目覚めの朝と、ニャンドイッチ
ちゅんちゅん、と窓の外から聞こえてくる爽やかな鳥のさえずりで、私は目を覚ました。
「んん〜〜〜〜っ! ふはぁぁぁ……!」
ベッドの上で大きく背伸びをする。全身の細胞が「おはよう」と元気いっぱいに挨拶を返してくるような、最高の目覚めだ。
重いドレスの締め付けもなければ、山のような書類の圧迫感もない。借金取りの影に怯える必要もないのだ。
「最高の朝ね……!」
私は跳ね起きると、自分の顔の状態を確かめるべく、部屋の中を見回した。
あ、そうだった。この部屋は昨日借りたばかりの長期宿泊用のアパートメントだ。姿見どころか、小さな鏡一枚置かれていない殺風景な空間なのである。
まあ、鏡がなくても代用品はあるわ!
私は部屋の入口へ向かい、重厚な木製ドアの表面に取り付けられた、磨き上げられた大きな真鍮製の装飾板の前に立った。
黄金色にピカピカと輝く真鍮の表面に、自分の顔がうっすらと映り込む。多少歪んで見えるけれど、全体のコンディションを確認するにはこれで十分だ。
姿勢? 記憶が戻った一昨日の夜、自らの手でバッキバキッ!と骨を鳴らして強制矯正済みである。首が前に突き出ていた猫背は消え去り、今はスッと美しいラインを描いている。
眉毛? 同じく一昨日の深夜、羊皮紙切りの細いハサミ一本で、芸術的(自称)なまでの職人技を発揮して黄金比に整え終えている。一本繋がりの極太ハイウェイは過去の遺物だ。
「そして……問題のお肌と目元だけど……」
真鍮の表面に顔をグッと近づけ、じっくりと観察する。
「……あ! すごい!!」
思わず感嘆の声が出た。
目元にこびりついていた、まるで殴られた跡のような真っ黒なクマが、なんと半分近くにまで薄くなっていたのだ!
それだけではない。拒食症レベルで削げ落ち、頬骨が恐ろしい角度で浮き出していた頬に、うっすらと柔らかい肉がつき、健康的な生命の芽吹きが戻りつつあるのだ。
「ふふふ……やっぱりね! 人間って案外丈夫にできているのよ!」
前世の記憶を取り戻し、「見栄もプライドも捨てて自由にいきてやる!」とメンタルが異常的に軽くなったこと。
昨夜、カシウスが作ってくれた奇跡のように美味しいサンドイッチをお腹いっぱい食べられたこと。
そして、フカフカのベッドで悩みのない質の高い睡眠をしっかり摂れたこと。
精神の安定、栄養、睡眠。この三大要素が揃えば、人間の自己修復能力は凄まじいスピードで稼働し始めるのだ。
世界初だろう。
前世の記憶を戻して、メンタル直した人物は。
「この調子で規則正しい生活と栄養補給を続ければ、黒クマ問題も痩せこけ問題も、数日もすれば完全に駆逐できるわね!」
だが――話はそう単純ではない。
確かに内側からのケア(栄養と睡眠)は順調だが、外側からのケア(スキンケア、ヘアケア、ムダ毛処理)を行うための道具が、私には圧倒的に不足していた。
カサカサの肌を潤す保湿液。
髪の爆発を抑える櫛とシャンプー。
肌の産毛や不要な毛を処理する道具。
そして、血色の悪い唇を彩るリップ……。
「良し! 善は急げよ! 美容道具を買いに行きましょう!」
この王都に、前世のドラッグストアのような便利な美容ショップがあればの話だけど。
─
私は早速、適当に屋敷に残っていた使用人の服へ着替え、外へと繰り出した。
朝の中流階級地区は、爽やかな空気に包まれていた。
通り沿いには、朝食を求める人々で賑わう露店がずらりと立ち並んでいる。どこからか、香ばしいバターや焼き立てのパンの匂いが漂ってきて、私の胃袋が「きゅう」と鳴いた。
「あら……? あの露店、なんだか凄いわね」
香ばしい香りの元を辿っていくと、一軒の露店に人だかりができていた。
人ごみの隙間から覗き込んで、私は目を丸くした。
「ね、猫……!?」
そこに立っていたのは、人間と同じように二本の足で直立した、真っ白な毛並みの大きな猫だった。
しかも、可愛らしいコック帽子と真っ白なエプロンを身につけている。
その猫のコックさんは、両手に何も持っていない。代わりに、彼ー周囲を浮遊しているフライパンやフライ返し、包丁といった調理器具が、まるで意思を持っているかのようにカシャンカシャンとリズミカルに動いていた。
魔法で調理器具を操り、鮮やかな手つきでタマゴを焼き、魚のフライを揚げる猫コック!
「な、なにこのメルヘンな光景は……! かわいすぎるでしょ!!」
前世の私なら「猫の手も借りたいどころか猫が仕切ってる!?」とパニックになるところだが、ここは魔法が存在する異世界だ。思考を柔軟に切り替え、私は素早く列に並んだ。
「いらっしゃい! 何にする?」
語尾に「ニャ」はつかないらしい。
「ええと、オムサンドと、ミデラという魚のフィッシュサンドを二つずつ! あと、アロエジュースを二つください!」
「毎度! すぐできるよ!」
猫コックさんが耳をピクピクさせると、空中のフライパンがくるりと一回転し、黄金色のふわふわオムレツが焼き上がった。サクサクに揚がったミデラ(この世界の旨味たっぷりの白身魚)のフライとともに、香ばしいパンに挟み込まれる。
「はいどうぞ! 合計で4銀貨!」
「はい、銀貨4枚ね!」
小銭入れから銀貨を4枚渡しながら、私は感動に震えていた。
銀貨4枚! 驚くべき安さだ。こんなボリューム満点で魔法のパフォーマンスまでついて銀貨4枚なんて、コスパが良すぎる!
「ありがとう、猫さん!」
受け取った包みからは、火傷しそうなほどの熱気と、恐ろしいほど食欲をそそる香りが立ち上っていた。
─
私はサンドイッチが冷めないうちに、急いでアパートメントへと戻った。
部屋のドアを、カチャリと音を立てないように静かに開ける。
奥の部屋をこっそり覗くと、カシウスはベッドの上で静かに息を立てて眠っていた。
(良かった……まだ起きてないわね)
昨日、彼は一人で巨大な屋敷の売却手続きを手伝ってくれ、大量の金貨の検収を行い、家具もない新居の手配まで完璧に手伝ってくれたのだ。元騎士とはいえ、疲労はピークに達しているはずである。
「いつも私を支えてくれてありがとう、カシウス。今日はゆっくり休んでね」
私はテーブルの上に、温かいオムサンド、フィッシュサンド、そしてアロエジュースを並べた。
さらに、カバンから小さな羊皮紙の端切れとペンを取り出し、メモを書き残す。
『カシウスへ。
美味しい朝ご飯を買ってきたから食べてね! 昨日は本当にお疲れ様。
今日は私の個人的なお買い物だから、カシウスは一日お部屋でゆっくり休んでいてください。絶対に無理して追いかけてこないこと! 命令です!
ルキアより』
よし、完璧だ。
私はカシウスを起こさないよう、抜き足差し足で部屋を抜け出し、静かにドアを閉めた。
「さて! 自分の分をいただきながら、目的地へ向かいましょう!」
街道に出た私は、自分の分のオムサンドとフィッシュサンドを大きな口でパクリと頬張った。
「〜〜〜〜〜〜っっっつ!! 美味しい!!」
サクサクの衣を破ると、中からジュワッと溢れ出すミデラの脂と甘み。ふわっふわのタマゴには濃密なバターの風味が効いていて、香ばしいパンとの相性が抜群だ。
食べ歩きをしながら、冷たいアロエジュースをゴクリと飲む。爽やかな甘みが口いっぱいに広がり、細胞ひとつひとつにしみ渡っていくようだ。アロエ好きの私にとっては至福そのものだった。
朝日を浴びながら、美味しいサンドイッチを頬張り、綺麗な街道を歩く。
街並みは、まるで幼い頃に読んだおとぎ話の絵本そのものだった。
レンガ造りの風情ある建物、色鮮やかな屋根、カツカツと音を立てて走る馬車、時折空を横切る小さな魔法生物。
現在、このルーメン王国は、「ロドアス帝国」をはじめとする遠方の巨大帝国群との貿易を(半ば強制的・脅迫的に)開かされた影響で、多種多様な物資と文化が洪水のように流れ込んでいた。
政治的には「帝国の圧力」という複雑な問題を抱えているのだろうが、一消費者となった今の私にとっては、これほど有難い環境はない。
「自由って素晴らしいわ……!」
ウキウキとした足取りで、私はルキアの記憶の奥底から引き出した「唯一の美容専門店」の場所を目指した。
──
「……ここね」
到着した場所は、賑やかな大通りから一本入った、重厚な石造りの店舗だった。
ガラス窓には怪しげな魔法陣が刻まれており、高級感と不気味さが同居している。




