Ⅱ
しかし、今の私の中にいるのは、前世の「超平民」の私である。
「……バッカじゃないの!?(愛を込めて)」
私は誰もいない部屋で叫んだ。
貴族のプライド? 見栄? 伝統?
そんなもので腹が膨れるか! 肌がツヤツヤになるか! 鼻毛が引っ込むか!
見栄を張って惨めに衰弱死するなんて、食べ物を詰まらせて死ぬのと同じくらい愚かよ!
前世の私の価値観からすれば、見栄なんて一切不要。
大切なのは「エンジョイして生きること」「快適に生きること」「心身ともに健康であること」!!
死んだら元も子もないのだ。
「決めたわ。私、この生活を根底から変える!」
目標は決まった。
実用的で、質素で、だけど不便のない生活。
そして何より――「自分を人間の姿に戻すための、美容第一生活」である!
まずは、この鬱陶しい布の塊を脱ぎ捨てるわよ。
私は今着ている、無駄にフリルとレースがついた派手なドレスに手をかけた。
こんなものを着て書類仕事なんかしていたら、そりゃ病気にもなるわ!
「ぬ、脱げない……! 後ろの紐が……ぐぬぬっ!」
一人でドレスを脱ぐのは一苦労だったが、なりふり構っていられない。必死に体をひねり、バリバリと半ば強引に紐を解き、重苦しいドレスを床に脱ぎ捨てた。
「ふはぁぁぁぁぁっ!! 息ができる!! 空気がおいしい……ゲホッゲホッ、いや、埃っぽい……」
解放感に浸りながら、私はクローゼットに走った。
まともなラフ着を探したが、ド派手なドレスばかりでろくなものがない。仕方なく、生前の父マルクスが私服として着ていた、古いけれど上質な革のズボンと、ゆったりとした麻のシャツを引っ張り出してきた。
ダボダボのシャツの袖をまくり上げ、ズボンのベルトをきつく締める。
「動きやすいわね!」
ドレスの重圧から解放された私は、さっそく執務室の机へと向かった。
机の上には、山のような羊皮紙の書類、権利書、財産目録、そして借金の誓約書が積み重なっている。
私は椅子に深く腰掛け、羽ペンと計算用の紙を引っ張り出した。
前世で鍛え上げた英才教育……ではなく義務教育。経験だけ豊富な普通の事務処理能力と計算力を総動員する時が来たのだ。
「ええと……我がヴァレリウス家の現状は……」
書類を一枚ずつ精査していく。
まず、両親が残した借金が……。
そして、占領されたアルブス銀鉱山は……まあ、国家間の戦争が絡んでいる以上、個人で取り戻すのは100%不可能。諦めよう。バイバイ、銀鉱山。
次に資産。
この無駄にバカ広い中央街のヴァレリウス伯爵邸。
郊外にある広大だが放置されている領地。
先祖含めたド派手なドレス、宝飾品の数々。
父が趣味で集めていた(しかし私には価値の分からない)高級な絵画や壺。
そして、私が着る予定だった無駄に豪華なトレンドドレスの山。
「全部売る。」
即断即決である。
「屋敷? 売る! 領地? 売る! ドレス? 売る! 宝石? 売る! 壺? 売る売る売る売る売る!!」
前世の私なら「家を売るなんて……」と躊躇したかもしれないが、今の私にはこの大屋敷はただの「掃除が大変なゴミ箱」でしかない。一人暮らしにこんな何十部屋もある屋敷が必要なわけがないのだ。
売却の手続き、不動産屋への仲介依頼、競売の手配……頭の中で段取りを組みながら、羊皮紙に羽ペンで数値を書き込んでいく。
屋敷と領地を売却して借金を全額返済。
さらに、売却手数料や諸経費を差し引いて……。
高級ドレスや宝飾品、美術品をすべて競売にかけた場合の概算を弾き出す。
カリカリカリ……と羽ペンの音が部屋に響く。
そして、最終的な手元に残る金額の試算が出た。
「……2500金貨」
私は弾き出された数字をじっと見つめた。
「2500金貨……」
今世のルキアの記憶を検索する。
この国、ルーメン王国の金銭感覚だと……一般的な平民家族が1年間、それなりに不自由なく暮らすために必要な金額が、およそ10〜15金貨程度。
「……ん?」
もう一度計算する。
1年で15金貨。
手元に残る予定の資金、2500金貨。
「……あれ? これって、もしかして……」
2500 ÷ 15 = 約166年。
「100年以上、遊んで暮らせるじゃん!!?」
思わず叫んでしまった。
いや、待て待て。初期費用(新しい家や家電)がかかるから多いのか少ないのかイマイチピンと来ないけれど、要するに「超贅沢な貴族生活」を諦めて、「質素だけど快適な平民生活」にシフトすれば、死ぬまで金に困らないレベルのキャッシュが手に入る可能性が高いということではないか!
もちろん、インフレリスクとか、病気になった時の医療費とか、今後の社会情勢によって多少の変動はあるだろう。でも、当面の間……少なくとも私が自分のビジュアルを人並みに戻し、健やかに暮らすための美容資金としては、お釣りが来るどころの話ではない!
「勝てる……! これなら勝てるわ!!」
私は思わずガッツポーズをした。
絶望の借金地獄? 貧乏令嬢の悲劇?
そんなの、見栄を捨てて売るもん売っちゃえば一発解決じゃない! なんとか助かった。
「よし、方針決定!」
私は立ち上がり、大きく両腕を広げた。
第一に、この屋敷と領地、そしてすべての派手な財産を即刻売却して借金を完済する!
第二に、治安の良い郊外に、小さくて清潔で、掃除が楽で、セキュリティがしっかりした実用的な小さなお家を購入(または賃貸)する!
第三に――全力で美容に取り組む!!
まずは、肌荒れを治すための清潔な水、石鹸、保湿用のオイル、そしてバランスの良い食事を手配する。
暗黒のクマと激やせを治すために、質の高い睡眠と栄養を摂る。
いちご鼻をケアするためのクレンジングを探す。
髪の手入れをし、歯を磨き、姿勢を正し……そして、鼻毛を切る!!
「待ってなさいよ、健康な生活!」
当面の平民生活が落ち着いたら、何か自分にできる「お仕事」でも探そうかしら。
平民として働くのも楽しそうだし、社会との繋がりは大事だものね。
「ふふふ……面白くなってきたじゃないの」
私は鏡に向かって、ボサボサ髪でゲジ眉の、だけど先ほどまでとは見違えるほどシャキッとした笑顔(※ただし顔面は怪物)を向けた。
借金苦の悲劇の令嬢ルキア・ヴァレリウスは、今日この瞬間をもって完全に死亡しました!
明日からは、超・現実主義な元・超平民による、快適ライフ&大・美容改革の始まりよ!
まずは……明日一番で、不動産屋と質屋に突撃ね!
私は力強く頷くと、数ヶ月ぶりに訪れた「前向きな希望」を胸に、豪華だけど手入れがされていないベッドへと飛び込んだのだった。




