第102話 二つの決断
三日後の朝、村長の家に、再びあの文官が姿を見せた。
「ご返答を、伺いに参りました」
村長が、一歩前に出た。その隣には、ハンナ、ノア、リオとその両親、そしてルカが並んでいた。
◇
「その前に、これを」
ルカが、昨夜届いたばかりの一通の書状を、文官の前に差し出した。境界事務局の印が押されていた。
「アルバンさんからの、正式な文だ」
文官が、眉をひそめながら、書状に目を通した。
「境界事務局は、リオ殿の処遇について、宰相府への管轄委譲を、正式に拒否する。……番人への対応は、排除でも独占的管理でもなく、正しい知識と支援によってなされるべきである、と」
文官は、書状の続きを、渋々読み上げた。
「加えて、境界事務局は、当該の村および関係者と、正式な協力関係を結ぶものとする。……以後、リオ殿への対応は、村と境界事務局の合意のもとでのみ行われるべきである、と記されております」
村人たちの間に、小さなどよめきが広がった。ティナが、隣に立つノアの腕を、そっと掴んだ。
◇
「一元管理こそが安全だ、というあなた方の理屈は」
村長が、静かに、しかしはっきりと言った。
「四十年前の悲劇を、都合よく使っているだけだ。あのときの子どもたちに足りなかったのは、管理じゃない。ちゃんと話を聞いて、支えてくれる仲間だった」
「私たちは、その仲間になります」
ハンナが、続けた。
「境界事務局と、この村と。……両方で、リオを支えます。国に、独り占めさせはしません」
◇
リオの父親が、震える手で、リオの肩を抱き寄せた。
「怖くない、と言えば嘘になる」
父親は、文官をまっすぐに見据えた。
「だが、あんたたちの言う『安全』は、この子から、すべてを取り上げることの、言い換えでしかない。……俺たちは、村のみんなと一緒に、この子を守る道を選ぶ」
リオが、両親の手を、ぎゅっと握り返した。その目に、初めて会った日にはなかった強さが、宿っていた。
祖母が、震える声で、付け加えた。
「わしも、もう、怖がって隠すだけの暮らしには、戻らないよ。……この子の傍にいて、守れるものがあるなら、それでいい」
村長が、居並ぶ村人たちを、ゆっくりと見渡した。
「この村としても、境界事務局との協力に、異存はない。……よそ者だと言って、閉ざしてばかりでは、何も守れないと、この数十年で、嫌というほど知った」
その言葉に、何人かの村人が、深く頷いた。
◇
文官は、しばらく沈黙していた。
「……承知いたしました。この旨、宰相府へ、正式に報告いたします」
そう言い残し、一礼して去っていった。土煙が収まった後、村に、静かな安堵が広がった。
村人たちの間から、小さな拍手と、安堵の声が上がった。何十年も外の世界に心を閉ざしてきたこの村が、初めて、外の誰かと手を取り合うことを選んだ瞬間だった。
「終わった、わけじゃないんだろうね」
ハンナが、ノアの方を見た。
「うん」
ノアは、頷いた。
「でも、少なくとも、僕らがどっちを向いてるかは、はっきりした」
◇
同じ日の夜、遠く離れた研究室にも、蒲生からの電話が鳴った。
「三日、経ちましたが」
「答えは、変わりません」
黒川は、迷いのない声で言った。
「装置は渡しません。接続も断ちません。……必要であれば、正式な手続きを踏んで、法的にでも争います」
電話の向こうで、蒲生が、小さく息を吐いたのが分かった。
「先生方の覚悟は、伝わりました。……ですが、こちらにも、組織としての立場がございます」
「分かっています」
黒川は、静かに、しかしはっきりと言った。
「その上での、私たちの答えです」
「そうですか。……では、こちらとしても、次の段階に進ませていただきます」
◇
電話を切った後、美緒が、震える声で尋ねた。
「次の段階って」
「分からない」
黒川は、正直に答えた。
「だが、今更、選び直すつもりはない」
工藤が、キーボードの上に手を置いた。
「休眠プロトコルは、いつでも動かせる状態にしてある。……向こうが強硬手段に出るなら、こっちも備えるだけだ」
楓太が、拳を握りしめた。
「みんなで決めたことだ。……ノアとの繋がりを、俺たちの意志で守る」
工藤が、モニターに映る波形を、そっと指でなぞった。
「この揺らぎの向こうに、あいつがいる。……それを、簡単に諦めるつもりはない」
柳瀬が、静かに頷いた。
「向こうも、同じ決断をしたはずだ。……離れていても、私たちは、同じ方を向いている」
美緒が、涙を拭いながら、小さく笑った。
「怖いけど……不思議と、今は、後悔してません」
黒川が、皆の顔を、一人ずつ見渡した。
「二十五年前、あの正体不明の信号を追いかけ始めたときから、ずっと、この繋がりを守るための戦いだったのかもしれないな」
◇
その夜、境の樹越しの枠越しに、ノアが今日の顛末を伝えると、キョウジュたちの声が、いつになく力強く響いた。
「こっちも、同じだ」
キョウジュの声に、ノアは、思わず息を呑んだ。
「断ち切ることも、独占されることも、選ばなかった。……二つの世界が、同時に、同じ答えを出したんだな」
「うん」
ノアは、静かに、けれど確かな声で答えた。
「これで、やっと、次に進める」
境の樹の光が、静かに、けれどいつもより力強く、夜の森を照らしていた。二つの世界が、同じ方向を向いて立った、その先に、まだ見ぬ嵐が待ち構えていることを、誰もが、薄々感じ取っていた。
「次の段階、か」
ノアが、ぽつりと呟いた。
「向こうが、何をしてくるか、分からない」
「だが、それを、独りで受け止める必要はない」
キョウジュの声が、静かに、力強く答えた。
「こちらの備えも、村の備えも、これで整った。……あとは、来るものを、一緒に迎え撃つだけだ」
ハンナが、隣で、静かに微笑んだ。
「昔は、独りで抱え込んで、潰れていく人ばかりを見てきた。……でも、今は、違う」
窓の外、崖の向こうの海が、月明かりを受けて、静かに輝いていた。ノアは、その光を見つめながら、これから訪れるであろう試練に、確かな覚悟を固めていた。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
102話でいったん休載させていただきます。
少し物語の展開を整理して、再開したいと思いますが、今のところ時期は未定です。
再びノアと会える日が来るように頑張ります。




