざわざ貴女が『OMI』として目を引く必要があったわけ?」


 夜羽が純粋な疑問を投げかける。

 すると、絵溜は少し複雑そうな表情をした。


「……彼女が一年前の事件をまだ引きずっているから、です」


「危険が及ぶかもしれない、ってこと? でも、貴女の話から確信が持てたことがあるわ。一之瀬美桜は、自分から死んだことにしようとしたわけではないんでしょう?」


「ええ、そう聞いています。外に出たくてもなかなか出られなくて困っている、って」


「やはりそうですか。でも今日は大会に来ているのでしょう?」


 百合花が疑問を口にすると、絵溜は少しだけ言葉を選ぶように沈黙してから、


「賞金の話を、したんです」


「……え?」


 聞き返したのは夜羽。

 百合花は動じた様子もなく黙っている。


「一之瀬家は、実は家計が困難な状況に陥っているようなんです。これは美桜さんから聞いた話なので、確証はありませんが……」


「まさか、賞金に目が眩んで娘の出場を見逃した、ってこと?」


 夜羽の問いに、絵溜は無言で頷く。


「そうではないかと思って調べさせていたのですけれど、読みは的中しましたわね」


 百合花はすべてを見通していたと言わんばかりの態度で口を開いた。


「なによ百合花、貴女わかっていたっての?」


「可能性の話です。これまで家に閉じ込めていた娘を外に出すなんて、余程の理由がない限りおかしな話ですものね」


「はい。わたしは美桜さんに優勝したらその賞金は『OMI』のものとしてお渡しすることを約束しました。ご両親も、『OMI』は美桜さんだと思っているはずですよ。美桜さんが別名で参加しているのはご両親すら知り得ないことですから」


「はー、徹底してるわね。なんで貴女がそこまでするのよ、絵溜」


 夜羽は心底理解できないと言った口調で訊ねると、絵溜は何故かくすりと少し笑ってから、


「ふふ、そんなのお友達だからに決まっているじゃないですか?」


「……なんていうか、最近わたし驚いてばっかだわ。疲れてきた」


 絵溜の答えに呆れた様子で夜羽が吐き捨てると、百合花は微笑みながら口を開く。


「それで、美桜さんは予選を突破なされたのです?」


「……それが、6回戦で負けてしまいました。まあでも、まだわたしが勝っているので、賞金を手に入れるチャンスは残っていますから」


「そこじゃないでしょ。一之瀬さんは大会に出ることが目的なのよね? 賞金は二の次。負けちゃったら彼女だって悔しいでしょうに」


「それはそうですけど、また落ちたと決まったわけじゃありません。そろそろ上位8名が決まる頃ですし」


 絵溜がそう言いながらスマートフォンを取り出した。釣られるように夜羽もまたポケットから取り出して、操作する。


「……あ、出てます!」


 絵溜が目を見開いて言うと、夜羽は自分の端末を、百合花はその隣から画面に向けて注視して――


 1位 OMI

 2位 ヨル

 3位 マスターの弟子

 4位 みみっち

 5位 Riko

 6位 ミカエル

 7位 憂姫

 8位 ブラック


「順位表……あ、わたしの名前あるわね」


 夜羽は特に喜ぶような素振りもなく、淡々とそれを受け入れる。


「絵溜、一之瀬さんはこの中にいるのですか?」


 百合花の問いに、絵溜は目を伏せて、


「……いえ。美桜さんの名前は、ありません」


「そう。ま、残念だけれど仕方ないわね」


「わたし、美桜さんと会ってきます。きっと落ち込んでるはずだから……」


 そう言いながら車から出ようとする絵溜の服を掴む夜羽。


「辞めときなさい。勝ってるやつに慰められたって、惨めになるだけでしょ」


「それは……でも」


「それより、一之瀬さんは今どこに? 彼女だってひとりで行動していては万が一があるでしょう?」


 心配の言葉を口にする百合花に、絵溜は寂しそうな笑みを浮かべながら応える。


「それなら大丈夫です。美桜さんにはちゃんと護衛がついていますから」


「護衛……そんな人たちは見かけなかったけれど――」


 大会中も常に会場内を歩き回り、そういった者達の影を追っていた百合花だが、結局それらしきものは見当たらなかった――のだけれど。


「ええ。参加者に紛れていましたからね。それに、わたし――『OMI』に百合花さんたちの注意が向かっていた以上、そうそうバレるようなことはありませんよ。彼女たちもプロなので」


「……そう。なら良いのだけれど」


「それじゃあ、今度はわたしからの質問です。百合花さん、夜羽さん……貴女たちの目的は、なんですか?」


  ◆◆◆


 一通り事情を説明した後、百合花はひとり車から去って行った。まだ調べなければならないことがある、という一言だけを残して。


 車内に残った夜羽と絵溜。

 他人が見ればどちらがどちらなのかほぼ見分けのつかないであろうふたりは、互いに向き合って目を合わせながら話を続けている。


「探偵事務所をやっている、とは聞いていましたけど、まさかここまで本格的に活動しているとは思いませんでした」


「まあね。これだけ大掛かりなのは滅多にないもの」


「一年前の事件のこと、夜羽さんはどこまで知っているんですか?」


「わたしはほとんど知らないわよ。調べたり、推理したりするのは百合花の役割。わたしは……言うならそうねえ、実行部隊、執行者、みたいな感じよ」


 茶化すように話す夜羽だったが、絵溜はどこまでも深刻そうな顔をしていた。


「わたしも、結局調べてわかるようなことしか知りません。美桜さんに聞くのもトラウマを刺激してしまうかもしれないから……」


「貴女ならそうでしょうね。わたしなら遠慮なく問い詰めちゃいそうだけれど」


「辞めて下さい。わたしはもう、三日月絵溜なんです」


 姉妹喧嘩、とも少し違う、どこかぎこちないふたりのやり取り。

 そんな空気感を壊すように、絵溜のスマートフォンから着信音が鳴り響いた。


「ごめんなさい、ちょっと出ます」


「ここで良いわよ。黙ってるから」


「……はい。もしもし。どうしましたか?」


 着信の相手は誰なのか、画面が見えなかった夜羽だが、静寂を支配する車の中では、向こう側の声色も微かに耳へ届く。


『絵溜さん、私、落ちちゃって……賞金の話ですけど、もし勝ったなら、やっぱり絵溜さんが貰って下さい』


「え? でも、それじゃあご両親が――」


『大丈夫です。やっぱり私が夢なんて見ちゃいけなかった。罰はちゃんと受けなきゃいけなかった……それだけの話だから。私、帰ってお母さんに謝ります。リリヴェも、もう……辞めるつもりです』


「待って下さい! わたし、まだ美桜さんと一緒にリリヴェがしたいんです!」


『ありがとう、絵溜さん。貴女は本当に良い人だわ。私みたいな人間にはもったいないくらい、心の綺麗な人。……今までありがとう、私の我儘で振り回してごめんなさい。大会、頑張って。優勝するのを祈ってます』


 ぷつっ、と。

 絵溜の反論を待たずして、一方的に通話を切られてしまった。


「……ごめん、聞こえちゃってた。どうするの、絵溜?」


「どうするって……」


 絵溜はあくまでも美桜のために大会へ出場していたのだろう、唐突な別れの言葉に戸惑いが隠せず、これからどうすればいいのかも思い浮かばないでいた。


「わたしは出るわよ、決勝戦」


「……えっ?」


 夜羽は絵溜の肩に手をおいて、その真っ直ぐな瞳で絵溜を見つめる。


「貴女に負けたまま終わるのも性に合わないもの。だから貴女も出なさい。出て、もし優勝できたなら、もう一度彼女に会いに行けば良いじゃない」


「夜羽……さん……」


 夜羽の言葉に、絵溜は頷く。

 肩に置かれていた手を握り、決意の込められた表情で。


「わたし、やります。貴女にだって負けませんからね」


「そうこなくっちゃ。今度は手加減無し、全力で勝ちに行くわよ、絵溜」


 そうして、リリヴェ公式大会はついに決勝トーナメントへと進むのだった。



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