Ⅳ
「失礼いたします、ルキア様。明かりがついておりましたので――」
部屋に入ってきた人物に向かって、私は「たあぁぁぁっ!」とハサミを突き出し突進した。
しかし、その人物の姿がランプの光に照らし出された瞬間、私の動きは完全に凍りついた。
そこに立っていたのは、刺客でも、魔物の類でもなかった。
きっちりと整えられた銀髪に、誠実そうな紺色の瞳。
身にまとっているのは、古びているが手入れの行き届いた騎士の軽甲冑。
年齢は20代半ばほどだろうか。すらりと背が高く、非常に整った顔立ちをした、まさに「理想的な騎士」そのものだった。
しかもその手には、なんとも香ばしい匂いを漂わせるプレートと、水の入ったピッチャーが載せられたトレイが握られている。
「……ルキア様?」
騎士は、急停止して、ハサミを構えてプルプルと震えている私を見て、首をかしげた。
「あの……お腹が空いているのではないかと思いまして。簡単なものですが、サンドイッチと冷たいお水をお持ちしたのですが……」
極めて穏やかで、心地よい低音のボイス。
その声と姿によって、私の脳の奥底から、埋もれていた記憶が猛スピードで浮上してきた。
(あ……! この人、知ってる!!)
彼の名は、カシウス。
ヴァレリウス家に長年仕える騎士であり、ルキアが幼い頃からずっと彼女の護衛兼世話役として側にいてくれた人物だ。
覚えている。ルキアがどれだけ「怪物令嬢」と蔑まれようと、周りの使用人たちが辞めていこうと、カシウスだけは常に変わらぬ敬意と優しさをもって、ルキアを支え続けてくれていた。
(っていうか……え?)
私はハサミをゆっくりと下げながら、素朴な疑問にぶち当たった。
(私……お金が払えないからって、涙ながらに全員解雇したわよね? カシウスにも『もうあなたに払える給料はないの、お願いだから自分の人生を生きて』って解雇通知書渡したわよね!? なんでまだいるの??)
というか、それ以前に――。
カシウスの視線が、私の全身をゆっくりと巡っていた。
彼の目が、徐々に丸くなっていく。
今の私の格好。
脱ぎ捨てられた豪華なドレスの横で、父のダボダボな古着のシャツを着て、ぶかぶかの革ズボンを履き、髪は爆発、顔面はブツブツ……だけど眉毛だけが超絶完璧に整えられているという、謎の不審者スタイル。
「……あの、ルキア様」
カシウスは、非常に困惑した面持ちで口を開いた。
「その……お召し物は……? 御父上の服でございますか? それに、その……手に持たれているハサミは……?」
「あ、えーっと……!」
やばい。どう言い訳する!?
まさか「前世の記憶が戻ったので断捨離と美容を始めました!」なんて言ったら、頭がおかしくなったと思われる!
私は必死に頭を回転させ、冷や汗を流しながら、引きつった笑顔を浮かべた。
「こ、これはね……! カシウス! その……『心機一転改革』よ! ほら、ドレスって動きにくいでしょう? これから屋敷の掃除とか書類仕事をするにあたって、機能性を重視した結果……この、お父様の服が一番実用的だと判断したの! うん!」
我ながら支離滅裂な言い訳だ。
貴族の令嬢が実用性のために亡き父の古着ズボンを履くなど、前代未聞である。
カシウスは数秒間、絶句したように私を見つめていた。
そして視線を泳がせると、まるで「触れてはいけないもの」に接するかのように、優しく微笑んだ。
「……左様でございますか。……確かに、動きやすそうなご衣装でございますね」
流した!!
完全に私の狂気の行動を気遣って流してくれた!! 優しい! 優しすぎるよカシウス!!
「……それより、カシウス」
私は咳払いをひとつして、本題に入った。
「あなた、どうしてまだこの屋敷にいるの? 私は、あなたに解雇を告げて、わずかばかりの手切れ金と一緒に退職書類を渡したはずでしょう? もう我が家には、あなたに支払うお給料も、食べさせるご飯もないのよ?」
そうなのだ。ルキアは自分を最後まで庇ってくれたカシウスに申し訳なく思い、全財産の中から絞り出すようにして手切れ金を渡し、彼を解放したはずだったのだ。
私の問いに対して、カシウスは持っていたトレイを机の上にそっと置くと、姿勢を正した。
そして、まっすぐに私の目を見つめ、静かに、しかし力強い声で言った。
「ルキア様。私がヴァレリウス家に捧げたのは、金銭で買えるような安い忠誠ではございません。幼き頃、私に剣を握る意味を教えてくださったのは亡きマルクス様でした。そして、傷ついた私に優しく微笑んでくださったのは、幼き頃のルキア様です。我が剣とこの命は、すでにあなた様のもの。給料など、浅ましき傭兵の欲。最初から不要でございます」
カシウスは胸に手を当て、深く頭を下げた。
「たとえヴァレリウス家が立ち行かなくとも、世界の人々があなた様を笑おうとも……私があなた様の騎士であることに変わりはありません。給料が出ないのなら、無給で働き、私が外で獲物を狩ってでもルキア様をお養いいたします。ですから……どうか、私を遠ざけないでください」
静かな部屋に、カシウスの誠実すぎる言葉が響き渡った。
私は――言葉を失った。
(なにこれ……なにこの展開……!?)
全私が泣いた。
映画? これは映画なのか!?
前世の私なんて、会社でちょっとミスしたら上司にネチネチ怒られ、同僚からは押し付けられ、人間関係の希薄な世界でひっそり、普通の平民として生きてきたのだ。
そんな私が、こんな超絶誠実騎士から「生涯無給であなたに尽くします」「狩りをしてでも養います」なんてプロポーズ(※忠誠の誓い)をされるなんて、人生の許容量を超えている!
「カシウスぅぅぅぅぅぅっ!!」
私は感極まり、思わずダッシュでカシウスに駆け寄ると、彼の手を両手でガシッと強く握りしめた。
「ありがとう……! 本当にありがとうカシウス!! あなたって人は……なんていい人なのぉぉぉっ!!」
「っ!? ル、ルキア様!?」
カシウスは私の突然の行動に、顔を真っ赤にして狼狽した。
そりゃそうだ。かつてのルキアは、プライドが高く塞ぎ込みがちで、使用人とスキンシップを取るようなタイプではなかったのだから。
「大丈夫です! 貴方を絶対に路頭に迷わせたりしないわ! 私、絶対にこの家を立て直す……じゃなくて、快適な生活を手に入れて、カシウスにも美味しいものをいっぱい食べさせてあげるからね!!」
カシウスの手をブンブンと上下に振る私。
カシウスは完全にキャパオーバーを起こし、目を白黒させながら、ひくひくと口を開いた。
「あ、あの……ルキア様……? 大丈夫でございますか……? その……まるで、人が変わられたかのようですが……」
あ。
しまった。やってしまった。前世のリアクションが出すぎて、完全に性格が崩壊している。
私はハッと正気に戻り、ガシッと握っていた手をパッと離すと、そっと髪をかき上げた。
「あ、あら……ごめんなさいカシウス。ほら、私……ここ最近、寝不足と過労が続いていたでしょう? だからちょっと……そう、情緒不安定なのよ! 記憶の混濁というか、劇的なビフォーアフターというか……! だからほら、あんまり気にしないで?」
「情緒不安定……でございますか……」
カシウスはまだ困惑しきった顔をしていたが、私が「うーん、お腹が空いたわー!」と露骨に話を逸らすと、ハッと気づいたようにトレイを指差した。
「あ、申し訳ございません。お腹が空いておられるのでしたね。厨房に残っていたパンと、干し肉とチーズで簡単なサンドイッチを作って参りました。お口に合うか分かりませんが……」
「食べる! 食べるわ!!」
私はさっそく椅子に飛びつき、トレイの上のサンドイッチにかぶりついた。
がぶり。
「〜〜〜〜〜〜〜〜っっっつ!!」
美味しい!!
固めのパンに、塩気の効いた干し肉と濃厚なチーズ、そしてほんのり塗られたハーブのバターが絶妙にマッチしている!
過労と栄養不足で疲弊し切った体に、滋味が染み渡っていくようだ。
「おいしい……! カシウス、これすっごく美味しいわ!!」
「それは良かったです……ルキア様がそんなに嬉しそうに食事をされるのを見るのは、本当に久しぶりです」
カシウスは心底ほっとしたように、柔らかく目を細めた。その笑顔があまりにも爽やかでイケメンすぎて、前世で「イケメン免疫」のなかった私は一瞬眩しさに目を細めてしまった。
「カシウスも座って! 一緒に食べましょう!」
「いえ、私などは立ったままで――」
「いいから座るの! 騎士令発令よ! 命令です!」
「……はは、かしこまりました」
苦笑しながら向かいの椅子に腰掛けるカシウス。
私は彼にもサンドイッチを一つ手渡し、二人で深夜の執務室でモグモグとサンドイッチを頬張った。
カサカサの唇に油分が補給され、お腹が満たされていく。
冷たい水が喉を潤し、生き返るような心地がした。
「カシウス」
「はい、ルキア様」
「私、決めたの。明日からこの屋敷を売る準備を始めるわ」
「それは一体……」
サンドイッチを口に運ぼうとしていたカシウスの手が、ぴたりと止まった。
「屋敷を……売る、でございますか……?」
「そうよ! 屋敷も、領地も、ドレスも宝石も全部みーんな売るの! そして借金を綺麗サッパリ返して、小さくて快適なお家に引っ越すわ! カシウスも一緒に来てくれるかしら?」
私はニッコリと、完璧に整えられた黄金比の眉毛を誇らしげに上げてみせた。
カシウスはポカンと口を開け、手の中のサンドイッチと、私の顔(眉毛だけ完璧な怪物)を交互に見つめ――やがて、諦めたように、だけどどこか愛おしそうな苦笑いを浮かべたのだった。
「……承知いたしました。ルキア様がそうお決めになったのでしたら、私はどこまでも、お供いたします」




